EMIRI MOROKA -HEART MATRIX-

師岡絵美里のブログです♪


2019年12月28日土曜日

真理の学びは魂の美容




今年一年よかったこと。

声枯れ系の風邪をひかなかった。
喉と声をやってしまうと仕事上致命的です。



まあよく話した一年でしたw。

今年、本当にたくさんヨーガ哲学講義をしました。


スタジオでのワークショップ、講座、オンラインでの授業、動画での講義、個人授業・・・



なんか、年々「量」やっているなあという感じ。
でもそれって、自分が学んでいるからこそ量が増やせている手応えが大きいです。





こんなしゃべる人生になるとは予想もしなかった(笑)。
ちょっとシンパシーを感じるのは、今年youtuberとして活動をスタートし、ノリに乗ってる中田敦彦さん。youtube大学と称していろいろなテーマを講義形式で伝えています。すごい頻度でおもしろい動画をアップしている。その量とペースと情熱。



「とにかくしゃべるのが好き」とご本人も言っているけど、ただしゃべれればいいわけではなく、テーマが大事で、生きていく上で有用な学び、心の栄養になるような教養、自分が伝えたいこと、それらを自由にやれる現在の環境を彼はとっても楽しんでいるのがわかります。


そしてなによりも「自分自身が勉強していたい!!」という気迫に、とてもシンパシーを感じます。


そう、勉強していたいのですよ!!
わかるよそれ☆



先日、スタジオで、人生の大先輩、ヨーガの大先生、職業上での恩師でもあるYuko Goto先生と話しました。


毎週一回は、担当交代の時に会えるのでちょくちょく話すのですが、先週はしっぽり「学び」について話しました。


最近は海外にあまり出向かないね、またやるの?と聞かれ、そうですよね、と考えた。


「海外の仕事好きですけど、しばらく行かなかった分とても落ち着いて勉強できている感があります。これまでの人生の中でも、際立ってたくさん“勉強”ができた年だったと思います、今年。」

と、改めて思った事を話しました。


海外に遠出したり大きなイベント事をやらないでいたので、聖典や経典をじっくり読解したり、古文献をあたったり、歴史学や言語学に時間をかけることができた年でした。


すごくいい。
勉強ができるって、本当にしあわせです。


外に出向いたり、なにか立ち上げてドカンとやったりするのも大好きだけど、やはり準備に追われたりたくさんのエネルギーと時間を使います。今年はあまりそれをしなかった分、本に向かって勉強をすることや、先人たちの教えに静かに向かい合う時間が本当にたくさん取れたと思います。こういう時期があってもいいし、必要だと感じます。


学ぶことをやめなければ、人の精神は老いない。
そんな偉人の言葉がありましたが、本当だと思います。
学ぶことは、スピリットの栄養です。真理の学びは魂の美容でありアンチエイジング。



人の心というのはどうして「動く」もので、その動きが時として迷いや苦しみ、不足感など、苦を生むタイプのものもたくさんあります。でも学んでいると、それらにどう対処するかということが考えられるようになる、それって救済だと思います。




来年も、猛烈に勉強しようと思う。勉強がしたい。
もっともっと勉強する。



そしてそれを伝えられる機会と集まってくれる方々に恵まれた、幸福な人生に感謝します。
世界から学んだ分、みんなに伝えていくことで、この世界に返していきたいと強く思います。

 


最後までお読みくださりありがとうございます。

ナマステ
EMIRI


2019年12月27日金曜日

会えるという奇跡、つながるという温かさ


先週のこと。

久しく会えていなかった友人で、ヨーガの先生「同志」でもある長年の友に、スタジオでの入れ替え時に会うことができました。私がちょっと事務作業で遅くなり、彼女が時間よりもだいぶ早く来たことによって偶然会えたのですが、本当に嬉しくて熱い抱擁を交わしました。


その人の顔を見て、目をみて話せるって相当に重要なことだ、とつくづく思いました。


お互いに、まぁ芸能人とか著名人のレベルではとうていとうていないけれども、それでも不特定多数・大勢の人の前に立つ仕事を日々しているという意味では人目に晒されている者同士で、それもあって本人ではないところからなんとなく近況を知らされることもお互いにあったりで、いろいろ活動していることは互いに感じつつも、その背景にある真意や心の模様は「親愛を持って察している」という位置にいることが多くなるわけです。


でもやはり、本人に会うパワーというのは計り知れなく、比にならず、大きすぎます。


2年以上はゆうに会えていなかった彼女と、ほんの15分か20分ほどの時間で、膨大な心理的情報を交換できました。


もちろんすべてを詳細に語り合う時間はなかったのですが、生身の存在に会えることから受け取れる情報量は半端ないですね。


話していて嬉しいのは、より一層「同じ言語」で話せるようになった実感を確認できること。


「ヨーガ」というのはひとつの概念の総体で、それは言語としても機能するもの。会っていない間にお互いに進んできた道のりの「詳細」はすべては語れなくても、ヨーガという言語で言葉を交わしあえる深度がとても深くなっていることで、彼女がどれだけの心の軌跡を辿ってきたのか、それがどれほど重みのあることなのかがわかります。そして私自身のそれも、伝わっているであろうことも。


だから、たまに「会う」って本当に大事ですね。


SNSなどは、会っているような錯覚はくれるけれど、それはやはりその人の「現在」についての3%にもならない情報かもしれない。「3」はてきとうな数字です(笑)、それくらい少ない、ということです。
(逆に言うと、その3%くらいの情報であーだこーだ思ったりして自意識エネルギーを働かせなくいい、てことですね。)


だからたまに会おう!
そう思います。



それとは別件ですが同じテーマで、こちらでも紹介させていただいている「オリジナルヨガカレンダー」。

今年もなんとか間に合って注文を開始したのですが、開始から2日間でどわーーーと注文が来まして、それだけでも嬉しいのですが、「今年もあるのかな〜」「まだかな〜」と待っててくれた方々からの本当に温かいメッセージが注文メールの備考欄に書き込まれていたりして、もうなんだか、たまらなく嬉しいです。


この「年の瀬の頃」に、普段はなかなか会えない方とも「カレンダー」を通してやりとりができるというものいいものだなと思いました。


相手との関係性にもよりますが、「なんの用事もないけど連絡する」ということが極めて減っている現代。
なんらかのきっかでコミュニケーションが再開したり、短いメッセージのやりとりでも「よい刺激」が入ること。
人ってそういう温かいなにかを糧に、ごく当たり前の日常のまた一歩を歩いて行けるように感じます。


ハガキで出すことは少なくなりましたが、「年賀状」っていい風習ですね。


そして「なにより」は、やはり実際に会えるという奇跡。
その人の目を見ることの重さ。


そんなことを感じていた今日このごろでした。


みなさんはいかがお過ごしでしょうか。


暮れゆく2019年、穏やかで平和でありますように。

2019年12月25日水曜日

サンタクロース、くるこない。


クリスマス編。


「来る家」「来ない家」

こどもたちとのヨガ教室での一コマ。

昨日はクリスマスイブだったのでみんながプレゼントのことを話していました。

もうもらった?
まだもらってない?
なにもらった?

と。

何気ない会話で一人の子が

「サンタクロース来る家?」

と、とてもさっぱりした感じで別の子たちに言いました。


「サンタクロース来る家」・・・。


私はちょっと興味深く聞いていました。


ある子は「うちは来ない家」

ある子は「弟がいるからまだ来る」

ある子は「今年は来ない。」

などなど(笑)。

今年は(来ない)」の背景にどのような情報や確認があるのかはわかりません(笑)。




そっか〜みんな、さっぱりしてんな〜〜、と思いましたw


サンタクロースが「来る家」と「来ない家」がある、というすごくニュートラルな感覚で、良し悪しとかでないところで成立する話題なんだな、と。



「来ない」ことがネガティヴでもなく(残念かもしれないけふど)、「来る」ことが当たり前なことでもない。どっちがメジャーでどっちがマイナーとかもない。ただ「うちは来る」「うちは来ない」というそれだけで、その「差」と「理由」についてはそれほど深く言及されることでもない、というフラットな会話。


ほんとに言い方がサッパリしてるんですよw


「あ、サンタ?来ないようちは。」


みたいな。

「卵焼きに砂糖入れる?」「うちは入れない」みたいな。




私の生徒10人くらいの範囲でしかない統計ですが(笑)、本人が「小学6年生」くらいの立ち位置だと、その下に妹や弟がいる子には比較的「来る」ようで、上の兄弟がもう中高校生だったりすると本人はまだ小六でも、もう「来ない」ようです(笑)。
なんか、親の感覚がちょっとわかる感じがおもしろく、ふふふと思いながら聞いていました。





私の教室の子供達は兄弟が多い子が多く、三人兄弟、四人兄弟、一番多い子で五人兄弟の子もいます。


聞いていると、いろんな家庭の「感覚」とか「選択」とか「結果こうなった」みたいな感じがどことなく感じ取られて面白いです。





うちは、今年までは「来る家」(笑)。

小六の娘の「サンタクロース」は今年が最後としました。

来年の今頃、中学生になった彼女に「実際はね・・・」ということを話しても大丈夫かなと思います。哲学的な考察も交えて(めんどくさい親!!w)。








例えばクリスマス。例えば誕生日。

「もらえる」という事に疑問も感じずに完全に慣れている子供たちが多いのですが、「もらえる」はそんなあたり前でもないよ、この先は「自分で作る」そして「与える」をなるべく多くやれる人生すると、幸せだよ、というあたりを・・・

話してもまだ通じ切らない子供たち(爆)

「え〜・・・欲しいもん。」と(笑)

あはははは、正直でいいね。
欲しいもんは欲しいよねw


そんな子どもたちにクリスマスお菓子をあげまくった昨日の私でした。食べたいだけ食べな、と。
やっぱりみんなが「わーーー!」って顔を輝かせるのを見るのは、幸せですね、それがお菓子理由でもw

昨日は普段のレッスンの後に子どもたちと遊んだり、いろいろお話もできて、楽しいクリスマスイブでした。




時は経ちますね。

「年」には「行く家」も「行かない家」もない。

今年ももうすぐ終わりますね〜〜〜。

みなさん楽しいクリスマスを♬



☆ご注文受付中☆2020年版のEMIRIオリジナルヨガカレンダー


2020 EMIRI YOGAカレンダー



今年もできました!
2020年版のEMIRIオリジナルヨガカレンダーです!

