ブラフマー神は
まだ何もない宇宙に
地、水、風、空、火
の五元素を
しつらえたのですが・・・
あんまり実体化しませんでした
なのでその「水」の中に
”ひとつの種”を置きました
これが黄金の卵で、ヒラニヤガルバと言います
そんでもにってブラフマー自身がその黄金の卵の中に入り
一年間留まります
で
その「ブラフマー入りの卵」は期が熟すと
ぱかっと割れて
半分は天に
半分は地に
なったとさ。
それがこの世界だとさ。
おーしーまい
ーーーーーーーーーーー
はい。これがインド版・世界創造神話です。
ブラフマーってのは創造の神様です。
私はこの単純なお話が大好きです。
神話というのは単純じゃないといけません。
シンプルだからこそ、人の意識に刻まれて深いところから心を支える機能を発揮するのです。
この単純さがとても大事。
(そういった意味では、ドラえもんとかももう神話レベルですね。永遠に機能するでしょ。)
最初の、
”五元素を用意してみたけどそれだけじゃうまく固まらなかった”、
というクダリが、「古事記」のイザナギとイザナミの最初のシーンに似てるのが好きで。
”必要なものは揃ってるんだけど、でもなかなか顕在してこない”
っていうコンセプトが似てます。
イザナギとイザナミも結婚の儀の段取りを間違えて、
最初はヒルみたいなドロドロしたものしか生み出せなかったわけさ。
でもそのあとやり直したら、うまいこと創造が始まったのです。
でさ、ブラフマー自身が卵に入っちゃうんだよ。
寝袋じゃないんだから、と突っ込みたくなるけど、そんなノリです。
哲学的な解釈で言いますと、インドの場合「神様」というのは全て「原理」のことなんだよね。
いろんな神様がいろんな概念を象徴していて、特にブラフマー、ヴィシュヌ、シバの三大神はそれぞれが創造・維持・破壊という「原理」を指しています。
だからブラフマーは「創造」の「原理」そのものなんです。
卵だけ置いても、そこに創造の原理が働かなければ「産み出し」が起こらないのでしょうね。
これね。
私たちの人生の中にも機能するお話だと思いませんか。
必要なものは揃ってるように見える。揃えたつもり。
でも、事は動かない。
何も生まれない。
具象化しない。
そこには、「原理」が欠けているのかもしれません。
私たちの人生を具体的に動かす「原理」ってなんですかね?
それは、「愛」だと思います。
その卵の中に、愛を入れてみてください。
ブラフマーが彼自身を入れたように。
このことからも、この次元においての愛とは、
「自分自身が入る」
という行為なんでしょうね。
自己存在を全てを丸ごと委ねることが
一人一人の人生を創造の原理。
「なかなか孵化しないな〜〜〜」って外野から眺めるだけじゃ、
どうやら人生は動かないみたいですよ。
自分ごと、その卵に入ってみないと
どうにも始まらないらしい。
ね。
インド神話、心にビシッと来るでしょ。
0 件のコメント:
コメントを投稿