今日はひとつギーターからの洞察をシェアします。
第17章です「質(グナ)」 についての章です。
「ヨーガスートラ」でも語られるサットヴァ、ラジャス、タマスの質について、いろいろな角度から教えてもらえる章で、いつ読んでも新しい洞察があります。自分自身の行為の方向性を確かめることもできる素晴らしい章です。
「ヨーガスートラ」でも語られるサットヴァ、ラジャス、タマスの質について、いろいろな角度から教えてもらえる章で、いつ読んでも新しい洞察があります。自分自身の行為の方向性を確かめることもできる素晴らしい章です。
実際の文をみてみましょう。
「与えられるべきだと考えて、見返りが期待できぬ相手に、 場所と時間と受者が適切な場合に与えられた布施は、純質的(
サットヴァ)な布施と伝えられる。(20)
一方、見返りを望んで、または果報を意図して、 渋々与えられる布施は、激質的(ラジャス)な布施と伝えられる。 (21)
不適切な時間と場所において、不適切な受者に対し、 敬意を表さず、軽蔑して与えられる布施は、暗質的(タマス) な布施と言われる。(22)」
「与えられるべきだと考えて、見返りが期待できぬ相手に、
サットヴァ)な布施と伝えられる。(20)
一方、見返りを望んで、または果報を意図して、
不適切な時間と場所において、不適切な受者に対し、
実際の本のページの画像です☆臨場感のために。
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ここでは「布施」というモチーフで「質(グナ)」
私たちの実生活の洞察につながると思います。
20節。
見返りを期待しないで、与えられるべき適切な受者に、
21節。
見返りを求めたり、初めから何か「
22節。
時も場所も不適切、もらう人も不適切、
私なりの観点。
わたしたちは普段、
物品としてのやりとりだけではなく、言葉のやりとり、
自分自身が人と向かい合った時にどういった質の「行為」
20節のような、心の純粋さや行為の純粋さを通
例えば言葉ひとつとっても。
何かをコントロールしたい欲求が強い人は、
また、自分自身や物事をよく見る心の清さがなく、物事を惰性や無関心の中で行為する人は、
結局、自分の行為の質が本体(自分)の質を決めますね。
こういったように、ひとつのくだりからでも、自分自身の生き方について多くの洞察や、生き方の改善を促してくれるのがバ
心の迷いがあっても、光をあててくれるのがギーターです。
まさに魂の救済。
興味がありましたらぜひ講座にお越しくだ
前もってお問い合わせしたい内容があればお気軽にください。
今回の講座は「其の壱」としまして、
上記で取り上げた17節はまだまだ先なのですが(笑)、
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10月12日(水)9:00-12:00
10月19日(水)9:00-12:00
10月26日(水)9:00-12:00
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絵美里
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