EMIRI MOROKA -HEART MATRIX-

師岡絵美里のブログです♪


2019年7月29日月曜日

ヨーガ哲学の歴史から自分を知ること

前回の内容の、やや続きです。(ややw)




インドの思想の歴史をみてみますと、もちろんなんですが思想の変化というのはそれだけが単独で起こるわけではなく、その時代ごとの人々の実生活の変化によって起こってきます。

インドでのそれは、紀元前1500年頃からの流れですと以下のようなかんじです。超ざっくりですが。



アーリア民族大移動時代
遊牧と侵略。豊かな地を求めてインドへ。
アーリア人の古来からの信仰をベースに、厳しい自然環境を生き抜くための信仰や思想を持つ。



ガンジス川周辺地帯への定住と農耕社会の発達
定住するその地域での社会の支配体型が必要になる。人々の関心事である「豊穣」や「安定」を司る神格の存在を認め、その神々への賛美と礼拝の思想が中心となる。アーリア人によるバラモン教支配体制のスタート。カーストができる。



・都市国家社会の発達
それまでの農耕による集落社会から、人口の増加や鉄器の製造など工業の発達が進み、儀式や礼拝中心の信仰以上に、都市型生活を支えうる思想が必要になってくる。カースト社会の生活での苦や、個人の悩みを解放するような教えに人々が関心を持つ。



・哲学的賢人の台頭
思想(信仰)による全体の支配を疑問視する動き、または思想をより普遍的な真理へと昇華させるムーブメントが起こる。
人が生きることの真の意味や人間の本質について、哲学的探求が盛んになる。







ざっくりですがこんな感じです。

(もっと細かく詳しいことは集中講座
で説明しています。ご興味あればぜひご参加ください。)






日本でも、代表的な例で言いますと、太平洋戦争の前と後では思想に大きな変化をよぎなくされた。

それまで「神」であり国の指揮者であった天皇は「人」になり、そして政治的な権限を持たない象徴になったことは、それまでの思想を当たり前に信じていた人々にとって大きすぎる変化であったでしょうし、同時に産業化、近代化を猛スピードで進めていく世の中では、以前のままの思想ではいられなくなるのは当然です。


それでも残る根本的な民族的気質というのも当然残しながらも、やはり人々の全体を覆っている社会の思想、価値観から雰囲気まで、変わらざるをえない時というのがありますね。






インドの古代の思想史というのも同じで、長い年月の中での人々の実生活の変化が、思想の変化を生みます。


現代における思想のシフトと、古代のそれというのには違いがあり、それは「時間のかけかた」です。古代の思想は、長い時間をかけてじっくりと変化し完成していった「熟成」を持っています。



そして思想の熟成の中で、「哲学」が起こります。



「思想」と「哲学」はよくいっしょくたにされがちなんですが、これは別のもので、詳しくはまた別の回でお話しようと思います。


今語りたいのは、「時
の洗礼を受けているもの」ということ。


思想にも、短いスパンにおいてのその時代の「風潮」レベルのものと、長いスパンで発酵した末の深い思想があります。短いスパンの「風潮」から生まれたその時の価値観は、哲学めいたものであっても「賞味期限」があります。




賞味期限がある一種の「価値観」は、それが流行っている時はなんらかの効力を発揮するのですが、やはり限定性のあるもので、真理ではなく一時の信条にすぎないわけです。期限が終わるとまた違うものを必要とし、放浪することになります。



長い時間をかけて洗練された思想という土壌からは、「本当にそうなのか?」という「問いかけ」が起こり、哲学がはじまります。そして削ぎ落とされ、磨かれ、探求され、真理へとたどり着きます。




また同時に、思想の中で「哲学すること」自体が、その思想を洗練されたものにしていき、多くの「自発的に哲学することにあまり頓着のない人々」にも浸透して力を発揮するような大衆性を帯び、その思想を生きる人々にとっての智慧に育っていくんですね。




そういった哲学は、時間を超えて、場所や期間を限定せずに機能する普遍性を持ちます。
インドのヨーガ哲学もそのひとつです。人間が生きて行くこの世界の宝のひとつだと思います。


もちろんヨーガ哲学だけでなく、世界には多くの、時の洗礼を受けた叡智があり、それらは限定性を解放した世界への親和性を持っていると感じます。






少し話を戻しますと。



ヨーガ哲学を学ぶうえで、インドの思想の遍歴を知ることはとても重要で、そこを学ぶと自分の中で「哲学を知る準備」ができあがってきます。
そして興味深いことは、

 ・どのような背景で長い時間をかけて思想が移り変わって哲学へと完成していったのか
 ・その間に当時の人々の「心」に何があったのか

ということを探ることで、自分自身の過去と現在と未来を認知する作業がシンクロしていくのです。
これってとてもすごいことだと思います。
歴史を学ぶと、ただそれを知るだけではなく、自分のことをより認識できるようになるんですね。



そういったわけで私は、ヨーガ哲学を学びたいと集まった人たちには、「インドの思想の歴史」をなるべく話すようにしています。時間やコンセプトの関係でそこに触れることができない場合もあるのですが、集中講座などでは必ず触れるようにしています。



古代のことなので未知な部分もありますが、幸いインドの思想は「言葉」で残されているものも多く、その「伝承」は古来から尊厳を持って大切に扱われていますので、現代の私たちが紐解くための材料は豊富です。



