EMIRI MOROKA -HEART MATRIX-

師岡絵美里のブログです♪


2016年4月27日水曜日

時間かかることは、今はしない。


昨日、今後の企画を一緒にやってくれるエージェントの方と打ち合わせ。


先週に持ち上げた企画がすでに発進&かなり前進していて頼もしい限り。



とにかくいろいろ先に進む。


スタンスは、


「時間がかかることはやめよう」


とうことで合意。



すぐできることからすぐ初めて、

一ヶ月くらいで進歩できるものをガンガンやってこう、と。

長期的な目標じゃなく、今すぐできる努力を今スタートしよう!


私、このやり方好きなんです。




たとえばヨーガは、成熟に時間がかかります。

時間はそういうことにじっくり使います。

人間関係とかもそう。時間の中で養うものがあると思います。





だーかラーコーソーーーーー


仕事は、かけなくていい時間は、かけない。

考えるよりまずやる。

バランス崩したっていいから次の一歩をすぐ出しちゃいます。


それで近い範囲の目的をどんどんクリアしてくのがよいと思います。

長期ビジョンなんかは、どうしても時間を経ないと成立しないような企画だけにして、

今できることをどんどんやってくことで成していけばよいなと。







そうそう、楽しいことがあったのです。


先日ね、友人の結婚式があって

久しぶりに逢う人がいっぱいで楽しかったです。

で、色っぽいダンサーの友人にひっさしぶり会って

即ナンパ。

一緒に踊ろうよ。

練習しようよ♪


歌も芝居もできる人なので、楽しみです。


ダンス研究所、プロジェクト、いろいろ始動してます。


楽しみダーーーーーー!!!




2016年4月26日火曜日

これからの世界を考えるヨギ




電車に乗りながら考えてます。

これからの世界についてを考えています。

コンピューターと一緒に創造・成長していく世界。


この電車を動かしているのがプログラミングであるように、私たちの生活はプログラミングが管理しているものの方が多くなり、「作業」のほとんどはプログラムを搭載したマシーンがやってくれています。


手塚治虫さんの漫画、火の鳥の中に出てくる未来の描写はほとんどその通りになりつつありますね。


ほとんどの単純作業、今は、知能あるマシーンが行っています。


いろいろな界隈で言われていることなので私が書いてまで主張する必要はないのですが、今後私たちの生き方は、コンピューターと人工知能(AI)の活躍に多くのことを支えられ生きていくことになります。

そうなった時に私たち生身の人間の残る「職業」「仕事」ってなんじゃろね、という話はいろんなところで持ち上がっています。

今まで体を使って苦労して成し得ていたことが、コンピューターや機械によって為されるます。

単純作業だけじゃなく、複雑作業こそコンピューターの出番でもあります。

なので ”単純作業の職種はコンピューターに奪われるよ”、とかでもなく、複雑だろうが単純だろうがコンピューターはできちゃうのですわ。
事を選ばず、ほとんどのことをコンピューターがやっちゃいます。




みなさんはどう思いますか。

そうなるとますます、人間が生きるってどういうことだろう

体があって人生を送るって一体なんなんだろ

そういう問いかけは個々を超えて、人全体へと増えていくと思います。



『なんでもかんでもコンピューターがやってくれるんだけど

それでも自分の手や足を使ってこれがやりたい!てゆーかやる!』


というように、自分の魂から発せられる本質的なニーズをはっきり認識し、なおかつ実際にそれをやれないとです。



違う言い方すると、

自分本来のニーズに夢中になったり集中したりすることが全然できちゃう余裕がいっぱいあるのが、この時代なんだと思うのです。

お金があるとかないとか、そういうのももう関係なくなりつつあります。お金なくたってかなりのことができます。

「時間がないからできない」と言ってる人は、
自分で自分を自由にするためのリスクを取っていないから、
社会に対して自分の「時間」というエッセンスをを差し出してバランスをとることを選んでいるだけに過ぎない。


時間がない、なんて幻想です。妄想。

本当にやりたいことや集中できることに向かう時、

人の心は時間すら創造します。

コンピューターは、作業を効率化したり加速化して、それにかかる時間を少なくすることで人に時間を創造してくれています。

人は、集中することと夢中で楽しむことで時間を創造できます。

時間は心によって生み出せます。


ここが、(まだ)人のコンピューターの違うところなんだろ感じます。

(まだ、と書いたのは、先々はどうなるかわからないからです。人もコンピューターも共に進化するので。)






私は思うのですが、


「生身で夢中で遊べる人」


が充実していく時代なんだと思います。


「遊び」という発想以外のことはだいたいコンピューターがやってくれる時代になると思います。


人の遊びの中に含まれる

喜び、感動、触れ合い、

そういったものが価値になっていく時代は、もう既に始まっています。


例えばですが、

自分の言語以外ができなくても、今後は、
一人一人が持ってるスマホとかそれの進化形が、肉声同士の会話をリアルタイムで翻訳してくれるようになると思います。
そんなことチョロいわけです。

でも!
それでも「自分の口で話したい」という気持ちがあるならそれを実行する情熱、行為に掛け値なく情熱を燃やせること
そういったものが「人間」に集約されてくるんじゃないかと思うんです。

ロボットが人より器用にうまくダンスを踊ってくれる時代になります。

でも!

自分がこの手や足で踊りたいから踊るのだ!

