EMIRI MOROKA -HEART MATRIX-

師岡絵美里のブログです♪


2017年12月30日土曜日

お知らせ いろいろ ヨーガ哲学集中講座2018年版


みなさんこんにちは。師岡絵美里です。

今日はお知らせいろいろです。

2018年の講座など、いろいろ更新してます。
割引期間中のものも多くありますので、ご希望にあったものを選択してくださったら嬉しいです。

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年末年始6日間限定特別価格12月29日〜1月3日まで

ヨーガの学びは私たちの人生の支えとなります。
集中講座では精神性を高めて心の純度をあげていく最高の時間です
みなさんの意欲的なご参加をお持ちしています。
いっしょに学んでいきましょう。

この6日間は特別割引とさせていてだきます。
やる気と即決で、人生によい勢いをつけてくださいね!

コースは以下のように、ニーズに合わせた3講座を用意しています。

すべてのコースが、一般の方、指導者の方双方に有益な内容になっています。
ヨーガ愛好家の方も、指導にあたる方も、初めての方も、もっと知りたいという方も、みなさん歓迎いたします。


・必須哲学コース 
2月スタート
ヨーガの徒であるなら必ず学び続けるべきインドの基本思想を学び、ヨーガ・スートラやバガヴァッドギーターなどの聖典を学習します。ヨーガ哲学がはじめての方はまずここから。そしてヨーガ哲学の学習経験者の方の、基礎の再確認に役立ててください。


・実践理論コース 
2月スタート

チャクラシステムやパンチャコーシャ論など、ヨーガの練習に欠かせないヨーガの精神身体理論をわかりやすい解説し、実修を行うことで理解をふかめていきます。知識を携えた上でのヨーガの練習は、飛躍的に自分を向上させます。



・マニアコース 
3月スタート
これまでヨーガを学んできた方と共に、さらに学習と洞察、そして対話による理解を深めていくコースです。ヨーガの宗教性や偉大なグルの言葉から、人生哲学を見出しましょう!



各コースの日程、詳細はサイトにてご覧ください。

年末年始6日間限定特別価格 12月29日〜1月3日まで

詳細はこちら
師岡絵美里の「ヨーガ哲学集中講座」2018年
「師岡絵美里のヨガエンライトメント」オンラインコース

元旦からスタートするオンラインのヨーガ
コースです。
運動と学びをバランスよく日課として行えるプラクティスコースです。
新年をヨーガの精神で迎え、身体調整も行えましょう。

申し込みを迷っているうちに募集が終わってしまった、、、という方もぜひお申し込みください。

新しい年をヨーガでビシッと過ごしましょう!!


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【2018年1月開催期】4週間のプログラムになります。
オンライン受講と実習の期間:2018年1月1日(月)〜2月4日(日)
通常料金:4週間 70,000円 ↓ 
 最後の駆け込み価格:2017年12月31日13:00まで
 ・新規の方:45000円
 ・リピーター(*該当講座履修者):42000円   
師岡絵美里のヨガエンライトメント

『美術館でヨガ』再開催ほぼ決定✨

11月に開催し、大変ご好評をいただいた東京国立近代美術館「美術館でヨガ」。

2018年2月4日(日)に再び開催する運びとなっております。
ほぼ決定という感じなのですが、正式な発表は年明けになりますのでもうしばらくお待ちください。

<予定>
日時: 2018年2月4日(日)午前の予定 
場所:東京国立近代美術館
講師:鑑賞進行=一條彰子(東京国立近代美術館企画課主任研究員)ヨガ講師:師岡絵美里

2017年12月11日月曜日

人生への親密度と、対処療法を超えたヨーガプラクティスについて



前回の記事で、サントーシャという「満たされた心」についてを話しました。

一般的には「知足」というように訳されますが、
これって「訳」ではないなと思います。


私のサンスクリットの先生は、


「サンスクリットの辞書には、その単語の訳や意味が乗っているわけじゃないのです。概念(もとのもの)が載っているだけで、
意味や文章上での訳というのは、自分で  ”うう〜〜わからない!” とかもがいたりしながらも、見つけていかないといけないのです。」

と、よく言ってました。



泣けるね。


これって、ヨーガや、思想や哲学、宗教や信仰、そして自分自身を理解してくすべての道に共通しているなあと思います。




たまたまサントーシャ(知足)を引き合いに出してますが、

こういうのって、

言葉から入ってしまうとその「意味」を探ることに時間と思考をつかってしまうのだと思います。

意味というのは架空のリンキングみたいなもので、

実際そうなのかというのは誰にもわからない。



私の瞑想の先生が言っていた言葉で、

「ヨーガ・スートラっていうのは、そもそも瞑想体験のことが書かれているものだから、ある程度のところまで読んでわかった感じがしても、
その先は瞑想を継続してやってないと、まったくわからない書物だよね。」

と。

これにはとても同感で、時間を経れば経るほど同感です。


ヨーガ・スートラにも載っている「サントーシャ」も、体験があってこそ理解につながるもので、本にそう書いてあったからそうしよう、というような動機だけでは、入り口にも立てないほど奥深いものだと思います。

言葉の持つ輝かしさが、一時的に心を照らしてくれることもありますが、
その言葉の真意は、行動を通じて自分を変えたり、自分の行為の中で洞察していくような能動的なアクションがないと、言葉としての「知足」を超えることができないのだと思います。




例えばだけど、サントーシャのよくある解釈で


”今あるもので満たされよう”

とか。

なんか聞こえはいい(笑)ヨガしてるっぽい(笑)


でもそれってもう、そもそも、そう思った段階で

「不満はあるけど、満たされるように努力します。」

という表現だよね、と思ってしまう(笑)


”今あるのもで満足できなかったんだけど、気持ちの問題かもしれないので、「足りている」と捉えてみます、がんばります。”


みたいなね。


これってもうなんか本当に、見ていてまどろっこしく、

低めの位置での現状維持で、内心しみったれてる人のセリフみたい。

欲しいなら欲しいって言えよ!!

正直になってくれたほうが、なんかやりようもあるゼ、

と思ってしまうのす。

のす。

(↑誤字でないことのアピール)



(笑)えらい雑な言い方ですません。でもそうおもうから正直に申した。






人間というのは体験ベースで成長する生き物で、

考え方を「考え」だけでコントロールするっていうのはすごく難しく、

心を心で操作するのは、とてもむずかしい。


だから、

知足、調和、ありのまま、

とかなんでもいいのだけれど、

いい感じの言葉を「飾り」や「隠れ蓑」みたいにしないで、

泣きながらでも「自分の人生にとってどういうことなのか」という意味を知ったらいいと思う。



”言葉の真の意味”を知るということは、

生身の体験によって自分の内面からえぐり出された血液みたいに、


リアルな、


飲んだら味があり、触ったら温度のあるものなんだと思う。


本を読んでも血は出ないけど、ちょっと走ったら汗は出る。

その汗かいてる自分でしか気づけないものがあるよね。

いつもそうやって理解してきた、とりあえず私は。暑苦しいね(笑)。

でもそうでないと、人生に直結するほどの「理解」にならないのだと思うのです。


何かを失敗するまで、

コテンパンまでやりきってみたり、

欲しがって得られない体験や

得て失う経験も、

そういうことをバカみたいに繰り返しながら



やっと、やっと、


大事なものをどのくらいの力で握っていたらいいのかがわかる。

放さないけれども、血の流れ止まっちゃうほど力いれずにいられるようになる。


自分も含め人や物を「のびのび生きている状態」にしておける心のゆとりが得られるというのは、

本当に幸福なことだと思う。




よく、悟りとか言うけれど、それだって別にすごいことなわけでなく、

この世界や自分の人生に対して、

本当の親密さを感じられるようになる

ただそのことだと思います。


そう感じられるようになるには、

さっきも言ったようなトライ&エラーの数々の中で、

その中に必ずある、なにかキラっと光るもの

それに気づける心を大事に大事に育てるしかない。



意識の中の呪縛が、記憶の中の呪縛が、強烈な呪文でもって



「また失敗するよ、また失うよ、また悲しむよ、しってるよね」



と言い放ってきても、



深呼吸して、冷静に、自分に負けないでいられる心を育てること。

人間の日常には、そういった自分自身との向かい合いという、

ハイエンドはプラクティスがある。




言ってしまうと、瞑想するなんて、それほど難しいことじゃない。

自分をよく知ることのほうがよっぽど難しく、

そもそも自分の持つ怖れに向かい合うことなんて、

お金もらたってしたくないほど億劫で難儀な作業なのに、

それでも多くの人がお金払ってでも、ヨガや、セミナーや、宗教や、カウンセラーやヒーラーの元で、自分と向かい合うね。

それは、そこにしか突破口がないということに、潜在的にも気づいているからなのだろうと思います。

自分をどうにかするしかない。






ヨーガの教えがたくさん載っているヨーガ・スートラや、他にもたくさんある経典は、意識レベルによって関わり方が変わってくると思います。


初めは、処方箋のようにすがってしまうかもしれない。
ヨーガの経典を対処療法的に使っている段階ですね。
根本的な対策とは離れて、表面に表れた状況に対応して処理することにヨーガの教えを使っている段階。

