EMIRI MOROKA -HEART MATRIX-

師岡絵美里のブログです♪


2016年1月17日日曜日

子どもヨガ&ダンスクラスの発表会です「たいようのくにものがたり」



こんにちは!師岡絵美里です。


このたび〜

私の開いている子どもたちのヨーガ&ダンスクラスの発表会を行います。







今回で3回目になります。

だんだん子どもたちも歴が長くなり

内容の濃い演目も表現できるようになってきました!


今回は、ヨーガの発表とダンスのナンバーに加えて、

小さな劇をやります。


演目は、古事記より「天の岩戸開き」です。


天照大神がスサノオの横暴に怒って岩戸の中に隠れてしまい、

それを八百万の神々がどうにかして外に出そうとする、

あの有名すぎるくだりです。


子ども達には一人一人神様の配役をして、自分なりにどういう役柄か考えてもらいながら、面白おかしく真剣に作っています。



なぜ古事記を題材にしたか。

それは、子どもたちが日本の神話に触れる機会が少ないように思えたからです。


国語の教科書に「いなばのしろうさぎ」などは出てくるようですが、

他のお話と同じような位置付けでしか紹介されていないのだとしたら、

それだけでは足りないように思えるし、

古事記や日本古来の神話は、私たちにとってとても特別なものだと感じます。


本来は、家の人や大人から子どもへと自然と伝えられる神話だと思うからです。



そして、自分の民族の神話を知っているか知らないか、というのは大人になった時に大きな差が出ると思うのです。



どの地域・風土・文化でも、その土地に古代から伝わるお話があり、
そこの登場する人の姿や逸話はその民族の精神的ルーツであり
人生の中で何かあった時に効力を発する「魂の象徴」なんですよね。




劇を通じて実際にその神様になってみると、本を読む以上に子どもたちのスピリットに働きかける力を持つように思えます。

演じるってすごいことですよね。




そんなわけで、楽しく見れる作品にできてきてますので、よかったら見に来てください。

小さなお子様にも見てもらえたら嬉しいです。





小さな教室でメンバーも7人なので、演目時間も30分ほどの短い発表会ですが、楽しんでいただけるように頑張ってます。




ゲストダンサーに大塚靖世さん、踊ってくれます!

靖世ちゃんにも、ある神様になってもらってます。

ちなみに私も〜神様に。


みんな神様!


~~~~~~~~~~~~~~~~~~


ロータスキッズこどもヨガ&ダンス第3回発表会

「たいようのくにものがたり」

2016年1月24日(日)

大田文化の森5階・多目的室

JR大森駅よりバス7分ほど、徒歩15分ほど


10:45開場 11:00開演(11:45終了)

入場無料 
自由席


<出演>
ロータスキッズ子どもヨガ&ダンス の子どもたち 7人

ゲストダンサー 大塚靖世 

<指導・振付・演出> 
師岡絵美里

演目
1.よーがのたみ (ヨガ発表)

2. 木 (ダンス:大塚靖世&師岡絵美里)

3.「たいようのくにものがたり 」
タカマノハラの神がみ
アマテラス
スサノオ大あばれ
夜の世界
みんなでそうだんを
ウズメダンス
イワトビラキ
たいようのれいはい
フィナーレ
~~~~~~~~~~~~~~~~~~

お待ちしてます。


2016年1月14日木曜日

よくある質問。侵略か、調和かについての考察。




アーリア人がインドのそれまでの文明に対して「侵略」したのかどうか、というのは、実際のところわからない話だと思います。

私は基本的にはそのスタンスでいるようにしています。

どっちでもあったのだろう、と。



侵略の色もかなりあったでしょうし、

でも融合の面もあっただろうし、




わかりません。




でも世界史の教科書がさらっと

「アーリア人の侵略」

とか見出しに書いちゃうような決定的かつ一面性なものではないのは確かです。





私は学者ではないので、これ以上歴史についての説明はできないんですが、






そう、




私は高校生の時、世界史のとっても品のあるご婦人の先生によく質問をする生徒でした。



ヨーロッパの歴史や中東の歴史、近代の歴史などを(学校のお勉強的に)学びながら、よく思ったのです。


なぜ、キリスト教など神様を信じている人たちで、博愛や祈りを尊重する人たちが、他の文化の人たちを段圧したり戦争をしたり制服したりという行為に出るのだろう・・・


と。当時は本当に純粋に疑問だったんです。



「変なの・・」


くらいな、女子高生なりのギモンでもありました。
しかし知りたい気持ちはとても大きかったです。
だからいつもご婦人の品のいい世界史の先生に廊下で質問(インタビューみたいなノリで)していたのです。