そういう情熱が人生の本質になっていくのだと思います。



とはいえ、「遊び」もコンピューターが得意なことの一つだし、

漫画「火の鳥」に出てくるような子供と遊んでくれる人間的なロボットも、もう出てくると思います。



そうなるとね、

とにかく境界線なく、自分の発想のままに遊べてそれを仕事として社会に循環させられるといいんじゃないかって思います。

そうでないと、むしろきつくなってくると思います。
人のしいてくれたレールやフォーマットの上にいれば安心・安全、というのはもう昔話の世界です。マニュアルは一回やったら捨てるくらいじゃないと。

変化をできるだけ避け、決まったポジションにずっといることに安心と安全を求めるというのはむしろ危険な思想になってくるでしょうし、うそれやってると心がうまく機能しなくなってくると思います。



なので、やりたいことをしましょうよ。

時代は変わります。

意識の波動も同じではいられないのです。

そして思うに、概ね人類の意識は上昇していると思います。

悲惨なニュースや争いが絶えない世界を観ていると、人類の意識が上昇しているなんて感じられないかもしれないですが、

もっともっと内面の目で「人の意識の総体」を感じてみると、

ものすごいデトックス中、赤ちゃん産道通過中の痛み、

そういった「シフト期」の表れだと感じます。





というわけで、今回の言いたいことをシメます。



あなたがどうあるか、が決め手です。


この先は、人に頼って世界を変えてもらおうなんて甘い話じゃない。


これを読んでくれている「あなた」のことを直接話しています。

そんでもってそれは私でもあります。

私とあなたに言ってます。


私も考え、そして思った通りに時差なく行動するので、

あなたも躊躇してる間に謎の隕石に激突されないよう、

今すぐに自由へと軌道修正してください。

その軌道修正には絶対「リスク」があります。


でもその「リスク」があるってことも「行くしかない」というサインですよもう!


自分が好きで夢中になれることなら、そこで出てくるリスクはもはやアムリタ(聖水)。

なんでも愛せば栄養だと思うのです。
その栄養で自由になりましょう。


楽しすぎる冒険。



この続きはまた!!






2016年4月24日日曜日

絵美里の超訳ヨーガスートラ (4-19)


小雨の日曜日。


いかがお過ごしですか。


一つ私の好きなスートラ(節)を、パタンジャリのヨーガスートラからの抜粋で送ります。


ヨーガスートラ第4章19節

「心は、自ら輝くものではない。それはプルシャによって見られるものだからである。」


na tat-svabhasam drishyatvat ||19||

न तत्स्वाभासं दृश्यत्वात् ॥१९॥
na = not
tat =  whose
svā =itself
bhāsam =  illuminating; luminous; identifiable; recognizable
svā-bhāsam = self illuminating; inherently recognizable
dr̥śyatvāt = perceptibility; a perceptible object 

それ(心)はそれ(心)自体の輝きではなく、
それ自体の認識(プルシャ)の客体だ


Uuuuuum(-_-)

なんのこっちゃ?


はい。



私たちの心というのはそれ自体が「主」ではなく、いつも流動して変化しています。


ここで呼ばれている「プルシャ」とは、真の主体(全き自己、純粋自己)です。


「心」が輝くのは心そのものの作用ではなく、

純粋自己であるプルシャに観られることで、プルシャの純粋を映す。



しかし私たちの心は、日々変化の中で

心に起こる色々な動き(感情や感覚の変化)に引っ張られ、

心の「状態」に夢中になってしまいすね。

それが自我。

「小我」といった方が伝わるのならそれでもいいと思います。




で、

私の言葉で言いますと、



ヨーガとは

この世界の変化する事象(グナの揺らぎ)に参加しながらも

純粋自己であるプルシャの観察(光)を心に反映しつづける作業



と言えるのではないかと思います。




では今日はこのスートラから勝手に「カジュアルなアドバイス」をいただきましょう。

ごくカジュアルにです。

より多くの人に向かって発信してますので、マニアや研究者とかに文句言われてもいい覚悟のカジュアルさでいきますね(笑)




見たり聞いたりしたことに気持ちひっぱられなくっていいっす。


どんな事柄が起きても、どんなもの見ても、どんなもの聞いても、
(それはそれでいいから)

君が何を思ったってそれすら君を束縛できないのさ


(だからそれはそれでいいから)

ハートのど真ん中にいればいいよ、


いつだって最高ピカピカ





超訳すぎ!


訳になってるのは「ピカピカ」くらいです(爆)。

しかも音感のみのオノマトペ。




まあいいじゃないですか。どこかの誰かの心が晴れれば。

元気でるヨーガスートラということで。

ははははははは!!

思った日が吉日!



Namaste
師岡絵美里

2016年4月23日土曜日

残席状況:チャクラジャーニー、京都第一チャクラは追加募集あり!東京では男と女の第二チャクラ♪


5/7(土)の京都開催はあと追加枠が残り5名となりました。
お早めにどうぞ!


「EMIRI&Masumiのチャクラジャーニー〜聖なるチャクラをめぐる旅」


京都で開催する第一チャクラ編、満席でしたが追加枠ができました!

東京での開催も参加ヨギ募集中。


今回の内容はチャクラを一つ一つ辿っていこうという主旨ですが、

ヨーガを始めたばかりの方でも、これからやりたいと思っている人でも入っていただける内容なので、どんどん来てください!!