ヨーガ哲学を学ぶうえでの歴史の観測をしてみると、先にも述べましたが「自分のことも観測できるようになる」のが、個人にとっての醍醐味だとも思います。




これを読んでくださっているみなさんの人生にも、歴史がありますね。


もし、自分の現在地を確認し、そして未来をよいものにしていきたいのなら、一度「自分史」を書き出したりして、振り返りの機会を作ってみることをおすすめします。



それはインドの歴史やヨーガの歴史を学ぶのと同じくらいの、あなたにしか解き明かせない叡智が潜んでいると思います。自分史上最大の発見もあるかもしれません。

今、心悩んだり、もしくは将来が不安だったり、ないしはよりよくしたいという動機だけでも、自分の歴史の振り返りはとても有効だと思います。

でもちょっと注意は、そこで感傷的にならないように作業しないといけません。トラウマ的なことを感情で追体験するのはおすすめしません。客観的に、感情的にならずに、公平でクリアな目でそれを見るのが一番有益です。



もし感情的になりそうな気配がしたら、まず自分以外の歴史を学ぶことで訓練するといいと思います。

ピアノが好きなら、ピアノの歴史。
バッハが好きならバッハの歴史。
書道が好きなら書道の歴史。
パン作りが好きならパン作りの歴史。
K-POPが好きならK-POPの歴史。
外国語が話せるようになりたいなら、その言語の歴史を。
ヨーガが好きなら、ヨーガの歴史を。


こんな風に、自分が大事だと思っていたり、好きでもっと知りたいことがあれば、その歴史を見ることを習慣にしてみますと、その訓練は「自分を見る」訓練になっていきます。




なにはともあれ、歴史を学ぶことは今を知り、未来をみつめることになります。



ヨーガ哲学の講座やオンラインコースでも、ヨーガの歴史を伝えるようにしています。興味のある方はぜひ講座で会いましょう。

歴史を知ることまなぶこと、それは自分を知るための訓練であり、ひとりひとりの魂の旅の全体地図になります。



学生の頃に歴史が苦手だった人も、大人になった今だからこそ感じられるおもしろさが絶対にあると思います。







一緒に学びたい方はぜひどうぞ。
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最後までお読みくださりありがとうございます。

ナマステ
EMIRI

2019年7月28日日曜日

ヨーガの歴史からわかるパラダイム変換期

歴史を紐解いてみると、人間の意識の変遷の歴史というのは、2000年くらいで思想を大きくシフトしているのがわかります。




私が携わっている古代インド史もそうで、
かのインダス文明の時代から、移民族の流入(アーリア人の大移動)、そしてバラモン教支配社会のスタート、ここまでにだいたいですが2000年から1500年くらいを費やしています。



そしてさらに1500年から2000年くらい経つと、新しい宗教的思想やそこからの哲学の誕生、ブッダを代表とする「覚者」の登場などが起こります。
こういった変遷をみてみると、それまでの2000年間で採用してきた思想が機能しなくなって来たんだなあというのがわかります



今から約2000年~2500年前、インドの地では、それまでのバラモンによる宗教的祭式(儀式)中心主義から、新たに「真理探究」の大きなムーブメントが起き、現代のヨーガにもつながる「哲学」が完成を見せてきました。また同じ頃、同じ地で、ブッダが誕生しその後の仏教のもとになる教えを説きました
2000年前のインドではまさに、真理探究の大輪が各地で大きく開いていった哲学黄金期なわけです




そういった動きというのは、ある日急に「すごい人」が現れて、新しい考え方がポッと発生したわけではなく、その背景にはその時代の人々の心のニーズがあって生まれてきます



ブッダだってもともとは王族のおぼっちゃま。しかし当時の時代背景の中で彼は、真理を求める「最初の渇望」があったからこそ、ブッダ(覚者)になるきっかけを得たわけです。

もちろん生まれたときからなんらかの素養はあったと思います。しかし、当時の社会やそこに生きることの「憂い」が、彼の背中を押し、出家させ、旅をさせ、苦行、気づき、そして目覚めへと運ばれました。そしてそんな彼が悟ったものは、現代でも人々の心を救済し続けています。




ヨーガの哲学もそうです。最初から完成したものがあって、それが文字なり本なりになってる、なんてゆるい話ではなく、当時の時代を生きた人々が人生の苦悩や真理への渇望の中で懸命に、生命とは、宇宙とは、人間とは、ということを長い長い年月かけて探究されたものが、最終的にヨーガ理論およびヨーガ哲学へとまとまってきたのですね



そういった歴史の流れを見ると、2000年前やさらに遡って4000年前などの歴史の動きには、あたりまえではありますが「意識の変換」があります。


2000年というのはどうやら、人々が「それまで信じていたもの」や「それまでは機能していた仕組み」が通用しなくなる、というタイミングなのですね。



さあ、そんなインド哲学誕生や、ブッダの誕生、そしてキリスト誕生など、まさに「魂の救済黄金期」から、今2000年とちょっと経ったことになります。




今は、新しいパラダイム(認識)、新しい社会システムに、どうしたって変わろうとするバイオリズムの上にいることがわかります。こういった時代の周期で、俯瞰してみると、今は変革や変換の時期なんですね。




とは言っていも、それが数年で急に変わるわけではなく、100年とか200年とか、もっと長いかもしれないですが、移行期間としての時間が必要です。






また、物事が変換するときというのは、原動力が必要で、昨今の世界動きや日本の動きをみていると、その原動力がいろんなところで力を盛り上がって芽を出してきているように見えます。

ここで注意なのは、芽吹きのとき、芽は一生懸命その生命力で土の中から出ます。

そのときに、土の中にあった「他諸々」も一緒に出てきます。



イエスキリストが生まれた時代。彼が真理を説こうが、奇跡的なことをしようが、彼を迫害するパワーも同時に生まれました。

ブッダが生きたころ、彼の説く真理を慕って多くの人々が帰依し、救われながらも、
ブッダを殺そうとした輩もたくさんいました。

新しいムーブメントが起きるとき、なにかが生まれるとき、
同時にそれに反するような「別のもの」もおびただしく生まれます。




世の中が、よくなっていけばいいな。

と切に願います。
願うだけではなく自分もなにかしよう、と思います。
そしてそんな思い(ニーズ)を受け止めて生まれてくれたような「動き」も、昨今たくさんみることが出来ますし、希望を感じる動きが台頭しています。



