EMIRI MOROKA -HEART MATRIX-

師岡絵美里のブログです♪


2015年12月17日木曜日

「幻祭前夜〜マハーバーラタより〜」を観て

吉祥寺シアターで素晴らしい舞台を見て来ました。



小池博史ブリッジプロジジェクト汎アジア計画

「幻祭前夜〜マハーバーラタより〜」





いつもダンスのためのステージ衣装を買っているお店から来るダイレクトメールでこの舞台を知りました。

そのご縁にもなんとも言えない感謝です。ほんとに知れてよかった〜〜。




娘と、ダンス&ヨーガ仲間の大塚靖世ちゃんを誘って。




これねーー、とりあえず自分の範囲で言いますと、ヨガやってる人にもっとお知らせすればよかったなあと思った。もう昨日で終わりなので遅いんだけど。




バガヴァットギーター(「マハーバーラタ」の中の有名なお話でヨーガ経典でもある)を本で読んでもよくわからない、という人もけっこういると思います。そんな方々にも観てもらいたい。

もちろん今回の舞台としての演出があるのですが、そうだとしても、人間の肉感的な動きと共に観る物語は、ほんとにすごいインパクトですよ。











今回の舞台は、マハーバーラタのテーマでもありますが、



「人はなぜ生きるのか」



そして



「どう生きたいのか」




というところを抜き差しならないレベルでえぐられる、大迫力の舞台哲学でした。




私はけっこう感想を言葉にするのが得意だし早い方だと思うのですが、

終演後、ロビーにいらした出演者の方に、ただただ「良かったです!」としか言えなかった(笑)。言葉じゃないんですよね。




そして、こういう古典を再現した舞台というのは、内容をもともと知っていても毎回新しく新鮮に感化されるものです。




今回の舞台を観ていて感じたのは、アジア人に生まれて心底よかった・・・という民族性への回帰感。




でもこれは他の民族性との比較や優劣の感覚ではなく、

アジア人としての自分だからこそできる「何か」に対して、

私の中の深い深いところが喜んでいる、それがわかるというだけです。




この舞台、いろーんな工夫がされていました。




それぞれの出演者さんが一人何役も演じていたます。少なくとも二役は確実で、多い人で4役も、

さらに〜〜、その役どころの衣装の早替えを舞台上でやったりします。

よって演者さんのデハケはほとんどない、あってもまたすぐ違う役で出てくる。

これは出演者としてはものすごいエネルギーと集中力を要しますよね。

裏にひっこんだ隙に調整して出直す、ということがないんですから。

想像できるだけに恐ろしい(笑)

でも、自分もやれと言われたら絶対やるな。挑戦しがいがある。




他にも、役どころが変わると、物語上の「敵・味方」の所属も変わってるしまうのですわ。これも大変な切り替えだと思います。

出演者の魂およびカルマレベルでの「強さ」を引き出させられる演出や構成だったのではないかと思います。







帰りに大塚靖世ちゃんと、満たされた気持ちで感想を話しながら帰りました。こんな時間も幸せです。

たくさん刺激をもらったので、来年の私たちの表現活動にも大きく活かされると思います。




まだまだ書きたいことがありますが。

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詳細:小池博史ブリッジプロジジェクト汎アジア計画

「幻祭前夜〜マハーバーラタより〜」

http://kikh.com/mahabharata/#pagetop








最後に。




私のバリ島でのヨーガリトリートでも、インド古典であるマハーバーラタやラーマーヤナの演目を観に行きます。

私が好きなので、というのが一番の動機かもしれないですが(笑)、

ヨーガにはいろんな学び方があり、自分自身の人生を知るうえで「物語」というものたいへん役立ちます。

「物語」が引き出してくれるのは、私たちひとりひとりの潜在的な「魂のシンボル」なんです。




マハーバーラタやラーマーヤナは元祖はインドなんですが、バリにはサンスクリットの文化が強く根付いていて、独自の色彩と情緒を生み出しています。鑑賞の前に簡単に解説もしますので、興味がありましたら、よかったら一緒に行きましょうね。








今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

ナマステ。












2015年12月14日月曜日

バリ島へのいざないvol.3「パンチャ・コーシャ」


来年(2016年)3月のバリ島でのリトリートでは、
ヨーガの身体論でもとても重要な「パンチャ・コーシャ」を取り上げます。

この「パンチャ・コーシャ」のお話はそれなりに時間がかかるので、同じメンバーと一緒にいれる機会であるリトリートの中で、アーサナプラクティスの間に入れて行くかたちで進めるにはちょうどいい!と思ったしだいです。