チャクラというとすごくヨーガの専門的なところをやるのかなと思うかもしれないですが、むしろすごく人間的、感覚的なところにどっぷり入っていく感じ。

イベント要素の強い楽しいワークショップです。

もちろん長くやってる方にもおもしろい!絶対☆

チャクラ理論も哲学も触れつつ、いつもやってるアーサナとか呼吸法がどんな感じでチャクラに密接しているかを感じましょう。


Masumiさんとのペアでの開催は、私すっごく気に入ってますのです。

ひたすらおもしろくなって全員で開いてゆくパワーが生まれます。

まさにチャクラフル回転の全開です(笑)

すごく楽しい会になると思いますので、ぜひ来てください。




東京で開催の第二チャクラ編では、




♪ヨーガ哲学のエッセンスから愛にあふれる恋愛・パートナーシップについて、

♪性ってなんだろうというヨーガの身体論、

♪クリスタルボウルのヒーリング、

♪体をゆるめて解放するヨーガシークエンス

♪心がほぐれて優しくなれるキールタン


などなどを行います。


自分の情熱を大事にしながら、人とつながって創造してゆく、

そのラブラブ感を大事に(笑)



すごいお待ちしてます☆すごい。
あなたが来ないとはじまらない!



EMIRI&Masumi




















「EMIRI&Masumiのチャクラジャーニー 〜聖なるチャクラをめぐる旅〜」



第一回 第1チャクラ ムーラダーラチャクラ 

2016年5月7日(土)

時間: 10:00-14:00

場所:Five elements studio 京都 烏丸丸太町

料金: 7000円(税込)

定員:満席でしたが追加枠できました!!

チャクラ全般の理論、ムーラダーラチャクラの理論、グラウンディングを強めるアーサナ、ボディーワーク、クリア法、ヨーガ哲学からの身体理論、体験ワーク、対応マントラの解説などを行います。

フェイスブックイベントページからお申し込みいただけます。
https://www.facebook.com/events/268833950115724/








第二回 第2チャクラ スヴァディシュターナチャクラ 

2016年6月12日(日)

時間:17:00-21:00  (終了後30分ほどご歓談可能です)

場所: 大田文化の森(3階和室)

料金: 6000円(税込)

定員: 限定20~25名

スヴァディシュターナチャクラの理論、骨盤を整え性エネルギーを純化し高めるアーサナ・ボディーワーク・クリア法、

ヨーガ哲学からの身体理論、男女・性・カルマのお話、対応マントラの解説などを行います。

EMIRIによるクリスタルボウルヒーリングも行います。
心身ともに浄化をしましょう。

<持ち物>
ヨガマット・動きやすい服装






ブログ更新いっぱいできてる理由。




最近ブログ更新たくさんですね!




と、今日だけで3人くらいに言われました。




その理由の一つは、3年ほど続けていた有料版のメルマガを3月いっぱいで廃刊したためです。




前までだったら有料版メルマガに書いていた内容も時間も、



こっちのブログにシフト出来たわけです。









有料版を辞めた理由は幾つかあるのですが、




今はもうバンバン出す時期だ!!



と体が感じたから。




有料版の購読者限定に配信するのではなく、




同じ情熱をね、


誰かれかまわず多くに向けて、放出すべきだと感じからです。




自分の書きたい内容も、昔よりもだんだんと社会的になってきたからということもあります。

ヨーガのこと、自己啓発的な内容だけじゃなく。


社会について感じることとか言いたいこと、

世界を変えていきたいという思いを、

限られたメンバーだけに話しているのってあんまり意味ないですよね。

もっと言うと、好意の関係にある人だけに配信するのは今はやめよう、と思ったわけです。




というのは、有料版を購読してくださっていた人たちというのは、お金を払ってでも読んでくださるくらいなので、


私の話す内容、私の語り口を好きだと思ってくださっていた方々だと思うんです。




好意の対象が私本人じゃなくても、

メルマガの内容が自分に有効だと感じていてくれたことも、

それも皆さんからの愛情だと感じました。



そういう意味で、有料版のメルマガは

私の発信するものを良いと思ってくださっていた方々との関係。

お互い好き合ってる関係みたいなものです。





配信していた有料版のメルマガの購読者さまの多くは、

「毎日自分に向けられて個人的にメールをもらっているくらいにシンクロしています!」

「いつも考えてることにアドバイスが来るみたいで、どっかから見られてるのかと思ってました(笑)」


と言ってくださる方がとても多かったです。


本当に多かったです。


もちろんそれを狙って書いてはいませんでしたが、

素直な気持ちで書いていたら、

私と購読者様たちは心で同調しているせいもあり、

そういうシンクロ作用がいっぱい起こったんだと思います。







でも昨年くらいから、

自分に好意を持ってくださっている人にだけ発信するのではなく

反対意見や価値観を持つ人や

フィールドの違う人たちにも開放されている

ブログなどで書くことにシフトしたい気持ちが大きくなってきました。


でないと「社会性」が少ないのです。


好きあってる人たちだけで集まっていても、

全体への影響力は少ないから。




有料版もブログもどっちもやればいいじゃん、と思うかもしれないですが。



でも、やはり集中してドカンと行きたいのです私(笑)

そういう性格。


そして解散するのが結構好き(笑)

