日本語が好きなので気になってしまうこと。
クイズ。
「敷居が高い」
の意味は、どっちですか?
1:なんだか高級だったり、レベルが高かったりして、行きにくさを感じちゃうわ。
2:相手に対して不義理や、面目ないことを過去にしてしまい、行くのがどうも憚られるわ。
(憚られる:ためらってしまう)
正解、2。
もともとの意味は2なんですね。
でも今はほとんどの人が、1の意味合いで使ってます。
正しい意味と、勘違いした使い方の意味が逆転しちゃった言葉の一つです。
私のいる銀座のヨーガスタジオも、「本格的」というイメージだけで
「敷居が高くてなかなか来れませんでした。(でも勇気出してきました)」
みたいなことを言われることがけっこうあります。
いやいや、、
過去にこのスタジオに対して「不義理」はないでしょう?
とツッコミたくなりけど、ツッコまないです(笑)。
日本語でも何語でも、言葉はそのもともとの音と意味の組み合わせに偉大なパワーが宿っているものなので、「音」に対しての「意味」が違うものへと変化していけばいくほどに、言葉の持つパワーが減少します。
純粋な効力を失い、別のエネルギーになっていきます。
別のエネルギーになった時、よく変わるものもあれば、スカスカの抜け殻になってしまう言葉もあります。
現在は、スカスカの方が多いと思います。
だって古代や昔の日本語って本当に意図の凝縮具合がハンパないのですよ。
私たちの話す現代日本語は、昔のそれよりもかなりパワーダウンしていると思います。
これを個人レベルでも回避していくには、
「よく知らない言葉や言い回しに対しては、みんなが使うからと言ってすぐに拝借しないで、自分で意味を調べる習慣を持つこと」
だと思います。
個人的にはそうしてます。
もしくは、知ったばかりの言葉に自分のエネルギーを入れ込んで使う、
もありだと思います。
そうそう、今月から某社のインストラクターさん向けのヨーガ哲学講義で、今までやっていた「入門」「ヨーガスートラ1,2」に加え、
「ハタヨーガプラディーピカー1,2」の講座が新設され、担当しています。
資料も自分で用意してやってますので、日本語訳文は私の好きな佐保田鶴治博士の原文を使っています。
佐保田先生の訳文も補足の解説も「日本語」としてのパワーがみなぎっています。みんなで読み合せているだけで元気になってくるんですよね。
ふだんの生活では「たてまつる」なんて言わないじゃないですか。
でもプラディーピカーはシヴァ神を代表に神や大師の名前が出てくるので、本文に神様や大師がいまそがりける場合は「たてまつる」必要があるのです(笑)。
そんな感じで、東京のオリンピックが来るとか来ないとか(来るよ!)で、日本の様々な「現象」の見直しが迫られています。
外国の人を「もてなす」ために英語習うのもいいけど、
でも美しく正しい日本語を話せることの方が、優先事項なんじゃないかと思います。
そういうところこそが、文化や民族性の本当の意味での紹介なんじゃないかなって思うのです。
美しい日本語を彼らに聞いてもらいたいです。
もちろん外国語を学ぶのは大変楽しいことです。私も好き。
(この前初めて中国語検定受けてきました!その話はまた!)
でもね。日本語って本当に素晴らしいのです。
でもね。日本語って本当に素晴らしいのです。
そこに敬意を払うのは「使い方」へのコミットメント
ですよ(笑)。
この英語もすでに和製だね。流行ってるうちが花。そのうちパワーダウン。
というわけで。
本物志向でいきたいものです。
まとめ。
「敷居」なんて、高くないのだ(笑)
今日もおつきあいありがとう。
Namaste
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