なにせ究極的な「内観」においての世界を理論的に解いていますので、サラッと解説して終了、だとぜんぜん残らないと思います。
そして、普段から集中的な瞑想をしてないと、なかなか感覚的もわからないと思うのです。(インド思想ってほぼそうだけど。)

でも、とても面白いのものなので、
初めて聞く人にもなるべくわかりやすく、
今までやってきたヨーガとこの先のヨーガがつながるように、
入り口として入りやすいように、
お話していこうと思っています。

なので、興味がある湧いて、自分のこととして感じられるようなリアリティでお話しようと思ってます。
これ知ると、八支則とかチャクラシステムなどのヨーガ理論も「横のつながり」を得て、あらためて「だから八支則ではそう言ってるんだ!」的ななーるほど!が待ってますよ。

とは言え初めて聞く人にはまずもうすこし予備知識人が必要と思うので、興味を持ってもらうためにもちょっと話します・


「パンチャ・コーシャ」とは、人間の存在(意識)を五層の鞘(さや)として説明している理論です。

それは、ヴェーダの哲学的集大成とも言える『ウパニシャッド』の中の
「タイッテリーヤ・ウパニシャッド」に記されています。

この「パンチャコーシャ」の理論では、人間の存在は5つの層で構成されていると考えます。

パンチャは「5」という意味で、コーシャは「鞘(覆っているもの)」といった意味合いですね。

この5つの層の一番外側は、「肉体」を表しています。
そしてだんだんと内側に向かって、生気、意、知、歓喜、といった具合に精神原理の層になっていきます。


パンチャコーシャ論の前に、ヨーガの考え方の基礎的なところから行きますと、

ヨーガスートラの思想の基盤となっているサーンキヤの理論でも言われるように、ヨーガ(つまりインド思想)の考え方においての「物質」とは「現象」のことを指します。

私たちは、通常時の思考では、“目で見たり触ったりできるもの”や、身体の五感で確認できるもののことを指して「物質」と言うと思います。一般的に。

でもインド古来の考え方では、目に見えないものも触れないものも、
現象としてあるものが「物質」です。

あなたの「気持ち」も物質だし、その「考え」も物質だし、
「心(mind)」も内蔵などと同じような「器官」でありそれも物質的な現れのひとつなんですね。

物質は、ある特定のコンディション(概念)を集約させて密度を保って存在してるもの、とも言えます。

その「密度」の違いで、目で見えるか見えないかや触れるか触れないかなどの違いが生じています。

その「違い」は、粗大か微細かで表現されます。

パンチャコーシャに話に戻りますと、五層の鞘はこういった風に説明されます。




歓喜鞘(アーナンダマヤコーシャ) :存在の本質の層

理知鞘(ギャナマヤコーシャ):知性の層

意思鞘(マノマヤコーシャ) :心(意)の層

生気鞘(プラーナマヤコーシャ) :気の層

↓↑
食物鞘(アンナマヤコーシャ) :食物連鎖の層・肉体


矢印が下向きに向かうほど、粗大となり

矢印が上向きに向かうほど、微細となり

一番上に書いた「歓喜(アーナンダ)」というのが、私たちの存在・意識の本質である純粋意識プルシャ(アートマン)を支えている鞘です。



とりあえず今日はここまで。

バリでのリトリートで詳しくお話します。




 師岡絵美里のスピリチュアルヨーガリトリートinバリ





■Detail
日程:2016年3月13日〜18日(5泊6日)
場所:バリ島・ウブド
講師:師岡絵美里 
アシスタント講師:鈴木正村
参加費用:110,000円 早割期間延長しました!2016年1月15日(20:00)まで早割100,000円にて受付中





2015年12月13日日曜日

ヴィカルパ(妄想・錯覚)からの考察




YS-I-5
 「心の作用には五種類あり、それらは、苦痛に満ちたもの、あるいは苦痛なきものである。」



YS-I-6
 「それらは、正知、誤解、ことばによる錯覚、睡眠、そして記憶である。」




ヨーガスートラ第一章の最初にでてきます。


「ことばによる錯覚」は「ヴィカルパ」と言いますが、

妄想、とも呼べます。


ーーー

先日、インストラクターさん向けのヨーガスートラの講習でこの節をとりあげました。

自分の思考がどういった「機能」を持ち、どういった「原理」で働いているかを理解するのがヨーガスートラ第一章の醍醐味です。

ここを通らないでむやみに「ヨーガの八支則」ばかりをやろうやろうと追いかけても、うまくいかないんです。

動機がわかっていないのに規則だけを全うしようとしてもうまくいかないからです。

ヨーガやってるなら八支則守ろうね、

だけじゃだめなわけです。

だって大人ですから。
理由を知っている実践と、ただ言われたから従うのでは、経験の質も作用も違います。

というわけで私はけっこういつも第一章をはりきって解説してしまう方ですね(笑)