とってもかわいいヨギたちと一年を一緒に過ごしていただけたらと思います。

今年描いたイラストを中心に、今回のカレンダー用に新たに7枚を描き下ろし、過去作品もちょっとだけ加えてみました。

ほんとにかわいい仕上がりになっています。






















2019年版同様に、各月にはグル(導師)の残したヨガの言葉も載ってます。今回はヨガの聖人だけではなくインドの詩人ルーミーや哲学者タゴール、また偉大なアーティストたちの言葉も加えて、とても胸に響くメッセージになっています。


ぜひあなたの一年のお供に。


<ご注文受付中>
2019年12月29日15:00までにご注文いただければ12月30日発送できます。数量限定ですので気になる方はおはやめに💗


すべての月のイラストがサイトでご覧になれます。見てみてください♬
2020 EMIRI YOGAカレンダー



Namaste!!!
EMIRI

2019年11月27日水曜日

死と心の病について考える


死と、心の病について考える



ご存知の通りですが私はヨーガ哲学を伝えています。


それは「真理」と言うものを扱うとても壮大なものなのですが、真理を考えるうえでどうしても通る道というのが「心理」なんですよね。


心理は、心の理(ことわり)で、いわば心と言うものの原理や働きについてです。


ヨーガにおいては身体論=精神論という感じで双方が離れていないので、心を知るというのは体を知ることであり、体を知るということもまた心を知ることにおのずとなります。




・・・死と意識・・・


私は日常的に、「死」と「意識」について考えています。


そこだけ聞くと “大丈夫かこの人?” と思うかもしれないですが(笑)、このふたつの概念や実際というものを考えることは生きていくために必要なことだと強く感じています。


「死」のことを日常的に、正気のうえで考えて、想像し、また考察するということを行うには、なんと言いますかある種の図太さみたいな、そのテーマに負けない身体的精神的なタフさと、追い込まれたり持って行かれないマインドが必要だと感じるのですが、その強さを養ってくれているのが、まさにヨーガ哲学とヨーガの身体論だと感じます。

そして私の、おそらくは持って生まれた「生きることへのポジティヴさ」があって成り立っている作業だと感じます。


変な言い方に聞こえるかもしれないですが、生きることにポジティヴだと、死という概念に対してもネガティヴさよりも「きっとそこに何か真のものがあり、それは忌むべき悪いものでは決してない」というような、“何かを見いだせる”というスタンスが同梱されるではないかと思います。


(大丈夫、あぶないことは言ってないです私(笑)生きるの好きです!!
 誤解されないように言っておくwww)



他の多くのテーマと同じように、あるひとつのことやそれにまつわる事を考えるとき、それについての「知識」なしで考えてしまうと、空想(妄想、間違った推測)のパワーに持って行かれて、考えている側の心がやられてしまいます。これはテーマが変わっても同じこと。



私の場合は、生死観というものを宗教的・思想的、そして身体的に、古代のヨーガから受け取れた理論があるので、「空想」では逆に自分が取り込まれてしまうようなディープなテーマを客観的に観る強さが養われたように思います。



それでも実際に、身近な人や親しい人に死が訪れたら感情は確かに大きく揺れるでしょうし、制御下に置けないような感情も湧くでしょうけれども、それでも「死と意識」について何も知らない状態よりも、心の置き所は見出しやすいだろうと思います。







・・・生きるという命題の中の心理・・・


死と意識。

その間に広がる世界が、心理、心、なんですよね。

つまり、肉体のある人生を生きるという命題です。


実際には死は、定義によって何を死とするかが変わってきますが、その定義を与えてくれるのが「意識」についての理解だと感じてます。


まあこんなことをツラツラと書き出したきっかけというか動機は、今急に思い立った訳ではないでのすが、ずっと「自殺」と「鬱」というものについて、その「理(ことわり)」考えてきたからなんです。


昨今、自殺は珍しいことじゃなくなってしまいました。鬱もです。
もっというと「心の病気」というくくりに入れられている、一概に原因やその原理があまり理解されていないものに対してです


ただとてもデリケートな話なので、人によって様々な受け取り方があることを思うと、考えつつもそれを公に話すということはあまりしてきませんでした


しかし先ほども述べたように、自殺も、鬱も、心の病気なるものも、全く珍しくない世界になっています。





・・・知は照明・・・


「心の病気」と言うのはかなり曖昧な言い方なのですが、「思考の極端な偏り」だと一旦定義したとします。(あくまでも一旦です。)極端な視野の狭まりとも言えるかも知れません。

個人においてもまた集団においても、思考が極端に偏っていくと、悲劇的なことが起こってしまい、それは頻繁に目の当たりにすることができます。

避けられる可能性のあった心と命の悲劇とも災難とも言えるような結末に触れるたびに、「知識があれば、もし知っていればその心の流れに飲み込まれずに、心と体のある人生を保護するすべや救済があったかもしれない」

と、思うのですよね。


そして知識があれば、そういったコンディションに陥ってしまう人への偏見もなくなるだろうし、自殺をする人や鬱になる人を「心が弱い人」という範疇にまとめたり、「自分でそうなった」というような責任話でオチをつけたりしなくなるし、例えばですがドラッグや麻薬などに飲み込まれてしまう人にも、単に「意志が弱い人」「コントロール能力がない人」と決めつけなくなると思います。

(この辺りについては、社会構造と身体の生理現象への理解考察が必要だと感じてます、心のために。ヨーガ的な観点からの思うことはまた別で書きます。




死と意識の間に横たわる広大な「心理」の世界とは、つまり因果と縁起の世界で、それぞれの事物の「関わり」によって作用が変わってきます。その関わりは社会と個人、個人と個人、個人においての心と身体、という風に、いくつもの層を作って、全てが相互作用をした上で最終的に、目に見える層の「作用」が現れてきます。



例えば霊魂とでも言うような個人の主体から、物理的な肉体に至るまでの「いくつかの存在の層」を貫いて働く「心理」があるのですが、それぞれの層で起こる作用をひとつづつ分解して見てみることも必要だし、先の層に進む前に食い止められたり変容できる手立てもあります。


逆に「不可逆」の領域まで作用が進んでしまうと、その時点ではもう「幸福」や「楽」の観念が、通常の一般的な思考におけるところから次元をまたいでしまっている場合があり、本人にとって「心の放棄」や「死」は、こちらが思うような悲劇でもないところへ行ってしまいます。



また、層ごとに働く作用が全てつながるとどうなるのか、というような総括的な観察を持つと、その人にとっての「生」とはなんなのか、という重要な核が見えてくるとも思うのです。そうしてはじめて、その人にしかわからない個人の主観的な「生」「死」「人生」に関して、他者が「尊厳」を見いだせるのではないかと感じています。



繰り返しになりますが、重要なもののまずひとつは「知識」
だと思います。


そこに思いやりや優しさや、先ほども言ったような共感しすぎて巻き込まれないでいられるこちらの精神なども必要になってはくるのですが、まず「知識」だと感じるのですね。





長くなってしまったので、続きはまたにしますが、皆さんのまわりにも、もし「心」を負傷してしまったり、悲劇的な方にエネルギーが偏ってしまっている状態の人がいたら、推測や想像だけで共感を示して寄り添おうと思っても返って難しいことだと思いますので、「信頼できる知識」を探してみることも入れてみてください。


情報に溢れているので「何が信頼できる知識なのか」の判別もまた難しいかもしれないですが、専門的ないくつかの角度からの知識によって自分の考察を客観的なものにしてくれる役にはたつと思います。






・・・考察と検証を重ねること・・・


死と意識。

そして自殺や鬱。


この件に関してはもう少し私なりに、ここまでで見つけてきた発見と、私の専門である「ヨーガでできること」を考察検証しているので、なるべくはやめにまた書こうと思います。


同時に「救えるかもしれない」という浅はかさと、勝手に「救いたい」と思ってしまうエゴについて気をつけています。

それは「救い」というものの概念を正確に見出すために必要なことであり、他人の人生への浅はかな関わり方をしないためでもあります。



そして、愛ですね。

愛というのは、感情のことではなく、自分の心に理解の窓を開く自己努力のことだと思っています。愛が知性を純化してくれます。


愛なしに理論だけで語ると、それはまた一種の偏りや危険を孕んでいきます。
何かを思いやる時、自分はまだ無知なんだと思って理解を開くことが、愛の表現だと思います。



なにはともあれ、ヨーガの精神論を学ぶって、生きることに相当有益なことだと日々痛感しています。





最後までお読みくださりありがとうございます。
ナマステ

2019年11月25日月曜日

メルマガアーカイブ「シャウチャ」


2019年の締めくくりに、ヨーガ哲学を学ぼう


「楽しく学ぶはじめてのヨーガ哲学」




結果から言いますと今年作ったこのコース、自分的に今年の大ヒット作になりました。


大ヒットというのはすごい受講人数が殺到したとかそういうことではなく(相変わらず毎回少人数制です♫)、受講してくださった方の精神的な変化や、人生への新しい視点の導入に貢献できたという意味での大ヒットです。