でも、「そのまま飲めば、これに効く」というような薬はない。

それがたとえヨーガ・スートラのような聖なる書物でも、
ヨガそのものであっても

そうなんだ・・・、

ということがわかってくる。


経典の内容は、単なる心や意識を描写なのだとわかってくると

本当の興味はもはや経典以上に、自分自身に返ってきます。

そうなってくると本当に、

ヨーガ・スートラでもバガヴァッドギーターでもそうだけど

これ、えらいおもしろいね!!


と心からの親密度が高まってきますね。









今日の最後に。



例えば、

長いことヨガやってても心が晴れないと感じるのは、
ヨガする時間の「心地よさ」以外に、

自分の内面ととことん向かい合うという心のプラクティスをしてないからだと思う。

自分の中からなんか”変なもん”が出てきても、それを明るさで照らしていくような、
それはある種の苦痛もともなう作業なんだけど、
自分に対しては自分でやるしかないよね。

そしてこういったプラクティスの恩恵はすごいから、
信用するに値すると思います。

自分の内面の暗さやネガティヴなものにも、
明るくて楽しくて大好きな自分に対してと同じくらいの愛を向けると、
なんといっても「慈悲」がわかるようになってくる。

人って、ほんとに仕方のないもので、
慈愛や慈悲の心でしか救えない部分があることがわかると
自分の弱さも、人の弱さも、
「すぐに変わらなくていいけど、でもいい方向にいけるようにがんばろうね」

と言えるようになってくるね。


さっき言ったことをもう一度。

自分も含め、人や物を「のびのび生きている状態」にしておける心のゆとりが得られるというのは、本当に幸福なことだと思う。




~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



長くなった。
いつも本当にありがとうございます。




最後に宣伝させて✨


<新しいコースのご提案>
意識改革と生き方の向上を促すコースです。
2018年をピカピカなハートからスタートできるように、元旦からスタートします。えみり先生盆暮れなくはりきってがんばるね(笑)みんなと関われるのがとても楽しいので、三が日も精神的に営業中。
運動もあるコースなので、正月太りとか強制的にできない仕組みのコースです。
*運動強度は無理ないところに調整できますのでご安心を。



悟り意識の目覚めとライトボディへ、スピリチュアルヨーガメソッド
「師岡絵美里のヨガエンライトメント」
オンラインコース




日常生活の改善と向上

運動による体への働きかけ

感情と心のケア

ヨーガ哲学の学び


これらが主軸になってます。
詳細はサイトでじっくりどうぞ。

「師岡絵美里のヨガエンライトメント」オンラインコース
モニター&リピーター割引での申し込み受付:2017年12月19日(火)24:00まで 
https://www.heartmatrix555.com/home/online-yoga-course/%E3%83%A8%E3%82%AC%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%82%B9/








愛と感謝をもういいよと断られそうなほどにこめて💓
EMIRI


2017年12月5日火曜日

Samtoshaー完全なる喜びー


先日、ヨーガ哲学講習のバガヴァッドギーターの回で「サントーシャ(知足)」について話題にあがり、お話しました。


サントーシャは「知足」「あるがままを肯定する」というようにいくつかの表現ができるのですが、

その根底にあるエッセンスはなんでしょう。


というのも、もともと消費のための経済社会と自意識過剰な世界にいる現代人。

物と情報にあふれた世界に住む私たちには「samtosha」ということの本来の意味合いを掴むのは、なかなか難しいものなのかもしれない、と思うことがあります。

人によって解釈が変わるのは、自然なことなので、どう捉えるかは自由なんですが、

ややマニア思考の私はさ、

発想が狭〜く偏ったところでこういうキーワードを解釈してしまうと

せっかくの[全体世界観]を、いちばんおいしい状態でキャッチする面白さが、減っちゃうのね

って思うのですわ。


なので私なりに感じるところも書きます。

別にこれが「正しい」解釈だとかそういうことじゃぜんぜんないです。
「正しさ」を振りまわしてると、いつかは自分で作った檻の中の哲学者みたいになるからね。それはやめときたい。






数年前にヨガスタジオLAVAさんのご依頼で新インストラクターさんにプレゼントされる
「YAMANIYAMAカード」、その中のサントーシャです。すごく気に入ってます。






はい。



サントーシャを受け身の発想で捉える人は

「あるもので満足」というような「条件へのあきらめ」と混同したり、

「現状で満足する」と捉えて、欲求をもっちゃいけないと勘違いする。

この場合そもそも「欲求」と「希望」、
ないしは「期待」と「希望」の違いがわかっていない
という“ベース勘違い”があるのがわかります。


知足ってそういうことじゃないのだけれど、
「欲を持たないようにする我慢」みたいになってしまい、
実際は満たされていないストレスをためたりする人もいます。


または、部分的に解釈して「少ないもので暮らす」などのスタイルにこだわりすぎたり、
そういった”様式”を徹底するあまりバランスが悪くなったり。


そういうこともよく見聞きします。




私自身はこのようなサンスクリットのワードについては

まずは歴代のグルの解釈を見ることと同時に

インドとの文化や風土的な違いを考慮して、日本発想をいったんはずしたところで見てみる作業をします。これかなり大事。


そして、自分の辞書で調べて単語の一番小さいまとまりまで遡り、
場合によっては語根まで行ってみます。

そうすると言葉の持つエッセンスが見えてくるからです。




私の初代サンスクリット辞典。スチューデント用で辞書をひく練習をさせてもらい、だんだんもっと分厚くて文法知識や単語判別力がないと引けない辞書へと入るのですが、いまだにこれで引くことが多い私。
