卒業、解散、脱皮。

この辺の代謝系イベントが好きなたちなんです。



有料版を惜しんでくださる方も多いのですが、

今はこっちで書きますので、どうか是非ちょくちょく覗いてみてください。


今は、どんどん出していきます。





更新をしょっちゅうしている、というだけで、アクセス数というのは飛躍的に上がるもんなんですね。


この一ヶ月のアクセス数はどんどん上がっています。スピード感がすごいです。

でもこのスピードも、今の私には必要。


やりたいことがあるから。






そして、今日も娘と話したんです。


なんのために生まれてきたのか。


この世界が良くなって美しくなって面白くなっていくように


まず自分がおもしろくいたい。


この先も、みんなで大笑いしながらじゃんじゃん仕事していきたいのです。


そうやって社会を変えたいのです。


開かれた世界に発信していきますね。





有料版のメルマガを購読してくださっていた皆さん、

この場を借りてお礼申し上げます。

本当にありがとうございました。

そしてそれが何かの終わりかというとそうではないので、

今後ともよろしくお願いします。

一緒に世界をおもしろくしましょう!!














2016年4月20日水曜日

「考える」ということはシンプルにするという結果が伴って初めて「考え」られているのだ。





考える、という事は、シンプルにしてゆく、ということだと思います。

ややこしくなったり、

ワケわからなくなってるのなら、

それは考えているつもりで、実は考えていないのです。

考えているふりをして、暇な時間にルービックキューブをただぐちゃぐちゃにしているようなものです。

料理などと同じで、

必要以上に混ぜたり、

必要ないものを加えたりして不味くするのと同じ。

複雑になってぐちゃぐちゃしてくる思考は、そもそも思考という代物でもなく、そもそも美味しくしようと思っていない料理のようなもの。

話し合いとかもそうで、

話し合うってのはシンプルにしていくことで、

もし話し合っても複雑になってくのなら、

それは感情的になっているから。話し合えていない。



私は、ポジティブシンキングのみってあんまり信用してません。

ポジティブシンキングは一時的にいいけど、

そこだけ続けてても同じところから進んでません。

むしろ、そう思ってないのにそう思おうとするはエネルギーの消耗。

思い込むのがバカバカしくなった時に心がくじけて、思う前よりも元気なくなるのがオチ。



本当にポジティブならば、動けるはずです。

行動のないポジティブシンキングは、一時的な思い込みで、また暇になるとこんがらがってゆく。

その「暇」を行動に変えることができなければ、シンプルに考えることはきっとできないでしょう。

体張るのが人生なのだ☆



だから、合理的なバカでいよう。

私は、仲の良い男友達によく「本当〜にバカだね」と言われる。

なんでも本気でやってしまうから。

ダンスもそう。

時間ない、環境整ってない、経費ない、みんなで集まれない、

ソロで回しとけば間が持つところでも、

絶対にユニゾンとかやる(笑)


それが人生の楽しみじゃん。

みんなでギリギリまで頑張りたいのです。

そのくらい張ると、人は喜んでくれる。

それが見たいじゃん。


なんでそこまでやるんさ、あんたバカですか?

くらい、行動してみよう。


目指すところや目標は立てるけど、

でもそこに着かなくてもいいし。

全力でやってればいいところに絶対着くから。


リスクはあるのは、当たり前。

責任、それを引き受ければ同等かそれ以上の自由を体験することになる。

責任、引き受けないと、その程度のゆる〜い欲しくもないものを得る。


失敗しても、自意識を放棄していれば、

失敗が自分に与える損失なんてぜんぜんない。


そう思います。

行動あるのみ。

思い直して立ち上がったアルジュナのように。


考えるなら「シンプルになる」ように考えなくては、

複雑になってく考えは考えじゃない。

思考をうまく使って、すべてをシンプルにシンプルにしていこう。

そうすれば自分だけじゃなく、自分が関わるみんなにもいい影響が起こる。


そんな感じです!

行動。




2016年4月19日火曜日

身近な老師発見の巻


先日の記事で、中国語学習のことを書きました。

本当に独学しかしていない状態だったのですが、

突然「先生」が現れました。



先日、娘の学校の保護者会に参加した時のことです。

新学期でクラス替えしたばかりなので、初めて会う保護者の方もたくさんいて、隣に座っていた女性も初めて会う方でした。

先生が新学年の説明や年間行事の説明などをしている間、その方は英語でメモを取っていたので、外国籍の方かも、と思っていました。

で、そのメモの中に大きな字で

「整頓」

という漢字が書いてあったんです。

そして「整頓」の上に
[sei don]
と書いてあったんです。

で、ここで日本人の普通の音感覚でしたら

「いやいやいや、整頓はseidonじゃなくてseitonだよ。」

と直したくなるでしょうけど、

中国語は濁音であっても日本語の濁音ほど強く発声しないんですよね。

加えて中国語&ローマ字の関係も、
日本語&ローマ字の関係とは違うんですよね。


   多 duō (意味:多い)

も、「duō」って表記になりますが、耳で聞いた感じ(口で言う感じ)は「トゥアー」って感じ。


よって、[seidon]は、口に出すと「せいとん」になります。

で、

整頓に、seidon って読み方を書いてあるメモを見て、


あ、この方中国の人だ♡


とウキウキする私。


隣だったのでお話できるタイミングもあり、すかさず自分アピール!


