みなさんこんにちはインラケチ。
スピリチュアルヨガサイト【ハートマトリクス】の師岡絵美里です。
「オム・ナマ・シヴァーヤ」というマントラがあります。
私もよくレッスンの中でみなさんと一緒に詠唱するマントラのひとつです。
意味が知りたい、というごもっともな要望や質問を受けることは多々あります。
とくにインストラクターをしている生徒さんには、よく聞かれます。
簡単に平たくして解説することもできるし、
時間があればもっと深いところまで話すこともします。
やっぱり意味を知って唱えたいですよね。
でもね!
前提として理解しておいてことがあります。
ひとつのマントラなり、ひとつの単語、そしてひとつの音にまでも、
深い意味と意図、そして「生命原理」が内包されているのがサンスクリット(語)のマントラなので、
このマントラに限らず、ひとつのマントラの意味を
「これこれこういう意味です」
と明確にすることは、本当は容易ではないんです。
例えばこのオム・ナマ・シヴァーヤで言うと、単純な訳ですと、
「わたしはシヴァ神に帰依します」
という意味になります。
しかしこの訳がオム・ナマ・シヴァーヤのすべてを表現しているかと言うと、
ぜんぜんそんなわけないのです。
「わたしはシヴァ神に帰依します」
と聞いたら、
「え?!わたし、シヴァ神に帰依したことないじゃん!唱えていいの?」
「てかシヴァ神て誰よ。」
ってなりますし(笑)
まじめで素直な日本のヨガ愛好者のみなさんは、
シヴァ神を「信仰しないといけない」ような気がしちゃうと思うのです。
もしくは葛藤してしまうか・・。
「え? 私ずっと神様はご先祖様った思ってたから、いきなりシヴァ神に乗り換えたできないし!シヴァ神って、待って、何系? ちょっと待って・・・(さんはい!) オム・ナマ・シヴァーヤ・・・!!」
↑葛藤はあってもヨガ講師のキュー出しには従ってしまうケース
とかさ。
特定の○○神に信仰の気持ちを向けることに抵抗がある人だっていっぱいいると思います。
しかもインドの神様。ぜんぜん馴染みなし、という人もいっぱい。
じゃあそういう人たちは、このようなインドの神様の名前が出て来るマントラは唱えられないのか、
というと、ぜんぜんそんなことはない、と思ってます、私は。
(シヴァ神に完全に信仰を!と指示する先生もいるかもしれないでの、ここでは私の意見ということにしますね。)
シヴァ神は、破壊の神様です。これは本にもよく書かれています。
わかりやすい。なんでもぶっ壊し続ける神様。
しかしシヴァが意味するものはそれだけではありません。
例えば「シヴァ」には「吉兆」という意味があります。
オム・ナマ・シヴァーヤと唱える時、私たちは「吉兆」に敬意と信じる心を集中させていることになります。
また、「破壊」というのは単に力によって壊すことを示しているのではなく、
自分自身の中の闇を取り払う
という事でもあります。
破壊とはつまり再生・再創造への吉兆です。
また「オム・ナ・マ・シ・ヴァ・ヤ」というそれぞれの単音は、
「ナ(地)・マ(水)・シ(火)・ヴァ(風)・ヤ(空)」
というように精神活動と物質世界のすべてを構成する五元素の音に対応します。
「オム(一切)」
でその創造世界を越えた第三の目を開眼!
その開かれた目でこの現実世界を観るよう、このシヴァのマントラは鼓舞しています。
破壊は、ヨーガの精神的な意味では「無知からの解放」を意味できるでしょう。
オム・ナマ・シヴァーヤ
これは、私がこのマントラをずっと唱えてきた中で感じたことなので、伝統的解釈とは表現が違うかもしれませんがシェアします。
このマントラは、物質の世界において生きる私たちの生き方や考え方を五元素ごと洗い清めて、
今この瞬間から良きものにして行く力を思い出させてくれるマントラです。
時々襲って来る暗い感性や、純度の低い思い、想像力(創造力)の低下から私たちを引き上げ、純粋で力強い上向きのスパイラルに乗せてくれる
そういうマントラだと感じています。
よく知らないシヴァ神を信仰しろ、なんて言ってはいなくて、
よく知っているあなた自身の中の、すべての現象を越えて行けるだけの再生のパワーを信じてみなよ
と言ってるんじゃないかな。
私はそう思っています。
そしてこの解釈は私の個人的な経験による理解なので、
そう経験し、そう感じている私にはこのマントラが有効なのです!!
意味を知っただけではだめで、
生きて、意味を知って、また生きる
その繰り返しです。ご利益、とかじゃなく。
ご利益もあるけどね!でもそれに期待はなしです。期待と信仰は違う。
最後までお読みくださりありがとうございます。
インラケチ!
ナマステ。