ですが、それと同時に生まれる、その他の反発的なエネルギーや、一緒にくっついて掘り起こされる別の種類のエネルギーたち。それらにも目を向けている必要があると思います。





「千と千尋の神隠し」の「せん」が、湯屋に来たオクサレ様(実は”河の神様”)の入浴を手伝いますね。

で、オクサレ様の体に引っ掛かってしまっている「何か」を引っこ抜こうとした時、まず出て来たのが、川に捨てられた大量のゴミやら自転車やらの廃棄物が、どばーーーーーーーっと。
そして最後それがぽんと抜けると、「本来の姿」が現われました。





世の中の動きにしても、個人の心の変化にしても同じことで、何か「変わろう」とする時、その動きの流れに乗って「いろんなもの」がたくさん出て来ます。



しかしそういった動きや存在がもし自分の思う理想と違っても、それらを敵視するということではなく、思ってもみなかったような淀みが出て来たり、なんか予想外に反対勢力が出て来ちゃったりしても、それも「自然な流れ」のひとつだと認識すべきなんですよね。


まず、「なにが起こっているのか」を把握するのが大事で、自分とは異なる種類のものを感情を振り回して対抗するのだけは避けないと。それやってしまうと、自分が持っていた純粋な理念や希望が汚れてしまいます。



何かが動けば、いっしょにいろいろ出てくる。
これは物理的な法則なんでしょうね。


そのような目線でみて見ると、現在地球上で起こっている様々な現象の中には、「混乱」と見えるようなことはたくさんあると思うのですが、それも含めて、

未来に向かった「何か重要なもの」が抽出されつつある動きなのかもしれない

と思うと、実態が把握しやすくなると思います。
感情的にならずに。
そして、個人にしても世の中にしても色々な動きはあるけれど、その背景にあるひとつの原理やテーマが見えて来ます。





またそんな話を、もう少し具体的にしたいなと思っています。






なにはともあれ、「歴史」を学ぶことは重要です。

それは今を知り、未来をみつめることになります。



というわけで最後は宣伝になってしまいますが、ヨーガ哲学の講座やオンラインコースでも、ヨーガの歴史を伝えるようにしています。興味のある方はぜひ講座で会いましょう。自分と自分を取り巻く世界の動きが、歴史を通じてクリアに見えるようになってきます。




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ナマステ
 EMIRI

2019年7月22日月曜日

思考停止をさけ、よりよく考えるために

〜募集中のヨーガ講座のお知らせにそえて〜


「 思考停止をさけ、よりよく考えるために」


ヨーガを学んでいてよかったと思うことは本当にたくさんあり、あげだしたらキリがないのですが、その中でもとっても重要なこと、ということをひとつ、話そうと思います。


それは、

「自分を見つめる」という作業が

「自分にこもる」に行かないで

自分を視野を開き、解放する方向に導くことができるようになったことです。

自分を見つめることで、結果的に外の世界を冷静にクリアな目で見れるようになる、ということ。

もちろんまだ道の途中ですが、途中経過であってもかなりのギフトに満ちています。




思考が堂々めぐりすることってありませんか。

それは思考しているようでいて、思考停止に近いとも言えます。

停止して同じところに止まりそうな思考に新しい視点と新しい風を送り込んでくれるのがヨーガ哲学です。



もう少し詳細を話すと、「思考できる」というのは、二元性で判断してしまう思考の癖がなくなっていくこととも言えると思います。

例えば、

好きか嫌いか

善か悪か

損か得か

正義かそうでないか

敵か味方か

有利か不利か

勝つか負けるか


よく考える前にこういった二元的なジャッジが起こってそこで止まってしまうと、自分で考えているようでいて、感覚や思い込みのなすがままにさせていることにもなります。


そういった二元だけで物事を見ると、思考はすぐに自分にとって都合のいい信念か、世の中一般の言うところの基準に寄っていき、体験している物事の核心に行き着くよりも前にすでに、心の視野を狭くし、そして(よくない意味で)感情的になっていきます。


信念にすがること。

これは、楽なんだけど、あぶないことでもあり、自分の視点をそこにしか置いておけない危険と共にあります。


ヨーガ哲学を知り、学び、それについて考えると、この危険がだんだんと減っていきます。


偏った信念にすがることなく、考えることができるようになっていきますね。


そうなると、心理的にはどういった状態が掴めるようになっていくかというと、


一喜一憂しなくなり、平成でいられる。


そんな感じです。


感動や喜びがなくなるということではないし、落胆がまったくない、ということでもないのですが、そういった心の波があったとしても、冷静な自分を発見することができます。


つまり、物事に対峙した時のストレス度合いが下がります。





もう少しだけヨーガ的に解説させてください。


ヨーガの哲学を学びわかったのは、「哲学すること」というのは、生命の尊厳について思考することであり、その思考を磨いていくことだということ。


それは「人生の尊厳」と言ってもよく、この限られた人生をどう生きるのか、ということをヨーガ哲学を通じて考える力がつくことです。


ヨーガの最終地点である「サマーディ(解脱)」という境地は、「思考」は止まっている「純粋な意識のみ」という状態で、これは聖典にも言葉で説明しえない境地と説明されるのですが、この意図的に思考を止めている境地にいく前段階では、「思考をよりよく使う」という訓練段階が続きます。別の言い方をすると、思考を何に集中させるか制御できるということ。