と。


インドに侵入したアーリア人のことも聞いた記憶があります。

てゆうか親近感なんてまったくなかったですよ、アーリア人に。

インドも辛いとか暑いとかのイメージだけ(笑)

でも女子高生も気になったんですよ。



なんで、「侵略」なのかなって。



世界の歴史的な宗教戦争についてが出てくるたびに、思ってました。


それは私がキリスト教の家で育ったから、というのが大きいです。


聖書に書かれていることと、世界史の教科書の中で見るものがあまりに違うから。

小さい頃に自分の通っていたとても小さな教会の、親愛を絵に描いたような優しい先生たちと、歴史の中で出てくる宗教的人々の振る舞いが全然違うから。

その辺、疑問符の臨場感が強かったのだと思います。




世界史の品のいいご婦人の先生はこう話してくれました。





「そうね。そう思うわよね。


でも人の心っていろいろあるのよ。宗教上の理想はみんな持っているの。


でも、キリスト教でもイスラム教でもそれが抱えている理想と、

人の持つ”何かがしたい”、という気持ちは、

また別のところになってしまうのね。


すごく不思議に思うかもしれないけれど、


人の心っていろいろあるのよ。」




と。





「いろいろあるのよ」・・・・・!



この時の私の気持ちは、すごく表現しにくいです。



「いろいろあるのよ」という一見答えになってなさそうな返答ですが、はぐらかされた感じはしませんでした。


先生が言いたい事はずっともっと奥が深くて、それが一番表面に出ると「いろいろある」になってしまう「しょうがなさ」みたいなものを、高校生なりに感じていました。


そして、その時抱いた私の気持ちは、今思うととても興味深く


「いろいろある」というその事象・感性を、


そのうち自分でわかるように説明してみたい・・・


と、なんだか少し希望みたいなものを感じたのを覚えています。




そしてそのうち私は、先生方から「答え」が聞きたいのではなく、「ご意見」が聞きたくなるのでした。高校生なりに哲学的進歩をしたのだと思います。



世界史の先生、古典の先生、英文法の先生、が常に私の心のパネラーでした。



どの先生も、非常勤講師でご年配の先生。古典の先生なんかはご高齢!でした。

いろんなこと経験し尽くして、半分リタイアしてて、それでもゆとりがあるから高校に来て教えてくれている先生たち。

私も安心して接していたのだと思います。



歴史にも、古代の言葉にも、英文法にも、すべてそこには人間のフィーリングがあって、そのフィーリングは一貫した「答え」ではなくて、

その時の人の気持ちが模様を作ります。



「それについて先生はどう思いますか」


そう聞いていろんなお話をしてくれる先生方が好きでした。






アーリア人に戻ります。


だから侵略かどうかってのはもう見て確認できないからわかんないんだけど、



でもアーリアンは先に住んでいた人たちやその土着の信仰を「悪魔」という紹介にしたて、アーリアンは純潔純粋神聖だぞや、とカースト制度(って言い方は私はあまりしないけど、でも一般的にそれ)を作って支配層になり、「バラモン(アーリアンの宗教)は不浄がだいっきらい、見るのも触るのもイヤ、だからそれ触ってる奴らとはまじわんない」、という感じで、インドの民をそれぞれのレベルごとのカテゴリーの中に押し込めたのですな。



ヨガインストラクターさんたちの哲学講義の基礎のところでこういう話しをすると、


「ええ、アーリア人ひどい・・下の人かわいそう・・」

みたいな発想を持たせてしまうんですが、


「うん、でもね、その侵略した(とされている)人たちが、ヴェーダをまとめて、それがヨーガ思想の基礎になってるんだよ。」




というと、、、なんちゅうかもう、ナイーブな子は傷ついちゃうよね。



どっちが本当のアーリアン!?



