EMIRI MOROKA -HEART MATRIX-

師岡絵美里のブログです♪


2018年6月30日土曜日

『嫌悪(ドヴェーシャ)が取り除かれるとき瞑想はより深まり、 そのあとで愛着(ラーガ)を捨てることができる。』ヨーガ哲学の理論と実践・6ヶ月集中コース

人は愛着よりも嫌悪により影響を受けると言われる。
だから人は嫌悪を取り除くべきなのだ。
スワミ・サッティヤーナンダ



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みなさんこんにちは!

師岡絵美里です。


今日も、現在募集中のオンラインヨーガ講座


ヨーガ哲学の理論と実践・6ヶ月集中コース
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こちらのコースにからめまして、お知らせ&ヨーガ哲学のシェアです。


冒頭のサッティヤーナンダ師の言葉。


この言葉は、ヨーガ・スートラの第二章に出てくる「ドヴェーシャ(憎悪)」の説に寄せられたものです。

人は何かを好み、

何かを嫌う心の作用を持ちます。


「好む・愛着(執着)する」する、という「ラーガ」の心理にも注意すべきことはあるのですが


「嫌う・憎む」という「ドヴェーシャ」の心のあり方は、

ラーガよりも先に手をつける必要があるようです。



前後の文脈も見てみましょう。


「霊的探求者でさえも、愛着と嫌悪に支配されているのが見出される。

より強力に束縛する力は嫌悪だ。

それは強度な妨害物だ。

嫌悪(ドヴェーシャ)が取り除かれるとき瞑想はより深まり、

そのあとで愛着(ラーガ)を捨てることができる。

人は愛着よりも嫌悪により影響を受けると言われる。

だから人は嫌悪を取り除くべきなのだ。」 





先日、私が所属しているスタジオで開催している

「考えるためのヨーガ哲学」

というワークショップでもこの節を取り上げ、こんな話をしました。



一般的に、もしくは硬派な進み方として

ヨーガを ”禁欲的” な側面で捉えることで

「執着や欲(欲しい)を手放す」

という方向性が重要視されがちです。



しかし欲にもいろいろな種類があり、

ここであげられる「憎悪(ドヴェーシャ)」も

「避けたい」

という欲の現れ方のひとつ。



「手に入れたい」「持っていたい」

という欲をいくつか手放せたとしても


「自分に苦体験を与えるであろう経験(対象)を避けたい」

という欲がたくさん残っていれば

前者を手放せたとしても心の自由度はあがらないのですね。



昨今の世の中的な風潮は

「好き」を大事にし

「好む」を仕事にしたり、「好む」を追求することで自己実現可能、

という考え方がもてはやされます。

それは私も同感なところは、あります。

私も好きでやれることを仕事にできているので、

そのおかげか、世に言う 
自分探し" みたいなことをしなくても

自分の本質的なところを感じていることができますし

なにより楽しさや充実感があります。

なので大方、同感です。



でも、ドヴェーシャの方・・・

「避けたい」という、突き詰めると「嫌悪」や「苦手意識」は気にしなくていいのかというと、

まったくそのようには思いません。
むしろ自分について理解するうえでのすごく重要な要素だと。


「嫌い」の中には自分を知るための多くの情報が入っているからです。


心の作用のほぼすべては「習慣」で

自動的なもの(自分の意思で決定しているわけではないもの)。

何かを「嫌だ」「嫌いだ」と思う動きは

自分の中の自動的に起こる「プログラミング」のようなものです。

なぜそのようなプログラミングが起動して作動して、機能してしまうのか

というところを「嫌い」にフォーカスして冷静に見てみるとそこには、

自分自身の中に根強くある「心の癖(傾向)」に気づくことができます。

「好き」からわかることよりももっと多くのことがわかる場合も多いのです。


そして、嫌悪や憎悪の「正体」や、

その自動的に起こるプログラミングまで突き詰めて見てみると


嫌悪する理由や思いの中に

「特定の何かに対する怖れ」

を発見することがほとんどです。


そして、自分が何を怖れているのかを知るという作業は

自分自身をよりよく変化させるための

あまりにも重要なデータなのです。


嫌い・憎悪の感情には、その対象のことではなく

「自分自身」についての価値ある情報がたくさん含まれています。


嫌いなものを「嫌いだ」「嫌だ」だけで終わらせないで、

その対象にまつわる「なにが」そんなに避けたいものなのか

冷静にそこまで見つめてみると

自分というものを構成する要素を発見できるだけでなく

「怖れ」の正体を見ることで、それが「怖れ」ではなくなる可能性も高くなってくるのです。

人は、「認知できない事柄」を

「よくわからないもの」という理由だけで嫌ったり、怖れたり、「避けたい」というカテゴリーに入れてしまいます。



でも、知ってしまえば、怖れに値しないようなことだと判明したり、

ないしは、それに対処するすべを考える余裕も生まれます。

「知らない」「わからない」「怖いから触れてない」

を放置すると、だんだんと嫌悪や怖さが増して、忌み嫌い始めるのですが、

いったん見てしまえば、それに対する心の姿勢をカスタマイズすることも可能になってくることが本当に多いです。




少し想像してみてください。

今自分が、とても「怖い」や「避けたい」や「嫌い」と思っていることが、ぜんぜんそうでなくなったら。

あの人に嫌われるのは怖い
これがなくなるのが怖い
あの人のこんな態度が嫌い
この仕事のこれが嫌い
失敗するのが怖い
自分のここが嫌い


などなど

「怖れ」とそこから派生して起こる「嫌悪」という感情からの

「自己を制限する意識」から解放されたら。

それは薄暗かったところに光がさすような体験です。

大きな自由と自己変化を感じます。




「好き」に関しては、

それを得たら幸福感、満足感、
それを持っているといい気分、


という「快」を与えてくれる経験で、それはそれでひとつの体験的幸福なのは確かです。


ですが、人を成長させたり、変容させるパワーの大きさで言うと、

「嫌い」「憎い」「(怖いから)避けたい」

という感情パターンがひとつでも解放できると

単純に「その時ハッピー」なだけではなく

その人そのものを構成する組成が変わるくらいの、大きなことです。



そういうわけで、

ラーガ(執着)・ドヴェーシャ(憎悪)

どちらも自分を知るための重要要素なのですが、

そして解脱系ヨーガでは結局どっちも手放せ、なんですが(笑)

(解脱系って!!)


自分の成長をうながすためにどちらか先に手とつけよう、と思うなら

ドヴェーシャに取り掛かってみるという選択は多いにありだと思います。


スワミも

「より強力に束縛する力は嫌悪だ」

と解説しているように、

自分のドヴェーシャをよく見つめてみることは

自分を自由にする大きな一歩だと思います。




ヨーガの哲学を学ぶことで、

自分を成長させることができます。

その道のりの中には

現実の中で起こってくる様々な要素が

「教材」になります。

時として、苦い体験などもそこに入ってくるのですが

それでも、ヨーガの教えを心の中に据えながら

そこでどのように考え、

起こった出来事をどう受け止めるかの質を変えていくことで

苦しい体験や、最初は望まなかったような体験も

最終的には自身の輝きに高めるものになります。


そんなヨーガ哲学を一緒に、時間をかけて学んでいきましょう。

今回の「ヨーガ哲学の理論と実践・6ヶ月集中コース」では、

それぞれ個性のある人の、個性のある人生にビシビシと働きかけるヨーガの真髄を

時間をかけてどっぷりやっていこうと思います。

学びから生き方へ。




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最後までお読みくださりありがとうごさいます!
引き続きメルマガのご愛顧をよろしくお願いします。

師岡絵美里

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