サントーシャsamtoshaは、
sam:完全に、tosha:輝き、喜び、満ち足りた心。

日本語のカタい言葉だとよけいにわかりにくくなることって多いのですが、これもですね。

私なりに感じる[santohsa]は

自分自身が「完全なる喜び」「完全なる輝き」「完全に満たされた心でもって」

と捉えてもよさそうに思っています。


自分自身の心を「満たされた状態で」万事物事に向かってみよ、

ということなのではないかな、とね。


ある状態とかある物をさして「これで満たされておくとする」というような、どこかから与えられた満足のことではなくて。



そもそも、外界のあり様に対してサントーシャするのではなくて、

自分自身の心のあり方をサントーシャにするという、

自分の初期設定を決定するような能動的な作業だと思っています。


サントーシャ。その心をもって外界に向かおうってわけだ。


そんな感じに思ってます。






ヨーガの八支即のヤマ(勧)は、心の初期設定をいつも教えてくれる。

人生の中で、いつも同じ精神状態でいられるなんてことはないから、

「自分自身について」という意味でのヨーガは

長く地道に、間をあけずに気をつけていないといけないね。




「人の価値」なんて言葉自体がそもそもいやらしいのだけど、

もし自分の価値みたいなものを考えるのであれば

能力ではなく、心の態度の質だと思う。

サントーシャしている心をもし完全に持つことができたら・・・

と、想像してみるだけでも、すごく価値のあることだと思います。

いつも、グルたちのあの赤ちゃんみたいなピッカピカな目を思い出す。

サントーシャの体現だなあと。

EMIRI


2017年11月22日水曜日

アートマンとコーヒーミルク〜過干渉のススメ〜


こんにちは。えみりです。


きょうは。

エネルギーの「展開」と観察者についての考察。

というところから行きますが、おちがどこにいくかな〜〜(笑)。




イメージしてくださいね。




スプーンでゆっくりかき混ぜたコーヒーに

ポーションのミルクを数滴落としてみると、


ミルクはぐるぐるまわりながら

様々な模様を変化・展開していきます。




その展開のプロセスには、


 スプーンでかき回したコーヒーの速度と方向、

 ポーションのミルク数滴の落とし加減、

 コーヒー自体の温度や、その変化


そういった様々な「条件」を帯びてぐるぐると回転し



ぶつかったり、混ざったり


あらゆる可能性を持って「干渉」しあいながら、その模様を作っています。





この「模様」の見え方、デザイン、これが今現在自分が目の前に見ている「現実の」風景だとします。




それは次の瞬間にはもうそうではない

一瞬のまたたきで、


毎秒、変化することだけが定められた、ただの「動き」なんですが、

人間の意識の次元の低さが、本来は「一瞬」であり、変化してしまうその模様を、やや長いスパンで「変わらない風景」のように見ていられる「時間空間 」を生み出しています。
インド思想の言い方だと「アハンカーラ:自我」ですね。






仏教と、インドのバラモン寄りの思想の大きな違いは、


そういった現象の変化を「とらえている何者か」についての「取り扱い」です。


インドの考え方ですと、現象を観ている主体(デーヒン)である「アートマン(真我)」をかかげていますよね。

しかし仏教では、アートマンはない、とします。



これがバラモンおよびヒンズー思想と、

釈迦の解いた原始の仏教の大きな「違い」とされますね。

一般的にはそうです。

私はこの一般的な説をちょっと一回、横におくこととして

角度を変えて絵解きするような感じで観ています。







さきほどの例えで、

ぐるぐるまわるコーヒーにミルクを数滴落としたところからの「動き」。

「動き」が生み出す「干渉」で、「変化」していくと話しました。






この「干渉」なんですけど、



一般的な時間感覚は、


過去 現在 未来


という順序だと皆がおおかた信じているので


「過去のこの出来事が今のこれにつながってる」


と言いがちです。

つまり過去から「干渉」を受けている。



しかし、コーヒーカップの中という世界が、

一人の人間の一人生だとしますと、

その「干渉」は常に内部で「現在」起こり続けているのが、一目でわかります。


1:ぐるぐるミルクの中心付近で起こっていることは、

2:同時に、カップの縁にちかいところで起こっていることから、

今この瞬間、影響を受けていて、

もっというと、

上記の1と2は「双方向」的に干渉しあっています。

おしくらまんじゅうみたいなことです。



となると、普段私たちが「過去」とか「未来」と呼んでいる時間概念的な座標は、

「現在」という性質が持っているたくさんのレイヤー(層)の中の、

あるひとつのレイヤーにすぎないことがわかります。

それは ”時間的な意味合いでの未来” でも

”時間的な意味合いでの過去”でもない。








インドのヴェーダ権威的な思想ですと、

このコーヒーとミルクのぐるぐるを「ただ観ている」という自己を、

アートマンおよびブラフマン、またはサンキヤ思想などの言い方をするとプルシャ、と言います。

こういった「不変の自己」というものをヴェーダ文化(バラモン教、ヨーガ派、ヒンズー、全部含みます)はかかげますよね。


コーヒーとミルクのグルグルを観ている自己があり、

見ている自己は、ひとつのコーヒカップの「ぐるぐる」を体験しおわったら、べつのコーヒーカップに宿り、なんども「ぐるぐるを経験」をする。


これ、インドっぽい思想ね。輪廻転生スワハ。






で、


かと思うとブッダの説いた思想では、アートマンはない。となる。


どっちやん、て。



どっちだよーーゥ!!!








えっとねーーーーー(笑)


この「どっちかに決めたい」「正解を決めてくれ」という発想自体が、

試験勉強で育ってしまった日本人くさい優等生発想なので、それちょっと今は捨てよう。優等生してたらヨーガはわかんねーぜ。

いつもインストラクターさんの講習でも言ってたけど(最近やってないのでまたやるね)、

インド思想理解したいなら、その「正解」を欲しがる気持ちを捨てないと、わかんねーよガールズ♡

と言ってきたよね、みんな(笑)おぼえてる?






自論ですが、「どっちでもいい」(笑)



アートマン、ある

アートマン、ない


どっちでもいい。

個人的には、どっちの思想にも強烈に惹かれるので、どっちでもいいです(笑)。






わたしがしりたいのはーーーーーーーーーーー!



「何が起こっているか」


だよ。


そこなのです。







続きはまた書くね。



(爆)



うそうそ。とりあえず、きょうまとまるところまで書くね。




きょうのところのまとめ。




アートマンがある・なし、に関わらず



「コーヒーカップの中のミルクのぐるぐる」はありますね。


それが私たちの一人一人の人生だから。



もちろんその現象自体が「幻想」

インド宗教の言い方ではマーヤー(幻)

仏教の言い方で、「色(動き)」つうのは「空」なんだよ、ですね。
*空についての訳はあえてしないどくね。




どっちも。それァ幻想〜だと言ってる。

なのですが、

物事を体験するための自己を持っている限り、私たちはそれをリアルに体験します。


インド思想的にとらえると、ひとつのコーヒーカップのぐるぐるの回転数が終わったら、次のコーヒーカップに移ってまたぐるぐる。
カルマ背負ってぐるぐる。




仏教的な感じだと、
コーヒーとミルクの織りなす「ぐるぐる」渦巻きのいろんなポイントに座標(自己)を置くことで、
あたかも違う人生を歩んでいるように見える。

でも人類全体はひとつのコーヒーカップという「識*」を展開して、
その中でミルクは、はじめのひとつの「動き」からありとあらゆる干渉をうんで、結果が原因となり、原因がまた次の結果を生みながら、
ぐるぐるしているだけ。
その生命の躍動とも言える連続的な干渉をいろいろな「地点」で認識しているのが、個人意識。

 *識:ここでは密教的な使い方で言っています。すべてのものの存在に遍在している純粋意識とその総体、のように捉えます。








よく、「起こっていることにはみな意味がある」

などと言うけれど


ほんとにそうか?



(笑)



意味ではなく、現象としてミルクがぶつかりあっているだけでもある。

ただそのぶつかりあいは、単に一方方向から来ている波ではなくて

海流みたいに、


ものすごーーーーーーーーーーーく遠くで起こっていることの影響を


ものすごーーーーーーーーーーーーーーく離れたところで受け取っている、


実際はそういうことのほうが多いのでス。








だからさ、うまくまとめると(笑)



あの時ああだったら、いまこうなんだ、

とか

私がこうしたから、こうなったんだ

とか

あれがああだったから今こうなんだ、とかね


ある次元までは「ある」とはおもうけど、

あんまりそういうことにいろいろ言ってても

それこそそんなに意味はない

ってことだと私は思う。



次の瞬間、どっか知らんところから来た「干渉」を

波の出どころを知ることもなく体験する

とも言えてしまうほど

物事というのは広大な領域で生成されて

個人の人生に届きます。




でも大事なのはそこからで、



「次の干渉」を生成するのは、この瞬間の自分の行為。


なにをするか、

なにを思うか、


そういったエネルギーの投げかけが


遠い遠い、一生会わない、かすりもしない人々の人生に


強く影響を及ぼす「波」を送っているとしたら?



だとしたら、


いい波(干渉)を、出したいよね。


それが人情じゃんね(笑)




そういうのを、



愛の過干渉💗


と言います!!


