EMIRI MOROKA -HEART MATRIX-

師岡絵美里のブログです♪


2019年1月30日水曜日

シリーズ【5種のチッタ】vol.2ムーダチッタ〜 重い心の見極め



ヨーガではプラーナの質(グナ)の違いで「5つのチッタ(心)」が説明されます。

前回の投稿ではそのうちの「クシプタチッタ」についてを簡単に説明しました。

今日は「ムーダチッタ」。

クシプタチッタがラジャスという刺激の質(グナ)が高まった興奮状態のような心でしたが、ムーダチッタは「タマス」という停滞と翳りの質に心が支配されている状態です。


▪ムーダチッタ[Mudha] (惑わされた心)
タマスが支配的になる心。鈍く朦朧。身体、富、家族、部族、国家など自分が「所属」を感じるもので頭がいっぱい。タマスによって心が重くなるため、自分が一体感を感じるものに固執し、それ以外を受け入れない。曇った目や重い心に支配されているため、現実をありのままに見ることができない。

〜〜〜〜
Mudha:
dull 鈍感な,愚鈍な; わかりの遅い.
ignorant 無知の 知らない 気づかない
stupid 愚かな、 無感覚な、
idiotic 大バカな、白痴の
〜〜〜〜


書籍「現代人のためのヨーガ・スートラ」の中では、この心の状態はクシプタチッタ同様にヨーガには不適切、ヨーガをやったとしても、強い欲望を通してしか集中できない、とあります。


実際・・・こういった停滞の質に心が絡め取られている時、この心の状態を自分で自覚するのはとても難しいものです。「気づけない」ということもタマスの特徴だからです。


自己観察のポイントとしては、損得勘定や自己防衛、自意識を満たす仲間意識などで「優越感」を持っていないか、他者を認めない狭い気持ちになっていないか、と考えてみるのがいいかもしれませんね。
もしも自分自身にこのような心の傾向を感じたら、自分の固定的な考え方を思い切って壊す必要があります。

ムーダチッタである時、人は往往にして「自尊心」や「優越感」がほしくて自分をよく見せようと外界に働きかけているはずです。それをやめて、「無知な自分」というものを一回認めた上で、あえて笑ってみるのがいいと思います。それは自己卑下ではなく、自己肯定として。
そして人の言うことや行いをジャッジせず、自分の考えというフィルターを通さないで物事を見る練習が必要ですね。これも実際は根気がいりますね(笑)。

ムーダチッタはかなり大変です。なんせ自分で気づきにくいので。
ムーダの中にいる間は、何事も人のせいや、外界のなんらかの事柄のせいなので、自分自身を省みることもまれなのです。
気づけたら本当にラッキーと思い、変えていくしかないですね。


あるグルに言わせると、この状態というのは「暇」なのだそうです(笑)。

自分が心から熱中できて純粋にそれに打ち込めるものなどがあると、悲しみに停滞したり暗いところで考えている時間などない、と。たしかにそうだと思います。

誰しも、その時々でタマスな心(停滞、無気力、無力感、猜疑心などの暗い心)になることはあると思います。
そこを持ち上げて、明るい方に行動を起こすのって、エネルギーがいるものですね。でも何もしないでいるとその感情や感覚はそこで増幅されていくので、ムーダチッタにはまってしまった時は、運動したり楽しいことをしたり、明るい場所に足を運ぶのがいいかなと思います。

瞑想、もいいかもしれないと思うかもしれませんが、ムーダチッタや前回紹介したクシプタチッタがすごく強い時は、まず体を動かしてしまうのがいいかと思います(経験的に)。

散漫さや停滞の心が意識を支配している力が強い場合、瞑想は一時的な落ち着きをくれるかもしれないですが心はなかなか手強く、目をあけてもとの世界に戻って外界の刺激にさらされると、また同じ感覚に戻ってしまうことも多いものです。

瞑想はすごくいいものですが、瞑想していない普通の時にラジャス・タマスをある程度クリアしておくのがいいと思います。クリアする手段は、体を程度に運動させたり(これがベストかも)、明るい楽しい行動をすること、笑うこと、など。

この辺りのお話は、この次の次にシェアする「エーカーグラチッタ」のところでまたお話しようかと思います。


ナマステ
EMIRI

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