EMIRI MOROKA -HEART MATRIX-

師岡絵美里のブログです♪


2018年8月4日土曜日

何かから離れたい、という欲求について&「夢を叶えるポジティヴ人生ヨーガ・グルの言葉とともに」オンラインヨーガ講座のお知らせ

みなさんこんにちは!
師岡絵美里です。



講座の中でも紹介している「自己観察」のための知識をちょっと紹介します。


私の開いているメンタルマネージメント系の講座では、

私自身が体験して、自己分析やマインドチューニングに有効だと感じるメソッドや理論をいくつか使っています。

ベースにヨーガの精神理論や哲学を敷いたうえで、

ヨーガでの実修のたすけになるための客観的な理論を平行して使用しています。

NLPの理論やセドナメソッド、などなどです。


それらのメソッドをうまく用いると、

自分の感情や思考の「現在地」がわかりやすくなり

何を変えたり、何を伸ばすといいのかなどがとてもわかりやすくなるんですね!


現在開催中&募集中の「夢を叶えるポジティヴ人生ヨーガ・グルの言葉とともに」も、


ヨーガの考え方プラス、メンタルメソッドを用いて

自己変革をしてもらっています。



私がよく使用するメソッドのひとつが、

セドナメソッドというもので、これはとても合理的によく構築されたメソッドだと感じています。


その中でも、人の心理に働く「欲求」の見極めは

シンプルなだけにとても使いやすいメソッドです。


あまりプロセスが多いテクニックだと途中で放棄してしまったりするのですが、

このメソッドは骨子さえつかめばとてもシンプルなものです。

メソッドのテクニックを支えている理論も、

心理学のように専門用語がたくさん出てくるわけでもなく

自分の感情の理解と判別がしやすいものです。




今日は、その中の知識をひとつシェアしようと思います。

「分離欲求」という欲求があります。

何かから離れたい、という欲求です。

いろいろな場合に出てくる感情なのですが、

そのひとつの例として、

「よいことなのに、やめたい」

「好きなのに離れたい」

というような出方についてを今日は話します。


ほかの出方もありますが、今日はそれで。





人が、自分自身を変えたい、よくなりたい、と思って

自分の行動を変えたり内面を変える作業をスタートすると、

その過程で、


「もうやめてしまいたい」

「ぶち壊してしまいたい」


というような感覚に急に陥ったりすることがあります。


良きこととわかっていて、そっちでいたほうが自分にとっていい、

もしくは望んでいること、欲しかったもののはずなのに

体得し、手に入れていく過程で

急にやめたくなったり放棄したくなったりする感覚です。



それは一種の「欲求」で

理論の上では

「分離欲求」

というところに属することが多いものです。



何かから離れたい、

継続しているものを壊したい、

という感覚。




ちょっと長くなりそうですが、

興味本位でもいいので読んでみてください。


受講者様からのもので、

講座内の宿題の「1週間の報告レポート」の中で

以下のようなコメントを送ってくださいました。



>快活な毎日を続けているとその良い習慣をぶち壊したくなる衝動がありました。



慣れ親しんだものでも最近はじめたものでも、

自分で「よい」と感じている行為や習慣、

また、

求めているもの(求めていて手に入ったもの)

好きなもの、好きな人

大事なこと、大事な人

そういった、自分にとって「大切」「必要」「有効」と捉えられるような対象に対して、


切望している、好んでいるにもかかわらず、

その対象から離れてしまいたい欲求というものがあります。


人は、自分が好きなものや、望んでいるものからであっても

離れたい、壊したい、という矛盾した願望を持ちます。

「望んでいるからこそ」というところもあります。


望んでいる、好む、なのに離れたい壊したい。



こういった感覚は、不思議に思うかもしれないですね。

でも人の心理にはよくあることなのです。



それってすごく矛盾してる感じで、確かに矛盾なんですが、

自分にとって「これはいいもの」とわかっていたり、

大切であったり、欲しているものであったり、

とても好きなものであったりすると、


それを壊したり自分から引き離して

分離させるときの「リアルな感覚」みたいなものを

実感する、


その「実感」がほしかったりするんです。


ほんとに矛盾した、

客観的に見ると、素直でないというか、ナンセンスにすら感じる心の習性なのですが、

「分離欲求」ってのは、けっこうあるのです。


痛みとか、

つらさとか、

悲しみ

孤独、


そういったものを呼び起こしたりすることで、


自分の「生(せい)」のそのリアルな感触を通じて

生きていることを感じたい。


どれだけ欲しているか感じたい

どれだけ好きか感じたい

という感じです。


めんどくせーーーって思いますか?(笑)

うん、たしかに、素直じゃないなーって感じなところありますね。


で、大事なところいきます。


分離欲求は

「自分の生命感(生命力・生きてる感触)とつながりたい」

という「一体欲求」でもあるんです。

離れたいという「分離欲求」と、

つながりたいという「一体欲求」。



これは真逆のような感じですが

ほぼだいたい、セットで働いています。


一体化したいものから遠ざかる行動や

離れたいものに近づいてしまう行動




根本的には「欲求」の一番トップにある「安全欲求」という

「自分の生命(存在)を安全に保ちたい」

という欲求に起因していて、

「一体感」=「安全」という感じがほしい。

でも、


これもひとつのケースですが、

「一体感」というのは、慣れてくると感覚が薄まります。

最初に感じていた「一体感」が薄まってくると

それによって満たされていた「安全(安心)」の感覚も薄れてきます。

なので、自分自身のエネルギーを、ある種ドラマチックに感じさせてくれる、「分離」を自分で起こしたりするんですね。
人の心ではしょっちゅう起こっているんです。


この分離欲求ですが、強くなりすぎたり頻繁だと

人生が刹那的になるというか、

いつも自分から、孤独の方へ、孤独の方へ

と進んでしまいます。

素直につながっててもいいはずの人とか

所属しててもいいところとかからも

離れてしまったりするんですね。


もちろんネガティヴな作用ばかりじゃないです。欲求にはなんらかの前向きになニーズもあります。


でも、先ほども述べたように

分離の欲求があまり強いと、孤独を選んでしまうとか、

破壊的な傾向を持つこともあるのですね。


もしみなさんが、

自分の願望を叶えたいとか、

人とともに幸福に生きたい、

と思っている場合(多くの人がそうだと思います)、

この「分離したい欲求」が過剰にドラマチックに

働かないように、注意深く観察してみるといいです。

分離したい欲求を見つけたら、

「ほんとは一体感がほしいのでは?」

と自分に問いかけてみるのもいいと思います。











最後までお読みくださりありがとうごさいます!

引き続きご愛顧をよろしくお願いします。

師岡絵美里

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