あははははは(爆)


オアトがよろしいようで☆




ま、これは、実際にうまくやれているかどうかの話じゃない。
気持ちの問題。
だからうまい人生送れているかなんて、自己評価も、人の評も気にしなくていいと思う。


波を放つ時の、自分のその時の心持ちの問題だと思う。











こんなながーーーーいの読んでくれてありがとうございます。

もうここまで読んでくれる人って、すごい心の友だと思う。

異論反論あったとしてもね。

勝手に友情を送って干渉するね☆



ありがとう。

EMIRI






2017年11月14日火曜日

苦しみと救済についての考察


こんにちは。えみりです。
今日は、最近のわたしの考察を送ります。

最近は、インド思想と仏教思想の違いに影響&反発があったところを見つけ、そこから「相違」と片付けられがちな両者の理論の違いの中に
そんなことはないんじゃないか、もしかしたら、
私たちの意識レベルが低いだけで、その本当の意味(同じことを言っている)がわかっていないだけなんじゃないか、
というところを、常に考えながら、自分の体験する物事を見ることで検証中です。変態だね、私。






ブッダの言葉に、


  自分の救済者は自分自身である。

  他の誰が救ってくれようか


  自分を正しく制御してはじめて


  人は得難い救済者を手に入れるのだ


  (真理のことば160)






ってあります。


仏教思想をみていると、物事の因果関係は、

けして過去と現在だけはなく、

未来からくる因果のようなものを感じます。

(縁起についてはまた書きます。)




この先大丈夫になっていくように、成長できるように

今このくらいのこと、超えとけ、、、

みたいな玉を坂の上のほうから転がされる(笑)。

玉を投げてくるのは、未来の自分。

そんなインディージョーンズみたいな時間劇。




ブッダはわたしたちに

人の心が持つ特性、


「”苦しみ”を苦しむ」という執着について


よくよく考えてみよ、と言います。





この世界が無常だということが本当の意味でわかっていれば、

”苦しみ”に苦しむことはないのだとブッダは言います。




もしも本当に「無常」を理解していれば



「希望」を持つこととセットで「落胆」も同じカゴの中に入れてしまうことはない。



ある日急に、希望が損なわれた時、

カゴの中に残っている「落胆」のほうに目がいくのは、人情的にしかたのないことなのだけど、


そもそも無常を知っていれば

わざわざカゴの中に「落胆とセットの希望(つまり二元性の苦しみ)」を入れなくても、

物事の「そのまま」を希望とすることが可能なのだろうと思います。







私は、自分で作ったヨガ哲学の集中トレーニングのテキスト中に、

「カルマヨーガ」についての見解と補足を書いておりました。

以下、自分で書いたこと。



「カルマヨーガ」は無償の奉仕・善行とも言われますし、

行いのすべてを神に捧げることとも言われますが、

 ”何かよいこと”をやったので、”何か良いこと”が返ってくる

という ”期待” の中で行われるものではなく、

その瞬間の行為そのものが

それを行なっている矢先からすでに、ポジティヴなフィードバックとなっている状態のこと。


活動の中で目的を持ったり成果をあげていくことは、今まで通り続けていくけれど、

しかし自分自身が受け取る最大のギフトは、

今この瞬間の”行い”そのものである

それを見出していくのがカルマヨーガです。






と私は書きました。


・・・・われながら解釈力に泣けるんだけど(笑)

しかしもはや、自分に刺さってくる真理の逆輸入。

人生っていろいろだ。

いろいろ痛感・・・。








ブッダの言葉からの考察。


「苦しみを苦しんでしまう」ことから脱するには

私たちの意識がもっと洗練されなければ逃れることができない、と。



ブッダは

もっとも深いレベルでの苦しみに、よくよく関心をよせてみよ、言ます。

最終的には「偏在することへの苦しみ」についてを追求することであり、

それは、

私たちが先天的に持つ「本質に対する無知さ」を理解すること、
と説きます。

サマーディ(三昧)に深く入った状態であったとしても、

その集中から現実の世界に戻ったとき、まだ自己への愛着は残るのだから、と。

その自己への愛着は、いずれ対象を求め、外界への執着につながっていくから。







もう一回ブッダの言葉に戻ってみます。




自分の救済者は自分自身である。

他の誰が救ってくれようか


自分を正しく制御してはじめて


人は得難い救済者を手に入れるのだ






最後の一文、「得難い救済者」。


ブッダのオリジナルな教えではこの救済は「智慧:プラジュニャー」という「本当の知識(理解)」なのだと思います。

それと同時に、インドの文化的発想にだいぶ浸った私には、
これは「グル(師)」のことのような気もします。
現実的には誰か手を差し伸べてくれる人がいることも多い。
導きを与えてくれる人。





何かひとつを乗り越えようと、

自分自身に飽き飽きするほどの関心と、心からの質問を持った時、

とりあえず、、、私の人生では毎回、

「先生」と呼べる救済の存在が現れます。



娘が今よりももっともっと小さかったころ、私は自分の人生を支えて保護してくれる基本的な思想として、それまでも知っていたヨーガが、本当の意味で機能しはじめました。

同時に、サンスクリットの先生や、瞑想の師匠と呼べる先生に会えました。

その先生たちの教えは、当時の私を救ったこともまた確かではあるけれど、今現在の私にこそ機能しているようにも感じます。







探求中の事柄なのでここでうまくまとめられないのですが、

むりやりまとめる。




人生の中で起こる辛辣な経験すら、この世に対する自分自身の”機能性”を高めるための「耐久テスト」なのかもしれないね。。。

もしそうだとすると、もともと耐久力や強さを考慮した物体にしかそんな「耐久テスト」は与えられないのだから、自分ってけっこう頑丈に造られてる仕様なんだな、と。
(うぇ〜〜、すごく自虐的前向き発言!!)


こんくらい腹パンチくらっても、

このくらい派手にかっこ悪く転んで炎上しても

あ、、、生きてるね、


みたいな(笑)


いや、そうそう頻繁だとヤダけどね、きついやつは(笑)


でも、時としてさ、

いろいろあるのが人生で

未来の自分が放り投げてきた巨大な球を全身で受け止めて

「大丈夫な自分」をがんばって更新していくことが必要な時もあるのだな、と思った。






深呼吸。

起き上がれば青空。

受け入れて行こう、全部。

「苦しみを苦しむ」は、ブッダもオススメしてないからちょっとやめといて、

そのままを受け入れて、それをどう思い直すことができるかが、

自分との勝負だと思うから。




最後まで読んでくださりありがとうございます。

EMIRI

2017年10月31日火曜日

迷うこと。なかなか決められない、について。


ここ何回かの、


個人セッションのクライアントさんたちとのお話を通じて、思ったこと書きます。




迷うこと。なかなか決められない、について。


多くの人は、「条件」で迷いますね。

家電の買い物などと同じ感覚で、自分の心の状態を決めようとしてしまう。

本当は「心」についてのことなのに、その方向を選んだときの条件、スペックやパフォーマスなどで

「どっちがいいかな」となってしまう。

「条件の選択」に迷っている。



選択肢が多いことって、

それ自体は一概に幸せとか、
豊かさだとか、
言い切れない。

いろんな選択肢があったとしても、

迷うことに費やしてしまう心。


そんな「バリエーション」をすっ飛ばした、


「私はこれなんだ」

「ここは譲れないの」


という ”条件を超えた個人的決定” ができること、


私には、そういうものを持っていることが幸福を感じられます。


もちろんその中にも流動生とか、フレキシブルな幅はあるけれど

基本の選択は変わらない

そういうものを見つけているというのは、


ある種「無駄」がないという良さがあるのと同時に

心の安定があります。


迷うことも勉強のひとつ、というときもあるかもしれないけれど、

迷って迷って、あげくのはてに決めない

とか、

迷って決めて、その選択に自信なくて不安定、とか


選択の良し悪しの基準を外部に求めてしまい

肝心な心が決まっていないなら

何を選択してもそれほど違いがなく、迷いの道の上のまま。






心が決まっていれば

何を選択しても「その道」のうえにいる。




私は、「選択」そのものに未来の決定権があるわけではないと思っています。


自分の道、自分自身のあり方の基本姿勢に、心が決まっているか



だと思っています。

その上での選択。





迷うことがあったら、まず自分の心を見て、

「何に生きたいか」という自分の根源的な、

存在としての「ニーズ」をしっかり意識して

そしてそこに意識を集中。


そうすると、心が決まります。



こういう作業を、最初は迷いの中で訓練が必要かもしれないけれど、

でもだんだんその作業をしなくても

心は決まってる

という自分に安定してきます。




私は、「愛」ですね。愛に生きたい。

そうするとたくさんある選択肢の中から

光る一個が感じとれたりします。

これだろう!

