EMIRI MOROKA -HEART MATRIX-

師岡絵美里のブログです♪


2016年9月29日木曜日

光の部屋。


ラップトップを持ってカフェに行って仕事をすることがあります。

今いるカフェは広くて、駅からちょっと離れてるのでいつも比較的すいてて、小さいお子さんつれて一休みしている母子もちらほら。


斜め前に2歳半か3歳くらいの女の子がいます。

背中が小さくてなんともかわいい。

あんな小さい体の中に、必要な臓器とか機能とか、ハートも全部はいってるんだなと、なんだかすごく感心してしまった。

そして自分の子どもが大きくなったことに、改めて「すげえ!」と思う(笑)

目の前にいる女の子くらいのサイズだったのに、今はもう130cmくらい。

それだけ中身の臓器も大きくなり、安定し、機能性も育ったわけです。

すごいねーーー生き物って。




高齢の老人を観ると「未来」を感じて清々しいです。
これはすっごく不謹慎なことに聴こえるかもしれなし、気を悪くされないでほしいのですが、

ああもうすぐ、その体の制限から旅立つんだな。
その時はすごく気持ちがいいよ。
その体を担当する期限がまっとうされるね。
その時はすごく気持ちがいいよ。

と。

もちろん高齢になってもまだまだ元気で何年も生きる人もたくさん。

「あと何年」とか「死期が近い」とかそういうことを「観てる」んじゃなくて、
高齢の人というのはその人がその肉体で体験してきた様々な軌跡がだんだんと透き通っていき、身体の衰退とは関係ない美しさが中から光ってくるのです。


私の祖母がなくなった時、私はその時その場で見とれなかったのですが、翌日帰省して祖母の亡くなった部屋に入ったら、もう誰もいない部屋が光でいっぱいだった。光りまくってた。

その何年も後だけど、その部屋で私は娘を自宅出産した。

その時も生まれたて赤ちゃんがいる日々は、夜中すべての照明を消しても部屋の中が光ってた。

産んで数日後のある時、授乳以外のタイミングでハッと起きた時があった。
そしたらもう、横にいる赤ちゃんが光りすぎてて、
しかも昼間はまだそんなに目が開いてなかったのに、その時は目をあけてこっち見てた。

「すごいもの産んでしまった!!」と思ったのを今でも覚えている(笑)

祖母の死と娘の出産で、生まれるのと死ぬのは、本当はまったく同じことだと気づいた。


いらっしゃい、ちいさいこたち。

ありがとう、これまで生きたひとたち。


赤ちゃんでも青年でも中年でも老人でも、

人はいつもただの光。

すごく大きなただの光でしかない。

それが真実だと思うのです。









いろいろな理由をこえて


ある友人と会いました。

私の好きなお店でランチをして、近況などを報告し。

彼女とは、前はわりと頻繁に会える環境にいたのですが、最近は約束しないとなかなか会えない場所にそれぞれ変化がありました。

彼女が夏に私に一件お仕事を依頼してくれた関係で、改めてお昼でも一緒に行こうという流れで会えたのですが、とてもよいタイミングで会えました。

近況などを話したら、偶然ではあるけれどそれもまた神様の配慮、彼女と私の最近の「テーマ」がまったく同じで、お互いにびっくりしつつもなんか納得(笑)

今日ここであえてよかったね、と。

内容はプラベートすぎるのでここでは書きませんが、
生きているとそういう「ポイント」が来るものです。
今このことをしっかり対峙して、そのうえで先に進むべきだ
というようなテーマが。


すごく良い時間でした。

人と人は、いろいろな理由を乗り越えて会えるものだな、と思いました。

私は彼女の感性とか優しい心が好きで、彼女が創造するものもすごく好きで、そういう彼女が自分にも心を預けてくれる時間がとても心地よかった。

彼女とお互いの似たような近況を話し合って、
先々にあるものに希望を感じ、
そしてまた何か手放せた瞬間でした。

誰であっても、例えばだけど
”ひとりで”瞑想してても手放せないものってあるのです。

ヨーガや瞑想で解消できないからまだまだ自分のヨガは未熟だ、とかそういうことじゃなくて、

心、そしてカルマというものの原理が、私たちを「誰か」に引き合わせる。

誰かと、心を通わせることでしか溶けないものがある。
それは確実だと思います。

そしてそういう「解放」のミラクルを可能にしてくれるのも

「友達がいる」というすばらしさ。

誰かに会うすばらしさ。


お互いに、本当に今日あえてよかったね、と言って別れた。

人生っていいね。

みんな幸福でありますように。


2016年9月26日月曜日

秋のホリデーヨガ報告とアミターユスサロンプラットホームについて

みなさんこんにちは!