みたいな(笑)


どっちも本当なだけなのよ。


何度も言うけど、侵略というスタイルがアーリア人の全てではないと思います。もっといろいろあったでしょう。

でも、その後のインドの社会的後進を生むことにもなる差別的階級社会を構築したのは、ヴェーダとバラモン教を生んだアーリアンが根っこなのは確かだと思います。

これはもう、そうなんだと受け入れるしかないんじゃないかと。
(新らしい歴史的発見が今後あるかもしれないけどね。)


でもこれこそやっぱり、ヴェーダ、ウパニシャッドが言わんとする「物質原理」のなせる技なわけです。




原質(プラーナ)はもともとみな同じ。

それがどういうグナ(特質)に動くかだけです。

人の心もそう。それなだけです。




崇高な瞑想意識やずば抜けて洞察的な知性とともに、

破壊の心を持つことだってできてしまうのです。

それが人間。




だからヨーガスートラには、最後の最後は「サットワ(最高の知性であり浄の質)」ですら、二ローダ(ストップ)させようぜ、と言ってます。

今どんなに清くても、明日、闇に落ちる素質はあるのです。
その反対もあるのです。



スターウォーズだね!(笑)




まあとっても平ったくすれば、「プラーナの機能性がすごい」、ってだけ。なんにだってなれる。

心(チッタ)はプラーナで出来てるから、良いも悪いもなんだって起こるのです。





だから皮肉的ではあるけれど、
侵略的排他的行為と
ヴェーダ聖典を生み出したほどの高次の真理探求は
真逆のように感じるかもしれないけれど
どちらも同じ人たちから生まれている。




それをよくよく感じることができば、

先ほど書いた私の世界史の先生の言葉を再度お伝えできるわけです。







「すごく不思議に思うかもしれないけれど、人の心っていろいろあるのよ。」



と。




「理想と、人の持つ”何かがしたい”、という気持ちは、また別のところになってしまうのね。」



あ~。

泣いちゃうですよ。


フナコシ先生ありがとう。先生の気持ちがよくわかります。

教えるのは世界史でもヨーガでもそれは表面的な違いで




人間のこと




をいろんな角度から学んでいるんですね、私たち。




みなさんに愛を送ります。



そのくらいしかできないから。





どうか私たちが人間の心の持つ光と闇の双方を、



同じものとして理解できますように。



左手と右手を平等に合掌するような自然さで。






読んでくださりありがとう。


好きな感じだったら、何か感じることがあったら、
どっかでシェアしといてくだされば嬉しいです。




Namaste
師岡絵美里

2016年1月11日月曜日

Think twice about Japan vol,1


日本が戦力を放棄して平和憲法を持つ国家になった経緯は相当に複雑ですし、今もなお、解釈や方向性を議論され続けていいます。

この先どうなっていくのかもわかりません。




でも私は、



「戦わないという戦い方」



が完全に全うされ、

完全に善の中に立脚しているのなら、

それは素晴らしいと思います。

また、一つの国としてそれがまっとうできるなら、なお偉大なことだと思います。





国や文化の「あり方」というのは、

そこに住む人たちの「心のフォーマット」になります。




よっぽど独自の思索を探求していたりしてもなお、生まれ育った場所の文化や思考習慣はその人の考え方のフォーマットになります。




もちろん、その雛形がよく作用するかどうかは個々のケースです。

それは民族全体でも、個人の人生でも同じだと思います。







日本の戦争放棄は、その法が誕生してからだいぶ時間が経過してきました。



もうすでに「生まれた時から戦争放棄の国でした」

という日本人ばかりです。

もちろんそれを意識して生きている人は少ないとは思いますが。




何を言いたいかというと、多くの日本人に取って、

潜在的に民族全体で「他者と戦わない」というのが「心のフォーマット」になっているように思えます。

仮説ですが、実際にそうだとも思います。




ある場合ではそれは助け合いと共存的に、

別の傾向としては、主張が弱く自分の意見を前に出さないために、

おのずと理解されないフラストレーションが増えてゆく。

それはもう、ケースバイケースで、よく出るときとそうでないときがありますよね。






もちろん日本人でも「力」で解決しようとする人もたくさんいますが、それはおそらく日本人全体で言うと少数なんじゃないかと。




そういった暴力事の「事件性」が高いと、メディアで大きく公表されるのでとても「目立つ」し、それらをニュースなどで観ると、




”日本もひどい国だ・・決して平和ではない・・”




と思いたくなりますが。




でも実際、多くの人たちは善良で、優しくて、「争う」という発想の前に、




「なんとか柔らかい方向でおさめよう」




と思うタイプの人の方が圧倒的に多いのではないかと思うのです。




最近の日本の「国家的一大事」の一つは東日本大震災に集中すると思いますが、

あれほどの天災と大きすぎる被害の中でも

日本人は略奪や自己を助けるための行為に走らずに

大災害の直後からみんなで協力した、そういう民族です。




東京など、誰が住んでいるのかよくわからない都会でも、

あの災害の後は小さな単位から大きな組織まで、みんな助け合おうという気持ちで日常を送りました。







日本人にとって「平和」という感性は、

平和憲法以前に心のフォーマットだったのではないかと思います。




それは日本の古い書物を開いてみると、感じます。







ちょっと言い方が軽いですが、日本民族って







 平たくて前向き







なんですよ(笑)




