EMIRI MOROKA -HEART MATRIX-

師岡絵美里のブログです♪


2019年7月29日月曜日

ヨーガ哲学の歴史から自分を知ること

前回の内容の、やや続きです。(ややw)




インドの思想の歴史をみてみますと、もちろんなんですが思想の変化というのはそれだけが単独で起こるわけではなく、その時代ごとの人々の実生活の変化によって起こってきます。

インドでのそれは、紀元前1500年頃からの流れですと以下のようなかんじです。超ざっくりですが。



アーリア民族大移動時代
遊牧と侵略。豊かな地を求めてインドへ。
アーリア人の古来からの信仰をベースに、厳しい自然環境を生き抜くための信仰や思想を持つ。



ガンジス川周辺地帯への定住と農耕社会の発達
定住するその地域での社会の支配体型が必要になる。人々の関心事である「豊穣」や「安定」を司る神格の存在を認め、その神々への賛美と礼拝の思想が中心となる。アーリア人によるバラモン教支配体制のスタート。カーストができる。



・都市国家社会の発達
それまでの農耕による集落社会から、人口の増加や鉄器の製造など工業の発達が進み、儀式や礼拝中心の信仰以上に、都市型生活を支えうる思想が必要になってくる。カースト社会の生活での苦や、個人の悩みを解放するような教えに人々が関心を持つ。



・哲学的賢人の台頭
思想(信仰)による全体の支配を疑問視する動き、または思想をより普遍的な真理へと昇華させるムーブメントが起こる。
人が生きることの真の意味や人間の本質について、哲学的探求が盛んになる。







ざっくりですがこんな感じです。

(もっと細かく詳しいことは集中講座
で説明しています。ご興味あればぜひご参加ください。)






日本でも、代表的な例で言いますと、太平洋戦争の前と後では思想に大きな変化をよぎなくされた。

それまで「神」であり国の指揮者であった天皇は「人」になり、そして政治的な権限を持たない象徴になったことは、それまでの思想を当たり前に信じていた人々にとって大きすぎる変化であったでしょうし、同時に産業化、近代化を猛スピードで進めていく世の中では、以前のままの思想ではいられなくなるのは当然です。


それでも残る根本的な民族的気質というのも当然残しながらも、やはり人々の全体を覆っている社会の思想、価値観から雰囲気まで、変わらざるをえない時というのがありますね。






インドの古代の思想史というのも同じで、長い年月の中での人々の実生活の変化が、思想の変化を生みます。


現代における思想のシフトと、古代のそれというのには違いがあり、それは「時間のかけかた」です。古代の思想は、長い時間をかけてじっくりと変化し完成していった「熟成」を持っています。



そして思想の熟成の中で、「哲学」が起こります。



「思想」と「哲学」はよくいっしょくたにされがちなんですが、これは別のもので、詳しくはまた別の回でお話しようと思います。


今語りたいのは、「時
の洗礼を受けているもの」ということ。


思想にも、短いスパンにおいてのその時代の「風潮」レベルのものと、長いスパンで発酵した末の深い思想があります。短いスパンの「風潮」から生まれたその時の価値観は、哲学めいたものであっても「賞味期限」があります。




賞味期限がある一種の「価値観」は、それが流行っている時はなんらかの効力を発揮するのですが、やはり限定性のあるもので、真理ではなく一時の信条にすぎないわけです。期限が終わるとまた違うものを必要とし、放浪することになります。



長い時間をかけて洗練された思想という土壌からは、「本当にそうなのか?」という「問いかけ」が起こり、哲学がはじまります。そして削ぎ落とされ、磨かれ、探求され、真理へとたどり着きます。




また同時に、思想の中で「哲学すること」自体が、その思想を洗練されたものにしていき、多くの「自発的に哲学することにあまり頓着のない人々」にも浸透して力を発揮するような大衆性を帯び、その思想を生きる人々にとっての智慧に育っていくんですね。




そういった哲学は、時間を超えて、場所や期間を限定せずに機能する普遍性を持ちます。
インドのヨーガ哲学もそのひとつです。人間が生きて行くこの世界の宝のひとつだと思います。


もちろんヨーガ哲学だけでなく、世界には多くの、時の洗礼を受けた叡智があり、それらは限定性を解放した世界への親和性を持っていると感じます。






少し話を戻しますと。



ヨーガ哲学を学ぶうえで、インドの思想の遍歴を知ることはとても重要で、そこを学ぶと自分の中で「哲学を知る準備」ができあがってきます。
そして興味深いことは、

 ・どのような背景で長い時間をかけて思想が移り変わって哲学へと完成していったのか
 ・その間に当時の人々の「心」に何があったのか

ということを探ることで、自分自身の過去と現在と未来を認知する作業がシンクロしていくのです。
これってとてもすごいことだと思います。
歴史を学ぶと、ただそれを知るだけではなく、自分のことをより認識できるようになるんですね。



そういったわけで私は、ヨーガ哲学を学びたいと集まった人たちには、「インドの思想の歴史」をなるべく話すようにしています。時間やコンセプトの関係でそこに触れることができない場合もあるのですが、集中講座などでは必ず触れるようにしています。



古代のことなので未知な部分もありますが、幸いインドの思想は「言葉」で残されているものも多く、その「伝承」は古来から尊厳を持って大切に扱われていますので、現代の私たちが紐解くための材料は豊富です。



ヨーガ哲学を学ぶうえでの歴史の観測をしてみると、先にも述べましたが「自分のことも観測できるようになる」のが、個人にとっての醍醐味だとも思います。




これを読んでくださっているみなさんの人生にも、歴史がありますね。


もし、自分の現在地を確認し、そして未来をよいものにしていきたいのなら、一度「自分史」を書き出したりして、振り返りの機会を作ってみることをおすすめします。



それはインドの歴史やヨーガの歴史を学ぶのと同じくらいの、あなたにしか解き明かせない叡智が潜んでいると思います。自分史上最大の発見もあるかもしれません。

今、心悩んだり、もしくは将来が不安だったり、ないしはよりよくしたいという動機だけでも、自分の歴史の振り返りはとても有効だと思います。

でもちょっと注意は、そこで感傷的にならないように作業しないといけません。トラウマ的なことを感情で追体験するのはおすすめしません。客観的に、感情的にならずに、公平でクリアな目でそれを見るのが一番有益です。



もし感情的になりそうな気配がしたら、まず自分以外の歴史を学ぶことで訓練するといいと思います。

ピアノが好きなら、ピアノの歴史。
バッハが好きならバッハの歴史。
書道が好きなら書道の歴史。
パン作りが好きならパン作りの歴史。
K-POPが好きならK-POPの歴史。
外国語が話せるようになりたいなら、その言語の歴史を。
ヨーガが好きなら、ヨーガの歴史を。


こんな風に、自分が大事だと思っていたり、好きでもっと知りたいことがあれば、その歴史を見ることを習慣にしてみますと、その訓練は「自分を見る」訓練になっていきます。




なにはともあれ、歴史を学ぶことは今を知り、未来をみつめることになります。



ヨーガ哲学の講座やオンラインコースでも、ヨーガの歴史を伝えるようにしています。興味のある方はぜひ講座で会いましょう。

歴史を知ることまなぶこと、それは自分を知るための訓練であり、ひとりひとりの魂の旅の全体地図になります。



学生の頃に歴史が苦手だった人も、大人になった今だからこそ感じられるおもしろさが絶対にあると思います。







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最後までお読みくださりありがとうございます。

ナマステ
EMIRI

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