と。



これは、瞑想の中でも同じなのです。

たくさんあるマインド、

空に流れる無数の雲みたいにおびただしく浮かんでは消えてゆくたくさんの思考の中から、

これだ、とよりすぐりのものにすぐフォーカスが決まる。



なにに集中すべきか。


まず日常から、自分の心を大事にしよう


と思います。



 



ありがとうございます!
よい日々を❤

2017年10月26日木曜日

美術館でヨガ。


これ、すっごい楽しみなのです私。

先々週、

こちらの企画のために会場である東京国立近代美術館に下見&打ち合わせにいってきました。

その日は休館日だったため、館内の作品を、

その道のプロであるキュレーターさん独り占めで見学させてもらいました!

楽しかった!


企画内容もすごく興味深くアカデミックかつ洞察的なものなのですが、それを行う「場」の素晴らしさにため息が出ます。

じっくり時間をかけて作品を見れるって、贅沢で豊かな時間です。

東京国立近代美術館秘蔵の作品群に囲まれる、それだけでももう開きますね。


当日は、いわゆる通常の「ヨガレッスン」のようなスタイルではなく、

美術作品を感じることを基礎に、

そこから自分自身の内面と絵画の作品世界の深い部分をつなげる架け橋として、

ヨガの呼吸や瞑想、身体的なポーズをいくつかとります。



今回2つの作品を取り上げて洞察のヨガをします。

ひとつめの作品では、座って行える静かなアーサナ(ポーズ)と、

作品から読み取れる世界観とシンクロするような呼吸法と瞑想をしようと思います。

どんな作品かは、当日まで内緒にしときますね。


ふたつめの作品は、東山魁夷の「道」です。

こちらもまた、作品が誘ってくれる「道」へと続くようなアーサナをとり、瞑想をしようと思います。



とても静かな時間が過ごせると思います。



こちらの企画はご予約はいらず、当日来ていただく運びとなります。
企画の趣旨や注意事項、持ち物などをご確認のうえ、いらしてください。


<美術館でヨガ>

東京国立近代美術館にて、東山魁夷 の「道」など、素晴らしい作品を鑑賞としてキュレーターの先生と作品について対話したのちに、その美術作品の前でヨガをします。





日時: 11月4日(土)17:30-19:00 
場所:東京国立近代美術館
講師:鑑賞進行=一條彰子(東京国立近代美術館企画課主任研究員)
  ヨガ講師:師岡絵美里


ご案内はこちらのページになります。

2017年9月25日月曜日

命のサイクル思う日々


みなさんこんにちは!師岡絵美里です。

だんだん秋になってきましたね。


いかがお過ごしですか。
わたしは〜そうですね、

けっこういろいろあった日々でした。

人が生まれたり、

逝ってしまったり、

がこの一ヶ月くらいでおびただしく、
その中で、自分が生かされていること、

生きていることを強く強く感じなおした日々でした。

たしかに喜びや悲しみというような感情の動きもありましたが、

それ以上に、
生命のサイクルに心を馳せることが多い日々でした。

いろんな感情があったのは確かなのですが、
そういう時もバガヴァッドギーターの言葉が、
ハッとするほどいろいろな場面で足元を固めてくれるような、そんなことが多かったです。

「心の平安、温和、沈黙、自己抑制、心の清浄。
以上は、心的な苦行と言われる。」
(ギーター17章16節)
心を平和に保つこと、穏やかに生きることそのものが「行」であることを感じながら日々を過ごしています。

刺激的でなくても、変化がゆるやかでも、

その中にきらめく光を見つけていける自分自身の静寂。

静寂とは、霊的な刺激そのものです。





うちの窓辺のサラスバティちゃん。


2017年8月30日水曜日

タイにいってたよ〜

こんにちは!師岡絵美里です。


タイに行っていました!!

2019年3月にタイ
にてヨーガ講師仲間たちを集結させた大きなヨーガイベントをします!!
wowですよ!


今回はその会場下見と打ち合わせのためにタイ、チェンマイからパイというところまで行きました!

ヨーガ、音楽、自然、これらが調和したヨーガフェスティバルです。

詳細が出ましたらみなさまにもお知らせいたしますので楽しみにしていてくださいね。


今回タイに行った目的がそれだったのですが、
3日ほど純粋な休暇も取れました。

チェンマイ在住の親友でありヨーガ講師の長谷川陽子、MASAくん、羽生田早穂ちゃんとともに過ごし、仏教寺院の街チェンマイを観光したり美味しいものを食べて大変楽しかったです!









パイにて。











タイにて、ヨーコの子と。



ありがとうございます。

師岡絵美里

2017年8月14日月曜日

押せば開く、螺旋でできた私たちの心と体



4月から実施している「女性のための愛のメディカルヨーガ」なんですが、
一度に少人数しか受け付けることしかできないのですが、それでもこの5ヶ月で80人ほどの女性が参加してくださいました。
(事務的なことを担当してくれている女性スタッフも含めるます。)


だいたいオンラインのコースを10人くらいで行ってますが、その時々集まってくださる方々に「共通した傾向」みたいものがあって、

初期(といっても4,5月)の頃は、
子宮筋腫や月経トラブルが多いという方が多かったです。

次の傾向が、産後の方、そして妊娠したい方。

実際に今日現在3人の方が妊娠されてコース受講をおめでたで終えました。
まだまだ希望して参加してくださってる方がいるので、(そこだけにフォーカスしてるわけではないですが)、子供が授かるという、ひとつの宇宙の和音に、何かよい響きを奏でられたらと思います。


そして次の動きが「病気」です。

癌の方もいます。
すでに摘出などの処置をされた方、
経過、症状を見守っている方、
受け入れて生きている方、
状態がよくない方。
様々です。



”えみりさん。地に足つけていこうね。”


このコースではオメデタなどの喜ばしいギフトもたくさんあるけれど、
人間の生の中にある「ぜんぶ」を平等の心でみることが一番大事だよ。

ヨーガとは平等の境地。

バガヴァットギーターだからね。

と、毎日思ってます。



何年も前ですが、すごくすごく大好きなヨーガの先生が、癌でなくなって以来、がん細胞というものと「心」の関係をちょくちょく考えるようになりました。どうしたらいいか、とかではなくてその「原理」に遡れたら。

この話をすると、「ヨガしてても、ヨガの先生でもガンになっちゃうの?」と思う人も多いかもしれないですね。
ヨーガ=「健康そう」なイメージだと思います。


でも現代人のあり方として

ヨーガがすなわち「無病」かというと、

そこまでシンプルに還元できていないのが実際だと思います。

みんな山の中で草を煎じて瞑想してられるわけじゃなく、社会生活があるから。


そして私たちには人それぞれに抱えているもの、「カルマ」があるのです。

ヨーガというのは、障害や試練を払ってくれる時もあれば、

引き受ける強さをくれるものでもあります。



いずれにせよ、私ができることは関わる方の条件を問わず基本は同じで、「とにかく自分に深く関わってみることと毎日勧め続ける」
ということです。


エネルギーというのは螺旋です。

心も体もそれは同じ構造です。

螺旋というのは「押せば開く」という特徴を持ちます。

チャクラ理論なんかはその最たるものです。

なのでもう一回、自分自身の体、人生、心に触れて、

螺旋の中心を押してみます。

そうすると開くなにかがあります。





5週間のコースを地道に実施してくださり、

自分自身の体と関わってみると、

レタスとかキャベツの葉をゆーーっくりめくっていくような速度ではありますが、

それでもやはり変わっていきます。

じっくりいきましょう。


「健康」というものの概念を、「自分の生活」という

建物でいったら床みたいな基盤にもう一度しっかり置いて、


考えてみましょう。



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オンラインヨガ講座
「女性のための愛のメディカルヨーガ」
9月期いったん締め切りましたが追加グループで再募集しています。
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オンライン受講と実習の期間:2017年9月3日(日)〜10月8日(日)
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2017年8月11日金曜日