”男女混浴風呂”みたいな文化というか。江戸時代的な。




みんなで開けっぴろげてるからこそ、変な欲が起こらない。




もし(欲が)起こっても、楽しくて色っぽい感じで全て解決される、みたいなね。






でも、歴史の中のどこかで一回は「闇と無知」と体験するのが民族の試練なんだと思います。




それは他者から与えられた闇ではなく、自己の持つ闇によって苦しむ体験です。



自分たちの中にある「恐れ」や「強欲」を徹底的に体験し

「無知」を体験し

「愚かさ」を経験します。




それは、「土」から離れていく人間が経験するプロセスなんでしょう。




日本の国もそういった時代があり、

戦争まっしぐら、侵略、略奪、破壊と搾取に明け暮れた時代がありました。制圧した諸外国で屈辱的・悲惨なことをしたのも、歴史的な事実だと思います。





でも結局は二発の原子爆弾を投下され、「やりすぎた」日本は「力」で鎮圧されました。







そして、




「軍事を放棄すること」




という印をGHQによって圧されました。







歴史を客観的に見ると、第二次世界大戦で負けたのでアメリカを代表とするGHQに軍力を封印され、その結果平和憲法なるものが制定された、となるのですが。




でも、それは本当に三次元的な表面に現れただけの、ごく部分的な模様だと私は思います。


事のきっかけと経緯が何であれ、日本は「戦わない」方のstateになったのですが、

でもね、

宇宙曼荼羅の視点で見ると、それは敗戦で仕方なくそうなったとか、
もう日本が戦争しないようにそういう状態にさせられたという事とは、実はほとんど関係ないところで”そうなった”のですよね。