昨日ピラミッド瞑想センターでホリデーヨーガをしてきました。

少人数でしたのでみなさんとじっくり話せたり、そして心地よいヨーガを時間をかけてのびのび行えて、とても気持ちのいい1日になりました。
ご参加のみなさんありがとうございます!!

ここのところずっと雨でしたが、昨日は天候にも恵まれ、川辺での瞑想や散策も楽しめて、かなり浄化されました。


晴れた!





川辺でクリスタル。水と音の浄化、とてもよかった!!


瞑想。




前日まで降水量が多かったため、川はいつもよりも水量が多くて流れも速かったです。いつもは膝くらいまでは入れるのですが、今回はなし。
でも少し足の裏を水にひたしただけでもかなりの浄化力でした。


ゴーゴーと音をたてて流れる川の水の音は下降へと流れるベクトルを持ちます。それとは違ってクリスタルボウルの音は円周的な音。

その直線的なベクトルと放射線的な展開の2種の音が混ざった時、
とても不思議な音世界を体験することができました。
異次元的にクロスする音を頼りに、私たちの意識が起こすちょっとしたマジックを解明し、物理のお勉強のような時間になってとても楽しかったです。
この話はまた次回しようかな。


今回のイベントは、アミターユスサロンプラットホームという私が関わるヨガプロジェクトの定期イベントとして開催しました。


まだ発足したばかりのプロジェクトですが、みなさんのヨガライフを楽しくそして持続的なものにサポートするプログラムを展開していきますので、ぜひサイトをご覧ください。

「オンラインサロン」という形式でのヨガプログラムにはまだ馴染みがないかもしれないのでちょっと説明すると、

私も含めそれぞれの講師がオンライン上で受け取れる授業やディスカッションでのなどを展開します。
つまり、オンライン・サットサンガです(笑)

私のサロンは、日々に寄り添うヨーガ哲学を配信し、みなさんと交流していくサロンになってます。

始めの一ヶ月は無料なのでぜひ入ってみてください。
私のサロンは10月から始動いたします!!

http://amitaayus.com/



2016年9月25日日曜日

変化する心のテーマ2016


ヨーガの生徒さんや講座受講のみなさんからよくもらう質問や、意見を求められること。

最近は「人間関係」が多いです。


すごく興味深いことがあります。

6年くらい前は質問や相談のテーマが「仕事」や「成功」についてが多かったんです。自己現実とかね。「引き寄せ」みたいな言葉が流行りだしたころかもしれません。

でも震災後2年くらいは、「使命」というような内容に変わりました。
震災によって人生や世界に対する意識が大きく変わり、もっとこの世界をより良くしたい、人生を意味のあるものにしたい、という感覚が強まったのかと思います。
すこし刹那な感覚もあったかもしれないです。「明日終わるかもしれないこの人生だから」というような。

で、その「使命感」みたいなものもだんだんと緩まり、
ここ2年くらいは、なんだと思います?