制限と限界をこえて〜夏の日のマントラ考察〜





夏の雨。


静かで好きです。


夏なので、スイカの絵、おくります。

ムルテュンジャヤマントラという有名なマントラに触発されて、

何年か前に絵を描きました。


とても大事にしている絵です。







自分を制限する意識を、越えていけるといいですよね。






自分を制限する思い、それは「怖れ」に代表されるんですが、






怖れは「欲」からきてることがほとんど。






こうなってほしい=こうなってほしくない






好・悪を、それぞれラーガ・ドヴェーシャと言いますが、






ラーガ(好む、執着する)にはドヴェーシャ(憎む、嫌う)が伴います。






「これがいい」のうらには「これはいやだ」が表裏一体。





〜提案〜


小さな恐れを解放するために、いかのことを意識して過ごすといいと思います。


ひとつひとつ単体でもみてもらってもいいですし、

「↓」のような時系列的にでもいいです。


(1)「人がどう思うか」を自分の行動基準にしない



(2)まず自分はどうしたいかを感じ取ってみて、そして一緒にいる人(関わっている人)はどうしたいかを両方大事にする



(3)その際に相手のニーズと自分のニーズがうまく合わない時は「理屈」ではなく「自分の気持ち」をちゃんと話す。




(4)何か行為するさいに、言い訳する余地を自分に与えないで動く。




(5)何事も、「何か」「誰か」のせいにしない



(6)ありのままを直視して、原因を探るよりもそれを解放(解決)することに心を開く





(7)他人の持つ恐怖意識に巻き込まれない





<Maha Mrityunjaya Mantra>

oṁ tryambakaṁ yajāmahe sugandhiṁ puṣṭi-vardhanam ǀ urvārukam-iva bandhanān mṛtyormukṣīya māmṛtāt ǁ

Om

豊かさをもたらす力の象徴である三つの目を持つシヴァよ

その高貴な香りを放つ者(シヴァ)に、

私たちは自らを開け放ち祈る

どうか私たちが死に象徴される限界や怖れから解き放たれますように

スイカが、実が熟したら自分自身を束縛していた蔦から自ら離れゆくよう

私たちが成熟を極めた時には自然に、怖れという限界から自らを解き放つことができますように




EMIRI



*イラストの無断使用はご自身の良心でご遠慮いただけたら嬉しいです。
個人的にダウンロードして見て楽しんでもらったりスマホ待ち受けとかはぜんぜんいいです。それ以外に、何かに「利用」したい方はお気軽にご連絡くださいね。



2017年8月3日木曜日

盆オドッテ ♪ エンジョイサマー・「女性のための愛のメディカルヨーガ」9月期割引そろそろだよ



夏祭りいっぱいで楽しい。



先日も、住んでいる街の盆踊り大会があり、娘と参加。



盆踊りってかなり、日本人の体と心を浄化させますね。

そもそも「盆」を踊るわけですから、浄化だなあとなっとく。




この時期の日本の風土は、霊との交流がさかんになります。

盆踊りの

「古い気を払う」ような動きや、

「新しい気を受け入れる」ような動きは、

動き自体が霊的なコミュニケーションに感じます。






すんごいうまい熟練のご婦人とかいて感動。

エンジョイ盆踊り。







さて。


「女性としての自分を大事にする」



ってどんなことだろう。





ということを具体的に言うと、





私の場合は「リラックスして生きること」です。





ほぼこれに尽きますね。







リラックスは強さでり優しさでもあるし、



リラックスは健康を作ります。



セクシーさとは、男でも女でもつまりリラックスしている状態。



リラックスは、「脱力」じゃないです。



リラックスは、よりよくエネルギーが調和している状態なので、



だから活発である時もリラックスの原理が働いているし、情熱的である時もまたそうなのです。



でも、強引さではないのです。





自分以外の人にも感じます。



リラックスしている女の人は、かわいくて美しいです。



私はそう感じております。



なので、自分のまわりに女の子がいると、リラックスさせたくなってしまうの(笑)



〜せんでん〜

愛をもって開催中
「女性のための愛のメディカルヨーガ」
9月期も募集しています。本日まで早期早割です。
席も埋まってきましたのでおはやめにどうぞ!
【2017年9月開催期】

2017年7月24日月曜日

生も死も等しくあること。



こんにちは。師岡絵美里です。

とっても暑いですがみなさんお元気ですか?

スイカばっかりたべてる絵美里です。

写真は、毎週木曜に通ってるバレエクラスの後の写真です。
古典を学ぶと、自分の本業の踊りに芯ができるのがありがたくて、通っています。
踊りって本当にいいよ!!!







さて!!!

先週と今週にとても嬉しいことがありました。


現在わたしがご提供している「女性のための愛のメディカルヨーガ」ですが・・・・


ご受講中の方が・・・・♡

2名、ご懐妊♡♡♡♡♡♡


(ご懐妊以外にも、、、彼氏できました系の報告多いです!!!ひゃ〜〜〜♡)

興奮しないで書くのに、自分を抑えたんですよ(笑)。
すぐ書くときゃーきゃーしちゃいそうだから。時差あり。






このコースは妊娠のために特化したコースかというとそういうわけではないのですが、



基本的に「心身ともに健康になろう」がテーマなので、


精神のゆとりと体の健康面がアップすると、


妊娠もしやすくなるのだろうなあと感じます。


ってゆうかこんなふうに「わかったような口調」で書いてるけど、

私すっごいもう、抑えてて、嬉しいですほんと(笑)

参加者さんから妊娠の報告のメールがきた時の私と言ったら(笑)

ピンク黄色い声でハートマーク付きの叫びですよもう。


妊娠されたどちらの方もコースの途中で判明されて、その段階でいっかい運動はストップしていただいてアドバイスを切り替えています。


まず自分を大事にして、そうすると自然とまわりへの愛情が溢れてくるから。


ほんとの基本的にはただそれだけなのです。


「愛情」、

それを「運動」という分野に「変換」しただけなんです。


ヨーガで大事にしている、「自己理解」と「精神の自由」を

まず肉体としっかり関わることでスタートさせていく、という基本的なステップを踏んでいるまでです。







私にとって「健康な状態」の定義には、


自分を理解することと

自分を大事に、愛すること


が基本としてあります。


これはナルシスト的な愛ではないし、自己保存欲求とも違います。


自分自身への「健全な」関わり方のお話です。


そこをしっかり土台作れば、それぞれの人生で輝いていけるのです。


人を愛する基盤もそこだと思うのんです。



自分のことを好きじゃないと、

自分を大事にできないと、

自分を愛せないと、


どうしても人に愛情を求めて、

与えてもらえないと良好な気分を保てなくなってしまいます。

人をコントロールしようとしてしまいます。


「欲しい欲しい」だけになってしまうんですね。


それはある種の病気で。


この病気にかかると、魂と愛のステージがあがっていかないのです。




だから、まず自分を好きになってもらうというところからのスタートです。


声を大にして言いたいのは、

何歳でも、どんな状態からでも、

そのスタートはできるのです。










そして私が個人的に保っていないといけないスタンスについても、

じゅうじゅう、考えて、そして気を引き締めています。


冒頭で、"妊娠"への喜びについて書きました。


もちろんそれはすっごい嬉しい。



でも、「命」というものをフラットに観ることがヨーガです。


ここはとてもとてもとても大事なところ。




命のすべてのプロセスに敬意と、

歓喜と、

冴えた目を向けていかいといけないことに。

ヴィヴェーカですね。





とどのつまりは「死」に向かっていく私たちの人生。



そこに、はっきり開かれた目を向けていくことが「ヨーガの道」だと私は思ってます。


限りある肉体の人生の中で、

あらゆる次元に対しての理解と尊厳を学ぶために私たち生まれてきています。


だから人生は、

体に起こることも

心に起こることも


すべて「平等」に観る練習です。

バガヴァッドギーターの考え方ですね。



老化に対しても

病気に対しても、

肉体の死へ向かって私たちが体験するすべての営みに対しても

等しく敬意を示します。





みなさんほんとにありがとう。いつもいつも学ばせてくれて。




感謝しかないです。

絵美里












********

オンラインヨーガ講座「女性のための愛のメディカルヨーガ」

女性のための愛のメディカルヨーガ
8月期最終の残席、お申し込みが26日(水)までとなってます。
おはやめに!!!
9月期募集スタートしました。たぶんすぐ埋まってしまうのでお早めに。