もともとこのコースを作ろうとした動機は、ヨーガ哲学なるものを「敷居高いもの」と感じずに、“私でも受けられるかも”と思ってもらえるようなコースを作って、はじめての方でも入りやすい環境を作りたかったのです。


また、これまでオンライン講座のメインとして開催していた「6ヶ月集中コース」などに参加するのは “まだ早いかな・・”と思っている方や、オンライン授業を受けるのが時間や都合的に難しい方のために、動画だけで学習できるスタイルに挑戦してみたかったというところもあります。


しかし動画を作るっていうのは、生配信や対面講座で話すのとは違う「制作」の受難もあり、ほんとハゲそうなほど(笑)考えながら、何回かの作り直しもありつつ作ったのですが、幸い髪も無事に制作でき、結果すごく実りある学習コンテンツが作れたと感じています。


ただやはり、動画だけ送って「はい観ておいてね」というのは私のやり方ではなく、ヨーガの精神性というのは教える人と教わる人のコミュニケーションがあって理解が進んでいくものなので、関わりを持ちながら進んでいくというスタンスはこれまで通りにしました。


ある仕事上の知人は、そこまでパッケージとして完結した動画集を作ったのだから、もうセット販売みたいにしていつでも購入できるようにしたらどう、と言ってくださった方もいたのですが、それも一つのやり方だとは思ったのすが、このコースに関しては、受け手の近くにいて「学習の伴走」ができる距離感で進めたいという気持ちがクリアだったのですね。


結果的そうして良かったなとつくづく感じています。




受講を終了された方からいただける感想のコメントが、そう思わせてくれました。とても嬉しかった感想メールをひとつ紹介させていただきます。





「えみり先生

心が穏やかでした、この6週間。

そして変化が穏やかに、けれどハッキリと!現れました。

自分の心を洞察するようになり、

わっと感情に流される事がなくなり、

感情がたかぶることがあってもそんな自分を一歩ひいて観察できるようになり、

相手を労る気持ちが生まれ、

人が喜んでいる事、悲しんでいる事に共感できるようになり、

目の前の事に一生懸命に集中する事が出来、常にサットヴァ(純質)であるように考えていたり、

気持ちが少し落ちた時も、サットヴァな気持ちならコレをどう解するかしら?と考えられるようになり。

親切になり。

ちょっと面倒だなぁ…と思った時も、神様に捧げよっと、と思えるようになって、

なんとなぜか旦那までヨガを毎日するようになりました(笑)

そして家族が明るいっ(涙)

自分が笑顔でいる事で人間関係が明るくなる事は分かっていたけれど、心から笑顔でいる事が出来ずに苦しんでいました。

ヨーガ哲学、ビフォーアフターでこんなに変わるとは。

だけどエミリ先生のおっしゃる通り、人間は忘れやすいから、こんな素敵な気持ちで毎日生きて行けるように、勉強を続けて行きたいっ。と力強く宣言したいです!!!」






ヨーガってすごいですね。

「知識」というのは光だと思って教えています。

本当に良いことを知ること、それは解放につながります。

今年最後の12月開催、あと4名ほど受講可能です。

ご興味ありましたらぜひチェックしてみてください。




「楽しく学ぶはじめてのヨーガ哲学」

動画で学ぶヨーガ哲学入門コース

12月開催を募集中です。

詳細はサイトにてご覧ください。

2019年11月27日24:00まで、最終割引にて募集中です。


ヨーガの教え

「シャウチャ(清浄)」


ヨーガの「実践論」としてもっともポピュラーな教えの一つではないかと思います。



シャウチャ。

清浄であること、と説きます。



物理的なレベルで言いますと、自分の体および環境などを清浄に保とう、という教えです。



深いレベルでの解釈もありますが、シャウチャにおいて実際に行う事というのは、もうほんとにそのまんまです。清浄を心がける行為です。



まず自分の体を清潔にしておこう。

これは古代のインド人の「聖」の感覚がそのまま入っているように思います。


日常的には「汚れたので洗おう」という順番がメインかもしれませんが、宗教的観点からだと、聖なるものに触れるとき、聖なる物事に向かうとき、その前に禊(みそぎ)!という考え方が絶対です。ですので、ヨーガをする前には沐浴をします。


「ヨーガして汗かいたからシャワーしよう」ではなく(それはそれでするとして)、ヨーガを通じて純粋性に向かい合うのだから、その前に自分を清めておこう」という発想になります。



運動的なヨーガであっても、それは精神の純粋なところへアクセスする行為ですので、ドロドロな体や一日終えて汚れた体では向かい合うのではなく、神聖な行為に向かい合える準備をしてから行うもの、という感性なんですね。



お仕事帰りにヨーガのスタジオに足を運ぶ方も多いかと思いますが、クラスを受講する前に濡れタオルで体を拭いたり、汗拭きシートとかでもいいのでちょっときれいにしてから行ってみてほしいです。



ご自宅で練習する際には、軽くシャワーをしてから練習をしてみてほしいです。気分が違いますし、ヨーガに向かい合う心が準備されます。



自宅環境、職場のデスクなど自分のスペースをきれいにするのを日課にして、そして週一回でも月一回でもいいので、自分のスペースではないところの清浄化も手伝ったりするといいですね。何ができそうかはご自分の関わりの中で見つけてみてください。


きれいな状態って心にとって本当に大事なことで、落ち込んだりイライラしたり悲しんだりすると掃除したりする気分になれなくなるように、逆に身の回りが乱雑で汚れていると気分も落ちるものです。


そして、物理的な清浄を心がけつつ、だんだんともう少し抽象的なテーマでの「清浄」も考えてみてください。


心の清浄、ですね。
思考の清浄、です。
感覚の清浄、でもいいでしょう。


思考の中に停滞する雑多な情報や、心が散漫になるような思い、低いところに引っ張るタイプの感情などを、何らかの方法で「お掃除」する必要があります。



心に良い影響を与える書物に触れる、
ヨーガが好きならばヨーガの教えに触れる、


これは必須だと思うますし、経典の中でも繰り返し奨励されます。



人に笑顔を向ける、
体を労わる、



そういったことも、心の清浄を助けますね。




シャウチャでした。


基本的な教えなので言葉は聴き慣れている人も多いかと思いますが、重要なのは日々の小さな実践と継続なので、できるところから意識しをして実行するといいですね!



ちなみに私は、家の掃除が好きで、掃除すると本当に癒される感覚が高まります。

それ以上特別なことはしなくても、「自分にとっての幸せ」を見失わなくていい心の軸になります。


 

最後までお読みくださりありがとうございます。

ナマステ
EMIRI

2019年11月21日木曜日

脳内エクスタシー体験♬インド思想の時代的地図を作るのだ。


今並行して読んでいるヨーガ&インド関連の本が、

・「マヌ法典」(岩波文庫)
・中村元先生の「インド思想」
・佐保田 鶴治先生の「ヨーガ根本教典 (続) 」
・「世界の歴史(6)古代インド」 (河出文庫)
です。他も読んでますが、この4冊メインで。




並行して読むことで何を理解し、なにをしようとしているのか、というおとを書いてみよう!


(1)「マヌ法典」(岩波文庫)
ヴェーダに権威を起き、連綿と続いたバラモン教の社会の構造。そして「バガヴァッドギーター」の唱えるところとの照らし合わせになり、ヴィシュヌ系のヨーガと当時の社会背景がつながる。


(2)中村元先生の「インド思想」
こちらはヨーガではなく仏教の本。
ブッダの出現と仏教の盛り上がりによってバラモン社会にどのような変化が起こったかと、インドにおける仏教の時代ごとのカラーから、当時の人々が何を望んでいたのかを読み取る。
(これに関してはさらに並行してジャイナ教関連も読むべきだとは思っているが、ちょっと欲張りすぎなので今はがまん。)


(3)佐保田 鶴治先生の「ヨーガ根本教典 (続) 」
これは「ゲーランダサンヒター」や「シヴァサンヒター」を知るための数少ないシヴァ系ヨーガ日本語本として。ありがたや。


(1)&(2)の本で理解されるヴェーダ系とブッダ系の流れとその拮抗のさなか、さてバリバリのシヴァ系ハタヨーガのみなさんはなにしていたか。
これおもしろいですね。編纂時代は違うけどそこを理解しながら照らし合わせするとかなりおもしろい。


よっぽど苦行ブームだったんだろうと思います。
(1)のマヌ法典によって「四住期(アーシュラマ)」の施策を講じないといけないくらい社会生活から離れようとした禁欲苦行主義の熱量高い修行者にとっての「解脱」の魅力とは、というあたり。



あとはね、ヴィシュヌ系、シヴァ系、そして仏教の影響系、
『系』を理解するのとても大事で、ここ無視すると自分が実践しているヨーガについての根っこも思想もわからないというとてもカジュアル放浪的なヨーガになってしまい、それだけならまだよいのだけど「体のヨーガ」と「哲学のヨーガ」で対立したり、あっちの先生はこう言っていた、こっちの先生はこう言っていた、どっちなの〜〜〜的に迷ったりしてしまうのです。


ここを意識してヨーガに関わっている(教えている)人のあまりの少なさという日本のヨーガシーンのちょっとした・・でも大きい問題に、そのうちなにかしらの提示を、と思っている、まだしないけど(笑)。

だって日本には『サービス系』があるから(わあ!笑)
それはそれで市民権もフィジカルな恩恵もあるから、慎重にね。
理論や、向かっているところが違うものを同じ土俵で刺激して拮抗させても意味はない。共存する上でお互いを理解しようよ、というところだと思っている。




(4)「世界の歴史(6)古代インド」 (河出文庫)
これは、当時のインドに「外圧」を与えた周辺諸国の動きを知るために。自国だけで牧歌的に過ごした時代と、他国からの影響で存続も危ぶまれる時、かかげる思想を変えないと太刀打ちできないことってのはあるわけです。日本もそうだったように。なので、
バラモン教ほぼ!
仏教などの新しい思想!!
舞い戻ってトランスフォーメーションかましたヒンズー教!!
と変遷していった『理由』の流れだね。
諸外国からの外圧が加わることで起こった思想ムーブメントと当時の政治的宗教イノヴェーションを知るために、外も含めての歴史は超大事なのです。

こんな感じです。

で!