ダントツで「結婚」です。出会い、恋愛も含め。
毎年年末年始だけ受付ている個人セッションでも、去年と一昨年は結婚についてが一番でした。
(この流れはとてもよくわかります。
グローバルなテーマや俯瞰した見方に一時行ったとしても、
最後には自分自身のごくごく個人的な人生をどうするということに必ず帰還します。)


上記であがったすべてのテーマは、いつのどの時代でも多くの人が関心を持つテーマだと思います。

何年もこうやって人の心のテーマに寄り添う仕事をしていてわかったのは、年によってテーマがひとつの方向に寄る傾向がある、ということ。


一番最近のこの半年くらいは、「人間関係」全般についてが多いです。

出会いたいとか結婚したいという「願望」を主とした相談はこの2年すっごく多いのですが、今年に入ってからは、配偶者との関係とか、何年もいっしょにいる人との関係とか、友達との関係などなど。



おもしろいですね。

なにか潜在的にみんなの思考がどこかに寄っていくのだと思います。

今年は何が出てくるのかな〜〜。


毎年恒例の年末年始のお清め的なヨガワークショップの予定をそろそろ出していきます。
そしてまた年末年始だけ個人セッションもオープンにしようと思います。
今計画中なので、もうしばしお待ち下さい。

こちらのブログか、私のサイトからのメルマガでお知らせしていきます。




2016年9月22日木曜日

バガヴァッドギーター17節「行為の質」につていの洞察



今日はひとつギーターからの洞察をシェアします。

第17章です「質(グナ)」についての章です。

「ヨーガスートラ」でも語られるサットヴァ、ラジャス、タマスの質について、いろいろな角度から教えてもらえる章で、いつ読んでも新しい洞察があります。自分自身の行為の方向性を確かめることもできる素晴らしい章です。
実際の文をみてみましょう。

「与えられるべきだと考えて、見返りが期待できぬ相手に、場所と時間と受者が適切な場合に与えられた布施は、純質的(
サットヴァ)な布施と伝えられる。(20)

一方、見返りを望んで、または果報を意図して、渋々与えられる布施は、激質的(ラジャス)な布施と伝えられる。(21)

不適切な時間と場所において、不適切な受者に対し、敬意を表さず、軽蔑して与えられる布施は、暗質的(タマス)な布施と言われる。(22)」
実際の本のページの画像です☆臨場感のために。































ここでは「布施」というモチーフで「質(グナ)」が語られています。

宗教的な行為としての”お布施”という意味だけではなく、

何かを人に施す(する)時の行為の質としてみると

私たちの実生活の洞察につながると思います。


20節。
見返りを期待しないで、与えられるべき適切な受者に、適切な時と場所においてなされる布施は純粋な性質のもの。

21節。
見返りを求めたり、初めから何か「それをやれば自分にいいこと起こる」ことを意図して、本心ではないのに布施をする人は、激質の人。つまり心の乱れや欲望から、そのような行為をする人です。

22節。
時も場所も不適切、もらう人も不適切、敬意なく軽蔑して与えられる布施は、心の闇から起こっている行為であり、その行為を通じてなんの明るさも発展性もない心の闇の質です。




私なりの観点。

わたしたちは普段、人との間でいろいろなエネルギーのやりとりをしています。
物品としてのやりとりだけではなく、言葉のやりとり、心のやりとりです。

自分自身が人と向かい合った時にどういった質の「行為」を行っているか、よく考えることができる節だなと感じます。
20節のような、心の純粋さや行為の純粋さを通じて、自分自身を浄化できる人はサットヴァな人。

例えば言葉ひとつとっても。
何かをコントロールしたい欲求が強い人は、上記の21節のようにラジャスの質で行為します。果報を意図し、期待したことが返ってくることを望みます。


また、自分自身や物事をよく見る心の清さがなく、物事を惰性や無関心の中で行為する人は、人に何を与えたとしても、それは相手にとっても暗く重い質、タマスなものとなります。自分も救われません。

結局、自分の行為の質が本体(自分)の質を決めますね。



こういったように、ひとつのくだりからでも、
自分自身の生き方について多くの洞察や、生き方の改善を促してくれるのがバガヴァッド・ギーターです。
心の迷いがあっても、光をあててくれるのがギーターです。
まさに魂の救済。



興味がありましたらぜひ講座にお越しください。
前もってお問い合わせしたい内容があればお気軽にください。


今回の講座は「其の壱」としまして、バガヴァッドギーターの第1章から4章までを紐解いていきます。

上記で取り上げた17節はまだまだ先なのですが(笑)、継続して、先へ進んでいく予定です。



9月21日から30日まで、最終割引期間となっています。

■日程:2016年
10月12日(水)9:00-12:00
10月19日(水)9:00-12:00
10月26日(水)9:00-12:00
JR京浜東北線大森駅下車東口徒歩約3分
■講師:師岡絵美里


