EMIRI MOROKA -HEART MATRIX-

師岡絵美里のブログです♪


2019年7月22日月曜日

思考停止をさけ、よりよく考えるために

〜募集中のヨーガ講座のお知らせにそえて〜


「 思考停止をさけ、よりよく考えるために」


ヨーガを学んでいてよかったと思うことは本当にたくさんあり、あげだしたらキリがないのですが、その中でもとっても重要なこと、ということをひとつ、話そうと思います。


それは、

「自分を見つめる」という作業が

「自分にこもる」に行かないで

自分を視野を開き、解放する方向に導くことができるようになったことです。

自分を見つめることで、結果的に外の世界を冷静にクリアな目で見れるようになる、ということ。

もちろんまだ道の途中ですが、途中経過であってもかなりのギフトに満ちています。




思考が堂々めぐりすることってありませんか。

それは思考しているようでいて、思考停止に近いとも言えます。

停止して同じところに止まりそうな思考に新しい視点と新しい風を送り込んでくれるのがヨーガ哲学です。



もう少し詳細を話すと、「思考できる」というのは、二元性で判断してしまう思考の癖がなくなっていくこととも言えると思います。

例えば、

好きか嫌いか

善か悪か

損か得か

正義かそうでないか

敵か味方か

有利か不利か

勝つか負けるか


よく考える前にこういった二元的なジャッジが起こってそこで止まってしまうと、自分で考えているようでいて、感覚や思い込みのなすがままにさせていることにもなります。


そういった二元だけで物事を見ると、思考はすぐに自分にとって都合のいい信念か、世の中一般の言うところの基準に寄っていき、体験している物事の核心に行き着くよりも前にすでに、心の視野を狭くし、そして(よくない意味で)感情的になっていきます。


信念にすがること。

これは、楽なんだけど、あぶないことでもあり、自分の視点をそこにしか置いておけない危険と共にあります。


ヨーガ哲学を知り、学び、それについて考えると、この危険がだんだんと減っていきます。


偏った信念にすがることなく、考えることができるようになっていきますね。


そうなると、心理的にはどういった状態が掴めるようになっていくかというと、


一喜一憂しなくなり、平成でいられる。


そんな感じです。


感動や喜びがなくなるということではないし、落胆がまったくない、ということでもないのですが、そういった心の波があったとしても、冷静な自分を発見することができます。


つまり、物事に対峙した時のストレス度合いが下がります。





もう少しだけヨーガ的に解説させてください。


ヨーガの哲学を学びわかったのは、「哲学すること」というのは、生命の尊厳について思考することであり、その思考を磨いていくことだということ。


それは「人生の尊厳」と言ってもよく、この限られた人生をどう生きるのか、ということをヨーガ哲学を通じて考える力がつくことです。


ヨーガの最終地点である「サマーディ(解脱)」という境地は、「思考」は止まっている「純粋な意識のみ」という状態で、これは聖典にも言葉で説明しえない境地と説明されるのですが、この意図的に思考を止めている境地にいく前段階では、「思考をよりよく使う」という訓練段階が続きます。別の言い方をすると、思考を何に集中させるか制御できるということ。


思考というのをは肉体の感覚的反応や感情的反応にも大きく左右されるものなので、自分の心に起こる様々な「動き」をまずは認識でき観察できる冷静さを鍛えることになります。


この「思考のしかたを鍛える」という訓練が、現実をどうとらえるか、どう思考して生きるかを整えてくれて、心の活動を意識的なものにしてくれます。



 今私は何を思っているのか。


そのことを「認知できる」というのは、生きるうえでとてもとても重要なこと。


社会生活を送りながらの人生について、考えるべきことというのは、いろいろあるわけですが、「悩む」と「考える」をちゃんと分け、悩んでいるなら「考える」に持っていくことができるようになると、ずいぶんと人生の景色が違います。


狭いところで視野を限定し、「思考停止」して何も把握できない状況に落とさずにいられる。

こういうことって、普通の日常を生きるうえでとても重要なものなんだと思います。


生活が、人生が、思考停止や悩むことで支配されず、自分のことでもそうでなくてもい理解しながら生きることができる。
その落ち着きがあることで、外の世界を観察し、渡ってゆくことができる。



「人生の尊厳」について、考える。もちろん今もまだ、ヨーガとともに考え続けています。


なんだか堅苦しい感じの文章になってしまったので、もうすこし平たくいいます。




ヨーガを学んでいてよかったことは、

ストレスに強くなる。柔軟な思考になる。

ということ

だな!と思っています私は。




またまた長くなってしまいましたが、そういったヨーガ哲学のおもしろさ、これからもみなさんと一緒に語り、学べたらと思います。




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2019年7月20日土曜日

「つらい時どうしていますか?」という問いに対して-仕事つらい編-


お悩み相談シリーズ

〜仕事つらい編〜


「つらい気持ちの時、どうしていますか?」


ブログやメルマガなどで「心のこと」について話せるところをヨーガにからめつつ、
いろいろとシェアしているのもあり、お悩み相談のメールなどをいただくことも多いのですが、ブログを読んでくださっている方から、
「つらい気持ちの時、どうしていますか?」
という質問をもらいました。


今回の相談は「仕事に関して」でした。


がんばっても評価が低い、など、原因となるものもありつつ、いろいろ混濁してしまい、モチベーションや気持ちの立て直しをするにも、漠然として落ち込みが強くてなかなかあがれない、ということでした。





仕事でもそうでなくても、つらい気持ちの時、何につらくなっているのかを明確にすることがまず解放の一歩だと思っていて、漠然としているつらさや心が重くなる感覚だけにとらわれないように、自分の気持ちをよくよく観察するようにします。