思考というのをは肉体の感覚的反応や感情的反応にも大きく左右されるものなので、自分の心に起こる様々な「動き」をまずは認識でき観察できる冷静さを鍛えることになります。


この「思考のしかたを鍛える」という訓練が、現実をどうとらえるか、どう思考して生きるかを整えてくれて、心の活動を意識的なものにしてくれます。



 今私は何を思っているのか。


そのことを「認知できる」というのは、生きるうえでとてもとても重要なこと。


社会生活を送りながらの人生について、考えるべきことというのは、いろいろあるわけですが、「悩む」と「考える」をちゃんと分け、悩んでいるなら「考える」に持っていくことができるようになると、ずいぶんと人生の景色が違います。


狭いところで視野を限定し、「思考停止」して何も把握できない状況に落とさずにいられる。

こういうことって、普通の日常を生きるうえでとても重要なものなんだと思います。


生活が、人生が、思考停止や悩むことで支配されず、自分のことでもそうでなくてもい理解しながら生きることができる。
その落ち着きがあることで、外の世界を観察し、渡ってゆくことができる。



「人生の尊厳」について、考える。もちろん今もまだ、ヨーガとともに考え続けています。


なんだか堅苦しい感じの文章になってしまったので、もうすこし平たくいいます。




ヨーガを学んでいてよかったことは、

ストレスに強くなる。柔軟な思考になる。

ということ

だな!と思っています私は。




またまた長くなってしまいましたが、そういったヨーガ哲学のおもしろさ、これからもみなさんと一緒に語り、学べたらと思います。




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2019年7月20日土曜日

「つらい時どうしていますか?」という問いに対して-仕事つらい編-


お悩み相談シリーズ

〜仕事つらい編〜


「つらい気持ちの時、どうしていますか?」


ブログやメルマガなどで「心のこと」について話せるところをヨーガにからめつつ、
いろいろとシェアしているのもあり、お悩み相談のメールなどをいただくことも多いのですが、ブログを読んでくださっている方から、
「つらい気持ちの時、どうしていますか?」
という質問をもらいました。


今回の相談は「仕事に関して」でした。


がんばっても評価が低い、など、原因となるものもありつつ、いろいろ混濁してしまい、モチベーションや気持ちの立て直しをするにも、漠然として落ち込みが強くてなかなかあがれない、ということでした。





仕事でもそうでなくても、つらい気持ちの時、何につらくなっているのかを明確にすることがまず解放の一歩だと思っていて、漠然としているつらさや心が重くなる感覚だけにとらわれないように、自分の気持ちをよくよく観察するようにします。


つらい、という気持ちをもう少し具体的に解明してみると、そこには自分自身や自分の人生に価値を感じられない時だと思うのです。

頭ではそんなこと思っていなくて、一生懸命前向きな気持ちで立て直そうとばんがるところもあると思うのですが、心の中のほうで、自分や自分の人生に対して先に進める感」が薄まってしまった時に、「つらい」という漠然とした翳りが生まれてしまうのだと思います。


その漠然とした暗さが、将来の不安へと結びついたり、現在やっていることへの疑問や葛藤になったり、自分には力がないような気持ちへとつながり、無気力感が起こってくるのだと。






すこし、関係ある範囲で脱線させていただきます。


心のこととして、人はどんな時に幸福を感じられるか、というところなんですが、


「(自分ないしは自分の人生は)成長している」

「(自分ないしは自分の人生は)よくなっている」



という感覚が得られる時、幸福感が高まり安定した気持ちでいられいます。


これをもう少し解明すると、

「少し先の未来によりよい変化を感じている時」

と言えるのだと思います。比較してみるとわかりやすいと思いますが、

「少し先の未来によりよい変化が感じられない」

これだとなんだか元気がなくなってきますよね。


では、

「ものすごく遠い先は最高に良い未来がある」

これだとどうでしょう。
未来を考えると悪くないけれど、今現在の自分の人生に対する幸福感には直結しないと思います。

遠い先でも「良い」ならば今はよしとしようよ、と言えなくもないのですが、感情や感覚は「今」に起きているもので、「今感じられる」ことが生身の人間にはとても大事。

ここがまた人間らしさなのですが、
「少し先の未来に成長の予感がある」
その実感が、人の心の幸福の要素だと思います。


「今は良い」ということも大事のなのですが、「良い」であってもそれを更新していくような「未来への動き」に幸福を感じる心の性質があります。

とても大げさな比較で言うと、
「今日最高にすごくいい、けれど、明日ひどく落ちることが起きること決定。」
こういった予感がある場合、今の良さよりも先のことへの予感や恐れで幸福を感じる気持ちは萎えてしまうでしょう。ちょっと大げさですがね(笑)。

人間の精神というのは、よくなりたい、という基本的な要望があり、それはいわゆる欲からおこるものではなく、良い悪いのお話でもなく、そういう設計でできているとも言えます。
個人の魂の成長に喜び、他者の魂の成長に貢献できることに大きな喜びを感じます。
個人の生活の発展に喜びを感じ、他者の人生の発展に貢献できると、大きな幸福を感じます。

こういった心の基本設計により、「現在の安定」もそれを得た時には幸福を感じても、同じ状態が長く続くと「変化」したくなります。

現実を生きる私たちにとって、
「遠い先の幸福」でも「今限定の幸福」でもなく、

「私はもっといけるかもしれない」
「先によりよいものがありそう」
という希望、現代的な言い方をすると「ワクワクして」胸が踊ったり心が開いていく感触に幸福を感じます。
そういった感性があるからこそ、変化する物質現象を受け入れていくことも可能なのだと思います。