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オンライン受講と実習の期間:2017年7月30日(土)〜9月3日(日)

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【2017年9月開催期】募集中


5週間のプログラムになります。

オンライン受講と実習の期間:2017年9月3日(日)〜10月8日(日)

5週間 68000円のとこと早期特別価格40000円: 早期割引期間7月31日(水)まで





2017年7月14日金曜日

愛情の器


こんにちは。EMIRIです。

今開催している「女性のための愛のメディカルヨーガ」では、日々実施するヨーガや瞑想のコンテンツだけではなく、毎日私から体と心についてのメールが届きます。

その中のひとつをおすそわけします。

「自分」を学ぶところを一通り通ったのちに、

「他者」とともに生きるということをテーマに送る最終週の内容です。



****************

〜愛情の器〜


私たちはみな自分の内面に「愛情の器」を持っています。






愛情の器が、自分自身の持っている愛情でいっぱいであればあるほど、






人を受け入れたり、見返りを求めない関係をつくることができます。





この愛情の器に満ちている「愛」は、




生まれた時というのはすでに自分で持参してこの世界に生まれます。






そして、満ちた状態で生まれてくるので愛が溢れています。





そこからだんだん大きくなる過程で、この世界を生きていくために様々なことを体験し、






幼いながらも悲しみや孤独を感じたりします。




そういった子供時代に




親や周囲の人にたくさん優しさやスキンシップ





信頼や応援






尊厳や保護といったような






愛を基本とする感情や態度を注いでもらえると






愛情の器はまた満ちた状態に戻り、そして一人立ちしていくことができます。








しかしこういう条件がバランスよく整って育てるということ少なく






それは、親や周囲の大人たち自身の「愛情の器」がいっぱいじゃないことが多いので、






小さい子供達に限りなく注ぐげないケースであったり






できるときとできない時があったり






まったく与えない人もいたりと






環境(人)に左右されてします。










もちろんもともとの性格で、どんな環境で育とうが愛に満ち溢れた「与える」タイプの人も存在はしますが、全員ではないです。









そんな感覚で育った子供は、大人になった時に人に愛情を惜しみなく与えるというモデルケースを見ていなかったり、自分の器にはほんのちょっとしか愛情が持っていなかったりします。







そうなると人は、






A「誰かからもらおう」「くれる人を探そう」






という感性で生きるか、




もしくは




B「自分がこれだけあげたら、これだけ返してくれないとだめなの」






という損得勘定やかけひきをします。







どちらのタイプも多いですよね。











愛情とは本来、ただ与えるだけのものでいいのですが



自分自身の状態によってその扱い方のレベルが下がってしまいます。





上記に書いたAは、「欠乏」を動機とし、「依存」をベースとした関係を作ろうとします。






Bは、「より多く得る(持つ)ために」というエゴを動機とし、



競争やかけひき、「猜疑心」をベースとした関係を作ります。










世の中的にはAもBも限りなく存在します。


ドラマや小説もこのレベルで描かれたものが多いし、人はこの手の話が好きです。



自分がそうであるとなおさら興味を惹かれるんですよね。







しかし、AもBもどちらも「本当の幸福」を体験することは絶対にない意識レベルです。





Aは、



「自分は愛情を与えられなかった被害者であり弱者なんだ」という意識が無意識にあります。





Bは、



「たくさん取らないと(勝ち取らないと)足りなくなる」、という損得と競争意識で生きています。






このレベルにいる場合、相手もこのレベルの人になります。




同じレベル同士が引き付け合う、というだけではなく、



Aの人もBの人も、相手の本当にいいところが目に入らず、被害者発想と損得発想というフィルターで相手を見るので、すばらしい人が目の前にいてもまったくわからないのです。


そうして付き合っている人や関係のある人をジャッジします。





また、相手がエネルギーレベル(意識レベル)の定まっていない不安定な人ですと、


AやBの同じレベルに相手を引っ張って、同レベルにしてしまいます。






先ほどの言いましたが、この状態で本当の幸福」を体験することは絶対にない意識レベルです。






私は、普段は「絶対」と言い切らないようにしてます。


世の中には私の知らないこともたくさんあるし、予想外のこともあるから。



でも、上記のことはある種「人のあり方の原理」のようなもの。


法則のようなもの。









人が、他者と共に幸福でありたいのなら、




しなければいけないことはまず一つだけで、




自分の愛情の器を、自分で満たすことです。





誰かに満たしてもらおうとしている限り、限りない不幸です。




誰かに満たしてもらおうとしている限り、誰かと「満たし合える関係」は作れないのです。




これも断言できます。




まず、自分の愛情の器を自分自身で満たすこと。














じゃあ、その方法は?




それは、考え方の転換です。




上記に書いたようなことをまず知って、意識して、






もし誰かからの態度や行為などで自分を満足させようとしている自分を発見したら、










それは違うんだよ










と自分に教えること。










これを地道に繰り返して、考え方と発想を変えていきます。




すごく、一歩一歩な道です。


一足飛び的なメソッドはないです。



自分の意識なんだから、自分で意識していかなとなんです。


今日、愛情の器に自分の愛が満ちていることを想像してみてください。




その感覚を生きてみてください。






読んでくれてありがとう♡
EMIRI


****************
【女性のための愛のメディカルヨーガ】

2017年8月開催:オンライン受講&実習期間(5週間)
2017年7月30日(土)〜9月3日(日)
詳細&お申し込み
https://www.heartmatrix555.com/home/online-yoga-course/女性のための愛のメディカルヨーガ/

****************


2017年7月2日日曜日

途中更新してたけど、最後まで書いたよ♪ヨーガ、女性的な道のり



オンラインの講座。いろいろやってまして。


女性のための愛のメディカルヨーガ、

ヨーガアセンディングコース、

現在リニュアル版で「みんなのヨーガ・スートラ」編纂してます。




いろいろコースをやってて、


健康

メンタル

古典

と、表面上「資質」が別れるように見えるかもしれないですが、


ぜんぶ基本は同じところにあります。


ヨーガはさ、

基本的に解脱だよ(笑)




違う言葉でいうと


「理解」


ですね。




その行程でですね、


女性的な道のり





男性的な道のり


があるんです。




ちょっと、続きはまた書く。


また書くから、そうだな、明日くらいももう一回この記事のぞいてみてください(笑)




ーーーーー


ってここまで書いて、翌日は書けなかった(笑)





結局はさ、ハタヨーガの本当にプリミティヴな伝統的行法って、


男性の構築した(解脱への)行き方


なんだよね。


その昔は秘技だったし、女性には伝えられなかったし。

だから女の肉体であれをとことんやると

どっか頭打ちに合うんです。

頭打ちというか、「体打ち」とでも言うのかな、

そんな言葉ないと思うけど。

生理的肉体の作用を使って解脱に行こうとする時に、

どうしても女の人の体に、肉体的にマッチしていないところがあると思うのです。

もちろん悟りとか解脱とか言わないで、健やかな健康のためだけだったら男女とわずそこまでやる必要ないんですが、


ハタヨガプラディーピカー的に伝統的なハタヨーガで精神を上昇させるには、

基本的に、男性的な精神集中が必要なんです。

女性的な精神集中の持っていき方は、おそらくそんなに機能しないんです。


まず、スタートの段階で「感情」おさまってないといけない。


でもね

「女性×感情」って

「男性×感情」のそれとは

まーーーーーーーーーーったく違うコンビネーションと機能性で動くものです。



そこ理解しないで女性に古典ヨーガを教えてしまうと、

卓上の空論とまでは言わないけれど


つまり「機能性」に欠けるんです。



それは自分が女だからわかることで、

女の体でここまでヨーガをやってきて、やっとわかってきたこと。

わたしだって時間かかったの。


だから、その辺りの女の体と心の機能性を理解したうえで女性にヨーガを教えていくということをやってます。

やってるの!