つらい、という気持ちをもう少し具体的に解明してみると、そこには自分自身や自分の人生に価値を感じられない時だと思うのです。

頭ではそんなこと思っていなくて、一生懸命前向きな気持ちで立て直そうとばんがるところもあると思うのですが、心の中のほうで、自分や自分の人生に対して先に進める感」が薄まってしまった時に、「つらい」という漠然とした翳りが生まれてしまうのだと思います。


その漠然とした暗さが、将来の不安へと結びついたり、現在やっていることへの疑問や葛藤になったり、自分には力がないような気持ちへとつながり、無気力感が起こってくるのだと。






すこし、関係ある範囲で脱線させていただきます。


心のこととして、人はどんな時に幸福を感じられるか、というところなんですが、


「(自分ないしは自分の人生は)成長している」

「(自分ないしは自分の人生は)よくなっている」



という感覚が得られる時、幸福感が高まり安定した気持ちでいられいます。


これをもう少し解明すると、

「少し先の未来によりよい変化を感じている時」

と言えるのだと思います。比較してみるとわかりやすいと思いますが、

「少し先の未来によりよい変化が感じられない」

これだとなんだか元気がなくなってきますよね。


では、

「ものすごく遠い先は最高に良い未来がある」

これだとどうでしょう。
未来を考えると悪くないけれど、今現在の自分の人生に対する幸福感には直結しないと思います。

遠い先でも「良い」ならば今はよしとしようよ、と言えなくもないのですが、感情や感覚は「今」に起きているもので、「今感じられる」ことが生身の人間にはとても大事。

ここがまた人間らしさなのですが、
「少し先の未来に成長の予感がある」
その実感が、人の心の幸福の要素だと思います。


「今は良い」ということも大事のなのですが、「良い」であってもそれを更新していくような「未来への動き」に幸福を感じる心の性質があります。

とても大げさな比較で言うと、
「今日最高にすごくいい、けれど、明日ひどく落ちることが起きること決定。」
こういった予感がある場合、今の良さよりも先のことへの予感や恐れで幸福を感じる気持ちは萎えてしまうでしょう。ちょっと大げさですがね(笑)。

人間の精神というのは、よくなりたい、という基本的な要望があり、それはいわゆる欲からおこるものではなく、良い悪いのお話でもなく、そういう設計でできているとも言えます。
個人の魂の成長に喜び、他者の魂の成長に貢献できることに大きな喜びを感じます。
個人の生活の発展に喜びを感じ、他者の人生の発展に貢献できると、大きな幸福を感じます。

こういった心の基本設計により、「現在の安定」もそれを得た時には幸福を感じても、同じ状態が長く続くと「変化」したくなります。

現実を生きる私たちにとって、
「遠い先の幸福」でも「今限定の幸福」でもなく、

「私はもっといけるかもしれない」
「先によりよいものがありそう」
という希望、現代的な言い方をすると「ワクワクして」胸が踊ったり心が開いていく感触に幸福を感じます。
そういった感性があるからこそ、変化する物質現象を受け入れていくことも可能なのだと思います。


ヨーガの精神性が大事にする「今この瞬間に在る・存在性としての幸福」と、生身の体を持ってご飯を食べて生きている人間の心が感じる少し先の未来に希望を持てること」という幸福感。
これらをどっちかに絞ることは私は難しいなと思うし、しなくていいのではないかと思っています。


「今に満足、先のことはいい」と、すっぱり生きていけるなら、それはそれでかなり解脱してるし(笑)、そこに疑いないところまでいけたならそれはその人の体得した幸福感だと思います。 
でも、

「この先の人生と自分によりよいものを感じる」
という幸福感が人間にはある


それも認めていいのではないかと思っています。

そして結局のところ、未来に希望を託しているのも「今」だし、「幸福感」を感じているのも「今」なので、今の連続を紡いでいるのには変わりありません。
未来に発展と希望を感じることで、今、幸福を感じられるなら、そうであることを否定しなくていいと思っています。

というわけで
近い未来の発展、成長、変化の予感

これが、社会的な生活を送る人間には必要だと強く感じます。




話を戻します。


「つらい気持ちの時、どうしていますか?」

相談者さんのくださった内容に沿って、主に「仕事」についてのこととしますと、「生活について」ということイコールとします。



私ならまず、「現在の自分」の救済に取り掛かります。

まず、狭くなりそうな視野を開くために、聖典にはなんて書いてあるかな、ということを見るのと同時に、外の世界を見るようにします。

そして「近い未来に成長できる兆し」を感じられるようにします。

この「成長」って具体的になんだろう、と思うと、ひとつ言えるのは「自立」だと思っています。
(心の自立でもあり物理的な自立でもあり。)


暗い気持ちやつらい気持ちになるのは、そうなってしまった「原因」だと自分が思っている対象に支配され、自らも依存してしまっていたことの現れだと思うのですね。

例えば、まじめに一生懸命仕事してても自分の評価が悪かった、またはあきらかに公正な評価基準がない中で低いほうにジャッジされた、などで落ち込むのは、その仕事なり状況に自分が依存している証拠で、支配されている意識があるために起こることでもあります。(大なり小なり)

ここの仕事を失ってしまったらやっていけない、というような「予感」が立ち上がり、気持ちを暗くさせます。生活があるのでそれはもう、当たり前に起こる気持ちだとは思います。


ですが、依存している自分に気づくチャンスだとも思います。



人生のプランB

明るさと自信、自己肯定感を取り戻すために、試しに人生の「プランB」を考えてみるのがいいと思います。

今のあり方が実行中のAだとすると、可能性のBを考えます。

生きていると何かしらのことを「頼り」にしないといけない必要性はあります。
仕事にしても雇い主や仕事をお願いしてくれる存在があるからこそ成り立ちます。

が、それが依存になりすぎないように、今の状況とか環境だけに精神的にも物理的にも依存しすぎないでいられるようなフットワーク先を考えてみるといいと思います。ひとつのことに依存していない自分の人生を考えてみるかんじです