”今中国語勉強してるんです!!”と(笑) 

貪欲な私。




で、こっからが面白い展開でした。

その方、Mさんとしときます。

先天的に「教えるのが上手な人」みたいで、

私が中国語学習してると言ったら即座に、とてもナチュラルに、


「私の出身地はここです」

と、紙に地名を書いてくれました。

そして、

その読み方、一つ一つの漢字の意味、
簡体字から日本語で使われている漢字への変換、
間違えやすい、似てるけど意味の違う漢字、
漢字一つ一つを抽出し、その漢字がどういう名詞とか動詞などの品詞として使えるか、
などを、紙に書きながらすらすら〜〜〜っと話してくれたんですねーーー。
気持ちよかったーーー(笑)

中国語の先生やってるとかそういうわけではなく、
普通にそういうことができるんだと思います。才能。

彼女に中国語教えてもらって、私はヨガを教える

という感じで、LINEの連絡先を交換しました。

その後何回かLINEで話し、
なんかね〜〜やっぱり大陸感がいいですね!!
大陸感ってなんだ、って感じですが、
大陸感ですよ。空気。


娘の同級生のお母さん、というつながりで出会えたことも楽しい。
子供にも中国語を教えてもらえたらいいなーーと希望を抱いております。

私の娘は外国語学習が好きなたちで、
私が中国語のアプリで勉強してると一緒に発音したりします。
ゲーム感覚でどんどん発音していき、音は上達してきました。
意味と使い方が伴えばすぐに話せそう。




2016年4月14日木曜日

機能するヨーガ哲学でありたいという思い







しばしば、ヨーガ哲学や思想など、文献の言葉とともに講義をしています。




それを聞いた生徒さんたちの感想というかコメントによく出てくる言葉。







「これ(その日教わったヨーガの考え方)を、自分の生活に取り入れていこうと思います。」







うん。そうだね。それが出来たらきっといいよね。




でもなかなか、いざという時に知っているはずのヨーガの考え方が機能しないこともあるんじゃないでしょうか。







たぶんね、私の意見ですが、




「取り入れる」っていう発想じゃ、おそらく、




変化は起こらないように感じます。




積極性に欠けるのです。




思考ってかなり強力なものでしょ。




考え方の癖って影響力が強いじゃないですか。




だから、「取り入れてみた」くらいのスタンスでは、




元々持っている思考パターンを溶解するほどの影響が起こらないのだと思います。




例えば、濃厚なラーメンのスープに水を2、3滴「取り入れて」みても




まだまだスープの濃さが際立ってますよね。




その2、3滴の水を、もしも休むことなく頻繁に注ぎ続ければ



水の本質の方が上回ってくるかもしれないけど、



ごくたまにだったら、やはりそれまでの濃いスープのまま。




人間の思考パターンの強さというのは時間の経過や反復される中で強くなっていったり結び目が硬くなる傾向にあるので、



たまーに「良きもの」を「取り入れた」くらいでは、



もし仮にそれがすごくインパクトのある教えや考え方だったとしても、



「思い出」には残っても、実際には機能させることができない




・・・と思うのです。







手はいくつかあります。



さっき言ったように、それが2、3滴であっても、

できるだけ頻繁に注ぐ。
頻度、そして間をおかずに注げば、変わっていくと思います。



あるいは。

一回、スカッと入れ替える。

どんぶりのスープを入れ替えるくらいのつもりで、新しいアイデア(ここではヨーガの考え方)にどっぷり入り込んでみる。


こうなるともう「生活に取り入れる」程度のアクションじゃなくなってきます。


自分がヨーガに取り込まれる、くらいな、

ヨーガにおのれがダイブする!くらいな感じスよ(笑)



ま、どっちでもいいし、上記以外のまた別の感性もありますので、


やれと勧めてるわけじゃないです。言われたからと言って強いてやってもあまり意味はないと思ってます。




何が言いたかったかというと、


「ヨーガの教えを、生活に取り入れてみます」


と言うくらいの姿勢ですと、作用するレベルもその程度です。


日常が少し爽やかになるとは思いますが、

人生とか、その人の本質に立ち返るほどのインパクトはない

と思います。

もちろんそれでいいならOKです。


と言うわけで個人的には

スープ入れ替えくらいのインパクトをお届けできたらいいなあ!

という最大限の希望を胸にやっとりますのです、私。

もちろん私は伝えるだけなので、それを受け取り手が「どう受け取るか」をコントロールすることは不可能だし不必要なので、
過剰に願ったり期待したりはしていません。



しかしやる限りは、

人生に機能するヨーガ哲学であってほしいじゃん!

という熱量を込めて、頑張ってます(笑)。




ぜひ、講義に足を運んでください。



暑苦しさと、宇宙レベルでの俯瞰が同梱する、

楽しいサットサンガ(集い)なんです。

(笑)



みなさんのご参加お待ちしています。




東京での開催


■日程:
 <2016年A期>入門初級コース(計12時間)
5月31日(火)13:00-16:30
6月7日(火)13:00-16:30
6月14日(火)13:00-16:30

<2016年B期>入門初級コース(計12時間)
8月20日(土)9:30-16:30
8月21日(日)9:30-16:30 
  
<2016年>発展コース(計8時間)
6月4日(土)13:00-17:00 
6月5日(日)13:00-17:00
 ※入門初級コースに参加されていなくても、ご自身で学んでいた経験があれば発展コースに参加していただけます。