同じく第2章の「八支則に入る手前まで」のところを取り上げる事も多い。
じれったい?(笑)

「有名なヨーガの八支則」の話を早く聞きたいという人も多いとは思いますが、“原理”をすっとばして“規則”だけを教えるなんてそんな大味なことしたくないのです。


ーーーーーーーーー


ヴィカルパ」に戻りましょう。

妄想。

言葉によって概念化された空想。


ヴィカルパ」の直接的な解説じゃないですが、先日のそのレクチャーではこんな話に。

なぜ「妄想」には思いを引きつける力があるありのか、あたりの話をしてました。みんな妄想好きですもんね(笑)

そんな中でも、「悲しい」とか「苦しい」などの妄想に感情移入してしまうあたりを、話ておりました。



例えばですが


“悲しいこと”(悲しい状況設定など)

とか

“辛い気持ち”(辛い状況設定など)


などを空想して、長いことそれに浸ってしまうことって往々にしてある事でしょう。

それはある種、そういった空想・妄想は心の作用として

「刺激的で気持ちがいい」

からです。


えええ〜〜〜?

って思うかな。ははは。

悲しい方に考えている浸ったり、苦しい方を考えてしまいぎゅうぎゅうな思いをしたり、

”気持ちよくなんかないよ!”

と言われそうですが、

強い感情の動きが刺激を与えてくれて、交感神経が高ぶって気持ちがいいのです。
だから長くそれを考えていられます。感情体験としてインパクトが大きいので吸着力も高し。


逆に。
一般的にですが、「平和」なイメージとか「調和」のイメージというのは、想像はできても、あんまり長くそのヴィジョンに留まっていられないのではないでしょうか。

何かの拍子にすぐに、

「いやなことを考える」

という方にスイッチしてしまうと思います。

それは、平和的・調和的なイメージにはストーリーとしてのアップダウンが少なくて「興奮するような刺激」が少ないから、とも言えます。

「悲しい」とか「辛い」などを空想していると、五感がフル稼働で刺激され、興奮できて、快楽スイッチが押されて気持ちがいいのです。

表層のマインドは「辛い、悲しい」=「不快」と感じているかもしれないですが、エネルギーとしての本質まで戻ってしまうと、「快」と「不快」というのはどっちも「体験のリアリティを大きくしてくれるもの」という意味で大差ないのです。

快も不快も、好きも嫌いも、

エネルギーの大きさやインパクト、影響力がともに大きいだけで、経験としての「優劣」は本来ないんです。

快も不快も、ただ刺激的なだけです。
大嫌いだったものがある日大好きになったりします。
もともと紙一重なのでひっくり返るのもけっこう簡単。


「調和」や「平和」という波動は、「好き嫌い」が関与しない意識レベルです。

なので、普段の考え方の基準や日常生活での思考パターンが「好き嫌い」に依っている人にとっては、「調和・平和」などのヴィジョンというものはまったく「刺激に欠ける」のですね。なので長くそのイメージに留まれません。

つい、味が濃い、刺激の強い方に行こうとします。

食べ物飲み物や嗜好品への感覚と似てますね。


でもね。

心身が浄化されていくにつれて、自分を満たすものは「感覚機能」で感じることだけではない、ということがリアルになってくると、
刺激性の空想に頼る事がだんだんなくなってきます。