今すぐことを起こせという意味ではなく、
本来なにがしたいんだっけ?
と、一回リラックスして考えてみるといいと思います。

とはいえ、そういったことを「考える」にしても、考えるためのエネルギーが必要ですよね。
そうなのです。
とりあえず今、ニュートラルな自分を思い出し、普通レベルの元気さを取り戻さないと。


ですので、ちょっと元気を出すために、物理的な作用で元気を取り戻すのがいいと思います。
それはもう、なんでもいい、映画を見に行くでもいいし、ヨーガをしにいくでもいいし、ジムに行くでもいいし、話せる友達に会うなんてのは最高だし、休みをとるのもいいと思います。



そして、大丈夫!!大丈夫!!
ひとりじゃない。

そう思ってほしいです。

自分でなんとかしないといけないことを背負ってみんな生きてますが、でも一人じゃないです。

一人ぼっち感を払拭するために、ヨーガのグルの言葉から引用できることをひとつ。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「今あなたが働いている環境が、必ずしも最良だとは言えないかもしれない。
やがてあなたの好みと気質にあったよりふさわしい仕事が見つかるだろう。
けれどもそれまでは、今あなたがいるところで働き、ヨーギーでありなさい。
カルマヨーギーとしてあなたはそこで奉仕する。より良い仕事が見つかるまでは、今の職場を離れないこと。


今すぐ何かが見つからないとしても、行き詰まっている訳ではない。

行き詰まっていると考えるのはヨーガ的ではない。

ある意味でそうした場所で働いていることが、あなたを精神的により強くしてくれる。

そうした雰囲気の中で生活しながら自分の信念に従うことは容易ではない。

しかしもしそれができたなら、あなたはよりすぐれたヨーギーである。」
スワミサッチダーナンダ
 「自己を知るヨーガ」より

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜




最後に、

現在の「現状変わらず」の職環境でも、折れずに、明るくお仕事するための心のお守りとして、その場にいる人を笑わせてみてください。
その日会う人を優しい楽しい気分になってもらえるように、心を柔らかく仕事に臨んでみてほしい、と思います。

優しさは人に与えた時に自分のパワーになり、
だれかが自分に向けてくれる笑顔は、神様がその人を通じて自分に贈ってくれた、歩き続けるための光。

ひとりじゃないですので、またこういった話もしていきましょう、と言いたいです。



このテーマと同じようなお悩みを持っている方に少しでも届けばいいな。私も成長すればもっとうまうこと言えるようになってくると思うので、がんばります。

仕事ってね。
生活に関わるし個人レベルで動かせないことが多く、いろいろ複合的なお悩みになりやすい難しい部分もあるので、これだけ書いてもお役に立ててもらえるか分かり得ないところがあるのですが、今私に言えることをお話してみました。

長文、読んでくださりありがとうございます。



EMIRI

2019年7月16日火曜日

心の救済・神との関係として




ひとつ前の記事で、人間関係についてのお悩みに関してのアドバイスを書きました。

前回は、自分の心のエネルギーを落とさないためのフィジカルなアドバイスをしました。


今回は、もうちょっと
哲学的な面での提案を書きますね。


毎日顔を合わせないといけない人に、辛辣で、冷たく、横暴で、拒絶や支配的な態度をあからさまにとられたら、そりゃつらいです。

前回の内容でものべたように、そういう人はもう態度を決め込んでしまっている場合は多いので、その人が変わることを期待しないほうがいいです。

でも、毎日接する必要がある。

そんな時、考え方のひとつとして、胸に入れておいてほしいことがあります。

これをやるには、物理的な現実(状況)がひどくても、その奥にある真理を見据えている必要があるのですが、きっとできますよ。辛い時ほど、そういったことが可能になる潜在的なパワーがあるのです。


「これは、この人と私の関係性のお話ではなく、私と神との関係を親密にするためのレッスンなんだ。」


と思ってみてほしいです。

たしかに目の前の人のいじわるや冷酷な態度に耐えながらそう思うのって、最初は難しいというのはわかります。

でも深呼吸して、前回の内容で述べたように自分のスシュムナーに新しい生命エネルギーを満たして、

「これは表面上、この人と私の問題のようであるけれど、実際は神と私の対話なんだ。」

と、思ってみてください。
最初は難しくても、そう思うことで、別の次元の目が開いていくんです。

人間関係だけではないのですが、
つらいこと、苦しいこと、受け入れるのが難しいこと、というのは、生きて入ればそれなりに起こってきます。

そんな時には、私の大好きな、このメルマガでもたびたび掲載しているパラマハンサ・ヨガナンダ師の言葉を思い出してほしいです。


「試練はあなたを破滅させるためにやってくるのではなく、神にもっと感謝できるようにするためにやってきます。」


自分に敵意や憎悪を向けてくる人やどうにも合わない人とずっと同じ場所にいるのは、お互いにとって淀んだ時間になりますので、離れるなり状況を変える策がないか探ってみつつ、一緒にいないといけない間の心の指針として、心の中においてほしい言葉です。


意外とね、そういうふうにある種の割り切りを持って、抽象度の高いところに心を置いて接していると、(期待しすぎはよくないけど)、けっこう関係がよくなったりすることも無きにしも非ず。



実際には、そうなんですよね。すべての物理的現象の中に見出せるのが、神との対話。


表面上の状況や、個別の出来事の奥には、すべて、自分と神との対話があります。



「試練はあなたを破滅させるためにやってくるのではなく、神にもっと感謝できるようにするためにやってきます。」




『神様、いろんな学びをありがとう。
こんなに誰かに嫌われていじわるされてるけど、
あなたのことを前よりももっと近くに感じるよ。

(だからはやく終わらせてください(笑))
と、神と対話してみたって、いい。


心に、ユーモアを持っていられるって大事なこと。
神との対話も、敬虔な祈りとともに、ユーモアを持って語り合ってみることをおすすめします。

2019年7月14日日曜日

心の救済・音楽的アガル呼吸法☆

〜心のセッションシリーズ〜



お悩みの相談を受けることが多々あります。



人間関係に関する事柄がよく挙げられます。

その中でもとくに多いのが、仕事上の上司さんや部下さんとの関係。



冷たくされたり邪険にされてしまい、辛い思いをしているという内容が多く、こういった相談に、ヨーガ哲学を学んでいる方の場合ですと、ヨーガの考え方で答えることができますし、もしそうでなければそれを噛み砕いてお話しし、心の指針になり得るところを見つけてもらっています。