神戸での開催


「師岡絵美里のヨーガ哲学特別講座」

日程:2016年5月8日(日)10:00-17:30

会場:space わに
 〒650-0004神戸市中央区中山手通3-15-11,2F
ホームページ(交通アクセス)
http://www.spacewani.com/


facebookページ
https://www.facebook.com/events/1562029380793743/

お申し込み
申し込み・お問い合わせはこちらのフォームになります。
http://kokucheese.com/event/index/390101/


2016年4月13日水曜日

Yちゃんとバリの神様/充電してる私。








ある意味、今充電中かもしれないです。






幾つかの今までやっていたことをすでに辞めたり、これから整理することを決めたりしながら、新しいことをやっています。







この前の3月、バリ島でのリトリートの後、参加者のみんなやアシスタントのマサくんも帰国した後、自分だけの時間が3日ほどありました。




その間、リトリート中に娘のシッターをしていてくれたバリ在住のYちゃんと、引き続き一緒に過ごしました。




彼女と過ごした時間が、じわじわと私の中で、

とてもいいものとして発酵してきています。







Yちゃんは言いました。




「今、いい感じでモチベーションがあがってるから、

今回はここで考えるのをやめてみる。」




数ヶ月前にいろいろ大きな変化や出来事があったようで、

Yちゃんもターニングポイントのようなところにいたのかもしれない。







ここで考えるのをやめてみる。




と。




そうだね。










Yちゃんは言いました。




「思考だと思うの。思考さえ変われば、何かスカッと開くって思う。だから、今までの思考で考えるのは今はやめて、考えないでいてみる。」







と。









Yちゃんと、私、私の娘とで




バリの虫や爬虫類(?)の鳴き声のモノマネをしてたくさん笑った。







宝石のような蜘蛛を見つけて、3人で長いこと見つめた。







Yちゃんが、バリ人が伝統的な儀式でトランスするとどんだけすごいか、

バリの男たちが本当に集中して踊るとどんだけすごいか


そして人間がそうなった時、その間、

どんだけ「目に見えないもの」がそこいらじゅうにいるということに気づくかを、


目を大きく開けて、今ここで起こっている事のように話してくれた。







一緒にバリ舞踊を観に行った。




お互いに、何回も観たことのある演目。




でも話していたら行きたくなって、行った。




会場が思ったよりも遠くても、歩こう、せっかくだから頑張ろう、と言って。




そう。 




「頑張る」って、こういう時に使う言葉だよなと、旅で、いつも思う。



小さな輝きと、

いつかの世界で約束した何か輝きのために、

心の潤いのために、

私たちは夜道を劇場まで頑張って歩いた。


そういう時には光が私たちを押し進めるから、

8歳の娘も疲れたりしない。

スニーカー履いてきて良かったね、と嬉しそうに歩く。





ラーマーヤナは何回も見ている。私もYちゃんも。




その馴染みの演目を、




Yちゃんは瞬きもしないで、ほぼ2時間立って見ていた。




完全にひとつになって。









ウブドの山側のローカルなところに住んでいるYちゃん。




ライステラスが一望できる家に住んでいるYちゃん。







朝、窓を開けると、神様がいる、っていう話。




バリの朝、




誰が見ていなくても世界は絶するほど美しくて、




白い霧、その絹のような霧に刺す無数の光、




神様の色、音、時が止まること。




Yちゃんの心はバリの神様といつでも一緒で、




彼女が、彼女の大好きなバリでこれまでに見たものは、




彼女の中では「今」この瞬間に再現可能な有機的なホログラムとして命を持っている。




時間というものが幻想でしかないことを、Yちゃんといながらたくさん感じた。




彼女が全身で話すバリの話を、気づいたらずっと聞いてた。




それは私にとって、




心臓のまわりを絶えず流れている聖水を見つめているような時間だった。




それからずっと私の心臓は蓮の花になり、




インド神話では美しい神や女神たちを




「その瞳は蓮のようで・・」




と形容するその心持ちが、そのまま私の心臓にも降り注いでいる。






Yちゃんちの屋上。







いい時間だったのだ。







思い出すと泣けるくらいに。




その時は泣いたりしなかったし、

むしろただ面白いことを言ってゲラゲラ笑って、

同じ店に何回も行ったりして食べたいものを食べて、

アホなこともたくさん言って、

変な顔で踊ったり、

ひどかった恋愛話とか、

今でもどうしょうもない自分そのままに

ただ笑って、歩いて、食べて、

寝転がって空を見たりしていた。







でもふと、いつでも、どの瞬間でも、神様がいた。







そのことに泣ける。





いつでも起こっていることなのに、


人は、複雑な環境の中にいると



そのことを感じなくなる。




それがどうにも面白く感じないので、




幾つかの自分に付随する案件を整理することになったのかもしれない。




もちろんそれは後付けの解釈でもある。




思考を止めたらそんなこと関係ない話だ。










Yちゃんとの、バリとの、バリの光と神様との時間が




ただ意味もなく良かったもの、なのだ。




顔に見える。しかもバリの伝統芸能のお面に似てる。そっか・・と思った。






というわけで、見た感じ脈絡は通じてないが、





ある意味私は今、充電中なんだろうと思う。







それでも私はいろいろやってるので、




人から見ると発電しながら走ってるかのように見えるだろう(笑)。