けっこうはりきってがんばってるの!(笑)

もちろん楽しくね。




例えばヨーガ・スートラの内容とか、

バガヴァッド・ギーターの内容とかをさ、

女性に対して、

「これこれこういうもんなです、ヨーガの考え方って」

内容を紹介・解説するだけで、

「おっけーわかりました!それでいきます!」

って機能するわけじゃない。

女性の理解や応用性が弱いというわけじゃないです。

むしろ高いし柔軟です。


でも、

女の人に大事なのは、


時間をかけて関わって、

肌身で関わって、

その波形に寄り添うこと


だと思ってます。



ヨーガの教えを知っていたって落ち込むことはあるし、

ヨーガの教えを知っていたってうまく扱えない感情があったりします。

そういう心の波形を理解することで。

理解と、小さい一歩。

そこをちゃんと見れば、ちょっとづつだけど進んでいきます。



そんな感じの、他人には見えないほどの小さい一歩を

どれだけ応援できるかが

ヨーガを教えてる人の本当の資質なんじゃないかって思うの。

これすごい大事なところで、

例えば、ヨーガを学びつつも心の悩みを解消できていないことに対して、

「ヨガできてない」

とジャッジするのは、

本当に乱暴。

それはジャッジする側の粗大な暴力だよね。

ヒンサーだよね。

ヨーガ教師やヨーガを知ってる人の、ナンセンスな独特の奢り。

ヨガナンダグルの言葉を借りると「物質界を無視する霊的利己主義者」。

感情とその波形を無視すると、どこにも行けないの!本当に。






わたしはただ理解したいの。

自分と同じように、心を持っていくている人たち、

それが男性でも女性でも。

ヨーガを「教えている」というのは言葉上の言い方なだけで、

みんなと一緒に生きている、

ただそれだけだし、そここそがしたいことなの。




いろいろ書いたけれど、

もともと何が言いいいたかったというとね、

ヨーガの目的を、聖典および伝統通りに言うと

「解脱」とか「心の作用の止滅」とか言うけれど、

生身の人生を生きているわたしたちにとってのリアリティ、

そして言葉のかもしだす「もっともらしさ」を取り払って言うと、


ヨーガの目的って、

「本当の意味で自分を理解すること」

だと思うんです。

ここがないと、ただの利己的修行者。

おしつけ。

頭でっかち。

乱暴。

本当に乱暴になるの。

聖典ふるまわす自己満足者になっちゃうの。




そういう意味合いで、肉体も含めてこの次元でのヨーガの目的を成就させるとき、


そこには

女性的な道のり



男性的な道のり

が必ずあると思ってますわたし。


感情を無視したらだめだよね。

体調とか体質とか、

日常の出来事を無視しちゃだめだし、

「こうでないといけない」

みたいな行き方(生き方)は、女の人は取らないほうがいい。

(ほんとは男性もそうなんだけど、男性のことは男性に任せた!(笑)今のところまかせた!)

なんかで落ち込んでもおっけーだし、

アップダウンしてもオッケー。

でも「本当のわたしってこういう感じ」

というのが、自分を構成する各次元(コーシャ)で理解されていくと、

だんだんそのアップダウンの波は、小さめに穏やかになってくから。

だからまず「見てみる」ところからはじめよう、

って女たちには言ってる。


すぐ変わんなくてもいいから、って。


ヨーガしながら恋愛でボロボロになってもいいし(立ち直りかたがある!)、


ヨーガしながらセックスレスに悩んだっていいし(解決策がある!)、


ヨーガしながら何かを強く渇望すつ気持ちを持ってもいいから、


それじたいも受け入れてみると、


自分がわかるんだよね。



自分がわかると、


いきなり解脱門、見えてくる(爆)


ね。







わたしのクラス。

最近「カップル率」が高いです。

男女のペア。


仰向けのポーズの時、手が触れ合っていたりする。

しっかり握るわけじゃなく、

小指どうしがちょっと触れ合っていたり。そこがまた親密さを感じる(笑)。


そうだなあ、6年くらい前のわたしだったら


「何しに来てんだよ!! デートじゃねんだよヨガレッスンは!」


と思ってたかも(笑)


3年くらい前のわたしなら、

「まあ、それでもかまわないけど、レッスンの時くらい自分に集中したら?」

と思ってたかも。



今はね・・・



「いいんじゃない(笑)そのまま楽しく帰ってね♡」



と思ってるよ♪(爆)


今現在そういうわたしの心のスタンスだからこそ、

そういう人が集まってくるのかもしれない(笑)

もちろんカップルで来て、お互い離れたところに場所をとって

集中して帰ってくひともいるし、

隣どうしでやりながらもすごく真剣に集中して、自分の内面にいるカップルさんもいる。

いろいろ。

でもいいのなんでも。

「わたしのレッスン」

という思いも、もうないから。






人間くさくて、

めっぽう愛がほしくて、

愛情に対して貪欲で素直で

泣いたり笑ったりして

自分コントロールするのが器用じゃない

そんな人たち

そういう人たちを


「ヨーガでできていない人」


とあなたはジャッジしますか?



しないでほしい。

人間なんだから、

体と、人間の感情をひとつづつ、ショートカットしないで、

通らないと。

少なくとも女性にはそれが必要で、

男性はそれを理解すべきだと思ってます。


理解してほしい、男性の先生方にも。

わたしたち、女だから、理屈ではいけないの。

体がそういう造りになってるから、感情ふくめて自分を受け入れていく
広い場所と肌の温度感が必要なんです。


そんでもって女性は、男性性にスペースを与えよう。

男性には、女性からの尊厳と自由が必要だから。



そんな感じ。

baliにて



こーんな長いの読んでくれてありがとう。


絵美里




2017年6月26日月曜日

愛のメディカルヨーガ8月期募集開始しました


自分の女性性を理解すると

男性性への理解も高まります。

もちろん実際には自分は女性なので、完全にはわかりませんが、

それでも、寛容さや、女性的な冷静さの中で人と交流することが可能になります。

そういったところもシェアしていく予定です。

女性で生きるって楽しい。気持ちいい。

そんなきもち、そんな健康をいっしょに作れたら幸いです。





2017年6月1日木曜日

EMIRIのオープンヨガクラス&ミニ哲学レクチャー・ゲスト羽生田早穂さん☆

6〜7月限定の特別クラスです。

ヨーガ哲学のミニレクチャーと気持ち良いヨーガプラクティス、
めっちゃお得な特別クラス。

通常ではティーチャーズトレーニング、ワークショップでお伝えしているヨーガ哲学を、気軽にご参加していただけるかたちにミニ版にしました。

第2回と第3回はゲストティーチャー羽生田早穂さんを迎えて、楽しくレッスンして行きます。

オープンレベルです。いらっしゃった方々に合わせて良きものを提供して行きます。



 <第1回>
6月7日(水)10:00~11:45
1時間ほどのヨーガ哲学座学とまったりヨーガでリラックス
テーマ:仕事&お金とヨーガ(パラマハンサヨガナンダの教えより)
担当:EMIRI


 <第2回>
6月21日(水)10:00~11:45
EMIRIのヨーガ哲学座学40分ほど
羽生田早穂のスペシャルヨーガ
テーマ:望む人生を生きるためのヨーガからの提案
担当:EMIRI&ゲスト講師 羽生田早穂


<第3回>
7月5日(水)10:00~11:45
EMIRIのヨーガ哲学座学40分ほど
羽生田早穂のスペシャルヨーガ
テーマ:自分のカルマを理解する
担当:EMIRI&ゲスト講師 羽生田早穂



ゲストティーチャー・羽生田早穂さん



EMIRI





■参加費:
<第1回>3000円
<第2回>4000円
<第3回>4000円

当日おつりの必要がないようにお持ちください。

■予約制:お申し込みフォームからご予約ください。 少人数クラスです。なるべくお早めにお申し込みください。

■ご注意
開始10分前にはお越しいただき、受付とお支払いを済ませてください。
  
■持ち物:
・ヨガマット(必須です。レンタルはありませんのでご自身でお持ちください)
・動きやすい格好
・講師と初対面の方、面識の浅い方は写真付き身分証のご提示をお願いしております。ご持参ください。

■場所:JR大森駅より徒歩7分ほど
詳細はサイトでごらんください。

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