きっと相談できないまま悩んでいる人もいるだろうなと思い、シェアしたいなと思いました。


たいていの相談者さんとしては、理由がわかれば自分の態度を改めたいと思っているし、穏やかにできるならそれに越したことない、と思っていて、自分から敵対したいとは思っていない場合がほとんどです。ヨーガ哲学を学んでいる人の場合もとくに、相手を自分の鏡として捉えてみたりと、内省するがゆえに悩んでしまうことが多いですね。


そうは思っていても、理由すら話してもらえず、コミュニケーション自体がもう難しいというところにいる方も多いようです。



そして詳しい経緯だと、以前は関係は悪くなかったが状況が変わったことによってだんだん悪くなった、というケースが多く、その多くが立場や距離感が近くなってから関係が悪くなってしまった」というものです。

例えば、別のチームで動いていた時はお互い協力関係でよい間柄だったが、同じチームになってからだんだん険悪な態度を取られるようになってしまった、とか、自分が外部の会社からの派遣だった時はよくしてくれたが、同じ会社に社員として加わって上司部下になってから関係が悪くなった・・・というような経緯です。



物と物の距離が近くなれば「衝突」や「摩擦」の可能性が高くなり、ぶつかりが起こりやすくなるというのは現象としてあることなので、そういうケースが多いのもわかります。
人と人もそうですね。
いっしょにいる時間が長くなり、距離や立場が近くなると摩擦が起こりやすくなります。
「じゃあすぐ離れよう」とできないところも悩みとなってきます。



人は、関係に少し距離がある場合や、たまにしか会わない場合はまだ「ゆとり」があり、優しさや協力体制を見せることができるという傾向があります。

それが縮まって関係性が濃くなってくると「自分の領域(と思っているところ)で自分を脅かす存在(と思えるもの)」に敏感になる、という心理がありますね。

こっちはそんなつもりなんてなくても、相手がどう感じるかは、長らく付き合いのある人でも時として未知の世界だったりします。


「縄張り(だと思っているとこと)」に何かが侵入すると、「私の」という意識が自動的に働いて、

「私のペース」
「私の安全」
「私のコントロール」

というものを乱されたくないという、いわば状況を支配したい心理が湧いてきたりします。

自分の心理を冷静に観察している人であれば、こういった自分の心模様に気づいて

「いやいやこれはなんだか不穏な空気をうむのでやめとこう」

と冷静になることもできるかもしれませんが、いろいろな話を聞いていますと、一般的にはそのように内省して律している人よりも、自分の心が起こす自動的な作用に無自覚な人の方が圧倒的に多いのが現実だと思います。
もしくは、わかっていても止められなかったり。


距離があった時には「好き・好ましい」と思えても、縮まった時に「目障り」になる。


まあそれは・・本当の意味で「好き」ではなかったのですね。

ある条件下でのみ適用される好意をいただいていただけなんだ、と悟ってしまってもいいかとも思います。

そう悟れば「また昔みたいに好かれたい」と思う気持ちが無効であることもわかるし、好かれたい思いを手放して、ここから別の新たな関係なんだと割り切ることもできるかもしかない。
そう考えることで少し楽になる場合もあるかと思います。




実際のところ、一回がっちりと「壁」を作られると、もう嫌われたり拒否されている側が「私も態度を改めますので」と歩み寄ったり努力しようと近づいてみても、本人がもう決め込んでしまっている場合どうノックしても返答なしだったりしますね。

こちらからは動かせないものを相手が作ってしまった場合に、無理に動かそうとすると余計に悪化したりします。


そうはわかっていても、拒絶されたり目の前で冷たい態度を取られることというのは辛いこと。
チームや部署を変えてもらったりなどの物理的な距離が取れればいいのですが、そう簡単に動かせないですよね。




こういった場合に提案できるのは、状況を変えることよりも前に、まずは「自分の心のエネルギーをいかに落とさないでいるか」というところになってきます。



物理的なアドバイスですと、呼吸が浅くならないように注意して、いつも深呼吸を心がけるのがいと思います。

ヨーガの呼吸法でもそうでないものでもいいので、仕事中でもまめにやるといいと思います。

自分のエネルギーがスカスカだと、人が自分に向かって発する感情的な波動をもろに受け取ってしまうので、まず自分の気を満たしておくことが大事です。

自分だけでもニュートラルな態度でいよう、と努めるにしてもやはり「気力」を使うものです。自分のエネルギー補充、大事です。



まず自分のエネルギーを失わないように気をつけて、そしてその件で自分を悲しませないでほしいなと思います。マイナスに考えすぎるとエネルギーが漏れていってしまいます。


聖典「ヨーガスートラ」の解説書にある「呼吸」についての説明をみると、呼吸と思考の重要な関連性がわかります。


人間の体の中心にある一本の気の管を「スシュムナー」と呼ぶのですが、


スシュムナーに新しい気が満ちていないと、まっとうに思考することができない

とあります。


参考↓ スシュムナー、真ん中の管です。



http://znakovi-vremena.net/en/nadis.htm


「悩みの件」について考えるよりも前に、呼吸によって体内の気を満たしておく必要があるのがわかります。

そうでなければ、考えても有効な考えにならないのですね。


これは今回のテーマだけの話ではなく、なんであっても言える話で、気がスカスカ、気が枯れている状態で考えても、思考をよりよく使うことができず、悩みは悩みのまま堂々巡りしてしまうということです。



というわけで、まず!

