こんにちは〜えみりです
久々更新になりました。
父大病・大手術にて実家往復とか、
町内の祭り盛大すぎ、PTA役員神輿担ぎの苦行(アザすごかった)とか、
むすめ成長微妙なお年ごろ突入(各所から親へのご指導うけたまわり)とか、
まあいろいろで・・・
(その件はまた書きます!涙&笑)
アンケートでメルマガやブログで取り上げてほしいテーマなどを募集したところ、これまた面白いテーマや取り上げるべきテーマをたくさんいただきました。今日はそのひとつにコメントしてみます。
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<ご質問内容>
「ウチの長男はごはんもロクに食べず、ジュースを買ってきて飲んだり、ご飯作っておいたのに放置したまま、冷凍食品をチンして食べたりします。次男はまったく勉強しません。夫は飲み会に行くのがやめられず、借金しています。 基本的に全員大人なので、できるだけガミガミ言わず、本人の選択に任せていますが、私の三大悩みです。 このような心配事には、どんな心持ちでいたらいいでしょうか。」
<コメント>
一番最初の「長男はごはんもロクに食べず、ジュースを買ってきて飲んだり、ご飯作っておいたのに放置したまま、冷凍食品をチンして食べたりします。」についてコメントします!
(次男くんと旦那さんの件はまた別のタイミングで取り上げたいと思いますが、以下の内容で次男&旦那への心持ちのヒントも含まれているかな~とも思います。)
物理的な対策としては、(本人が自分で買ってしまうものはのぞき)、冷凍食品の買い置きを一時的にでもやめてみるのはどうでしょうか。
あるからそれに手をつける、というところをいったんなしにしてみる試みです。
ご自身の、家事にかけられる時間や手間の関係で冷凍食品に頼っているところもあるかと思うので、必要性はあるのかもしれないですが、一時的にもでいいので家族のトライとして冷凍食品の買い置きをやめてみる期間をとって、様子を見てみるのはどうでしょうかね。
私も小学生の娘がいまして、彼女の場合はアイスに目がなく、買っておくとすぐになくなることが多く、
完全なしにはしないけどちょっと多すぎるだろ・・・というペースでなくなることが多々ありました。自
分も仕事がありずっと家にいるわけではないし、ちくちく監視するのもなんだかなので、ルールを決めました。
アイスは隔週日曜にしか補充しない、それがなくなったら次までは買わない。ということに。
わりとうまくいっています。
前よりも「考える」ようになったようで、ほんとに食べたい時だけ手をつけているようです。
冷凍食品でも応用できそうだったらぜひ。
ただこれはまだ子供が小さく自分で買ったりしない年齢だからできるという対策ではあると思います。
そして物理的な対処で、結局「ない」をがまんしてもらうような感じなので、根本的な対策ではないですね。
大きくなればなるほど、自分で何かに気づいて変わろうという意識がないと、変化は難しくなりますね。
「時期として見守る」というのもひとつの方向かと思います。質問者様の長男さんは高校生くらいでしょうか。
記載していただいた内容から年齢まではわからないのですが、
私の思い方を一つ紹介しますと、
「かならずマックは通るから」
という自分格言がありまして(笑)、
マックは「マクドナルド」で(笑)、でもあのマクドナルドのことに限って言っているではなく
「ジャンクなるもの」
の全体の象徴として使っています。
親がどんなに健康志向であったり、小さい頃に質のいい食事の提供に努力したりしていても、子供は大きくなっていって、特に自分で自由なお金(それがおこずかいでも)を扱うようになったら、「象徴としてのマック」はもうイニシエーション的に通過するものと思っています。
それはある種、「友達ができること」みたいなものだと思っていて、親が心配してもいろんな交友関係を作っていく時期があります。
もちろん過度に「それはやばいだろ」というものを放任はできないのですが、人生の ”その時期” の心の傾向で選んでいくものを外野が止められない時期って、おそらくあると思います。
それを抽象化して、比喩として、
「かならずマックは通るから」
というふうに思っていて、経験として通過するところとして、少しゆるく捉えています。
子どもに対して、いいものに囲まれていて、いいものを摂取してほしい、と思うのは、一般的にみないっしょかなと、
でもやはり、本人のその時の傾向のほうが勢いがある時期ってあると思います。
「かならずマックは通るから」には、そのあとの提案も含まれていて、どうせ中高生、大学生くらいの年頃って止めたって無駄、禁止したって無駄な時期になる。食に関しても。
ですが、人間っていう生き物には「再帰本能」があると思っています。
もともとのところに帰ろうとする肉体やマインドのプログラムですね。そこを狙って、(象徴としての)マックを通るのはわかってるから、それを摂りすぎて「もういいや」って思った時に帰ってこれる体内の記憶を入れておこうと思っています。それが、家庭とか自分の提供できるものだと。
なので、納豆とご飯でもいいし、野菜の味噌汁でもいいし、家には必ずそういう素朴で体に優しいものがあって、それが基本だった、という心身の記憶を地道に入れていくことだと思っています。
自分だって、時々変なもの食べることあるわけです(笑)
でも、こればっかしょっちゅうはいらないわな、と体が知っていて、「あ~自分で作った味噌汁のみたいじゃんもう~~」と、不要を手放す感じが、再帰するところだと思っています。
子どももそうであるといいと思うので、私はそんなに食にきびしくなくて、出来合いのものに頼ることはあるし、
ジャンクもたまにならいいけど、何を食べているか理解しておこう、というスタンスにしています。
さいわい最近の子どもはYouTubeが大好きなので、添加物や健康によくない食品についても動画で手軽にみれます。(動画の質を選別する必要はありますが。)
お子さんの年齢が違うのでアレなんですが、私の事例で紹介しました。
そんなかんじで、今だけに注目してイライラしたり批判的になってしまうとこちらも疲れるので、全体への理解と寛容は大事だと思います。
ご質問ありがとうございました。
感謝をこめて
師岡絵美里