それでこの『同時多発平行読み』で何がしたいかってゆーと、『時』の地図を作ること。




インドの特に思想系の学びって「時系列」とか「年表」みたいな、「いつのこと」という視点が重要視されていないという、外国人が学ぶためには俯瞰しにくい要素がある。

外国人:え、で、これいつ?
インドの人: むかしだ。

外国人:この聖人はいつの人?
インドの人:各時代にあらわれた。

みたいなね。

もちろん時系や年表的な見方ってのはそれぞれの思想や哲学を単体で掘る時はそれほど必要ない場合もあるのだけど、でもね!! 
大事なことは、思想や哲学というのは必ずその「時代がどんな状況だったか」で変わっていく。それはどの地域のどんなものもそう。
だからつまり歴史の変遷や政治がどんなだったかを知り、「この時に」「この思想が起こった」という「いつ」という視点をいれることでもう、い〜〜ろんなことが合点がいくようになるのです。
ヨーガ哲学むずかしーーー!
って言われることもあるけど、それはこの時系列感と当時の社会観がないので想像しにくい、というところも大きいのです。

上記の4冊のようにいくつかの「時代」と「視点」の違うところに置かれた「インド」を読むことで、歴史的な背景上のどこに「それ」があるのかがわかってくるのです。
すると「時間軸を含めたインド思想の地図」なるものが自分の頭の中で展開されていくのです!!!
これはもう脳内エクスタシーとしか言いようがない。

(なげえ〜www)

そんで、学んだことは来年の講座でおもしろくシェアしていこうと思ってますので、どうぞこのオタクな私を応援してね♬ふふふ。


上記の本もよかったら読んでみてくださいね。

ナマステ

2019年10月28日月曜日

アヒンサー(非暴力)について考える



ヨーガ哲学の教えの中の超重要項目として「アヒンサー」というものがあります。非暴力・不殺生などと訳されます。他者への暴力的行為や、その発想自体を禁じています。



一般的にですが、目に見えてわかりやすい暴力ならば、そこまでいく前に自制が効いて行為に起こすまでは至らない場合もありますね。
「これはまずいだろ・・」と自分でも思うでしょうから、そういうわかりやすいレベルのものは自戒が起こると思います。(一般的な精神でしたら。)



しかし無意識に人を傷つけてしまうこともあるだろうし、また暴力だと思わないでやってしまっていることもあるわけです。

そこに気づくには、自分の見識を整えたり、心というものを常に見張っている冷静さが必要になりますね。



また、わかっていてもふるってしまうものもあると思います。

イライラして人に当たったり、外では人に優しくても相手が家族など近しい人になると、不満をそのまま露骨にぶつけてしまったり。


覚えておきたいのは、冷静さを失ったり自分しか見えていない状態になると、人は自分の思いや行為を正当化しようとします。


「怒っている時」というのは、どんな要素であっても「自分を正当化するための材料」にできてしまう勢いがあり、怒るのは当然であるという偏った思考に支配されている場合がほとんどです。そして相手にダメージを与えることに疑いのない心理状態になります。


こうなると、相手にダメージを与えたり、なんらかの納得がいく結果を結ぶまではなかなか落ち着かなかったりしますね。


そして目に見えている現象のほとんどが不満に見えてきます。







アヒンサーを実行するうえでの考え方で、よく紹介するのが以下の提案です。


「不満を解消するために他人を使わない」


不満が心の中にあったとしても、その不満を晴らすために他人をコントロールしたり、他人でうさ晴らしをしない。


テレビやインターネットを観て、その中にいる人に文句や誹謗をあたえるのも、(本人に届いてはいなかったとしても)自分のエネルギーを暴力的に使っていることであり、そういうあり方は実際に関わる人にも向けてしまいがちなので、おおいに気をつけたいところです。



解決を見出す努力や、調和的な心を持とうとせずに不満や誹謗だけをぶつけるのは、自分自身が怠惰な心のサイクルにいるのだと気づくことが大事だと感じます。


怒っても、なげやりにぶつけても、けして幸福にはならないということを認める必要がありますよね。



「不満を解消するために他人を使わない」

これ、ちょっとトイレの壁とか冷蔵庫とかに貼っておくといいかも(笑)


アヒンサーでした。


ナマステ




 


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最後までお読みくださりありがとうございます。

ナマステ
EMIRI

秋の音楽



サイトから発行しているメルマガで、好きな音楽アーティストのことを少し載せたら、もっと聞きたいと言ってくださる方がけっこういましたので♡
好きなアーティストについてをちょっと載せます。


洋楽で好きなアーティストもたくさんいますが、秋のこの季節はやっぱりR&Bやソウルミュージックがいいなあ。

ノラ・ジョーンズなんていかがでしょう。
アメリカ人ですが、お父さんはなななななんとインドで最も有名な音楽家と言ってもいい、かのシタール奏者ラヴィ・シャンカル。血がすごすぎて倒れそうになります(笑)。


デビューした時点ですごくシンプルに洗練されていた彼女のように思います。偉大なお父さんのもとで育った期間は短いのかもしれませんが、彼女の中におそしいほどに音楽的才能が凝縮されているのだなあと感じざるおえないです。

幼い頃の両親の離婚と、彼女の幼少期の孤独、少女時代の音楽的好奇心とそれを補うアーティストたちとの出会い、そして音楽に対する生来の安定感なのか、はたまた人生経験の豊富さなのか、ノスタルジックで時に突き抜ける歌声に彼女の多くの魅力が表れています。

そしてなにより彼女の姿が美しいので、ライブ映像のリンクを載せておきます。

Norah Jones
https://youtu.be/tUEJkwA1VI4

みなさんはどんな音楽が好きですか。


2019年10月25日金曜日

金木犀と韓流おんがく。



こんにちは。師岡絵美里です。


ご愛読ありがとうございます。
 
なんとなくいろいろとあっという間にすぎる日々でした。

そうこうしているうちに、冬っぽい気配が濃くなってきました。


この時期私の住む街は金木犀の香りにあふれていて、大好きな季節のひとつです。
なんて心が落ち着く香りなんだろう、と。

少し窓を開けて金木犀の香りの中で書いています。

あまり取り上げてきませんでしたが、ちょっと音楽の話を。


好きなアーティストはたくさんいますが、その時のバイオリズムによって聴くものは変わりますよね。


最近よく聴くのが、韓国のアーティストのTea yeonです。(少し前の大人気アイドルグループのメンバーですが、歌唱力高すぎでアイドルにおさまれないところがたまらなく好き。
彼女のバラードがとっても好きです。

♬Rain
https://youtu.be/eHir_vB1RUI

この時期の香りにぴったり。ほかにもいい曲たくさん。


みなさんはどんな音楽が好きですか。

2019年10月1日火曜日

心の科学としてのヨーガ哲学


心の科学としてのヨーガ哲学


私の領分である「ヨーガ哲学」って「真理探求」なのですが、そのプロセスの中で必ず通らなくてはいけないところが「心理」です。


ヨーガ哲学は最終的には真理を獲得していきたいという道のりなのですが、実際に多くの時間と考察を重ねて解析する領域は「人の心」で、その作業は「人の心に関するエネルギー学」と言ってもいいものだと感じます。


ヨーガの教える「物理理論」のもとに、心というものを解析していきますと、一見ヨーガと関係なさそうなこの世界の様々な事象がヨーガ的思考のための検証対象になってきます。


人間の心のエネルギーがどのように動いているのかが検証対象になるので、社会情勢なんかはもうその筆頭になってきますね。


この検証が一般的な認識作業とやや違うのは、見る際に感情が介入しない(感情がなくなるわけじゃなく感情優先で観ない)、ジャッジなき考察をするところにあると思います。そういう意味でもヨーガ哲学とはとても科学的な姿勢で行われる作業で、好き嫌いとか肯定否定、善悪とか優劣というジャッジなしに見ていくのですね。



こういう思考方法に長年親しんでもはや慣れてくると、日常にもけっこうな恩恵があります。


そのひとつが、人のことをむやみにジャッジしなくなることです。好きとか嫌いだけが先行することがなくなり、感情にハンドルを握られることが少なくなっていくことです。



時々、ヨーガ哲学に興味を持ち始めたばかりという段階の生徒さんに言われることがあります。


「ヨーガで推奨されているような教えができてしまうと、感情がなくなってしまうのですか?」


と。


この質問にはほとんどの場合、
「それはなんかいやだなあ、感情は味わいたいよ」
という思いや、人生の喜びや人間らしさも失うことのように感じている感触が伝わってきます。



現代人の感覚ですと発想にもないことかもしれないのですが、感情を自由に使う、使いたい時には使うし、出てこなくていい(出てこない方がいい)場合は制御する、ということがヨーガの訓練の中で可能になっていくので、今は喜びたいと思ったら感情を使えばいいのです。古代の卓越したリシ(聖仙)たちがとっていた精神的態度です。


とはいえ、そんな心理的なコントロールができるようになってしまうレベルに達する頃には、「喜び」や「悲しみ」などの定義も高次のものに変わっているので、実際は感情的になることを欲さなくなると思います。


感情の後ろに隠されているとても静かな心があり、そこにいることのほうが魅力的になってきます。


そこにアクセスすることができるということを多くの人に知ってもらいたい。そう思います。


ヨーガ哲学は初歩の段階でも心の保ち方に役立つ教えがたくさんあります。むずかしそう、というイメージもあるかもしれないですが、一歩踏み込むとそこには新しい世界が開かれています。