もちろん歴史的因果関係は表面的にはありますよ。

でも深いところでは、

日本という民族の持つホメオスタシス(恒常性)が、日本民族の闇を治癒の方向へと向けた

というのが私の仮説です。私はそう感じます。



日本のカルマ、なんですよね。




戦争が、とかアメリカが、とかじゃなく。




日本という民族的集合が「学ばなければいけない」大きなレッスンのひとつであり、



自らの手で肥大したエゴを手放して、


もともとの目的を思い出していくプロセスなんじゃないかと思うのです。




壮大すぎるし被害が多すぎるプロセスですが。




そのプロセス自体が「ダルマ」によって運ばれたのだと思います。




つまりこの日本という土地に生まれたなら




奪ったり力を振るったりすることで何かを為そうなんてやり方はもう全くお門違いで




尊い精神と、どこまでも柔軟な楽観で人類的な平和の一部になりましょうよ




ということなんじゃないかなと。



すごーく大きな闇と混乱を経験してみないと、人間というのは自己の本質の光に気づけないものなんでしょうね。






「戦わないという戦い方」


は、インド最大の叙事詩マハーバーラタの中の大戦争に出てくる強烈なお話があります。

それはまた次回書こうかな。




今日はね、


日本に生まれたということについて、そして日本のダルマについて考えるためのドアをみなさんと一緒に開けたかったのです。




日本のダルマを理解するということは、日本人である自分自身のダルマに関わることだと思うからです。


大げさな感じではなく、でも大事なこととして、今後も書いていきたい話題の一つです。

今日はちょっと重い角度から行きましたが、

笑えるような面白い角度からも話したいですね。


この内容、ご自身の興味を感じるようでしたらシェアしたりしてください。


次回また。











2016年1月9日土曜日

まとまっていない件。自分曼荼羅会議



いつも、地球語に合わせて


整合性を考えつつ話してます。




でも私の本来の頭の中は全然、時系列な言葉の並びではなく、




記号とその配置、




曼荼羅なんです。




だからこういう文章を書くときとか、クラスや講義で喋るときとか、




人に何か聞かれて応えるときには、




時間と空間の尺度を地球現在に合わせた言葉に置き換えて話しています。




それは瞬時のことなので時差は殆どないですが、




でも話の内容が抽象的・俯瞰的・全的になってくると、




この曼荼羅を言語で話すまでに、すこーしだけ時差をもらうことがあります。




例えばヨーガの思想や哲学的な説明の時とかに。





今、とてもまとめたいことがあるんだけど、


それがめっぽう地球語にすると、なんちゅうかやっぱ時間の概念が介入すると表現しにくくてね。




でもなんとかまとめようと思う。


日々、なぜ生きるのか。というところなんだけど。


人生は短いから。


不安とか心配とかためらいとか恐れとかいろいろあるけど、


でも本当に大丈夫なんですよ。


それを地球語現在形で話すのが、やっぱちょっと難しい時もあるんです。




別にこれはスピリチュアル系の人たちの好きな「宇宙人トーク」じゃないです。


そういうんじゃなくて、dimension/次元のことで、


言葉が機能するのは私たちが住んでる「ここ」だけなので、


それ以外の次元からの視点で言えることを、「ここ語」にするのが、


難しい時もあるんです。



でもさっき、瞑想してたら、感じられたのです。


ちょうど去年の今くらい、


急にインドに行くことが決まって、ビザも滑り込みで取得、


バタバタしてるうちに飛行機の中だった、くらいの勢いでインドに行ったなと思ったのです。


その出来事が「今」に直接作用しているのを感じます。


今まさに2015年1月の私が滑り込みでインドに行きながら、

今日ここの2016年1月の私と話しています。




そこにはもっともっとたくさんの地点(時点)の「私」がフルで参加しています。

まさにそのトークを、時系列で地球の文章にするのが、難しいんです。(笑)


たくさんの「地点(時点)」の私が話している内容はとても興味深いものです。


みんな誰でも、こういう「自分曼荼羅会議」みたいな”時点&次元越え評議会”を一人一人が持っているのですが、


今現在の感覚器官の働きが強いのでなかなかこの会議に立ち会えることがないんです。


たまに夢とかでちょっと参加するけど、起きた時にその自覚は持ってないし。




うーん。


もうちょっとで書けるかな。


少し強引でにも書こうと思わないとダメだね。


てな感じ。


読んでくださりありがとうございます。



2016年1月6日水曜日

Air Asia-Go Go BALI island!!







iPhoneの中の動画を整理していて、面白いものを見つけた。



6月にバリに行った時のものです。



往路でエアアジアに乗った時のファンキーすぎる客室乗務員の模様(笑)



「もうすぐ着陸!」という頃合いでのダンスです。



声で参加の機長もノリノリで、もはやMC。

顔が見えないだけに、こんな感じの人が今操縦してんだ・・と爆笑。

このラフさ、ある意味最高。



エアアジアに何回も乗ったことのある友人に聞いたところ、

こんなの初めてみた!と大ウケ。



どうやら毎回ではないみたいです。



たぶん・・・機長のカラーなんじゃないかな(笑)

学校と同じで、校長先生の方針が先生の動きを決めるように。

Air Asia、ファンキーでいいねえ!


Air Asia
バリ行きも安い!


バリ島へのいざないvol.8プラーナーヤーマ編【残席わずかです!】



バリ島へのいざないvol.8

プラーナーヤーマ編



こんにちは。師岡絵美里です。






のお知らせとして、バリ島でのヨーガリトリートの魅力やおすすめを書いております。




今日は。


プラーナーヤーマ編。





プラーナーヤーマというのは、身体的な呼吸のことでもあり

また私たちの生命活動のすべてを養う生命エネルギーの調整のことを指します。

ヨーガでは、大変大事なパートです。

呼吸なしでは生きていけませんもんね。

呼吸は精神活動でもあります。

生きることそのものと言えます。







呼吸。

調気。

生命エネルギーへの献身。



呼吸を、どう世界や大いなるものに捧げるか。

この練習はとても奥深いものがあります。



昨年(2015年)にファミリーでバリに行った時、
一人で早く起きて早朝にプラーナーヤーマを行っていました。


てゆうか、ハマってしまったという感じもありました。


もともと呼吸法をするのは大好きなのですが、


バリ、早朝、プラーナーヤーマ、という組み合わせは・・・


良すぎ。(笑)


本当に良かったです。

前の記事にも書いたのですが、再度言いたい。




自分自身の中の楽園にいる感じでした。

でもただふわっとした感じなのではなく、肉体とマインドが本当によく調和したグラウンディング感が幸せなんですよ。


まさにヨーガスートラのアーサナの項に、


  1. II-46  アーサナは快適で安定したものでなければならない

とあるように、ここにこうして呼吸とともに存在することそのものが、アーサナとして統一されていく感覚でした。



ここにいる

ここにいていいし、どこにでもいける

どこにでも、わたしは存在する


そんな感じです。


今回のバリでのリトリートでは、どうしてもこのプラーナーヤーマの恩恵をみんなに伝えたい、そう思います。






さて!もうすぐ早割の期間が終わります!
それ以前に航空券の空席も少なくなってきていますので、
迷われている方ももうそろそろお急ぎで、
本当に今日明日くらいにでもお問い合わせください。
お問い合わせくださればそこから決めていけますしね。