なんであれスシュムナーに新しい気をたくさん入れましょう。


ヨーガの呼吸法などを本格的に知らなくても大丈夫です。

自分の体の頭のてっぺんからお尻の底までを一本の線でつなぎ、吸った息をその中心線に流し込む感覚で呼吸してみてください。

イメージが大事です。

吐く時も、中心から滞ったものが出て行くイメージを持ってみましょう。




もしも!その件に関して頭がいっぱいだったりして、

「気になって気になってなかなか呼吸なんて集中できない・・・」

っていう場合には、いい方法があります!!

まあこれは職場ではできないかと思いますのでご自宅でなんですが




好きな音楽をご用意。

ヨーガとか呼吸法をする時にかけるようなゆったりした曲じゃくてもよく、むしろノリノリになれるような音楽をかけてください。


アップテンポのもの、元気がいいものとか、楽しそうなものとか、YouTubeなどで本人が歌っていたりする動画があればヴィジュアルも合わせて、見てるだけでウキウキするような曲、「アガル」曲をかけてください。


それを見ながら、そのノリノリ波動を吸い込みます。
 吐くのはこの際意識しなくていいです(笑)
とにかく「アガル」波動を吸い込んでください。


一般的に4〜5分の楽曲が多いかと思います。その間ずっと、その波動で元気を満たします。


好きなアーティスト、好きなアイドル、昔の曲、今の曲、とにかく「アガル」やつでお願いします。

好きな曲でもシメっぽいのはだめ(それは別の時に)。


騙されたと思ってやってみてください。

途中で呼吸のことを忘れてしまうかもしれないですが(笑)、思い出してまた呼吸してください。


そんな風にひとしきりやってみるとですね、
湿っぽくて停滞した案件について堂々巡りで考えているのが、ちょっとアホらしくなってくると思います。
この「アホらしくなる」感覚というのは、問題を軽視したわけではなく、気持ちの温度が上がった感じです。


人生、何が大事だっけ?
こういうことにエネルギー奪われるためにあるんだっけ?



というような、もっと抽象度の高いところで考えられるようになっていると思います。



世界には明るいものだってたくさんある
闇や影もあるけど、闇や影だけじゃない

と思える力をもらえると思います。

音楽の力、エンターテイメントの力ってそういう次元を刺激してくれます。


自分の中の明るい部分を刺激してもらい、明るさや元気を文字通り「もらって」ください。それこそアーティストが人に向けて行いたいアーティストなりの「救済」で、苦しい時や辛い時にその救済に助けてもらうことは、発信側のアーティストにとっても願ったり叶ったりなのです。

それでもって、さっぱりした気分を得られたら、もう一度静かに呼吸に集中してみるといいです。

ぜひやってみてください。


まずひとつのフィジカルな面でのアドバイスでした。


次回に続く・・・




ナマステ
EMIRI

2019年7月12日金曜日

長い梅雨コラム&ヨーガ哲学入門講座開設のお知らせ




今年は長い雨ですね。

ちょっと寒い日もあり7月だということを忘れてしまったりします
でもしとしとと雨の降る日はなんとなく世界も静かで、(室内にいる限りは、笑)その静けさが好きです。

晴れてほしいな〜と思いつつも、せっかくなので「雨」とインド思想についてを少しお話します。

ヨーガの発祥地インドの死生観では「雨」ってとても大事で、雨(つまり水)が生命の運び手であり輪廻の媒体と考えられる思想が古代の文献の中にあります。

それはインドの気候が影響しているのでしょう。日本や雨の多い土地では古来より太陽への信仰が中心である場合が多いですが、灼熱の乾いた地の多いインドでは切実に雨を求め続ける歴史だったのだと想像できます。

インドでは「雨」と「輪廻」(生まれ変わること)の関係はこのように語られます。

 “死者の魂は月にいったんとどまり、雨となって地に降りて、土に吸収されす。

 土から植物(穀類)に吸収され、それを食べた男性の精子となって女性との交わりによって胎内に注ぎ込まれ胎児となる。

 そして再び人間に誕生する”

このように人は死んだら月の世界へと上昇し、魂は水とともに天から戻ってくるという思想です。

 え、なんで男性に入った場合限定なん?
 女性にはいって卵子から転生はできへんの?
とか、
 その穀物、動物が食べたらどうなるん?

などなど(笑)、その思想の中で育ったわけでない視点ですと色々つっこみたくなるかと思いますが、まあそんなわけなんですよ(片付けた!笑)
 

というわけで、雨を見たら

あ~、人の魂がいっぱい降ってきた、誰かの輪廻が降ってきた~~」

と思ってみるのはどうでしょうか(笑)
ふふふ。


 さて梅雨時のヨーガですが、「水」の気質が高まるこの季節は「火」の要素を高めて気のバランスを整えるといいです。
例えば「三日月のポーズ」など後屈のアーサナと、「ダウンドッグ」などの腹筋を使うポーズをゆっくり繰り返しおこなってあげるといいです。5〜6回繰り返すだけでもスッキリすると思います。
 腹筋背筋をまんべんなく使って血の巡りや消化力を活性化し、停滞しやすいこの時期を乗り越えましょう♫


では、今日のお知らせへ。
ヨーガ哲学講座に新しく入門のコースを設けました。「本当にはじめてからです!」という方におすすめします。おしらせその1にて。


また随時開催中のオンライン授業の「ヨーガ哲学理論と実践6ヶ月コース」ですが、リクエストの多かった週末開催を設けました♫
他の仕事との兼ね合いなど諸々ありで週末に開催できる機会が少ないので、ご興味ありの方はこの機会にぜひチェックしてみてください。おしらせその2にて。