詳細・お申し込みはこちらです。


ご参加お待ちしています。
絵美里

2016年9月21日水曜日

自己出産。

みなさまこんにちは。
師岡絵美里です。いつもご愛読ありがとうございます。



人はみんな、意識的にせよ潜在的にせよ、

「よりよく生きたい」

って思っています。


よりよく生きるうえで、自分の内面の変更が必要な場合もたくさんあるのですが、人は変化することに抵抗を持ったり今までと同じ状態を好む習性がありますね。

ヨーガというのは、人を同じ状態に固定する鎖を解く力があると思います。

それを歓迎できるかできないかは人によりますね。
変わりたくない人は、ヨーガをやりながらも「変わりたくない」と思う癖を手放さないままにヨーガをします。
でもそんなこと無理なんですわ。ヨーガって、変容を起こすものなので。

今日、8月期として開催していたオンライン・ヨーガ哲学講座の「みんなのヨーガスートラ・発展編」が終了し、これまでの課題レポートへの返信を参加者のみなさんに送っていました。

その中で、心の脱皮について触れました。

私たちは「気づいた」と感じても、まださらにその上の気づきと進化が待っています。

ひとつの素晴らしいことに気づくと同時に、また別の「無知」を見ることもあります。
成長した!と思っても、まだ山のような課題があるのを知ると、一瞬落ち込みます。

でも、私たちの心には脱皮できる層が幾重にも重なっていて、一枚一枚脱皮していくような仕組みになっています。

私たちの精神的な脱皮は、地球の生き物たちの脱皮と同じように時期」が満ちないと脱皮できないんです。

時が満ちていないのに脱皮するのは致命的なことになります。

中身が新しく強くなっていないうちに皮をはぐと、それこそ死んでしまいます。

もっとどんどん前に進めたらいいのに、と思うこともあるかもしれないですが、練習や体力作りがままならないうちに、理論や小手先のテクニックだけで「やろう」とすると、本当に致命的な精神の怪我につながります。

ヨーガは時間の力も借りながら、その人の速度で進みます。

遠回りしているような気持ちがする時もあるかもしれないですが、実際は、必要な準備期間が物理的にもあるんですよね。


ヨーガの実践は、あらゆる変容ための内面の準備を満たしてくれるものだと感じます

ほんとにそうですよ。



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と、ここまでは今日私のサイトからメルマガで送った内容なんですね。


昼間それを書き終えましたら、ちょうど娘が学校から帰ってきました。


そして帰るとすぐに、

「学校で○○ちゃんたちが育てていたザリガニが、脱皮に失敗して死んでしまったの。」

と。

ちょうど私はそのような比喩をメルマガに書き終わったところでした。


「失敗って、どういう失敗だったの」

と聞いたら、どうやら脱皮と同時に本体部分までもげて、体がバラバラになってしまったようです。

私はザリガニに詳しくないので、ちょっとネットで調べてみましたら、そういう脱皮の失敗も多々あるようです。

脱皮というのは人生かけた一大作業。

いろんな条件が揃ってないとダメなようです。

体力、栄養、酸素、他いろいろ、



ザリガニも、人も、命がけですよ脱皮は。

自分で自分を出産するってことですからね。


私たちも人生の中で何度か、

自分で自分を出産しなくてはいけない時があります。

すっごい大変。

失業とか倒産とか、病気とか、事故とか、離婚とか、死別とか、大失恋とか、何かの衝撃のすえに脱皮を迎える人もたくさんいますし、

かと思えばそういう事情なくして一人、ただ何かを思って古い自己を脱ぐ人もいます。

なんにせよ脱皮は、体力のいることです。

そして神がかったタイミングが必要で、それは絶対に思考では計算できない神様からのキューがあるんだと思います。



ちなみに娘は、その友達の大事にしていたザリガニの埋葬を手伝って帰ってきたそうです。お祈りをしてきた、とのこと。



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上記に書きましたオンラインヨーガ哲学講座の「みんなのヨーガスートラ・発展編」は、ご参加のみなさんの真剣な取り組みで、素晴らしい成果とたくさんの変容の中で終えることができました。
通常あまり取り扱われることのないヨーガスートラ第3章へ進めたことも、今回の大きな成果でした。
とてもとてもダイナミックな学びで私も感動ひとしお。
年内もう一回開催しようと思います。
興味のある方はお問い合わせもしくはお申し込みをお待ちしています。