ヨーガの精神性が大事にする「今この瞬間に在る・存在性としての幸福」と、生身の体を持ってご飯を食べて生きている人間の心が感じる少し先の未来に希望を持てること」という幸福感。
これらをどっちかに絞ることは私は難しいなと思うし、しなくていいのではないかと思っています。


「今に満足、先のことはいい」と、すっぱり生きていけるなら、それはそれでかなり解脱してるし(笑)、そこに疑いないところまでいけたならそれはその人の体得した幸福感だと思います。 
でも、

「この先の人生と自分によりよいものを感じる」
という幸福感が人間にはある


それも認めていいのではないかと思っています。

そして結局のところ、未来に希望を託しているのも「今」だし、「幸福感」を感じているのも「今」なので、今の連続を紡いでいるのには変わりありません。
未来に発展と希望を感じることで、今、幸福を感じられるなら、そうであることを否定しなくていいと思っています。

というわけで
近い未来の発展、成長、変化の予感

これが、社会的な生活を送る人間には必要だと強く感じます。




話を戻します。


「つらい気持ちの時、どうしていますか?」

相談者さんのくださった内容に沿って、主に「仕事」についてのこととしますと、「生活について」ということイコールとします。



私ならまず、「現在の自分」の救済に取り掛かります。

まず、狭くなりそうな視野を開くために、聖典にはなんて書いてあるかな、ということを見るのと同時に、外の世界を見るようにします。

そして「近い未来に成長できる兆し」を感じられるようにします。

この「成長」って具体的になんだろう、と思うと、ひとつ言えるのは「自立」だと思っています。
(心の自立でもあり物理的な自立でもあり。)


暗い気持ちやつらい気持ちになるのは、そうなってしまった「原因」だと自分が思っている対象に支配され、自らも依存してしまっていたことの現れだと思うのですね。

例えば、まじめに一生懸命仕事してても自分の評価が悪かった、またはあきらかに公正な評価基準がない中で低いほうにジャッジされた、などで落ち込むのは、その仕事なり状況に自分が依存している証拠で、支配されている意識があるために起こることでもあります。(大なり小なり)

ここの仕事を失ってしまったらやっていけない、というような「予感」が立ち上がり、気持ちを暗くさせます。生活があるのでそれはもう、当たり前に起こる気持ちだとは思います。


ですが、依存している自分に気づくチャンスだとも思います。



人生のプランB

明るさと自信、自己肯定感を取り戻すために、試しに人生の「プランB」を考えてみるのがいいと思います。

今のあり方が実行中のAだとすると、可能性のBを考えます。

生きていると何かしらのことを「頼り」にしないといけない必要性はあります。
仕事にしても雇い主や仕事をお願いしてくれる存在があるからこそ成り立ちます。

が、それが依存になりすぎないように、今の状況とか環境だけに精神的にも物理的にも依存しすぎないでいられるようなフットワーク先を考えてみるといいと思います。ひとつのことに依存していない自分の人生を考えてみるかんじです

今すぐことを起こせという意味ではなく、
本来なにがしたいんだっけ?
と、一回リラックスして考えてみるといいと思います。

とはいえ、そういったことを「考える」にしても、考えるためのエネルギーが必要ですよね。
そうなのです。
とりあえず今、ニュートラルな自分を思い出し、普通レベルの元気さを取り戻さないと。


ですので、ちょっと元気を出すために、物理的な作用で元気を取り戻すのがいいと思います。
それはもう、なんでもいい、映画を見に行くでもいいし、ヨーガをしにいくでもいいし、ジムに行くでもいいし、話せる友達に会うなんてのは最高だし、休みをとるのもいいと思います。



そして、大丈夫!!大丈夫!!
ひとりじゃない。

そう思ってほしいです。

自分でなんとかしないといけないことを背負ってみんな生きてますが、でも一人じゃないです。

一人ぼっち感を払拭するために、ヨーガのグルの言葉から引用できることをひとつ。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「今あなたが働いている環境が、必ずしも最良だとは言えないかもしれない。
やがてあなたの好みと気質にあったよりふさわしい仕事が見つかるだろう。
けれどもそれまでは、今あなたがいるところで働き、ヨーギーでありなさい。
カルマヨーギーとしてあなたはそこで奉仕する。より良い仕事が見つかるまでは、今の職場を離れないこと。


今すぐ何かが見つからないとしても、行き詰まっている訳ではない。

行き詰まっていると考えるのはヨーガ的ではない。

ある意味でそうした場所で働いていることが、あなたを精神的により強くしてくれる。

そうした雰囲気の中で生活しながら自分の信念に従うことは容易ではない。

しかしもしそれができたなら、あなたはよりすぐれたヨーギーである。」
スワミサッチダーナンダ
 「自己を知るヨーガ」より

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜




最後に、

現在の「現状変わらず」の職環境でも、折れずに、明るくお仕事するための心のお守りとして、その場にいる人を笑わせてみてください。
その日会う人を優しい楽しい気分になってもらえるように、心を柔らかく仕事に臨んでみてほしい、と思います。

優しさは人に与えた時に自分のパワーになり、
だれかが自分に向けてくれる笑顔は、神様がその人を通じて自分に贈ってくれた、歩き続けるための光。

ひとりじゃないですので、またこういった話もしていきましょう、と言いたいです。



このテーマと同じようなお悩みを持っている方に少しでも届けばいいな。私も成長すればもっとうまうこと言えるようになってくると思うので、がんばります。

仕事ってね。
生活に関わるし個人レベルで動かせないことが多く、いろいろ複合的なお悩みになりやすい難しい部分もあるので、これだけ書いてもお役に立ててもらえるか分かり得ないところがあるのですが、今私に言えることをお話してみました。