<お知らせその1>
入門コースができました



オンラインヨーガ哲学コース

「楽しく学ぶ、はじめてのヨーガ哲学」


このコースはヨーガ哲学をはじめて学ぶ方のための入門コースです

これからヨーガ哲学を学びたい方、すこし知っているけど本格的に学んだことがない方向けの内容となっています。

ヨーガ哲学の基本となる考え方を学び、その先の学びへとつなげていくスタートとして役立ててください。


講義はすべて【動画】での解説になりますので、都合のいい時間に取り組んでいただけます。

本コースの履修内容は、とても広いヨーガ哲学の世界の中でもヨーガをするならここは必ず押さえたい」という基本中の基本テーで構成されています。

そしてヨーガ哲学を個人の日常や生き方に反映させやすいよう、るべくわかりやすく、そして楽しく解説します。


「ヨーガはいったいなにを目指す?」

「ヨーガとはいったい何をすること?」

「ヨーガの“練習”の本当の意味は?」

「“自分”っていったいなに?」

「ヨーガにはいろいろな道があるの?」


初歩段階で湧くこういった疑問にも答えが得られます。

基本理論の学びを通して、人生の指針や自分自身に対しての理解が深まります。


 
【募集中】
・2019年8月スタートの回
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2019年7月17日(火)まで初回オープン割引を実施しています。



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ヨーガの考え方は人生のいろいろな場面で支えになる素晴らしいものです。興味を知識に変え、知識を人生に変えてみましょう!ワクワクするヨーガ探求の世界へ。

今回の開催はリクエストの多かった週末の日程になります。平日開催だと参加できない方もぜひご検討ください。



ヨーガ哲学の理論と実践 6ヶ月集中コース ・オンライン講座
2019年7月17日(火)まで早期割引を実施しています。
 

 

2019年3月23日土曜日

娘と語るブッダの教え 「ダイバダッタのお話編」


娘と語るブッダの教え
「ダイバダッタのお話編」


うちのブッダ


娘(11歳)に、お話をせがむことがあります(笑)。

ブッダのエピソードに詳しい娘に、

「ねえ、ダイバダッタ(提婆達多)の話が聴きたい。」

というと、喜んで話してくれます。

(「あとでいい?」と言われることもあります、爆)


ダイバダッタはブッダの弟子でありながら、ブッダへの昔からの嫉妬や憎悪を払拭しきれず、ブッダを殺そうと図った人物です。


当時繁栄した王国であったマガダ国のアジャセ王子と友達になったダイバダッタは、恨めしいブッダをやり込める策として、アジャセ王子を味方につけ、精神的に支配し、王子にその父であるビンビシャラ王を殺させよう、と図りました。

自分と近しいアジャセ王子を王様にすれば、最強のマガダ国をバックにつけた教団を作ってブッダを越えることができるではないかわっはっは、と。

ダイバダッタに乗せられたアジャセ王子は父を幽閉して殺してしまいました。



同時にダイバダッタはブッダを殺そうとします。

上から巨大な石を落として事故死と見せかけようとしたり、酒に酔わせた象をブッダに向かわせたり、ブッダの弟子たちを仲間割れさせようとしたり・・・いろいろします。

でもブッダは、ダイバダッタのいろんな策略にはまらず、むしろいつも通り人々を真理へと導き、そのうちに、かのアジャセやその母親もブッダに帰依しちゃいます。

絶大な後ろ盾も失ったダイバダッタにはもう自爆的な行為しか行えず、自ら仕組んだ毒薬が自分に回ってしまい、壮絶な死を遂げます。



とのことを、娘の、時々脱線するところや(サブキャラの話をもっとしたくなったり)、時系列が前後したり、主語がなくて誰のことを言っているのかわからなくなる部分などに「補助輪っか」をつけるようにサポートしながら、物語を話してもらいます。

これってすごくおもしろくて、娘の中でもその物語がどんどん生きてくるのがわかります。知っているだけではなく、誰かに話すってすごいことですね。


「それで、ダイバダッタの話からわかることってなんじゃろね。」

と最後に聞いてみたら、娘は言いました。



「嫉妬と憎しみは自分を殺す、ってことじゃない。」


と。

「ブッダは、嫉妬や憎しみで体を動かすと、それがいつか自分に帰ってくる、ってダイバダッタに言ったね。」

と娘。


「体を動かすと」というのは、それを動機に行動をすると、ということですね。

また、

「あなたが本当に争っていたのは私(ブッダ)ではなく、自分自身です、って言っていたね。それってさ、ドゥルヨーダナと同じだね。」


と。(ドゥルヨーダナについては、前の記事をご覧ください。インドのマハーバーラタの登場人物です。)