詳細はこちらです。
早期割引、2016年9月30日まで実施中です。

2016年9月7日水曜日

素直さが人生を照らすのだ・マニプーラチャクラ!

EMIRI&Masumiのチャクラジャーニー 〜聖なるチャクラをめぐる旅〜

第3チャクラin沖縄





私師岡絵美里とMasumi Lacoste先生、そして音楽にAki-Ra Sunriseも加わり、楽しく充実したリトリートを開催します。


チャクラのことを知っている良さってなんだと思いますか?

私が個人的に感じるのは、自分の感情のバランスが今どんなふうに動いていて、どんなふうにコンディショニング可能かということが、かなり具体的にフィジカルにわかるという点です。

ヨーガのすべてのアーサナはチャクラの状態を整えて、なおかつもっと機能的に優れた働きをするように開発する力があります。

それにはアーサナの行い方や呼吸のとり方、そして自分自身のマインドの状態などをアラインしていく必要があります。

ヨーガの練習をする場合にとても大事なポイントです。やみくもにやってればいいわけでもないです。

今回はマニプーラチャクラという体のど真ん中、
自己意識としてとても大事なチャクラです。

ぜひ学びに来てください。
実際は、楽しく体を動かして、自分に素直になっていく過程で第3チャクラはどんどん開いていきます。

キーワードは、素直さ。

お腹のマニプーラの光って本当はすっごく強いです。

しかし多くの人が、自分を表現したり自分を解放することに、

遠慮したり

恥の意識を持ったり

自信が持てなかったり

いろんなマインドが邪魔して光が外に出れない状態であることも多いです。

でも素直になって、

自分ならではの開き方でいいのでチャクラをオープンに、回してみましょう。

人と違ってぜんぜんいいわけです。

そんな、自己の解放を沖縄で、やっちまいましょ〜〜〜〜〜!!!笑

いえ〜〜い!




行きたいな〜〜って思ってる人、来ないとけっこう後悔するyo!!

人生一度きり!!!




太陽のような輝きのMasumiさんと、一瞬で地球一周できるくらいのスピリチュルな音楽を聴かせてくれるAki-Raと、そしてソウルが喜ぶアースなお料理を作ってくれるMisakoさんと、待ってます!!!

私も踊るです、本気で(笑


9月末日まで最終割引価格でお申し込みいただけます。
クレジット決済も可能になりました。

お早めにお申し込みください。定員も半数以上埋まってきました。




「師岡絵美里の秋のホリデーヨガ」ピラミッド瞑想センター」

アミターユス・サロンプラットフォーム主催


師岡絵美里の秋のホリデーヨガ@ピラミッド瞑想センター







ピラミッド瞑想センターにて「師岡絵美里の秋のホリデーヨガ」を開催いたします。

夏の日差しも少しゆるやかになる9月下旬、爽やかな秋の気配を感じながら自然に囲まれた環境でヨガをしましょう。

心地よいヨガ、自然の営みを感じながらの瞑想、川辺での語らい、新鮮な空気と美味しいご飯。

この秋の一日を通じてすっきりリフレッシュできること間違いありません。

ヨガの担当はピラミッド瞑想センターが大好きな師岡絵美里です。気持ちいいヨガを楽しみましょう。

ピラミッド瞑想センターの自然食のご飯はとっても美味しくて有名です!発酵玄米や酵素たっぷりのお料理、ピュアな水や素材にこだわった絶品のメニュー。素朴な味わいの中に深い癒しと滋養を感じさせる味です。わざわざ遠くから「ご飯を食べにきました!」と訪れる人もいるほどです。体が喜びに満たされる自然な食べ物で、夏の疲れをとり、心身のメンテナンスをしましょう。

