現在私はヨーガスートラ哲学の集中コースを実施しているのですが、
たいてい講義の中で余談が炸裂してしまいます。
って言っても、本当の意味での無駄な話ではなく(笑)、
「興味深くて関係があること」
という余談です。
先週の講義では映画の話になりました。
ヨーガスートラの内容を説明する上で、第1章のサマーディの段階の話や、
第1章後半に出てくる「名称と属性を欠いた対象への集中」というあたりで、
五感を超えた領域について話さなくてはいけません。
仮に伝わらなくても話すようにはしています。
でも最近は、時代が進み、人々の意識も進み、捉えられる現象の範囲がだんだん拡大してきたようで、何年か前よりも伝わる気がします。
それで横道にそれた話は、
「Interstellar」
という映画の話です。
講義の中で話した内容をここで文章で再現することはできないのですが、
参加者の皆さんに講義の後にメールで送った内容をシェアします。
よかったら観てみてください。
私の好きな映画であり、意識が経験していくプロセスにおいて参考になる映画だと思っています。
以下、参加者のみんなへのメール。
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皆さんこんにちは!
二回目の講義も充実のセッションになり楽しかったですね!
さて、 前回の講義の合間に私の五次元余談が炸裂してしまいましたが、 そこで上がった映画です。
内容も面白いですが、みてほしいのは映像です。
宇宙空間と次元が変わるところの映像表現が素晴らしいです。
時間の尺度や空間の座標が変わるあたりというのは、本当は、 私たちがいつも使っている三次元的な「視覚」 で捉えられる現象ではないのですが、
それでもこの映画の中の描写は素晴らしいと思います。
(私が個人的に)瞑想体験の中で通過した地点と類似しています。
ある段階にいくと、瞑想の中での視覚も拡大し、
限界の枠が一つ外に大きくなります。(本当は外でも中でもないです。)
そして、
私たちは「時間」という概念を使っても「視覚」 で物を見ているのですが、
その時間の概念が外れた時に起こる視覚が、 この映画ではうまく描写されていると思います。
「人体」という三次元体験装置の中に自我意識の「座標」 を置いている私たち人間には、
自由に扱えるはずの「イメージ」ですら、 意図的に越えていかない限り個々に「限界」を持っています。
想像できることに制限があるんですね。
こういった映画の良いところは、 イメージ力の限界を押し広げてくれることなのではないかと思いま す。
映画は「ドラマ」の部分が感情を揺するので、 ある意味かなりのchitta vritti を引き起こしますよね(笑)
ですから、 よっぽどいいと思わない限りあんまり人には勧めないのですが、 これはおすすめです。
アメリカの映画らしくかなりドラマチックですが(笑)、活動の質、ラジャス感があるからこそ、自分の中の沈黙、サットワの質も発見につながればいいと思います。
では引き続き、ヤマニヤマの宿題に励んでみてください。
水曜にまた会いましょう!
最終日、お昼一緒に行ける人は終了後に行きましょうね。
絵美里
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以上です。
この映画については、書きたいなと思っていたんですが結局書いてませんでした。
時間を外した永遠の刹那は、言葉にするとなにか変わってしまう。
話したくても。
それでも言葉にしてる人もいる。
村上春樹氏など。
それはおそらく「物語」の力がそうさせるのだと思う。
それを発現させている春樹さんはきっと、すごく体が健康なんだと思う。
体が健康でないと、ああいうお話を自分の身体を通過させて出すことは難しい。
健康=病気がない、という意味ではなく、
体とマインドをシンプルに保つ継続的な努力をしているのだろう、という意味。
物語。
あるいは音楽。
音楽ではもっともっと簡単で単純だ。
和音一つでも行ける。
私が踊る所以でもある。
説明するより、踊ろう、と思う。
シヴァのように。
では、今日も良い日を。
Namaste
師岡絵美里
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