とのこと。





・・・・。



深いですねーーーーーー(笑)。



自分で仕掛けた毒が自分を殺した。


このことも、内面で起こったことを表しているように思います。



「相手の不幸を望む」という感情の毒が、自分に返ってくるという法則を物語っています。




ダイバダッタのことを他人事と思わずに、自分のこととして考えよ、というのが仏教としての教えでしょうね。

そんな恨みや妬みは私にはないわ、ではなく、ダイバダッタは全ての人の中にある最も低い煩悩を表現している。


こういったエピソードの中の誰かを「悪者」にして誰かを「正義」とするのではなく、自分を振り返る鏡とするのが学びですね。

だってブッダのような人であっても、そんなにも恨まれ憎しみを向けられるわけです。

自分でいいと思う道を歩んでいても、勘違いされ、理解されず、嫌われることがあります。

そんな時ブッダは「どうしていたか」。

いつも通り、真理を説いていました。

いつも通り。



自分のことを嫌う人や悪く思う人がいたとしても、その人を説得することはできないことがほとんどです。

特に相手が、自分の思いを正当化している時は、相容れられるスペースがありません。

だから、しかたない。
しかたないはいわゆる諦めではなく、スペースのないところに無理には入れないという物理的なことです

これも自分に振り返ると、自分が自分を正当化していると、誰も入ってこれなくなるんだな、ということを学ぶ機会ですね。


ダイバダッタのように自分を嫌う人がいても、せめてこちらは、ブッダのようにスペースを開いて、いつも通りで。


そんな感じだと思います。



娘が繰り広げる哲学的なエピソードをメルマガやブログなどに載せるととても人気で(笑)。実際に会える範囲にいる読者さんから、もっと聞きたいと言ってもらえます。
わかりますよ〜(笑)
ティーンの純粋な洞察ってのはすごいものがあり、大人に近づいた解析力と、大人よりもフィルターなく物事を捉える目線が、絶妙なんですよね。
小学生のうちにたくさん聞いておこうと思います。
中学入ったら、思春期になったら・・、また別のフェーズに行ってしまうのがわかるので(笑)。



追記:
ちなみに、私はヨーガ哲学と仏教思想は切り離して学ぶようにしてます。
近いところもあるけど、バラモン教(そしてのちのヒンドゥー教)と仏教の決定的な違いを知ることで、双方の言っていることや目的を客観的に理解しようと勤めています。(信仰心に関してはもっと主体的な経験から双方のそれぞれに心を開いています。)
ヨーガ哲学と仏教思想は、混ぜて勉強すると「合致が行かないところ」で疑問と不要な苦悩が起こると思います。ので、入門者の皆さんは特にお気をつけください。ある程度学びが進むと、それぞれを合わせて考えられるようになりますので、そこまでは分けて学ぶのがいいと思います。
娘もその辺は理解できるようになってきて、ヴェーダの内容の時代的必然要素における変遷と、ブッダ個人の考え、そしてのちの仏教繁栄の背景をいつも分けて教えるようにしています。
そんな話もまた。


最後まで読んでくださりありがとうございます。
Namaste
EMIRI

2019年3月17日日曜日

娘との対話「比較することで起こる自己認識の不幸」について



こんにちは、エミリです。
今日はちょっと、娘との対話を書こうと思います。
私の毎日は、彼女とのヨーガ的対話に支えられています。


11歳の娘と、毎日ヨーガ哲学で、いろんな話をします。ほぼ毎日。

最近はヨーガ哲学の基本中の基本である「グナ*」についてを彼女はわかりたいようで、「自分のことを自慢する男子」についてお題を投げてきた(笑)。
なかなか小学生らしいお題でかわいいのですが、うちの食卓ではそれが哲学の議題になります(笑)。




*グナ:物理的次元での諸現象の「性質」のこと。
諸現象を作り出す「プラーナ(生命気)」の各性質のことを「グナ」と言います。




小学生男子で多いのは、「俺お前よりも頭いいもん」、「俺の方が塾行ってるし〜」、「俺のほうが〜〜できるし」「俺の方が持ってる」という会話が多く、言い合いになっている、と(笑)。

 「これは、なにグナになる?」と。

うふふふ(笑)


そういう自慢や虚勢張り合いの言い合いばっかりだと、だんだんとケンカになるのに、なんでそういうことを言いたいのか、そればっかりになるのか、と。
それはどんなグナなのか、と聞いてきた。


と、まあ(笑)、

グナうんぬんの前に、子供のうちはそれもコミュニケーションのひとつなんだろうというのがあるけど、でもお題に上がってしまったのでそれでヨーガ哲学を話すことになるのです(笑)。


子供大人関係なく、そういう「人と比べる」意識や態度の底にあるもの、それは何か考えてみよう、と。

「オレはおまえよりすごい!って思いたい、 ”欲望”?」と娘。

そうだね、まあ欲望かもだけど、欲望で一括りにする前にもう少し具体的に見てみるといいかも ね、と私。


競争意識とかプライド意識とか、色々言い方はあるけど、なぜそういう意識を持つのかを考えてみよう、と。


娘は、「勝ちたいっていう気持ちかな。勝つと嬉しい。それはラジャス*なのかな。」


*ラジャス:グナのひとつ。「刺激の質」で、それが増大すると自我が強まり、感情としては怒りなどの荒ぶる心になる



私:「行きすぎるとラジャスだよね。ラジャスが強まるとどうなるか覚えてる?」

娘:「怒ったりする。憎しみになったり、争いになる。」

私:「そういうことが多いね。 男子はそれで怒ったりしてる?」

娘:「そんなこともない。言い合ってるだけな感じ(笑)。そのあとまた遊んでるし(笑)。」

私:「じゃあまだお互いに戯れてるだけなんだよ。そのやりとりをある意味楽しんでいるのかも。子供のうちはそういう関わり方もコミュニケーションなのかもしれない。

でもそれが大人になってもずっとそういう関わり方ばかりだったら、どんな感じになると思う?

・・・よく知っている「人物」で見てみるといいと思うよ。マハーバーラタ*だと、究極的な人がいるよね。」


*マハーバーラタ:古代インドの物語、ヒンドゥー教の聖典「バガヴァッドギーター」を含む大叙事詩。娘の愛読書。



娘:「”欲しい”と”勝ちたい”ばっかりの人は、ドゥルヨーダナ*だよね。」


*ドゥルヨーダナ:マハーバーラタの登場人物。虚栄心、嫉妬、憎しみを体現する。


私:「そうだね、ドゥルヨーダナは最後どうなった? 人生通じて彼は幸せそうだった?」

娘:「怒りとか憎しみばっかりだった。・・・安心した時が一度もない。

最後、一人になって死んだ。」



憎しみと権力欲に支配されたドゥルヨーダナがイカサマ賭博で宿敵パーンドゥ兄弟をおとしいれようとする。
賭けで奪ったドラウパディ妃(パーンドゥ兄弟の妃)が連行され、ドゥルヨーダナの弟により衣服を剥がされそうになるが、ドラウパディの渾身の祈りによってクリシュナ神が現れその聖なる力で「剥いでも剥いでも剥がされない衣」を与えて守護する。マハーバーラタのテーマである「ダルマ・アダルマ」を象徴する超重要シーンのひとつ。(画像wikipediaより) 



私:「そうだね。ドゥルヨーダナはさ、憎しみの対象である人を負かして、自分が勝つことで “何を得たかったのか” わかる?」


娘:「“自分は強い”って思いたい。それと、”嫌いな人が幸せにならないこと” が欲しい。」

私:「そうだね。

”自分は強い”って方さ、自分だけで思うことはできないのかな。相手がいなくても、自分は強いのだって思えないかな。そしたら打ち負かす敵を持つ必要なさそうじゃない?