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2019年9月29日日曜日

質問・相談コーナー「甘いものを食べすぎてしまう」


生徒さんからの質問・相談コーナー


Q:甘いものを食べすぎてしまうのをやめるにはどうしたらいいですか。

はい。



<肉体的アドバイス>

身体的なこととして。

実は甘いものじゃなくて、塩分、ミネラルが不足しているという可能性があるかもしれないですよ。甘いものが食べたくなったらまず水を飲んで、そしてちょっとしょっぱいものを(たくさんじゃなくね)つまんでみるといいかもしれないです。


甘いものを食べるにしても「ちょっとにしておく」ことができるといいですよね。一袋開けちゃう、とかじゃなくw


そんな時に思い出してほしいのは、脳に酸素を送ること。脳の酸欠や血液不足をごまかしたいために甘いものがほしくなっている可能性あり。
知っているものでいいので呼吸法を5分やって新たな酸素を送り込んでください。

甘いものは悪じゃない。摂りすぎは体に良くないことと、その依存性の高さにやられてしまうのが問題なのですな。







<心理的アドバイス>

壮大な視野に持ち込む作戦、あるいは懐柔は蜜よりも甘し。



「甘いものを食べる」という習慣ではなく、「甘いものが食べたいと思うこと(欲しがること)」が習慣になっているケースが多いと思うのです。食べちゃう理由ってこれが一番のような気がします。

気持ちの癖、ですね。


甘いものを買いそうになったり、見てしまった時に、

「あ、要らないものだ」

と最初は無理やりにでも思ってみてください(笑)。

どん〜〜どん、大げさに考えるといいです。


「あ、要らないものだ」


「あ、要らないものがこんなにもたくさん並んでいる」


「あ、要らないものなんだけど、さも要るように広告されている」


「あ!要らないものなのに、こんなにも人は手にとっていく」


「パッケージの写真を見ただけで、味覚が反応し脳内の分泌に変化が起こるという感覚的な体験はもうすでに始まっているのだ・・・だから手にとってしまうのだ・・・」


「むうううう・・・要らないものを要るを思わせている権力が、この世界にはたしかにある・・・」


「踊らされてはいけない。“甘いもの”は表層に現れたシンボルにすぎない。私たちは人生にさほど必要なく、もっと言えば思考停止に陥って本当に必要なものを見失う麻薬を、必要なものだと思い込まされているのだ。」


「わたしたちは感覚を麻痺させて制御するという支配構造の中にはまっている・・・しかしそのわなに自ら入っていっているのは・・・

わたしたち自身じゃないか・・・!」


「おお!神よ・・・・」




はい。
このくらいいきましょう。習慣に勝つには習慣を圧倒するほどのインパクトが大事です。

アホみたいだけどやってみてください。
お菓子ひとつ買うにも、だんだんと「問題」を抽象化していきます。

なにをおおげさな、と言うだけの人は変わらず習慣と感覚の奴隷でしょう。ばかばかしくてもやってみる人だけに、その人に必要な気づきと変化は与えれます。




と言いつつ私だって完全に甘いものなしじゃないし、美味しく感じることもよくあります。

和菓子系のしっとりした甘さが好きだ!

でもね、ちょっとでいいし、たまにでいいので、甘いものの食べたさにに束縛されている感じはないんですよね。なのでそんな大問題じゃないし、想念の煩わしさはないのです。


甘いものを欲してしまう時、甘いものからの束縛感や、服従してしまう感覚が「苦」なのだと思います。



だったらもうこっちが甘いものを征服してやればいいです。

(極端な発想)



甘いものが目の前にあったら言ってやったらいいですよ。


「なるほど、君はそんなに甘いものなのか。じゃあそのままそこでじっとしていなさい。私は君が甘いという理由だけで食べたりはしないから心配することはない。そこで自由に甘くあれ。いずれ他の人間に必要とされるであろう。」



とかね。もう上から目線ですよ(笑)。

てゆうかこれ、甘いものを服従させるのではなく、自分の思考の操作ですね(笑)。

だいたいのことをユーモアで乗り切る、ということで。あはは。







<真理的アドバイス>

ヨーガの精神性でアドバイスします。



バガヴァッドギーター3章より

「神々の祭祀に捧げないで与えられたものだけを享受するものは盗賊に他ならぬ。

祭祀(祈りとしての行為)の残りものを食べる善人はすべての罪悪から解放される。

しかし自分のためだけに調理する悪人は罪を食べる。」





ここに出てくる「祭祀(さいし)」というのは、神に祈りを捧げる行為のことでありその儀式をさします。



まず自分の家に「祭壇」を作ってください。
祀る神様はご自分の信仰や好きな対象でいいです。

祭壇に「甘いもの」をいったん置きましょう。

世界の中心は自分ではなく、自分は世界そのものの運行に参加していて、それは大いなる存在によって生み出され支えられ、そして肉体と魂の人生は宇宙や地球環境に支えられている、それが自分であることを考えてください。


その他なんでも、自分のことはちょっとおいといて、この世界に祈ってみてください。


そのあとで、祭壇に捧げた「甘いもの」を


「祭祀の残りものをいただく」



という発想で食べてください。

やってみてください。自分の五感を満たそうと貪る気持ちがなくなっていると思います。


ギーターのこの節は、「食べる」ということをその他すべての「行為」の象徴として語っているので、食べることのみを言っているのではありません。


食べるも含めて「行為」が無知(真理から遠ざかる質)に置かれていると、それは罪悪(真理から遠ざかる結果)になります。


祭壇までいかなくても、食べる前に手を合わせて祈ってみてください。外出先でも可能ですね。

五感を満たそうとする欲求から心を引き離した瞬間を少し持つだけでも、貪る気持ちが薄まって、そのあとの行為の質を変えてくれるはずです。



まあね〜〜〜、甘いもの食べるために祈ったり儀式したりwww
だい〜〜ぶおおげさに感じるかもしれないですが、でもそのくらいおおげさにやってみるといいと思いますよ。

ちょっとやそっと気をつけようと思っても、これまでの習慣や味覚の快楽に巻き込まれてしまうようであれば、このくらい非日常的でインパクトのあるおおげささで発想の転換くらいしないと、やっぱり五感って強いので簡単に変えられないと思います。





<まとめ>

「甘いものが好き」と「甘いものを食べるのがやめられない」は別のことですよね。でもなんかいっしょくたになっちゃって「だって好きなんだももももん」とか言ってしまうともう、誰もなんも言えなくなります。後者の方は、ようは「不自由」に困っているのです。感覚に支配されちゃっているので不自由なのです。

そこをよく考えて、いったい何を満たしたいがために感覚を満たすのかを考えてみてください。

なんであれ「癖」に流れるというのは、けっこう不自由なものです。




というわけで、甘いものはおいしい。そこは否定せずでいいと思います。マロンな秋ですね❤️

namaste
 EMIRI

考える事の必要性ー知識は浄化の火ー


オンラインで行っているヨーガ哲学のコースでは、参加者の方に学習と考察のレポートを送っていただいているのですが、そこで多くあがってくるのは「視点」や「物の見方の変化」です。


最初のうちは「自分の心」というものをどう見るか、というところが多いです。悩んでいたことや考えていたことに対して、ヨーガ哲学の観点からの考える材料が入ってくるので、まずはやっぱり自分のことを考えますね。


それはとてもいいことだと思うし大きな恩恵だと思います。ヨーガ哲学が力を発揮できるところのひとつが「個人の心の救済」だとつくづく感じます。


なのですが、もちろん自分のことを考えることも続きながらも、だんだんと「今生きているこの社会って本質的にどうなってるの?」というところにもヨーガ哲学の視点が与えられてきます。これは、よいだけではなく必要なことだと感じます。


ヨーガ哲学の観点が入ると、社会についての見方もそれまでと変わってきて「今まで見えていなかったもの」が見えてきます。


「今まで見えていなかったもの」が見えてくると、またそこで疑問も湧くし、ものによっては葛藤も湧くのですが、それらが湧くというのはいいことで、そこから考えていこうというきっかけになります。


逆の言い方をすると、「当たり前」と思わされ、考えることもなく思考停止し、長いものに巻かれていた人生に気づくんですよね。


これは本当に人生に重要なことで、「これが普通」と片付けたり「当たり前」に迎合し、それにすら気づいていない事は、最終的には危険なんですよね。どんどん歳だけをとって、自分で考えることができなくなります。ないしは既存の考え方のパターンでしか考えられず、今までその考え方でうまくいっていないからこそ悩みや苦悩が消えていないのに、まだその考えを捨てていないという事実にも気づきにくくなります。そうなると文句や嘆きしか言えなくなったり、被害者のような気持ちになっていきます。
長い年月をかけて。


人間はやはり学び続けることが必要で、それは「救済」になると感じます。

ヨーガ哲学でなくてもいいのですが、今まで学んだことがなかったものを学ぶのは、自分のことにせよ世界のことにせよ、見る目線を更新し考える能力を与えてくれます。


ヨーガの経典「バガヴァッドギーター」では「知識は浄化の火」と語ります。本当の知識は思考の汚染を払ってくれる火であり光なんですね。

そんなことを常々、つくづく感じています。


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最終募集と割引は2019年9月30日(月)24:00まで
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2019年8月30日金曜日

ピースな健康(婦人科系の健康診断に行ってスカッと問題なかったの件)



少し前に婦人科系の健康診断を受けて色々検査をしていただいたのですが、その結果が書面で届きました。


なんもまったく問題なしで(笑)、改めてヨーガに感謝した次第であります。



思うに・・・
思い込みも強く、「筋肉伸ばして動かして健康やん!!」とか「ヨーガの呼吸法はすごい効くんだもん!!」と心の底から思っているので、それもいいのかと思います。
信仰で健康。