早期割引の締切まであと少し(1/15/20:00まで)
残席もわずかです。

ぜひお問い合わせください。


日程:2016年3月13日〜18日(5泊6日)
場所:バリ島・ウブド
講師:師岡絵美里 
アシスタント:鈴木正村
参加費用:110,000円 

2016年1月15日まで早割100,000円にて受付中
※ご検討中の方はサイト内の「お問い合わせ」からご連絡くだされば早割枠の確保を致します。






バリで休息しましょう。

Namaste




2016年1月2日土曜日

今年の野望さん


みなさんあけましておめでとうございます。

師岡絵美里です。


野望を書こうかな、とか思ったり。


とりあえずですねー、

体の調子がいいのです、今。

というのは、ただ健康、風邪ひかない、痛いところがない、

とかではなくてね、

私たちダンサーの場合の「調子がいい」というのは、

1 パフォーマンスのための練習がきつくても頑張れる状態

2 自分の体との対話がうまくいっている

という要素なんです。

2に関しては、仮に痛みとかちょっとした不調があったとしても、そのことを体と話すことができている、という感じです。
決して完璧に無痛、とかではなくて。



今、私は過去生きてきた中で一番自分の体との対話の質がいい感じなのです。

子供産む前は、持久力も若さもあって体はなんとでも動かせたし無理もききました。

それまでが本当にハードな運動量だっただけに、妊娠&出産はわたしのマッスルちゃんたちには「唐突な休憩」だったんだと思います。

出産って本当にすごくて、それまで作ってきた筋力は妊娠中に落ちてしまい、
もう人前でパフォーマンスなんて・・
と思うほど、筋力が落ちました。
でもこれもまた女性の人生にとって必要な学びなんだきっと、、
とやや達観してみたりもしたけれど、、

子どもを授かる前までは、そうとうハードな踊りと連日のリハーサル、仕事でもガンガン踊っていたので、
サッカー選手とかシンクロナイズドスイミングの人たちと同じような代謝で(笑)
で、そんな私にとっての妊娠、出産は・・
筋肉大打撃フェスティバル・・(笑)

いや大げさではなくマジですよ。

それまでの自分の体はある意味ギフトだったんだ、ということに気づきました。
無自覚に、湯水のように使っていたギフト。

この先はもう完全に意志と努力の世界、と悟りました。

ただ踊っていれば体も体型もついてくる、という時期は終わり、

自分をもっとよく知る(性格も含め)
調子をちゃんと見る
どこか不調が出たら、筋肉を落とさないように治す

ということを真剣にやっていないと、
思いっきり練習できないし
自分の思うような表現もできないんですね。


そんな出産経験からももうすでに8年。

踊ることを続けている人生。
踊れる人生のありがたみを感じています。

今は女性の生理(妊娠出産そしてその後のプロセス)への理解が高まり、なおかつ自分の体の特徴、その良し悪しも把握し、
だいぶ私の身体との会話が進みました。

「可能」を広げていきたいけれども、
「向いていないこと」もあるのは確かで、
そうなると何でもかんでもやるのではなく
上手に捨てるという選択も必要です。

最近はその「捨てる」がめっぽう上手くなった気がするのです。

自分の身体性にフィットしないことは、
思いが憧れても、やはり「やりにくさ」があるんですよね。

私の場合は、二十代の頃になんでもトライした経験もあるのに支えられ、

「もうそれは大丈夫、憧れだけで寄り道はしない」

と捨てられるようになりました。

これは、表現活動だけじゃないですね。なんでも。

これはとても楽になったことの一つだと思います。

欲張らないって、軽いのです。



野望、に話を戻すと、

そんなわけで体の調子がいいので、

今年は表現の幅をさらに広げて、

やれるだけやりたいです。

幸福なことに、表現の志、波長が合う人たちが集まって
とてもいい音色を醸し出しているので、
この波に乗ってみようと思います。

舞台も作ります。

年末からシナリオ作りに入りました。夏くらいを目指して進みます。


お楽しみに!!

年明け早々自分のことばっかり書いてしまった(笑)

まいっか。