EMIRI MOROKA -HEART MATRIX-

師岡絵美里のブログです♪


2017年7月2日日曜日

途中更新してたけど、最後まで書いたよ♪ヨーガ、女性的な道のり



オンラインの講座。いろいろやってまして。


女性のための愛のメディカルヨーガ、

ヨーガアセンディングコース、

現在リニュアル版で「みんなのヨーガ・スートラ」編纂してます。




いろいろコースをやってて、


健康

メンタル

古典

と、表面上「資質」が別れるように見えるかもしれないですが、


ぜんぶ基本は同じところにあります。


ヨーガはさ、

基本的に解脱だよ(笑)




違う言葉でいうと


「理解」


ですね。




その行程でですね、


女性的な道のり





男性的な道のり


があるんです。




ちょっと、続きはまた書く。


また書くから、そうだな、明日くらいももう一回この記事のぞいてみてください(笑)




ーーーーー


ってここまで書いて、翌日は書けなかった(笑)





結局はさ、ハタヨーガの本当にプリミティヴな伝統的行法って、


男性の構築した(解脱への)行き方


なんだよね。


その昔は秘技だったし、女性には伝えられなかったし。

だから女の肉体であれをとことんやると

どっか頭打ちに合うんです。

頭打ちというか、「体打ち」とでも言うのかな、

そんな言葉ないと思うけど。

生理的肉体の作用を使って解脱に行こうとする時に、

どうしても女の人の体に、肉体的にマッチしていないところがあると思うのです。

もちろん悟りとか解脱とか言わないで、健やかな健康のためだけだったら男女とわずそこまでやる必要ないんですが、


ハタヨガプラディーピカー的に伝統的なハタヨーガで精神を上昇させるには、

基本的に、男性的な精神集中が必要なんです。

女性的な精神集中の持っていき方は、おそらくそんなに機能しないんです。


まず、スタートの段階で「感情」おさまってないといけない。


でもね

「女性×感情」って

「男性×感情」のそれとは

まーーーーーーーーーーったく違うコンビネーションと機能性で動くものです。



そこ理解しないで女性に古典ヨーガを教えてしまうと、

卓上の空論とまでは言わないけれど


つまり「機能性」に欠けるんです。



それは自分が女だからわかることで、

女の体でここまでヨーガをやってきて、やっとわかってきたこと。

わたしだって時間かかったの。


だから、その辺りの女の体と心の機能性を理解したうえで女性にヨーガを教えていくということをやってます。

やってるの!

けっこうはりきってがんばってるの!(笑)