みなさんのお越しをお待ちしています。


*この1dayヨガイベントは師岡絵美里のオンラインサロンを企画・運営する「アミターユスサロンプラットフォーム」によるコミュニティヨガイベントです。




■スケジュール
2016年9月25日(日)
※電車の場合は10:20~30頃にJR梁川駅に着く電車でお越しください。駅から徒歩10分ほどです。

10:30~10:50 集合&受付
11:00 ヴィンヤサヨーガ 60min
12:00  瞑想30min
12:30  自然食でのランチ
13:30  川辺のサットサンガ
  「すべての体験にヨーガがある」の巻 
  (雨天の場合は室内)
14:40 ヴィンヤサヨーガ 40min
15:20  体を癒すゆったりヨーガ 30min
  体に優しいおやつタイム
17:00 解散

■参加料金
一般:6000円
アミターユスサロン会員:3500円
 ※上記金額にはイベント参加料とお食事代が含まれます。交通費は含まれません。



こちらのワークショップイベントはアミターユス・サロンプラットフォームが主催しております。
お申し込みは以下のリンクからお願い致します。
http://amitaayus.com/salon/akinoholidayyoga/
 ゆっくりヨーガしましょう。私ものんびりやります(笑)
ぜひ来てください。

芝居感覚が好き。言語のおもしろさ。

この記事はサイトから配信の無料メールマガジンにて送信したものです。


みなさまこんにちは。
師岡絵美里です。
いつもメルマガのご愛読ありがとうございます。

みなさんの今の関心事はなんですか?

私が語学が好きで、フランス語と中国語をぼちぼちやってます。

先日、ヨーガクラスの帰りにJR有楽町駅で電車を待っていたら、中国からの家族連れさんが乗り換えで迷っていました。

近くの日本人に行きたい駅や乗り換えがわからないということを英語で話していたのですが、話しかけた日本人が英語がわからなかったようで、かなりお互いに苦戦してて、私はすぐ話しかけてしまいましたw。

私の中国語はまだかなり初歩で中国語での道順説明はまだできないので、とりあえず英語で要点を説明して。英語って便利ですなー。

途中まで一緒に行けるルートだったのでその家族と3駅ほど一緒に移動しました。
せっかくだから中国語が話したくて、知ってる簡単や言い回しで調子にのって話したら大変喜んでくれて、私も嬉しく、のち1年分くらいの中国語へのモチベーションをいただいた気分です!!(笑)
もっと頑張ろう。と思ったw。


なぜ私が外国語が好きなのか。

それはですねー

単純に話せたら便利、ということもありますが、

それだけではなく「芝居感」が好きなのです。



英語を話す時、ちょっと人格は変わります。
おそらく英語をある程度話す人はみんなそうだと思います。
英語自体が持っている「言語意識」にならないと英語って話せないんですね。
日本語と英語ってとくに、マインドの動き方がぜんぜん違うので、そうしないと話せないというところがあります。

そしてそれは他の言語もだいたい一緒で、フランス語を話す時はフランス語の持っているリアリティに自分が入り込むのがおもしろいのです。
私はぜんぜんビギナーのくせに気分はフランス人的な人格になりますw!!
あとおもしろいのは、フランス語のレッスンの時は、自分初級者にもかかわらず「おしゃべり」になる!


中国語の場合は、やっぱ中国人っぽくなるのです!!これはほんとに楽しいです。

純日本人にはないあの押せ押せの感じとか(笑)、気の強さとか、自分がとりあえず一番だし正解!みたいな感じですよ(爆)。

あ、中国人のみんながそうではなくてもね、一般会話での中国語の持ってる波動がそれなんだと思います。
主張です、とにかく主張!
主張につぐ、主張!!(爆)
誰のことも気にしないで主張する、といいのが基本姿勢ですね。

もちろん芸術性というステージでの中国語はまた違う波動で、それはそれは美しい。繊細な織物みたいななめらかさ。いつかあんな風に美しく発声できたらいいなーーーーと思います。
遠い道のりですが、生涯学習的にがんばります(笑)。


