EMIRI MOROKA -HEART MATRIX-

師岡絵美里のブログです♪


2016年1月19日火曜日

生身の人、愛の営み


人の生き方は自由だけど、

一つ言えることは、誰とも関わらないで何かを学ぶという人生を選択してこの世界に到着している人はほぼいません。

聖人レベルの人でしたらいますが、社会で生きているならば違います。


関係性のあり方もそれぞれだし、
一人の時間の過ごし方にも自由があるし、
空想の中にずっといたって悪ではない。

けれど、人は肉体を持って生まれてきています。

肉体があることによって経験することで何かを学び、育って、巣立つはずなんです。

だから私たちの体、この体で人と関わって、現実や社会と関わっていかないと、何をしにここに来たのかをいよいよ忘れていきます。

私たちはもっと泥臭く生きていいのだと思います。

それはメロドラマみたいな「ドロドロ」のことじゃないですよ(笑)

土いじりをしろってことでもないです。

人と、生身で、裏表なく関わることだと思います。


いつも私、事あるごとに言ってることがあるんですが、


死ぬ時に最高に後悔しそうな事ってなんだと思います?

私は、本当に好きな人に、好きだと言えなかった事だと思うのです。

本当はできたはずなのに、優しさを与える事ができなかった事だと思うんです。

肉体人生を終える時に後悔するのは、「何かを得られなかった事」じゃなくて「与える事ができなかった事」だと思います。

そしてそれは最終的には物質的なものじゃなく、

「気持ち」とその表現。


肉体のある状態で目や耳や声や全身を使って誰かに何かを伝えられるのは、この肉体がある人生の時だけです。
他のタイミングではそんな事絶対にできないのです。


だから、体を優先して整えましょう、ぜひ。

健康っていうのは、病気じゃないとか痛いところがない、とかそういうことじゃなくて、「人と関われる」というのが健康なんだと思います。


声や、色や、味や、香りや感触や、

インドの考え方ではパンチャタンマートラと言いますが、

私たちは生まれてこのかた多くの、本当に多くのタンマートラ(微細な世界現象)を与えられて、色とりどりに、楽しく、美味しく、生きてきました。
見たくないことも、酸っぱい苦いことも、臭いことも触れたくないものもあったでしょうが、
それすらも「与えられた」現象です。


残りの人生をどう生きたいかと考えると、

自分から与える側にならないと、決定的に何かを間違うと思います。

”死ぬ時に後悔する系”の間違いです。


だから、私たちは私たちの中にある色や香りや様々な「模様」を、

できるだけ直接人に渡さないといけません。できるだけ、直接。

人に会わなくても済むような便利なものはたくさん。

でも、肉体を向かい合わせて伝えることには到底、到底、

及びません。


誰かとともに生きることの泥臭さの上に成り立ってる日々の営みが、
私たちには必要なんです。

だから、生身の人間でいよう。




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