EMIRI MOROKA -HEART MATRIX-

師岡絵美里のブログです♪


2016年9月22日木曜日

バガヴァッドギーター17節「行為の質」につていの洞察



今日はひとつギーターからの洞察をシェアします。

第17章です「質(グナ)」についての章です。

「ヨーガスートラ」でも語られるサットヴァ、ラジャス、タマスの質について、いろいろな角度から教えてもらえる章で、いつ読んでも新しい洞察があります。自分自身の行為の方向性を確かめることもできる素晴らしい章です。
実際の文をみてみましょう。

「与えられるべきだと考えて、見返りが期待できぬ相手に、場所と時間と受者が適切な場合に与えられた布施は、純質的(
サットヴァ)な布施と伝えられる。(20)

一方、見返りを望んで、または果報を意図して、渋々与えられる布施は、激質的(ラジャス)な布施と伝えられる。(21)

不適切な時間と場所において、不適切な受者に対し、敬意を表さず、軽蔑して与えられる布施は、暗質的(タマス)な布施と言われる。(22)」
実際の本のページの画像です☆臨場感のために。































ここでは「布施」というモチーフで「質(グナ)」が語られています。

宗教的な行為としての”お布施”という意味だけではなく、

何かを人に施す(する)時の行為の質としてみると

私たちの実生活の洞察につながると思います。


20節。
見返りを期待しないで、与えられるべき適切な受者に、適切な時と場所においてなされる布施は純粋な性質のもの。

21節。
見返りを求めたり、初めから何か「それをやれば自分にいいこと起こる」ことを意図して、本心ではないのに布施をする人は、激質の人。つまり心の乱れや欲望から、そのような行為をする人です。

22節。
時も場所も不適切、もらう人も不適切、敬意なく軽蔑して与えられる布施は、心の闇から起こっている行為であり、その行為を通じてなんの明るさも発展性もない心の闇の質です。




私なりの観点。

わたしたちは普段、人との間でいろいろなエネルギーのやりとりをしています。
物品としてのやりとりだけではなく、言葉のやりとり、心のやりとりです。

自分自身が人と向かい合った時にどういった質の「行為」を行っているか、よく考えることができる節だなと感じます。
20節のような、心の純粋さや行為の純粋さを通じて、自分自身を浄化できる人はサットヴァな人。

例えば言葉ひとつとっても。
何かをコントロールしたい欲求が強い人は、上記の21節のようにラジャスの質で行為します。果報を意図し、期待したことが返ってくることを望みます。


また、自分自身や物事をよく見る心の清さがなく、物事を惰性や無関心の中で行為する人は、人に何を与えたとしても、それは相手にとっても暗く重い質、タマスなものとなります。自分も救われません。

結局、自分の行為の質が本体(自分)の質を決めますね。



こういったように、ひとつのくだりからでも、
自分自身の生き方について多くの洞察や、生き方の改善を促してくれるのがバガヴァッド・ギーターです。
心の迷いがあっても、光をあててくれるのがギーターです。
まさに魂の救済。



興味がありましたらぜひ講座にお越しください。
前もってお問い合わせしたい内容があればお気軽にください。


今回の講座は「其の壱」としまして、バガヴァッドギーターの第1章から4章までを紐解いていきます。

上記で取り上げた17節はまだまだ先なのですが(笑)、継続して、先へ進んでいく予定です。



9月21日から30日まで、最終割引期間となっています。

■日程:2016年
10月12日(水)9:00-12:00
10月19日(水)9:00-12:00
10月26日(水)9:00-12:00
JR京浜東北線大森駅下車東口徒歩約3分
■講師:師岡絵美里


詳細・お申し込みはこちらです。


ご参加お待ちしています。
絵美里

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