思考が体や健康状態に多大に影響している、というのはいろいろな側面で感じることなのですが、5年ほど前かな、南インドに行った時に、アシュラムの中にあるアーユルヴェーダセンターで脈診を受けました。
(診断は英語で受けることができまっせ♩インドの現地語話せなくても問題なく受診できます。)



本場での本格的なアーユルヴェーダ診断は初めてだったので、どんなこと言われるかな〜と少しかまえてもいたのですが、女医さんは開口一番に、親指をグッと立て



「So strong.」



と(笑)。


「え? それだけ??w」


というリアクションをしたら、


「あなたはマインドがカファだからすっごい健康なの。思考がピースでしょ。だから体がとても強いの。」


と女医さんに言われました。


ちなみに・・「脈」だけでそれがわかるアーユルヴェーダってすごいですね。。。




カファ(カパ)とは、アーユルヴェーダの観点において「地」と「水」の要素からなる性質で、メンタルがカファというのは、良く出る場合は、落ち着き、愛情深さ、寛大、献身、平和主義、という性質です。


(カファが過剰になると今度は過敏症になったり自己否定に行ったり自責感が強くなりすぎるようです。バランスなんですね。)




マインドがカファ、思考が平和であることが私の体の健康にとって大きな土台になっているんだなあと感動しました。本場のアーユルヴェーダの医師にスカッと言われるとハートにバシッと来ますね〜。
やっぱり気持ちとか思いっていうのが体の状態を決めるんだ、と改めて思ったのでした。




体のことであまり相談するほどの大きな悩みがなかったのですが、せっかくお話をさせてもらえる機会だったので、あえてむりくり相談を絞り出してwww

「手先がけっこう荒れやすかったりするんですけど・・それは・・」とか聞いてみたら、

「ああ、ちょっと菌に反応してるだけ。」とwwwwww
それだけ。

ひねり出してもそんなもんでした。



それから何年か経っていて、その間に人生にもいろいろなことがあり、まったく葛藤も摩擦もない日々だったかというとそうではないし、その間に仕事のいろいろや、考えるべきことが増えたり、わたしなりにいろいろあったのですが、それでもやっぱりマインドが平和主義で基本的に楽天的っていうのが健康にいいのかもしれないです。婦人科系のいろいろな検査を受けて改めて思いました。





しかし〜〜〜、思ったのは、婦人科クリニック、すごーーーーーーーーーく混んでますね!!

平日の午前の早い時間、予約して行っても長く待ちました。
待合室は狭いわけじゃないしたくさんイスがあったのですが、それでも立って待つ人もあふれていました。
妊婦さんの検診もやっているクリニックだったので多いのはわかるのですが、妊娠以外の理由で受診を必要としている人もとても多いのだろうなあと思いました。
みんないろいろ抱えて生きているんだなあ・・って。




病が悪ではないし、不調から学ぶこともあるけれど、なるべく健康がいいです。



女性の体の健康については日々いろいろ考えていて、日々のヨーガのクラスの中に盛り込んでいます。私なりに貢献できる位置にいれて本当に幸せだなあと感じます。




そして・・・

体を動かすのはよいことです。

ほんとに心底そう思います。

みなさんも、自分にあった運動を見つけて体を動かす日々を作ってくださいね!





Namaste
EMIRI




不幸になる条件(こわいタイトルwww)



今日は、すごく唐突ですが「不幸になる近道」を紹介します(笑)。

あはははは

いや、えっと、


もとい、不幸になるものを避けようっていう内容です。

書こうと思ったきっかけは割愛で、前置き長いとあれなので、行きます。



まずおことわりは、これはあくまでも私がこれまでヨーガ哲学の学びを通し、その中にある心理学的な要素をもって人間を考察しながら、自分自身の経験や生徒さんや身近な人など関わる人の体験、そして世間一般の人々の動きなどを、静かな目線で観察しつつ行き着いたところを言っているので、絶対の理論じゃないです。


でも、大きく間違ってないだろうし、そしてかなり再現性はあるだろうと自分なりに観察を積んだものになります。





第一位!

「人のことを コントロールしようとすること」

これやってると、不幸になりますね。

でも、多くの人は、自分を満たしたくて人をコントロールしようとしますね。

動機は自分の幸福感(というかりそめの満足感)が欲しくてやるのですが、人のことをコントロールしようとすればするほど、自分が苦しく、満たされず、(はた目から見ても)不幸な人になっていくと思います。


そして、それやってると、

老ける・・・



ね(笑)



やめましょう。やめたほうがいいよ。

やめると、幸福を感じる気持ちがあがるよ。



と思います。




なんで人をコントロールしようと働いてしまうんでしょうね。



それはごくシンプルな真実を信じられない(信じたくない)からなんだと思います。



幸福、喜び、調和的な状態というのは「尊重」によって創造されるもので、支配によって得るものは孤独と孤立なんですね。



自分が心地よくなりたいから人を支配するという発想は、より深刻な「愛からの断絶」が起こります。


愛に気づけない人間になってしまうし、


誰のことも愛せないし、



そして、老ける・・・・(笑)



だってそうなんですよ本当に。しつこいですが。




年齢の話じゃないです。存在の輝きがなくなるってことです。



それをいちばんインパクトのある言葉で言うと、


老ける



になるのです(笑)


だってそうなんだもん!!




もし、人のことをコントロールしようしようと思ってしまう癖があったら、ないしはこの記事を読んだことで自分の傾向にハッとしたら、まず気づけたことがすごく大きな一歩なので、次に「冷静に」なりましょう。



冷静に。


冷静に考えて

 これは不幸と老化につながる”どこでもドア” だ・・・

と。

どこに行こうとしても不幸につながるドアと言ってもいいかもしれない。



そのドアを開けないで!!


そのドアを出ると、孤独になるよ!!


老けるし!!(しつこい)





「人をコントロールしないと自分は心地よくなれない」という妄想を捨てると、人はやっと本当に「呼吸」ができるようになりますよ。
息も吸えないのに生きてくなんてできないのです。



人のことをコントロールする傾向が強かったかたは、ぜひこれを機に、心を休ませて、自分を愛のもとに送り出してあげてください。




ということです。


唐突でしたが、言いたいことを言ったので今日はこの辺で。



追記:この記事は数日前にメールマガジンで出した内容なのですが、読者さんから「第二位以降も書いてほしい」との声がwww
不幸シリーズ(爆)!
書けたら書きます。



Namaste
EMIRI





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<おしらせ>

「まにぱどめヨーガ勉強会」
この勉強会は師岡絵美里による、ヨーガへの敬意と、共に学ぶ皆さんへの信愛を込めた勉強会として開催させていただきます。

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vol,1 「プラーナの神秘とムドラのヨーガ」
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宇宙そしてわたしたちの心身を作る生命エネルギーである「プラーナ」についてを体感的に学びましょう。
実技ではプラーナコントロールのひとつである「ムドラ」というヨーガの手印を紹介し、ハタヨーガのおける脳や神経系への働きかけを学びます。

<内容>
(1)“プラーナ”とは
生命エネルギーである「プラーナ」をヨーガ経典の解説とともにお話します

(2)ムドラヨーガ実践
ムドラというのは「*手印」と呼ばれるヨーガ技法で、手を様々な形にしてプラーナの流れに働きかけるものです。プラーナの流れを整えたり強化する作用があり、身体や意識のあり方によい影響を与える技法です。陰陽それぞれのエネルギーの乱れやアンバランスを整えるヨーガを実践します。ムドラと共に、アーサナ、呼吸法、瞑想という手順で進みます。 


<日程>
2019年月9日16日(月・祝)
受付 13:00~13:15*受付時間内にお越しください
スタート13:20〜終了16:30
<講師>師岡絵美里
<対象>ヨーガの学んでいる方やこれから学びたい方で、ヨーガに敬意を持ち、講師と集まる方々との調和を大事にしてくださる方
<参加費>3000円
<予約方法・定員>
予約制:定員20名
<会場>大田文化の森(JR大森駅)



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vol,2「ヨーガ哲学を学ぶためのインド思想の歴史学」
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ヨーガ哲学を学ぶための大事な基礎知識として、インドの思想の歴史を共に学びたいと思います。みなさんのヨーガの学びを後押しし、もっとヨーガ哲学を理解しやすく自分に役立つものとすることができるでしょう。

<内容>
・古代インドの歴史
  アーリア民族大移動
  バラモン教とヴェーダの成立背景
・インド諸王国勃興と覇権争いの時代
  仏教・ジャイナ教の発生と影響
・バラモン教の衰退と新しい信仰スタイル
・ヨーガ哲学の発展と経典の誕生

<日程>
2019年月9日22(日)
受付 9:00~9:15*受付時間内にお越しください
スタート9:20〜終了12:00
<講師>師岡絵美里
<参加費>3000円
<予約方法・定員>
予約制:定員18名
<会場>Luz大森4階・集会室(小)(JR大森駅)

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詳細とお申し込み
【EMIRI-YOGA HEART MATRIX】
https://www.heartmatrix555.com/home/%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%83%E3%83%97/%E3%81%BE%E3%81%AB%E3%81%B1%E3%81%A9%E3%82%81%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%82%AC%E5%8B%89%E5%BC%B7%E4%BC%9A/

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みなさまのお越しをお待ちしています。
ナマステ

2019年8月24日土曜日

パワーをなにに使うか。今がどういう時か。



経典「ヨーガスートラ」の教えの中の「実践編」というパートでとても重要なコンセプトがあります。

それは「パワー」をどう使うか、ということ。

ヨーガの修行を行うと、仮に身体的なヨーガ(アーサナなどの肉体鍛錬)だけであったとしても、とことん鍛錬を積んでいけば強靭な体と意志力による「何かに変化を与えられる」というパワーが得られます。「神通力」的なやつですね。

