EMIRI MOROKA -HEART MATRIX-

師岡絵美里のブログです♪


2016年4月11日月曜日

ひとつの体、ひとつの魂、




瞑想をすることの良さや重要性、というのは




年月、歳月、年を重ねていくごとに




どれだけ重要なことかということか




その理解が深くなっていきます。







そのたびに、




今まで自分が関わることを許された数々の先生方や先輩方への敬意が増します。




今も私は未熟だけど、もっと未熟だった若いころに出会った先生や先輩には、己の理解と経験の少なさから、




その優しさや、深い教えや、経験から来る洞察の数々を




まるで水道の蛇口をひねればお水が出てくるのが当たり前かのように




無邪気に飲み干していたことを思うと




もう土下座したい気分になる。







でもそれは仕方のないことでもある、というのが今はわかる。




そうやって人は、交代しながら人を育てていく。




人に対して敬意を持つことというのは、この人生の学びのメインテーマのひとつだから。




先人への感謝と、ある意味でのお詫びは




自分が今ないしは今後関わる人たちへの寛容さの中で




返していくものなのですね。







瞑想をしているとこういうことにも気づけるのがありがたいです。




若いというのはそれだけで素晴らしいことだと思うけれど、




でもそれは、人間が歳月を重ねることをネガティブに捉える理由にはならないのです。






若さと老いは、反対の意味の語ではないのです。










年をとるのは、自然だから、素晴らしいのです。




特に最近そう思います。







人は肉体が老いて朽ちることに恐れを抱くものですが、




でも、私は高齢の老人をじっと見ると、希望を感じます。




どんな人生であったかは知らないけれど、

歳月を重ね、

もうすぐその肉体を卒業する期日が刻々と近づいている。

肉体というかりそめの衣服を全て脱ぎ去るという魂の一大イベントが近づいています。

それは赤ん坊として生まれることと等しい、素晴らしい現象です。


老いることと経年することに、こちらの心を完全に開けば、肉体の中の一つの魂がそれを理解していることや、それに無関係であることも伝わってくるから。



もしも肉体が全く変化せずに、ずっと同じ肉体に同じコンデションで、際限なくそこにいなければいけないと考えると、そちらの方が恐ろしく不自由に感じます。

それがたとえ「若い」肉体であっても。不自然なのです。



生きることは

死ぬことも含めて自然だからこそ、美しい。




自然であるということは、本当に美しいことです。

























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