EMIRI MOROKA -HEART MATRIX-

師岡絵美里のブログです♪


2014年2月16日日曜日

食べること。それは奉仕に還る。


私の娘いわく、「食べたもの」は一回ハートを通ってからお腹の方に行くのだそうです。

りんごを食べて実況中継してくれました。

「いまりんごさんはここ(心臓のあたり)をとおって、ピカーってひかってから、

おなかのなかにゆっくりいくの。」

と。

確かにそうだと思います。

荒い物質レベルでは、食物が心臓の組織の中を通るわけではないでしょうが、

微細な気のレベルで、光のレベルで、食べたものはハートを通るのでしょう。

ハートをうまく通過できない食物を食べた時、

例えば添加物ごてごての物とか、必要以上に甘い物とか、もうお腹いっぱいなのに食べるとか、

そうしますと、ハートを通過する際に苦しいんでしょうね。

よく、甘い物などを食べ過ぎたり身体にあまりよくない物を食べる時、「罪悪感がわく」と言ったりします。

ハートを通る時に、体が泣くのかもしれないですね。

そんなに要らないよ、とか、それはもう要らないと思う、、、とか。


通常の、身体によい食事であっても、『食べる』という行為がこの世界の平和に還元されないと、

本来人は清々しく食べれないのです。


ハート(身体)が喜ぶものを、喜ぶ量食べて、

食べたらそれを自分の中にしまい込まずに、

誰かの喜びにつながる行為を持って「排出」としていきます。


物理的にはいわゆる身体的な「排泄(便や汗)」が「フィニッシュ」なんですが、

精神的には「誰かの喜びにつながる行為をする」のが、「食べた」事に関する「フィニッシュ」なんですよ。

還す、という意味で。

ヨーガはそういう考え方。


奉仕するために食べてるんです。

だから食べっぱなし(奉仕なし)は盗賊と一緒。

とヴァガバッドギーターにもあります。(三章十二節)


補足しておくと、

じゃあ病気や寝たきりなどで働いたり活動できない人は盗人なのか、

と言うと、そういうことじゃなくて、

「心をどこに結びつけて精神活動を続けているか」、

なんです。

心を、無秩序・暴力・分離の思考に結びつけた精神活動は、自分の身体を病気にし、人に混乱を与えます。

心を、神、調和、統合、平和に結びつける努力は、どんな状態でもなされます。


存在自体での奉仕も、ひとつの最高な行為です。

身体的な活動はとても大事ですが、手足の行為だけではなく、精神の行為も同じように大事だし、

同じになるはずなんです。

だからどんなコンディションに居る人も、この世界の生きとし生けるすべての存在の幸福に貢献することがでいます。

とはいえ、人間の欲やからの脱出や、落ちてしまった停滞の意識からの脱却には、

やっぱり「体力」がいります。

なので身体の健康や、健康に向かおうとする努力って、どうしても大事になってきますね。

だから治療家のみなさん。医療関係のみなさん。介護やヘルパーのみなさんの助けは本当に重要です。

身体レベルでの健康を、
西洋的であろうと東洋的であろうと「力になろう」と励んでいる治療家や医療のみなさんの「ダイレクトな助け」が、たくさん必要な時代です。
そして介護・保育など、日常の動作に直接働きかける「ダイレクトな助け」もまた、とても必要な時代です。

どんな職業やポジションであっても、世界の調和と平和のためになされる必要があります。



明日の奉仕のために寝て、

今日の奉仕のために食べ、

世界の喜びのために自分自信の吸う息と吐く息を清めていきましょう。

「自分」とは、世界から孤立した取るに足りない存在ではないのです。

自分こそ世界の幸福の象徴であるとき、神の光が身体の底からあふれてきますね。