でも、人は動きながらでも休んだりできる。


爽快に走ってる馬は、それそのものが休息だろう。


そんな感じだ。










Yちゃんちのベランダから。





人間は、変化可能な生き物。

変わっていくことの中に、いつだって良き面を見つけられる。



読んでくれてありがとう。


師岡絵美里
















2016年4月11日月曜日

ひとつの体、ひとつの魂、




瞑想をすることの良さや重要性、というのは




年月、歳月、年を重ねていくごとに




どれだけ重要なことかということか




その理解が深くなっていきます。







そのたびに、




今まで自分が関わることを許された数々の先生方や先輩方への敬意が増します。




今も私は未熟だけど、もっと未熟だった若いころに出会った先生や先輩には、己の理解と経験の少なさから、




その優しさや、深い教えや、経験から来る洞察の数々を




まるで水道の蛇口をひねればお水が出てくるのが当たり前かのように




無邪気に飲み干していたことを思うと




もう土下座したい気分になる。







でもそれは仕方のないことでもある、というのが今はわかる。




そうやって人は、交代しながら人を育てていく。




人に対して敬意を持つことというのは、この人生の学びのメインテーマのひとつだから。




先人への感謝と、ある意味でのお詫びは




自分が今ないしは今後関わる人たちへの寛容さの中で




返していくものなのですね。







瞑想をしているとこういうことにも気づけるのがありがたいです。




若いというのはそれだけで素晴らしいことだと思うけれど、




でもそれは、人間が歳月を重ねることをネガティブに捉える理由にはならないのです。






若さと老いは、反対の意味の語ではないのです。










年をとるのは、自然だから、素晴らしいのです。




特に最近そう思います。







人は肉体が老いて朽ちることに恐れを抱くものですが、




でも、私は高齢の老人をじっと見ると、希望を感じます。




どんな人生であったかは知らないけれど、

歳月を重ね、

もうすぐその肉体を卒業する期日が刻々と近づいている。

肉体というかりそめの衣服を全て脱ぎ去るという魂の一大イベントが近づいています。

それは赤ん坊として生まれることと等しい、素晴らしい現象です。


老いることと経年することに、こちらの心を完全に開けば、肉体の中の一つの魂がそれを理解していることや、それに無関係であることも伝わってくるから。



もしも肉体が全く変化せずに、ずっと同じ肉体に同じコンデションで、際限なくそこにいなければいけないと考えると、そちらの方が恐ろしく不自由に感じます。

それがたとえ「若い」肉体であっても。不自然なのです。



生きることは

死ぬことも含めて自然だからこそ、美しい。




自然であるということは、本当に美しいことです。

























サイン、そしてアクション。



神様からの一瞬のサインを見逃してはいけない。

と思います。


サインはその時心にパッと光を与えてくれるものなので

必ず何か感じているのですが、

でも日常の中でその一瞬の啓示を

徐々に忘れてしまうものなのです。


光ったら!すぐに行動!

ですね。

そこで行動できるかどうかが、決め手、すべて、ですね。

その「行動」が「休むこと」であればそれもまたアクションの一つだと思います。




いつもいつも思うのですが、

本当に必要なものってぜんぜん「たくさん」はないんですよね。

ごく限られた「これさえあれば!」というもので人は幸福でいられます。

その幸福に至る道はとてもシンプルで

多くを持ちすぎないで、必要なものだけを心から希望していれば

きちんと支給されるわけです。


欲張ると不幸になるのは絶対だと思います。

欲張ってはいけない、とか思うその葛藤も必要ないし。

我慢とかではなく、ただ本当に必要なもののサイクルの中で

与え、与えられて、生きていれば

人の人生は完成するのだと思います。


バカヴァッドギーターの中に書いてあることと同じですね。


サインを見逃さないで、あんまり抱え込んで遠回りしないように、

神様に今日もお願いしよう。

自分のありのままを生きることができますようにと。



2016年4月10日日曜日

勉強が好き。





みなさんこんにちは。

師岡絵美里です。

充実した日々を送っていますか?

私は、とっても。


私、言語ってもの自体が好きで、どんな言語でも興味があるんです。
全部に取り掛かる時間がないだけで、でも基本、興味ありなんです何語でも。

言語の古典となるともっと好きです。
高校生くらいの時は、考古学者になって古代文字とか文書や当時の言葉を理解したいとか思ってました。
その頃から日本の古文が好きすぎて、平安言葉で作文するのが好きでした。オタクですね。


で、英語は元々好きで、この二年ほどゆっくりだけどフランス語をやっていて、

バリに行く機会が多いのでインドネシア語も話せるようになりたいなーと思いつつ、



昨年11月頃から、中国語の学習を始めました。
同年12月に、一から始めたばかりで勉強期間が一ヶ月もなかったにもかかわらず、中国語の検定なるものを初めて受験しました。


大学の校舎で試験があるので、受験生の時の気分を思い出しました。
おそらく学校で授業を取っている大学生たちの姿もたくさん。混ぜてもらってるみたいで楽しかった。
かと思えば、親子で受験していて、お母さんと小学生の息子さんが同じ級を受けていたり。
年配の方もたくさんいました

みんなそれぞれに、中国語を勉強する目的やっ心持ちがあるんだろうなと思いました。
私は、大それた目的はないのですが、ただ学ぶことが好きです。
特に異文化の言語は、触れているだけで思考が拡大する感じが好きなんです。


で、ひとまず低い級から二つをパス!!

