EMIRI MOROKA -HEART MATRIX-

師岡絵美里のブログです♪


2016年5月24日火曜日

美しさ。






先日、クラスが始める前に一人の生徒さんが話しかけてくれました。




私のヨーガ哲学クラスに良く来てくれる方です。







ここ最近、彼女のお父様の容態が良くないという状態で




でもそんな時にも




前よりもずっと落ち着いていられたり




以前だったらもっともっと心が動揺してしまうような状態にあっても




ちゃんと心を保てている




ヨーガをやっていて、ヨーガを知ることができて、




本当に良かったと思っています







と。










先生ありがとう、と感謝してくださり、もちろんありがたく言葉を受け取りつつ、







でもヨーガをその人に伝えたのがたまたま何かの偶然で私であっただけで、




ブッダも言う通り、




「私がいようといまいと、自然の理(真理)は変わらない」







もし私が彼女に伝えなくても、きっと彼女はどこかで「得た」と思う。




本当にヨーガ必要な人には、どんなのかたちででも




きっと巡り合うのだと思う。




自分は、必然とかではなく「偶然」でいいと思っている。




そのように、起こることに価値や意味は与えず、




あるがままにしておくことが




一番のような気がしている。




ただ流れる自然現象でいい。




そしてその方が、自分の重要性とか存在価値に思いを馳せて自己感覚に浸ることが必要なくなる。




私は自然の一部でしかないし




誰かの人生の風景の一部になることもあるけれど




それもまた「偶然」でいい。




そういうところに、美しさを感じる。

























そう。でもやっぱり、良かったなと思う。




誰かの役に立てて。出会えて。




人生とは、人と関わることでしか完成しない何かがある。




だからやっぱり、彼女のことも心から良かったなと思うし、




教えてくれて嬉しかった。




この、感情という生き物を心の中に飼いながら生きるのも、タイムリミットがあると思えば愛おしく感じる。




だからできるだけ喜ばしいことが多いに越したことない。体のためにも。




悲しいも苦しいも、いろいろあるけど、




あってもなお、光と共にあれる強さを与えてくれるのがヨーガだと思うし、




また別の人にはヨーガでなくても何かきっとあるんだ。




音楽とか、歌とか、好きなこととか、何でも。










人間は、とどのつまり「どのツール」でも「行ける」。




どの「道」でも、「行ける」のだ。










だからこだわらずに、




自分の大好きなことで、この世界に心を開いていよう。




そう思います。










みなさんいつもありがとう。

日常はドラマチックじゃなくてもじゅうぶんにドラマですね。

真実の日常は、本のようなもの。

一人一人の描く物語を聞かせてくれてありがとう。



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