(あ、一般的なレベルのヨーガではないので、普通のヨーガクラスに通う程度ではそうならないです、、ご安心をw)


そういった、物理的なことに変化を与えられるようなパワーを得た時に、「おれはこんなに強くなったで〜〜!!この力を好きなように使ってやる〜〜」と、パワーを横暴に使ったり、自分の利益のために力を行使してしまうと、その 人が本来のヨーガの目的からそれるだけではなく、自分の都合だけでパワーと使う利己的な人間を増やしてしまうという危険が伴います。これはマズいわけです。

ですので古代の世界では身体行法のヨーガは極秘中の極秘。

ちゃんと理性が発達し、身体的なヨーガ を練習していい段階まで心が浄化された人だけに伝えられた秘技だったわけです。




いつの時代も「パワー」を持つということは、心のレベルによって善となる場合もあれば悪意を持って働いてしまう場合があるのですね。

現代のヨーガのありかたは、身体的なヨー ガから入ってから精神性の方を高める必要性に気づいていく、という流れが多いかと思います。
修行の順番としては逆なのですが、 体の純化が心の純化につながるので、精神的な学びを軸としてヨーガとする人が増えるのは、何にせよとてもいいことだと思います




パワーについて。 

昨今の世界情勢や日本をめぐる様々な事象を見ていると、この「パワー」の扱いについての根本的なシステムの問題が全世界でせめぎ合って揺らいでいるのを感じます。

政治家や大企業やごく一部の人たちが自分たちの利権のために動いていることで、そこに生きる人々の実際的な生活や心を苦しめているのが実情ですし、もっとまずいのは、利権への固執は地球という環境にも大打撃を与えています。生きる場所さえ危うい人類です。


ですがトップだけが悪かというとそういうことではなく、人々の意識 と行動のレベルの全体をあげる必要があり、現在「さとしへのゆさぶり」が全世界で起きているように見えます。


普通の人々が、 気づき、目覚め、地球の保護と平和に向かってできることに着手すべき時だよ、もうそんなに時間はないよ、と言われているように思います。


ヨーガで得られる身体的な健康と知性の向上が、人を本来の道に戻してくれることを願って、日々小さいながらもできることを、ご縁あって日々お会いできる方と重ねていこうと思っています。

本当に小さいことですが、クラスやワークショップに来てくださった方が自分を純化できる場としてのヨーガクラスを提供していたいな、と思うし、集中講座などを受けてくださっている方にとっても、ただヨーガ哲学を知るに終わらず、よりよく考える力を養えるようにと思っています。

私自身、より具体的にできることを模索しながら。





最後に、見てもらいたい映像があります。高校生の活動家です。
日本でも世界でも、パワーの偏った扱いによって様々な事象が起きていますが、最も深刻なものは、地球の破壊だと思います。


日本にしても、世界にしても、そして個人の人生でも、様々な「どうにかしないといけない問題」があふれているのは確かですが、ちょっと全員一回それらは置いておいて、地球がどうなっているかをみんなで見ることができれば、

「・・・んなこと言ってる場合じゃねえな・・・」


とわかると思う。
もちろん他の問題が軽いわけではなく。



生きる場所が崩壊しようとしていることに目を向けて、自分自身ができることを着手しないといけない瀬戸際なんだけど、多くの人々はまだ、自分の利益にしがみつく。


この無知をどうにかしないかぎり、もう地球には住める土地と吸えるまともな空気と、人体にとって安全に飲める水も食べれるものも、なくなっていきます。


4分ほどでいいので、動画をみつつ、自分のパワーを何に使うべきかを考えてみてほしい。私も含めその必要があることを、みんなで自覚していけたらと本当に思うのです。

パワーを、そして時間を、何に使うか。


グレタ・トゥーンベリさんのスピーチ
https://youtu.be/h-ICELS3NPg






Namaste
EMIRI


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お知らせ

まにぱどめヨーガ勉強会
師岡絵美里による、ヨーガへの敬意と、共に学ぶ皆さんへの信愛を込めたヨーガ勉強会です。



vol,1 「プラーナの神秘とムドラのヨーガ」
 宇宙そしてわたしたちの心身を作る生命エネルギーである「プラーナ」についてを体感的に学びながら、ムドラを使ったヨーガを行います。ムドラというのは手を様々な形にしてプラーナの流れに働きかけるもので、身体や意識のあり方によい影響を与える技法です。

<日程> 2019年月9日16日(月・祝)13:00~16:30 
予約制:参加費3000円  @東京(JR大森駅)


vol,2「ヨーガ哲学を学ぶためのインド思想の歴史学」
ヨーガ哲学を学ぶための大事な基礎知識として、インドの思想の歴史を共に学びたいと思います。みなさんのヨーガの学びを後押し し、もっとヨーガ哲学を理解しやすく、自分の役立つものとすることができるでしょう。 
<日程>2019年月9日22(日)9:00~12:00 
予約制:参加費3000円 @東京(JR大森駅)


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オンラインヨーガ講座・哲学コース
「楽しく学ぶはじめてのヨーガ哲学」

このコースはヨーガ哲学をはじめて学ぶ方のための入門コースです。これからヨーガ哲学を学びたい方、すこし知っているけど本格 的に学んだことがない方向けの内容となっています。
講義はすべて【動画】での解説になりますので、ご都合のいい時間に取り組ん でいただけます。

募集中:2019年9月1日からのコース(現在オープン割引にて募集中)詳しくはサイトを御覧ください。

◆上記のワークショップ・講座の詳細は
【EMIRI- YOGA HEART MATRIX】 

2019年7月29日月曜日

ヨーガ哲学の歴史から自分を知ること

前回の内容の、やや続きです。(ややw)




インドの思想の歴史をみてみますと、もちろんなんですが思想の変化というのはそれだけが単独で起こるわけではなく、その時代ごとの人々の実生活の変化によって起こってきます。

インドでのそれは、紀元前1500年頃からの流れですと以下のようなかんじです。超ざっくりですが。



アーリア民族大移動時代
遊牧と侵略。豊かな地を求めてインドへ。
アーリア人の古来からの信仰をベースに、厳しい自然環境を生き抜くための信仰や思想を持つ。



ガンジス川周辺地帯への定住と農耕社会の発達
定住するその地域での社会の支配体型が必要になる。人々の関心事である「豊穣」や「安定」を司る神格の存在を認め、その神々への賛美と礼拝の思想が中心となる。アーリア人によるバラモン教支配体制のスタート。カーストができる。



・都市国家社会の発達
それまでの農耕による集落社会から、人口の増加や鉄器の製造など工業の発達が進み、儀式や礼拝中心の信仰以上に、都市型生活を支えうる思想が必要になってくる。カースト社会の生活での苦や、個人の悩みを解放するような教えに人々が関心を持つ。



・哲学的賢人の台頭
思想(信仰)による全体の支配を疑問視する動き、または思想をより普遍的な真理へと昇華させるムーブメントが起こる。
人が生きることの真の意味や人間の本質について、哲学的探求が盛んになる。







ざっくりですがこんな感じです。

(もっと細かく詳しいことは集中講座
で説明しています。ご興味あればぜひご参加ください。)






日本でも、代表的な例で言いますと、太平洋戦争の前と後では思想に大きな変化をよぎなくされた。

それまで「神」であり国の指揮者であった天皇は「人」になり、そして政治的な権限を持たない象徴になったことは、それまでの思想を当たり前に信じていた人々にとって大きすぎる変化であったでしょうし、同時に産業化、近代化を猛スピードで進めていく世の中では、以前のままの思想ではいられなくなるのは当然です。


それでも残る根本的な民族的気質というのも当然残しながらも、やはり人々の全体を覆っている社会の思想、価値観から雰囲気まで、変わらざるをえない時というのがありますね。






インドの古代の思想史というのも同じで、長い年月の中での人々の実生活の変化が、思想の変化を生みます。


現代における思想のシフトと、古代のそれというのには違いがあり、それは「時間のかけかた」です。古代の思想は、長い時間をかけてじっくりと変化し完成していった「熟成」を持っています。



そして思想の熟成の中で、「哲学」が起こります。



「思想」と「哲学」はよくいっしょくたにされがちなんですが、これは別のもので、詳しくはまた別の回でお話しようと思います。


今語りたいのは、「時
の洗礼を受けているもの」ということ。


思想にも、短いスパンにおいてのその時代の「風潮」レベルのものと、長いスパンで発酵した末の深い思想があります。短いスパンの「風潮」から生まれたその時の価値観は、哲学めいたものであっても「賞味期限」があります。




賞味期限がある一種の「価値観」は、それが流行っている時はなんらかの効力を発揮するのですが、やはり限定性のあるもので、真理ではなく一時の信条にすぎないわけです。期限が終わるとまた違うものを必要とし、放浪することになります。



長い時間をかけて洗練された思想という土壌からは、「本当にそうなのか?」という「問いかけ」が起こり、哲学がはじまります。そして削ぎ落とされ、磨かれ、探求され、真理へとたどり着きます。




また同時に、思想の中で「哲学すること」自体が、その思想を洗練されたものにしていき、多くの「自発的に哲学することにあまり頓着のない人々」にも浸透して力を発揮するような大衆性を帯び、その思想を生きる人々にとっての智慧に育っていくんですね。




そういった哲学は、時間を超えて、場所や期間を限定せずに機能する普遍性を持ちます。
インドのヨーガ哲学もそのひとつです。人間が生きて行くこの世界の宝のひとつだと思います。