あと、“嫌いな人が不幸にならないと自分は満足できない”ってのも、わかりやすいアヴィドゥヤ*だよね。

自分のことを嫌いな人とか相性が合わない人でも、仮に敵でもさ、その人の幸福を願うことはできるはずじゃんね。

実際にさ、マハーバーラタの賢者たちは、敵であっても”祝福”の言葉を送りあってるよね。彼らにとって言った言葉は真実だから、思ってないなら言わないし。だから、できるんだよ、好き嫌いとは別の話にできるはず。」


*アヴィドゥヤ:真理から離れた心のあり方。無知。


娘:「誰かを負かさないと、自分は強いとか幸せとか思えないんだね。」



私:「そう。そこだね。だからさ、相手と自分を比べたり負かしたりしないと、自分がわからないってこと、だよね。

そういうののことを、マハーバーラタでは「盲目」っていうキーワードに例えているよね。目は見えていても盲目、って。人と比べないと自分が見えないの。」



娘:「・・・・・うーーん。 人と比べなくても、いちいち勝ったりしなくても、自分は見いだせるよね。」



私:「お、そう思えそう? (いちいち勝ったり、って表現がいいねwww)
うん。じゃあ人と比べなくても自分を見いだせるってのはどういう状態で可能になると思う?」


娘:「うーーん。寝る前とか、瞑想してるときに、心が静寂になると、自分のしたこととか言ったことが見えてくるから、それで自分ってこういう人ってわかる。」


私:「それもいいね。
じゃあさ、さっきの男子の話だとさ、言い合っている対象の「お友達」を、自分のことすごいって思うために ”使ってる” じゃんね。そこわかる?」


娘:「うん」


私:「じゃあ。寝る前とか瞑想の時に出てくるそれでいうと、「記憶」とか「思い出」を「自分」を知るために使ってるよね。

「何か」を使っているということには変わらない。自己認識の対象が「友達の反応」から「自分の記憶」に変わっただけと捉えるとどう? 

それも使わないとしたら?」


娘:「うーーん、そうすると、頭が真っ白で静かになるから・・・・

ひたすら行動するかな。




私:「お〜〜〜(笑)

そうきたね!すごくいいね!行為のヨーガ*だ!

*「行為のヨーガ」:バガヴァッドギーターで提唱される「無私の行い」としてのヨーガ、またはヨーガスートラで提唱される実践のヨーガ。


じゃあ、「何か」に頼らずに自分を知る、については?」


娘:「・・・そしたら、アートマン*について、考えてみる、かなあ。」

*アートマン:真の自己、神と等しい自己、魂


私:「いいね〜〜〜!(笑)

でもさ、アートマンは考えてもわからないところもあるじゃん。もちろん考えることは大事だけど。その場合は?」


娘:「アートマンをわかっている人を真似してみる。」


私:「素晴らしい!!!!(笑) 

ウパース*狙いですね! グルは偉大だね!」



娘:「ウパースってなに?(笑)」

*ウパース:同値する。ヨーガ的な意味だと、すでに悟ったグルの波動を、その側にいることでまとわせてもらい体得すること。







と、この会話は先週のもの。
こんな会話が、我が家では夕飯の時や娘の就寝前によく話されています。
なんて偏った家庭なんでしょう(爆)!
・・大丈夫です、普通の小学校に通うことでバランス取れてますし、子供らしい欲も幼さもたくさんありますので(笑)。


ヨーガ哲学を学び、知ることの大きなギフトの一つは、宇宙の摂理や真理を、日常の普通のことにトレースして見つめ直していけることです。

娘は私が自宅でヨーガ哲学のスカイプ講義をしている間、聞いていることが多く、また古代のインドの物語を好む読書好きが功を奏して、心の基礎が聖典の文言になってきています。グルや聖人の残した例え話を自分の体験に投影することで、自分の現実を理解しようと自然としています。そして彼女は、それを「楽しいこと」と言います。そう、楽しいんですよ、ヨーガ哲学は。


真理を学ぶことや考えることって、人間の行為の中でも素晴らしく幸福なことで、それは喜びなんだと思います。娘はそういう話をするとき、いつも嬉しそうに、ワクワクした顔で話します。

特に自分の日常の学校での出来事を、私がヨーガの教えで解釈する話が好きで、キリのいいところでやめないと延々聞きたがります。いっぺんに知ったことはすぐに忘れるから今日はここまでにしよう、といつも終わらせると、「楽しかった♪」と言います。


私たちはみんな「本当の自分」を知ることに魂的なニーズを感じています。それを教えてくれるのがヨーガで、面白くないわけがない。娘を見ていると本当にそう感じます。


だからみな、生徒さんも、聖典を読んだりするのは難しいと思いながらも、それでも「知りたい」という気持ちでヨーガ哲学に向かいます。そういう個々の魂のニーズを、私は心から礼拝します。

「悟り」とか「解脱」とか、そういうの目指してなくたっていいんですよ(笑)

「本当の自分について」をよく知ることができるという、それだけで、生きることの心の自由度があがります。

ナマステ


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最後まで読んでくださりありがとうございます!

Namaste
EMIRI