長文、読んでくださりありがとうございます。



EMIRI

2019年7月16日火曜日

心の救済・神との関係として




ひとつ前の記事で、人間関係についてのお悩みに関してのアドバイスを書きました。

前回は、自分の心のエネルギーを落とさないためのフィジカルなアドバイスをしました。


今回は、もうちょっと
哲学的な面での提案を書きますね。


毎日顔を合わせないといけない人に、辛辣で、冷たく、横暴で、拒絶や支配的な態度をあからさまにとられたら、そりゃつらいです。

前回の内容でものべたように、そういう人はもう態度を決め込んでしまっている場合は多いので、その人が変わることを期待しないほうがいいです。

でも、毎日接する必要がある。

そんな時、考え方のひとつとして、胸に入れておいてほしいことがあります。

これをやるには、物理的な現実(状況)がひどくても、その奥にある真理を見据えている必要があるのですが、きっとできますよ。辛い時ほど、そういったことが可能になる潜在的なパワーがあるのです。


「これは、この人と私の関係性のお話ではなく、私と神との関係を親密にするためのレッスンなんだ。」


と思ってみてほしいです。

たしかに目の前の人のいじわるや冷酷な態度に耐えながらそう思うのって、最初は難しいというのはわかります。

でも深呼吸して、前回の内容で述べたように自分のスシュムナーに新しい生命エネルギーを満たして、

「これは表面上、この人と私の問題のようであるけれど、実際は神と私の対話なんだ。」

と、思ってみてください。
最初は難しくても、そう思うことで、別の次元の目が開いていくんです。

人間関係だけではないのですが、
つらいこと、苦しいこと、受け入れるのが難しいこと、というのは、生きて入ればそれなりに起こってきます。

そんな時には、私の大好きな、このメルマガでもたびたび掲載しているパラマハンサ・ヨガナンダ師の言葉を思い出してほしいです。


「試練はあなたを破滅させるためにやってくるのではなく、神にもっと感謝できるようにするためにやってきます。」


自分に敵意や憎悪を向けてくる人やどうにも合わない人とずっと同じ場所にいるのは、お互いにとって淀んだ時間になりますので、離れるなり状況を変える策がないか探ってみつつ、一緒にいないといけない間の心の指針として、心の中においてほしい言葉です。


意外とね、そういうふうにある種の割り切りを持って、抽象度の高いところに心を置いて接していると、(期待しすぎはよくないけど)、けっこう関係がよくなったりすることも無きにしも非ず。



実際には、そうなんですよね。すべての物理的現象の中に見出せるのが、神との対話。


表面上の状況や、個別の出来事の奥には、すべて、自分と神との対話があります。



「試練はあなたを破滅させるためにやってくるのではなく、神にもっと感謝できるようにするためにやってきます。」




『神様、いろんな学びをありがとう。
こんなに誰かに嫌われていじわるされてるけど、
あなたのことを前よりももっと近くに感じるよ。

(だからはやく終わらせてください(笑))
と、神と対話してみたって、いい。


心に、ユーモアを持っていられるって大事なこと。
神との対話も、敬虔な祈りとともに、ユーモアを持って語り合ってみることをおすすめします。

2019年7月14日日曜日

心の救済・音楽的アガル呼吸法☆

〜心のセッションシリーズ〜



お悩みの相談を受けることが多々あります。



人間関係に関する事柄がよく挙げられます。

その中でもとくに多いのが、仕事上の上司さんや部下さんとの関係。



冷たくされたり邪険にされてしまい、辛い思いをしているという内容が多く、こういった相談に、ヨーガ哲学を学んでいる方の場合ですと、ヨーガの考え方で答えることができますし、もしそうでなければそれを噛み砕いてお話しし、心の指針になり得るところを見つけてもらっています。


きっと相談できないまま悩んでいる人もいるだろうなと思い、シェアしたいなと思いました。


たいていの相談者さんとしては、理由がわかれば自分の態度を改めたいと思っているし、穏やかにできるならそれに越したことない、と思っていて、自分から敵対したいとは思っていない場合がほとんどです。ヨーガ哲学を学んでいる人の場合もとくに、相手を自分の鏡として捉えてみたりと、内省するがゆえに悩んでしまうことが多いですね。


そうは思っていても、理由すら話してもらえず、コミュニケーション自体がもう難しいというところにいる方も多いようです。



そして詳しい経緯だと、以前は関係は悪くなかったが状況が変わったことによってだんだん悪くなった、というケースが多く、その多くが立場や距離感が近くなってから関係が悪くなってしまった」というものです。

例えば、別のチームで動いていた時はお互い協力関係でよい間柄だったが、同じチームになってからだんだん険悪な態度を取られるようになってしまった、とか、自分が外部の会社からの派遣だった時はよくしてくれたが、同じ会社に社員として加わって上司部下になってから関係が悪くなった・・・というような経緯です。



物と物の距離が近くなれば「衝突」や「摩擦」の可能性が高くなり、ぶつかりが起こりやすくなるというのは現象としてあることなので、そういうケースが多いのもわかります。
人と人もそうですね。
いっしょにいる時間が長くなり、距離や立場が近くなると摩擦が起こりやすくなります。
「じゃあすぐ離れよう」とできないところも悩みとなってきます。