意識レベルが上がって来ると、「興奮」に頼らない調和的なイメージの中に長く留まる事ができます。

そのために日常生活でできることは、平和の波動を“自分から出す”ということを続けて行く事だと思います。

単に人当たりのいい作り笑いとか、場の空気を読んで穏便に運ばせる、
とかじゃなくて、

”みんな仲良し〜”とかそういうことじゃなくて、

何がどうでも、自分自身の中の愛に自己を置いておくこと、だと思います。




師岡絵美里のヨーガ哲学ティーチャーズトレーニング


■日程:2016年 平日コース・初級
2月10日(水)9:10〜15:00 
2月17日(水)9:10〜15:00
2月24日(水)9:10〜12:00

プログラムの内容など詳しくはサイトをご覧ください。
お申し込みも以下のURL内にございます。

http://www.heartmatrix555.com/home/師岡絵美里のヨーガ哲学ティーチャーズトレーニング/





2015年12月9日水曜日




ちいさな光でも

前に進めるのなら

それは偉大な光です


絵・文:師岡絵美里

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2015年12月8日火曜日

バリ島へのいざない vol,2 『スタートの違い』


バリ島へのいざない vol,2

今日は、「スタートの違い」ということを書いてみたいと思います。

日本の街中のスタジオでのヨーガと、
自然が多くある土地でのヨーガの、
「スタートの違い」の話をちょっと。


私も東京で過ごしているので、近代的な社会生活をおくる人々にとって、スタジオでのヨーガクラスがどういった機能を果たしているのかを重々理解していると思います。

ヨーガクラスを受けることで日常的な緊張やこわばり、
エネルギーの溜め込み、滞りが、解放されるんですよね。

運動面でのヨーガは良い意味で「発散」をもたらしてくれるのをよく知っています。

それは解毒でもあり、浄化でもあり、

とにかく日常の社会生活でガチガチになるエネルギーを解放してくれるんです。

自然から離れた場所で過ごす私たちや
多忙でデジタルな日々を送っている人には
そういった「溜まっちゃったものを出す」という時間と内容が必要なんですよね、どうしても。

私だって必要です。
ヨーガじゃなくてもいい、
ただ走るとか、筋トレするとか、
汗かいたりするようなエクササイズでもいいので
エネルギーが凝固しないようにする必要があります。

でもね、ヨーガのクラスを
「溜まったものを流す」
だけで終わらせてしまい、「その後に続くヨーガの秘宝」に触れないのは、もったいないかつ、ヨーガを行ううえでの本望ではないんですよね。

『ヨガで、今日もスッキリ。』
おわり。

で、次の日また何か溜め込んで、
またヨガクラス受けて、
はいすっきり。

ままね、これはこれでいいのですし、ヨガが機能している一側面でもあります。

でも、

それよりも先に、すごいヨーガが待っているのです。

洗浄とか解放とかで1クラス受け終わってしまうのではなく、

その先を体験してほしいなと。

より、濃度の高い恩恵が待っているんです。

なるべく都内のスタジオでやってるクラスでも

洗浄とか解放とかの「その先」を体験にいざなえるように努力はしてます。

それでも都会人、社会人、現代人が心身の中に溜め込んでる日々のエネルギーってすごいし、そうなる社会構造なのもわかるので、
「スッキリ」「さっぱり」だけで終わってもそれはそれでしかたないと言うか、それも大事なのもわかる。


だからね。

だからこそ、1年に一回か2回くらいは、
環境を変えた所で、
自然のあるところに出向いて、
ヨーガをしてほしいと切に思います。

スタートが違う、っていうのはこのことで、

自然があったり、
数日でも「日常」に戻らなくていい時間が確保されていると
すでに浄化や解放が起こった状態でそこにいられるので

「その先のヨーガ」へと進むことができます。

ヨーガで体得できる学びや、自己への理解がごく自然に高まるのです。

なのでバリ島に誘っています。

本当にいいですよ。

バリ島での数日間は、「すっきり」の先にある、

「深くて大事なもの」を味わっていただけたらと思います。




現在早割価格でのご案内になっています。

 師岡絵美里のスピリチュアルヨーガリトリートinバリ





■Detail
日程:2016年3月13日〜18日(5泊6日)
場所:バリ島・ウブド
講師:師岡絵美里 
アシスタント講師:鈴木正村
参加費用:110,000円 早割期間延長しました!2016年1月15日(20:00)まで早割100,000円にて受付中




2015年12月7日月曜日

絵でみるヨーガvol.1 シャウチャ(清浄)

イラスト画像の転写・無断での使用はお控え下さい。ご使用になりたい場合はこちらまでお問い合わせください。




心っていつも
じぶんでバランスをとろうとするんだ
完全に崩れないように
あっちに傾いたり
こっちに傾いたり
それは一見不器用な生き方や
おかしな振る舞いに見えるかもしれないけれど
泣いたり笑ったりしながら
いつも舵をとろうとする心に
感謝するべきなんだよ