試験前の一ヶ月、1日一時間半くらい集中して勉強しました。

基本的に自分大好きな私は、勉強中に最も難しいと感じていた「聞き取り」が、
なんと検定で満点だったりしたことにかなり美味しさハイパーで味をしめてしまい(爆)、

好きかも♡中国語
イケてるかもあたし♪

とか思ってしまい、調子ぶっこいてその後も地味〜〜に勉強を続けています。



どんだけ地味かっていうと、

まず継続する上で、あるルールを課しています。


(1)できるだけお金をかけない

(2)時間もかけすぎない

(3)1年後までに初歩日常会話くらいは行けるようにして、
お世話になった東洋医学の中国人の先生に突然中国語で話しかけてびっくりさせる!!!(これがメインかな、笑)


インターネットには様々な誘惑が充実しているので、ちょっと欲が出ると教室に通いたくなったり、通信の講座があるじゃんとか目が輝いたりしてしまいがちなのですが、

いーや、お金かけないでやるって決めたじゃん。

と、思いなおします。

昨年11月から今までに中国語にかけたお金は、

検定のためのテキストと過去問題集は合計で約一万円。

スマホで活用できる検定用の単語帳や聞き取り練習のアプリ、
アプリ内課金ありでとりあえず上の級まで全部をダウンロードして2000円くらい。

DVDで発音、声調を指導してくれる入門的なテキスト、2000円。

このくらいです。

今後も級が進んでいけば検定用のテキストは買い足しますが、基本的にはこのラインナップの延長線上で、それ以上は買わないで上達しようという魂胆です。

でもやっぱり、検定用のテキストとその勉強だけなので、
試験をパスしたところで実際に中国語で「やりとり」できるかというと、全然です。
リアル中国語経験がまだ少ないのです。

なので、たまーに、職場の近くの銀座のマツキヨとかに入って、中国人の店員さんと爆買い中の中国人旅行客の会話を聞いたりしてます(爆!)。

この場合、マツキヨはいいです。
銀座のApple Storeも中国人だらけですが、アップルスタッフはほぼ英語、
仮に中国語だったとしても最新i padとか最新macのスペックの話とかだから内容が偏る(初級者には全然わからないのだ!)。

でもマツキヨだと、

「ああこの色いいわ〜♪」

とか

「(店員)私もこの〜〜が好きです」

「こちらもきれいですよ」

「新しいです」

「歯磨き粉ならこれがいいです」

みたいな、簡単な言葉のやり取りも多く、内容も庶民的な会話だからです。


(2)の「時間をかけすぎない」というのも大事で、
実質そんなに長い時間勉強するほど時間もないのです。
なので、この30分集中する!
とかで娘も巻き込んでアプリでゲーム感覚で単語練習したり、
仕事の合間にカフェで問題集解いたりとか、そのくらいです。
この感じでどこまでいけるかな〜
級が上になったらもっとやらないといけないだろうけど、
今のところこの感じなら続けられそうなので、もう少しこのペースでやってみます。


そんな「勉強が趣味」の私の次の視野は、

次の級の試験を6月に受けようと思ってまっす。
でもこれも記述のテストなので、こればっかりやってても実践的ではないので、
12月にスピーキングの試験があるので、そこまでには簡単なところからでいいので「発話」できるように、進んでみます。


フィジカルワールドでは「目標」をうまく使って自分にタイムリミットを与えてあげた方が先に進めることも多々あり、と思ってる現実好きの私でした。


てか、こんな独りよがりな内容、読んでくれてありがとう。




2016年4月5日火曜日



先週、上野にボッチチェリの展覧会を観に行きました。


桜満開の時期だったの上野公園はお花見の人でぎゅうぎゅうでしたね。


桜はとても綺麗でしたが、自撮り棒の多さに少し疲れました(笑)


棒にぶつかるし、通行進路を遮るし、急に止まるし(笑)


それはそれはもう、なんと言いますか、


さすが自撮ってるだけあって他は見えていないんですね。


ま、ひとつの現象、しょうがないっすね。


上野での自撮り棒使用は圧倒的にアジアの人が多かったです。


翌々日くらいに打ち合わせでマサくん(このブログのバリとかダンス系の記事読んでくださればマサくんが誰かわかりますので説明はしない)に会い、


アジア圏民自撮り棒炸裂の話をしたら、


欧米系の人も負けてないらしい。


「原宿とか行ったらわかりますよ!」


とのことで(笑)


なんでも知ってるなーーーマサくん(笑)




今週は陽子ちゃんの結婚式なので、余興の準備とかでちょっとワラワラっとしつつも、


春のせいかどこかほっこりな日々です。



少し自分の時間も多くなってきたからだと思います。



いろいろ収束させている最中ですね。今後の活動などすべて。

より、私ならでは人生を進むために。


桜が愛おしいのは、終わるからだと思います。


美しく咲いてすぐに散って、新しい緑の季節を迎えますね。


卒業しつつ、育んだ種を咲かせていく、ただそれだけのサイクルです。


人はいろんなことに執着するけど、失うときだけワーワー騒いで三日もすれば慣れます(笑)


まあそれもいいよね。人らしくて。


って思えます、最近。


ちょっとづつ心の純度を上げていけば


だんだんと自然に執着がなくなっていくことがわかると


人を急がせようとは思えなくなる。