人は、関係に少し距離がある場合や、たまにしか会わない場合はまだ「ゆとり」があり、優しさや協力体制を見せることができるという傾向があります。

それが縮まって関係性が濃くなってくると「自分の領域(と思っているところ)で自分を脅かす存在(と思えるもの)」に敏感になる、という心理がありますね。

こっちはそんなつもりなんてなくても、相手がどう感じるかは、長らく付き合いのある人でも時として未知の世界だったりします。


「縄張り(だと思っているとこと)」に何かが侵入すると、「私の」という意識が自動的に働いて、

「私のペース」
「私の安全」
「私のコントロール」

というものを乱されたくないという、いわば状況を支配したい心理が湧いてきたりします。

自分の心理を冷静に観察している人であれば、こういった自分の心模様に気づいて

「いやいやこれはなんだか不穏な空気をうむのでやめとこう」

と冷静になることもできるかもしれませんが、いろいろな話を聞いていますと、一般的にはそのように内省して律している人よりも、自分の心が起こす自動的な作用に無自覚な人の方が圧倒的に多いのが現実だと思います。
もしくは、わかっていても止められなかったり。


距離があった時には「好き・好ましい」と思えても、縮まった時に「目障り」になる。


まあそれは・・本当の意味で「好き」ではなかったのですね。

ある条件下でのみ適用される好意をいただいていただけなんだ、と悟ってしまってもいいかとも思います。

そう悟れば「また昔みたいに好かれたい」と思う気持ちが無効であることもわかるし、好かれたい思いを手放して、ここから別の新たな関係なんだと割り切ることもできるかもしかない。
そう考えることで少し楽になる場合もあるかと思います。




実際のところ、一回がっちりと「壁」を作られると、もう嫌われたり拒否されている側が「私も態度を改めますので」と歩み寄ったり努力しようと近づいてみても、本人がもう決め込んでしまっている場合どうノックしても返答なしだったりしますね。

こちらからは動かせないものを相手が作ってしまった場合に、無理に動かそうとすると余計に悪化したりします。


そうはわかっていても、拒絶されたり目の前で冷たい態度を取られることというのは辛いこと。
チームや部署を変えてもらったりなどの物理的な距離が取れればいいのですが、そう簡単に動かせないですよね。




こういった場合に提案できるのは、状況を変えることよりも前に、まずは「自分の心のエネルギーをいかに落とさないでいるか」というところになってきます。



物理的なアドバイスですと、呼吸が浅くならないように注意して、いつも深呼吸を心がけるのがいと思います。

ヨーガの呼吸法でもそうでないものでもいいので、仕事中でもまめにやるといいと思います。

自分のエネルギーがスカスカだと、人が自分に向かって発する感情的な波動をもろに受け取ってしまうので、まず自分の気を満たしておくことが大事です。

自分だけでもニュートラルな態度でいよう、と努めるにしてもやはり「気力」を使うものです。自分のエネルギー補充、大事です。



まず自分のエネルギーを失わないように気をつけて、そしてその件で自分を悲しませないでほしいなと思います。マイナスに考えすぎるとエネルギーが漏れていってしまいます。


聖典「ヨーガスートラ」の解説書にある「呼吸」についての説明をみると、呼吸と思考の重要な関連性がわかります。


人間の体の中心にある一本の気の管を「スシュムナー」と呼ぶのですが、


スシュムナーに新しい気が満ちていないと、まっとうに思考することができない

とあります。


参考↓ スシュムナー、真ん中の管です。



http://znakovi-vremena.net/en/nadis.htm


「悩みの件」について考えるよりも前に、呼吸によって体内の気を満たしておく必要があるのがわかります。

そうでなければ、考えても有効な考えにならないのですね。


これは今回のテーマだけの話ではなく、なんであっても言える話で、気がスカスカ、気が枯れている状態で考えても、思考をよりよく使うことができず、悩みは悩みのまま堂々巡りしてしまうということです。



というわけで、まず!

なんであれスシュムナーに新しい気をたくさん入れましょう。


ヨーガの呼吸法などを本格的に知らなくても大丈夫です。

自分の体の頭のてっぺんからお尻の底までを一本の線でつなぎ、吸った息をその中心線に流し込む感覚で呼吸してみてください。

イメージが大事です。

吐く時も、中心から滞ったものが出て行くイメージを持ってみましょう。




もしも!その件に関して頭がいっぱいだったりして、

「気になって気になってなかなか呼吸なんて集中できない・・・」

っていう場合には、いい方法があります!!

まあこれは職場ではできないかと思いますのでご自宅でなんですが




好きな音楽をご用意。

ヨーガとか呼吸法をする時にかけるようなゆったりした曲じゃくてもよく、むしろノリノリになれるような音楽をかけてください。


アップテンポのもの、元気がいいものとか、楽しそうなものとか、YouTubeなどで本人が歌っていたりする動画があればヴィジュアルも合わせて、見てるだけでウキウキするような曲、「アガル」曲をかけてください。


それを見ながら、そのノリノリ波動を吸い込みます。
 吐くのはこの際意識しなくていいです(笑)
とにかく「アガル」波動を吸い込んでください。


一般的に4〜5分の楽曲が多いかと思います。その間ずっと、その波動で元気を満たします。


好きなアーティスト、好きなアイドル、昔の曲、今の曲、とにかく「アガル」やつでお願いします。

好きな曲でもシメっぽいのはだめ(それは別の時に)。


騙されたと思ってやってみてください。

途中で呼吸のことを忘れてしまうかもしれないですが(笑)、思い出してまた呼吸してください。


そんな風にひとしきりやってみるとですね、
湿っぽくて停滞した案件について堂々巡りで考えているのが、ちょっとアホらしくなってくると思います。
この「アホらしくなる」感覚というのは、問題を軽視したわけではなく、気持ちの温度が上がった感じです。


人生、何が大事だっけ?
こういうことにエネルギー奪われるためにあるんだっけ?