まあ、そんな感じでね、その言語特有の「意識」がかならずあります。
その言語の持つリアリティです。

他の言語では感じることができないものを、それぞれの言語が持ってますね!
その言語に触れているとその文化と人の心の気配が感じられます。

逆に言うとそのリアリティに乗りきれないと、頭の中で日本語を考えてから違う言語にする、という時差が生まれて、結局話せないのだと思います。

ある意味芝居のように演じて楽しむのが好きです。
そうしていると、視野も感性も大きく広がる感じがして楽しいです。
一種のなりきり、ものまね、なんだけど自由を感じます。

自分の中でいろんな言語リアリティがチャンプルされてくのがおもしろいです。
これはたぶん、やめられないですね。


みなさんはどうですか?


来年のバリ島ヨーガリトリートは、英語でヨーガ編もあります!英語やってみたいけどなかなか踏み出せない、という方でも大丈夫です。
よかったらぜひ来てください。



師岡絵美里

2016年9月3日土曜日

友達に会いに行こう。


ここ二ヶ月でバリに行って、山梨に行って、伊豆に行って。

楽しかった。

来月は沖縄行って、できればどっかでスキを見て屋久島にも行きたいな。

年末にまた行こうと思っている場所がありそこは初めてのところで、

来年はかならずタイに行きたいし、3月はバリ島のリトリートがあり、

夏にはフランスに行こうと思ってて、どうせフランスまで行くなら帰りに西アフリカに(約10年ぶりに!)寄りたい。娘も連れていきたい。


今年もいろんなところに行って、そして来年もそうなる予定で。


で、なんでそんなに行くのかは、

表向き仕事だったり、

表向き目的があったり、

そこでやりたいことがあったり、



なんだけどさ、


要は、友達に会いに行っている。

これから行こうとしているところにも友達がいたり、集まったりしている。


もちろんまったく初めての場所、知人もいないところにも行く。

けれどそこに「友達」がいることを知っている。まだ見ぬ友達。

ぜったいにいるもんなんだ。

それが旅だから。



友達ってのはいわゆる”仲がいい人”とか”よく知った人”、とかだけじゃなく、

前に行った時にお世話になった人、とか、あの食堂のおばちゃんにまた会いたい、とか、一回しか会ったことないけど思い出に残る心の交流が起こった誰か、とか、そういう人も含まれる。


いろんな場所にいろんな友達がいる。


世界に、いろんな友達がいる。


これは、私が小さいころ夢見ていた人生のイメージ。

世界中に友達がいる。会いに行く。

そうなった!ばんざい。


世界の友達に会いに行く。


だから旅に出る。


人生で最も大事なエッセンスのひとつ(ひとつと言ってもこれに限るかもしれないが)は、


人との心の交流、

会いたい人に実際に会うこと、

もし会えなくても心からその人たちの幸福を思うこと。

この人生が終わる時、その人たちのことを平穏に幸福に思い出せる。

その甘美。



友達に会いに行く。

好きな人々に会いに行く。

毎日のヨーガのクラスも、リトリートも、仕事と称してやっていることのすべても、

本当はただ、

みんなに会いたいのだ。

それは人生の一番の味わいだから。



私の心の一冊。

いつも旅する時に持って行く、ヘルマンヘッセの「シッダールタ」の最後も、幼いころからの友と再会して、終わる。

解脱も、悟りも、光明も、

自分一人で生まれて自分一人で死んでゆくことの一部なのだと思う。

けれど、その過程に友達がいる。

なんという贈り物だろう、と思う。



だからまた旅に出る。

友達に会いに。

日々もまた旅。

今日会う友、明日会う友。

みんなみんな、

このささやかな人生に「触れ合い」という最高の贈り物を届けてくれる神様たち。

とてもとても幸福なことだとかみしめている。



そんなことを、今日思いました。


友達っていいですね。





追伸的な宣伝。

ヘルマンヘッセの「シッダールタ」からヨーガを語って、ヨガして、ついてに私と友人MASAくんが踊ってしまうワークショプはこちらです。
10月15日(土)夜、ぜひきてください。