もちろん楽しくね。




例えばヨーガ・スートラの内容とか、

バガヴァッド・ギーターの内容とかをさ、

女性に対して、

「これこれこういうもんなです、ヨーガの考え方って」

内容を紹介・解説するだけで、

「おっけーわかりました!それでいきます!」

って機能するわけじゃない。

女性の理解や応用性が弱いというわけじゃないです。

むしろ高いし柔軟です。


でも、

女の人に大事なのは、


時間をかけて関わって、

肌身で関わって、

その波形に寄り添うこと


だと思ってます。



ヨーガの教えを知っていたって落ち込むことはあるし、

ヨーガの教えを知っていたってうまく扱えない感情があったりします。

そういう心の波形を理解することで。

理解と、小さい一歩。

そこをちゃんと見れば、ちょっとづつだけど進んでいきます。



そんな感じの、他人には見えないほどの小さい一歩を

どれだけ応援できるかが

ヨーガを教えてる人の本当の資質なんじゃないかって思うの。

これすごい大事なところで、

例えば、ヨーガを学びつつも心の悩みを解消できていないことに対して、

「ヨガできてない」

とジャッジするのは、

本当に乱暴。

それはジャッジする側の粗大な暴力だよね。

ヒンサーだよね。

ヨーガ教師やヨーガを知ってる人の、ナンセンスな独特の奢り。

ヨガナンダグルの言葉を借りると「物質界を無視する霊的利己主義者」。

感情とその波形を無視すると、どこにも行けないの!本当に。






わたしはただ理解したいの。

自分と同じように、心を持っていくている人たち、

それが男性でも女性でも。

ヨーガを「教えている」というのは言葉上の言い方なだけで、

みんなと一緒に生きている、

ただそれだけだし、そここそがしたいことなの。




いろいろ書いたけれど、

もともと何が言いいいたかったというとね、

ヨーガの目的を、聖典および伝統通りに言うと

「解脱」とか「心の作用の止滅」とか言うけれど、

生身の人生を生きているわたしたちにとってのリアリティ、

そして言葉のかもしだす「もっともらしさ」を取り払って言うと、


ヨーガの目的って、

「本当の意味で自分を理解すること」

だと思うんです。

ここがないと、ただの利己的修行者。

おしつけ。

頭でっかち。

乱暴。

本当に乱暴になるの。

聖典ふるまわす自己満足者になっちゃうの。




そういう意味合いで、肉体も含めてこの次元でのヨーガの目的を成就させるとき、


そこには

女性的な道のり



男性的な道のり

が必ずあると思ってますわたし。


感情を無視したらだめだよね。

体調とか体質とか、

日常の出来事を無視しちゃだめだし、

「こうでないといけない」

みたいな行き方(生き方)は、女の人は取らないほうがいい。

(ほんとは男性もそうなんだけど、男性のことは男性に任せた!(笑)今のところまかせた!)

なんかで落ち込んでもおっけーだし、

アップダウンしてもオッケー。

でも「本当のわたしってこういう感じ」

というのが、自分を構成する各次元(コーシャ)で理解されていくと、

だんだんそのアップダウンの波は、小さめに穏やかになってくから。

だからまず「見てみる」ところからはじめよう、

って女たちには言ってる。


すぐ変わんなくてもいいから、って。


ヨーガしながら恋愛でボロボロになってもいいし(立ち直りかたがある!)、


ヨーガしながらセックスレスに悩んだっていいし(解決策がある!)、


ヨーガしながら何かを強く渇望すつ気持ちを持ってもいいから、


それじたいも受け入れてみると、


自分がわかるんだよね。



自分がわかると、


いきなり解脱門、見えてくる(爆)


ね。







わたしのクラス。

最近「カップル率」が高いです。

男女のペア。


仰向けのポーズの時、手が触れ合っていたりする。

しっかり握るわけじゃなく、

小指どうしがちょっと触れ合っていたり。そこがまた親密さを感じる(笑)。


そうだなあ、6年くらい前のわたしだったら


「何しに来てんだよ!! デートじゃねんだよヨガレッスンは!」


と思ってたかも(笑)


3年くらい前のわたしなら、

「まあ、それでもかまわないけど、レッスンの時くらい自分に集中したら?」

と思ってたかも。



今はね・・・



「いいんじゃない(笑)そのまま楽しく帰ってね♡」



と思ってるよ♪(爆)


今現在そういうわたしの心のスタンスだからこそ、

そういう人が集まってくるのかもしれない(笑)

もちろんカップルで来て、お互い離れたところに場所をとって

集中して帰ってくひともいるし、

隣どうしでやりながらもすごく真剣に集中して、自分の内面にいるカップルさんもいる。

いろいろ。

でもいいのなんでも。

「わたしのレッスン」

という思いも、もうないから。






人間くさくて、

めっぽう愛がほしくて、

愛情に対して貪欲で素直で

泣いたり笑ったりして

自分コントロールするのが器用じゃない

そんな人たち

そういう人たちを


「ヨーガでできていない人」


とあなたはジャッジしますか?



しないでほしい。

人間なんだから、

体と、人間の感情をひとつづつ、ショートカットしないで、

通らないと。

少なくとも女性にはそれが必要で、

男性はそれを理解すべきだと思ってます。


理解してほしい、男性の先生方にも。

わたしたち、女だから、理屈ではいけないの。

体がそういう造りになってるから、感情ふくめて自分を受け入れていく
広い場所と肌の温度感が必要なんです。


そんでもって女性は、男性性にスペースを与えよう。

男性には、女性からの尊厳と自由が必要だから。



そんな感じ。

baliにて



こーんな長いの読んでくれてありがとう。


絵美里




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