というような、もっと抽象度の高いところで考えられるようになっていると思います。



世界には明るいものだってたくさんある
闇や影もあるけど、闇や影だけじゃない

と思える力をもらえると思います。

音楽の力、エンターテイメントの力ってそういう次元を刺激してくれます。


自分の中の明るい部分を刺激してもらい、明るさや元気を文字通り「もらって」ください。それこそアーティストが人に向けて行いたいアーティストなりの「救済」で、苦しい時や辛い時にその救済に助けてもらうことは、発信側のアーティストにとっても願ったり叶ったりなのです。

それでもって、さっぱりした気分を得られたら、もう一度静かに呼吸に集中してみるといいです。

ぜひやってみてください。


まずひとつのフィジカルな面でのアドバイスでした。


次回に続く・・・




ナマステ
EMIRI

2019年7月12日金曜日

長い梅雨コラム&ヨーガ哲学入門講座開設のお知らせ




今年は長い雨ですね。

ちょっと寒い日もあり7月だということを忘れてしまったりします
でもしとしとと雨の降る日はなんとなく世界も静かで、(室内にいる限りは、笑)その静けさが好きです。

晴れてほしいな〜と思いつつも、せっかくなので「雨」とインド思想についてを少しお話します。

ヨーガの発祥地インドの死生観では「雨」ってとても大事で、雨(つまり水)が生命の運び手であり輪廻の媒体と考えられる思想が古代の文献の中にあります。

それはインドの気候が影響しているのでしょう。日本や雨の多い土地では古来より太陽への信仰が中心である場合が多いですが、灼熱の乾いた地の多いインドでは切実に雨を求め続ける歴史だったのだと想像できます。

インドでは「雨」と「輪廻」(生まれ変わること)の関係はこのように語られます。

 “死者の魂は月にいったんとどまり、雨となって地に降りて、土に吸収されす。

 土から植物(穀類)に吸収され、それを食べた男性の精子となって女性との交わりによって胎内に注ぎ込まれ胎児となる。

 そして再び人間に誕生する”

このように人は死んだら月の世界へと上昇し、魂は水とともに天から戻ってくるという思想です。

 え、なんで男性に入った場合限定なん?
 女性にはいって卵子から転生はできへんの?
とか、
 その穀物、動物が食べたらどうなるん?

などなど(笑)、その思想の中で育ったわけでない視点ですと色々つっこみたくなるかと思いますが、まあそんなわけなんですよ(片付けた!笑)
 

というわけで、雨を見たら

あ~、人の魂がいっぱい降ってきた、誰かの輪廻が降ってきた~~」

と思ってみるのはどうでしょうか(笑)
ふふふ。


 さて梅雨時のヨーガですが、「水」の気質が高まるこの季節は「火」の要素を高めて気のバランスを整えるといいです。
例えば「三日月のポーズ」など後屈のアーサナと、「ダウンドッグ」などの腹筋を使うポーズをゆっくり繰り返しおこなってあげるといいです。5〜6回繰り返すだけでもスッキリすると思います。
 腹筋背筋をまんべんなく使って血の巡りや消化力を活性化し、停滞しやすいこの時期を乗り越えましょう♫


では、今日のお知らせへ。
ヨーガ哲学講座に新しく入門のコースを設けました。「本当にはじめてからです!」という方におすすめします。おしらせその1にて。


また随時開催中のオンライン授業の「ヨーガ哲学理論と実践6ヶ月コース」ですが、リクエストの多かった週末開催を設けました♫
他の仕事との兼ね合いなど諸々ありで週末に開催できる機会が少ないので、ご興味ありの方はこの機会にぜひチェックしてみてください。おしらせその2にて。



<お知らせその1>
入門コースができました



オンラインヨーガ哲学コース

「楽しく学ぶ、はじめてのヨーガ哲学」


このコースはヨーガ哲学をはじめて学ぶ方のための入門コースです

これからヨーガ哲学を学びたい方、すこし知っているけど本格的に学んだことがない方向けの内容となっています。

ヨーガ哲学の基本となる考え方を学び、その先の学びへとつなげていくスタートとして役立ててください。


講義はすべて【動画】での解説になりますので、都合のいい時間に取り組んでいただけます。

本コースの履修内容は、とても広いヨーガ哲学の世界の中でもヨーガをするならここは必ず押さえたい」という基本中の基本テーで構成されています。

そしてヨーガ哲学を個人の日常や生き方に反映させやすいよう、るべくわかりやすく、そして楽しく解説します。


「ヨーガはいったいなにを目指す?」

「ヨーガとはいったい何をすること?」

「ヨーガの“練習”の本当の意味は?」

「“自分”っていったいなに?」

「ヨーガにはいろいろな道があるの?」


初歩段階で湧くこういった疑問にも答えが得られます。

基本理論の学びを通して、人生の指針や自分自身に対しての理解が深まります。


 
【募集中】
・2019年8月スタートの回
・2019年9月スタートの回
を募集中です。
2019年7月17日(火)まで初回オープン割引を実施しています。



<お知らせその2>




より深く、本格的にヨーガを学びたい方へ
古代のインド思想史ふまえつつ重要聖典の成り立ちからスタートし、現代のヨーガにつながる理論と実践知を学びます。ヨーガ哲学を基礎理論から聖典の読解へ、日常生活への応用まで学ぶコースです。

ヨーガの考え方は人生のいろいろな場面で支えになる素晴らしいものです。興味を知識に変え、知識を人生に変えてみましょう!ワクワクするヨーガ探求の世界へ。

今回の開催はリクエストの多かった週末の日程になります。平日開催だと参加できない方もぜひご検討ください。



ヨーガ哲学の理論と実践 6ヶ月集中コース ・オンライン講座
2019年7月17日(火)まで早期割引を実施しています。