もちろんヨーガ哲学だけでなく、世界には多くの、時の洗礼を受けた叡智があり、それらは限定性を解放した世界への親和性を持っていると感じます。






少し話を戻しますと。



ヨーガ哲学を学ぶうえで、インドの思想の遍歴を知ることはとても重要で、そこを学ぶと自分の中で「哲学を知る準備」ができあがってきます。
そして興味深いことは、

 ・どのような背景で長い時間をかけて思想が移り変わって哲学へと完成していったのか
 ・その間に当時の人々の「心」に何があったのか

ということを探ることで、自分自身の過去と現在と未来を認知する作業がシンクロしていくのです。
これってとてもすごいことだと思います。
歴史を学ぶと、ただそれを知るだけではなく、自分のことをより認識できるようになるんですね。



そういったわけで私は、ヨーガ哲学を学びたいと集まった人たちには、「インドの思想の歴史」をなるべく話すようにしています。時間やコンセプトの関係でそこに触れることができない場合もあるのですが、集中講座などでは必ず触れるようにしています。



古代のことなので未知な部分もありますが、幸いインドの思想は「言葉」で残されているものも多く、その「伝承」は古来から尊厳を持って大切に扱われていますので、現代の私たちが紐解くための材料は豊富です。



ヨーガ哲学を学ぶうえでの歴史の観測をしてみると、先にも述べましたが「自分のことも観測できるようになる」のが、個人にとっての醍醐味だとも思います。




これを読んでくださっているみなさんの人生にも、歴史がありますね。


もし、自分の現在地を確認し、そして未来をよいものにしていきたいのなら、一度「自分史」を書き出したりして、振り返りの機会を作ってみることをおすすめします。



それはインドの歴史やヨーガの歴史を学ぶのと同じくらいの、あなたにしか解き明かせない叡智が潜んでいると思います。自分史上最大の発見もあるかもしれません。

今、心悩んだり、もしくは将来が不安だったり、ないしはよりよくしたいという動機だけでも、自分の歴史の振り返りはとても有効だと思います。

でもちょっと注意は、そこで感傷的にならないように作業しないといけません。トラウマ的なことを感情で追体験するのはおすすめしません。客観的に、感情的にならずに、公平でクリアな目でそれを見るのが一番有益です。



もし感情的になりそうな気配がしたら、まず自分以外の歴史を学ぶことで訓練するといいと思います。

ピアノが好きなら、ピアノの歴史。
バッハが好きならバッハの歴史。
書道が好きなら書道の歴史。
パン作りが好きならパン作りの歴史。
K-POPが好きならK-POPの歴史。
外国語が話せるようになりたいなら、その言語の歴史を。
ヨーガが好きなら、ヨーガの歴史を。


こんな風に、自分が大事だと思っていたり、好きでもっと知りたいことがあれば、その歴史を見ることを習慣にしてみますと、その訓練は「自分を見る」訓練になっていきます。




なにはともあれ、歴史を学ぶことは今を知り、未来をみつめることになります。



ヨーガ哲学の講座やオンラインコースでも、ヨーガの歴史を伝えるようにしています。興味のある方はぜひ講座で会いましょう。

歴史を知ることまなぶこと、それは自分を知るための訓練であり、ひとりひとりの魂の旅の全体地図になります。



学生の頃に歴史が苦手だった人も、大人になった今だからこそ感じられるおもしろさが絶対にあると思います。







一緒に学びたい方はぜひどうぞ。
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最後までお読みくださりありがとうございます。

ナマステ
EMIRI

2019年7月28日日曜日

ヨーガの歴史からわかるパラダイム変換期

歴史を紐解いてみると、人間の意識の変遷の歴史というのは、2000年くらいで思想を大きくシフトしているのがわかります。




私が携わっている古代インド史もそうで、
かのインダス文明の時代から、移民族の流入(アーリア人の大移動)、そしてバラモン教支配社会のスタート、ここまでにだいたいですが2000年から1500年くらいを費やしています。



そしてさらに1500年から2000年くらい経つと、新しい宗教的思想やそこからの哲学の誕生、ブッダを代表とする「覚者」の登場などが起こります。
こういった変遷をみてみると、それまでの2000年間で採用してきた思想が機能しなくなって来たんだなあというのがわかります



今から約2000年~2500年前、インドの地では、それまでのバラモンによる宗教的祭式(儀式)中心主義から、新たに「真理探究」の大きなムーブメントが起き、現代のヨーガにもつながる「哲学」が完成を見せてきました。また同じ頃、同じ地で、ブッダが誕生しその後の仏教のもとになる教えを説きました
2000年前のインドではまさに、真理探究の大輪が各地で大きく開いていった哲学黄金期なわけです




そういった動きというのは、ある日急に「すごい人」が現れて、新しい考え方がポッと発生したわけではなく、その背景にはその時代の人々の心のニーズがあって生まれてきます



ブッダだってもともとは王族のおぼっちゃま。しかし当時の時代背景の中で彼は、真理を求める「最初の渇望」があったからこそ、ブッダ(覚者)になるきっかけを得たわけです。

もちろん生まれたときからなんらかの素養はあったと思います。しかし、当時の社会やそこに生きることの「憂い」が、彼の背中を押し、出家させ、旅をさせ、苦行、気づき、そして目覚めへと運ばれました。そしてそんな彼が悟ったものは、現代でも人々の心を救済し続けています。




ヨーガの哲学もそうです。最初から完成したものがあって、それが文字なり本なりになってる、なんてゆるい話ではなく、当時の時代を生きた人々が人生の苦悩や真理への渇望の中で懸命に、生命とは、宇宙とは、人間とは、ということを長い長い年月かけて探究されたものが、最終的にヨーガ理論およびヨーガ哲学へとまとまってきたのですね



そういった歴史の流れを見ると、2000年前やさらに遡って4000年前などの歴史の動きには、あたりまえではありますが「意識の変換」があります。


2000年というのはどうやら、人々が「それまで信じていたもの」や「それまでは機能していた仕組み」が通用しなくなる、というタイミングなのですね。



さあ、そんなインド哲学誕生や、ブッダの誕生、そしてキリスト誕生など、まさに「魂の救済黄金期」から、今2000年とちょっと経ったことになります。




今は、新しいパラダイム(認識)、新しい社会システムに、どうしたって変わろうとするバイオリズムの上にいることがわかります。こういった時代の周期で、俯瞰してみると、今は変革や変換の時期なんですね。




とは言っていも、それが数年で急に変わるわけではなく、100年とか200年とか、もっと長いかもしれないですが、移行期間としての時間が必要です。






また、物事が変換するときというのは、原動力が必要で、昨今の世界動きや日本の動きをみていると、その原動力がいろんなところで力を盛り上がって芽を出してきているように見えます。

ここで注意なのは、芽吹きのとき、芽は一生懸命その生命力で土の中から出ます。

そのときに、土の中にあった「他諸々」も一緒に出てきます。



イエスキリストが生まれた時代。彼が真理を説こうが、奇跡的なことをしようが、彼を迫害するパワーも同時に生まれました。

ブッダが生きたころ、彼の説く真理を慕って多くの人々が帰依し、救われながらも、
ブッダを殺そうとした輩もたくさんいました。

新しいムーブメントが起きるとき、なにかが生まれるとき、
同時にそれに反するような「別のもの」もおびただしく生まれます。




世の中が、よくなっていけばいいな。

と切に願います。
願うだけではなく自分もなにかしよう、と思います。
そしてそんな思い(ニーズ)を受け止めて生まれてくれたような「動き」も、昨今たくさんみることが出来ますし、希望を感じる動きが台頭しています。



ですが、それと同時に生まれる、その他の反発的なエネルギーや、一緒にくっついて掘り起こされる別の種類のエネルギーたち。それらにも目を向けている必要があると思います。





「千と千尋の神隠し」の「せん」が、湯屋に来たオクサレ様(実は”河の神様”)の入浴を手伝いますね。

で、オクサレ様の体に引っ掛かってしまっている「何か」を引っこ抜こうとした時、まず出て来たのが、川に捨てられた大量のゴミやら自転車やらの廃棄物が、どばーーーーーーーっと。
そして最後それがぽんと抜けると、「本来の姿」が現われました。





世の中の動きにしても、個人の心の変化にしても同じことで、何か「変わろう」とする時、その動きの流れに乗って「いろんなもの」がたくさん出て来ます。



しかしそういった動きや存在がもし自分の思う理想と違っても、それらを敵視するということではなく、思ってもみなかったような淀みが出て来たり、なんか予想外に反対勢力が出て来ちゃったりしても、それも「自然な流れ」のひとつだと認識すべきなんですよね。


まず、「なにが起こっているのか」を把握するのが大事で、自分とは異なる種類のものを感情を振り回して対抗するのだけは避けないと。それやってしまうと、自分が持っていた純粋な理念や希望が汚れてしまいます。



何かが動けば、いっしょにいろいろ出てくる。
これは物理的な法則なんでしょうね。


そのような目線でみて見ると、現在地球上で起こっている様々な現象の中には、「混乱」と見えるようなことはたくさんあると思うのですが、それも含めて、

未来に向かった「何か重要なもの」が抽出されつつある動きなのかもしれない

と思うと、実態が把握しやすくなると思います。
感情的にならずに。
そして、個人にしても世の中にしても色々な動きはあるけれど、その背景にあるひとつの原理やテーマが見えて来ます。





またそんな話を、もう少し具体的にしたいなと思っています。






なにはともあれ、「歴史」を学ぶことは重要です。

それは今を知り、未来をみつめることになります。



というわけで最後は宣伝になってしまいますが、ヨーガ哲学の講座やオンラインコースでも、ヨーガの歴史を伝えるようにしています。興味のある方はぜひ講座で会いましょう。自分と自分を取り巻く世界の動きが、歴史を通じてクリアに見えるようになってきます。




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