心をきれいにしよう
たくさんの「想い」と
バランスのことでくたくたにならないように

本当の均衡は
心を越えたところにあるから
 
絵・文:師岡絵美里



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読マサセテいただきます☆

最近の「気になり」・・・


言葉って生き物なので、時期や時代で変わっていくものだし、

人の心の動きを反映して様々に変化していくものです。

でも「言葉」には、その言語がもともと備えている「整合性」や「美意識」があり、あまり崩れてしまったり使い方が乱れてしまうと聞いてるうえで気持ちが悪いです。


私は本当に小さい頃から「言葉」が好きで
いつもお話を作ったり詩を書いたりしていました。

高校時代から日本の古語に夢中になり、その後も日本文学を専攻し
時代にもよりますが平安・室町時代あたりの古文は原文だけで読めるほどのハマりっぷりでした。

最近は外国語学習は好きで日本の古文は久しく読んでないですが

小学生の娘が「古事記」が好きで読んでいて、

一緒に読んだいたらまた日本の古文を勉強したくなってきました。

そんな言葉好きな私ですが今は人前で話す職業でもあるので、

普段自分が言っている言葉がどんな波動を持って影響をしていくかとか、

または言い慣れすぎて形骸化していないかとか

なるべく注意するようにしてます。

ヨーガ講師はずっとこういう作業が必要ですね。


そんなかんじで個人的にも職業的にも言葉に関して敏感になる私なんですが、


最近、自分はあまり使わないように気をつけている「言い方」があります。

使わないようにしてるということは、なんか不自然に気持ち悪く感じるからなんですけど。

これ。

「〜〜させていただいています。」

「〜〜させていただき、」

これらです。


ヨガインストラクターさんもよく使います。

自己紹介の時とか、研修・講習・哲学クラスなどで発言する時などに。


「以前に○○の研修に参加させていただき・・」

「現在〜〜に所属させていただき・・・」

などがまず多いかな。

まあ、これはまだ、いいか。気にしないでおこう(笑) 


「今日こちらにこさせていただき・・」


この辺から、気持ち悪い感じがだんだん(笑)

コサセテ(:来させて)?

うーん。使い方もだけどさあ、「させた」のは誰?(笑)

誰に「来させて」もらったんでしょう。



間違い×造語の複合技もあるよ。


「ヨーガスートラの本を読まさせていただき・・」

読マサセテ???

マ?
サ?

「サ」がまずどっかから来て、

で、そこにもともとあった「マ行」が変なかんじに聴こえてしまう(笑)。


こうなると、もともとの日本語の文法は消滅してますね。

仮に「読ませて」だとしても、
自分が自分のために個人的に読んでただろうに、
誰があなたに読むことを許可したのでしょう。

謙譲語的な使い方で、聖パタンジャリを上げて、自分を下げている?
いや絶対そこまで思ってないよね(笑)。


読マサセテいただき・・

来させていただき・・

話させていただき・・・

どんな意図なのか理解はできますよ。

「させる」のもともとの文法上の機能である
「命令」
「使役」
または神様レベルでの「高い敬意」(させたまえ・・とか)
というのはここではまったくなく、
ただ「丁寧な言い方」のつもりで使っているのでしょう。

それはわかるけど!

でも実際には「命令」や「使役」、「謙譲」などの表現に使うものなので、

いったい誰に命令されたのかとか、誰を高めているのかの
「対象」
が見当たらない状態で、

「させてもらい」
「させていただき」

を連呼されると、

言葉としての不完全さが逆に「失礼」な感じすらかもしだしてくる!!

これってとても興味深い作用だなあと思います。

本人は丁寧に、気を使って言っているつもりなのに、

どこに向けられているのかわからない気遣いが

聞いてる側には、なんか居心地悪いのです。

なんか心地悪い。

それが一番フィットするなあ(笑)


ちょっとネットで見てみたら、

「サ入れ言葉」って言うらしいですね。

「ラ抜き言葉」とかもありますが、ラ抜きはもうかなり「普通語」として定着しちゃってますね。連呼されるとやっぱり気になりますが。

「サ入れ」もそのうち「普通語」になってしまうのでしょうか。


「ラ抜き」は、必要なのに言ってない状態で、
「サ入れ」は、要らないのに盛ってしまった言い方ですよね。

なぜ盛る!!!(笑)
この「盛る」って表現も最近の感じですね、笑

ぜんぜん美しくない。

まどろっこしいだけ。

精神的にもボワっとしてる日本人なのに 
  元来はシャキッとした種族だと思いますが
言葉もテキトーに、もわっと盛ってしまったら
擬音ばっかり
なんかもう外国の人からすると

「で、いったい何が言いたいの???」

って感じですよね(笑)。

私も日常では気にしないで使っている、いわゆる「最近な」言い回しもたくさんありますが、

でも人前で講義する時などは気をつけるようにしています。

ゆっくりになってしまっても、整理された言い方になるように。
わざと「崩した言い方」を使う場合もありますが、
そういう時は「わざとこういう言葉をを使ってます」と言うようにしています。


とにかく。

日本語は美しいです。

もともとすごーーーく美しいものとして整理されています。

美しいものは、心に響きます。


では今日一日、「サ」を盛らないで、話してみてください(笑)。

すごくシンプルに話せるかもしれないですよ。