EMIRI MOROKA -HEART MATRIX-

師岡絵美里のブログです♪


2020年1月12日日曜日

インドの物理理論グナその2心を浄化するヨーガ的理由( EMIRIのメールでヨーガ講座・初級編)





<<新年企画>>

EMIRIのメールでヨーガ講座

「初級編2・インドの物理理論グナ」


*こちらはメルマガで配信した記事になります。





〜グナを見極めるには?〜


前回の配信で、「グナ」という古代インドの物理理論のお話をしました。ヨーガを考える上で最重要概念のひとつです。



グナというのは創造物の原材料である「プラーナ」が持つ「性質」のことで、物事(物理現象)の持つ個別の性質についての考え方でしたね。

プラーナの性質の違いを三つと捉え、サットヴァ、ラジャス、タマスという言い方をするよ、と。


・サットヴァ:純粋性・光や明るさの質

・タマス:停滞性・翳りや暗さの質

・ラジャス:活動性・動きや刺激の質



こんな感じでした。思い出しはできましたか?



この宇宙の物事は、なんでもかんでもプラーナからできている。


プラーナ。それは物理学の世界の素粒子のようでもあります。
ミクロの世界の最小単位、最初の形まで戻すとすべては「なんにでも変化できる最初の物質」になるよ、というかんじです。



実際は、私たちが生きて体験している次元では、物質として硬いものもあれば柔らかいものもあるし、熱いものもあれば冷たいものもある。


一般的に人間が知覚できるものは物質としてかなり複雑になった段階のもので、それらをヨーガの理論では「粗大な物質」と言います。


心の動きやその状態もプラーナの構成によって変化しているものなので、嬉しい気持ちもあれば、悲しい気持ちもあるし、憎しみや怒りもあれば、優しさや愛もあります。
それらをグナで捉えると「サットヴァな感情」もあれば「ラジャスな感情」も「タマスな感情」もある、という風に考えます。


そんな感じで、すべての物質は同じプラーナからできていても「個別性」がある。すべての現象はサットヴァとラジャスとタマスの配合物で、その配分を変えることで「違い」を持ちます。極めてサットヴァ性が高いものもあれば、なにをどうしたってラジャスでしかない、というものもある。



説明をものすご〜くハショリますが(笑)、


そういった個体とか物事が持つ性質の違い(グナ)を“見分ける知性”を高めることが、ヨーガを進めるうえで必須のプロセスであり、獲得すればそれは聖なる技術とでも言える叡智の心なのです。


どうして必要かと言いますと、サットヴァな知性だけが真理を理解し、真我(本当の自己)へと目を向けることができるから。


ラジャスな心は刺激性の欲に由来しさらなる欲に目を向けます。

タマスな心もまた、停滞性の欲に由来し、無知へと落ちていきます。


こういった知性(心)はけしてヨーガで目指すところの「真の自己」に気づけない知性であり、真理ではないものを「これが正しい」と勘違いしてしまう知性なんです。それをヨーガ哲学の世界では「無知(真理がわからない心)」と言います。


(ちなみに、鈍さ暗さの性質をあらわす「タマス」はしばしば「無知(真理がわからない心)」と同義で使われています。マントラの中でもよく出てくるキーワードで、“どうかタマス(無知)を払い、真の光(サットヴァ)に到達できますよに〜〜”と唱えていたりします。)



というわけで〜〜〜

とどのつまり、ヨーガの目標地点は「サマーディ」という「心の動きが止まって意識そのものに留まる」という境地を目指しているのですが、その道のりのことを「ヨーガ行」としますと、“ヨーガを行う”ということは、真の自己へと向かうことができる「サットヴァな心(知性)」を育て、そして現実の中でグナを見極め続ける鍛錬、となります。




なにがサットヴァで、なにがラジャスで、なにがタマスなのか


それを現実の中で見極めることができないといかん、というわけです。



「わーい!これはサットヴァだ!」
と思ったものが、実際はすごくラジャスなものだったり、タマスなものだったり、という勘違いが続くと、いつまでたっても真理へと向かうことができず、欲や無知の中で同じことを繰り返しちゃうよね〜っていうことです。そういう心の動きが「解脱できないカルマ」となり、今回の人生が終わっても次の生に引き継がれる、と考えるわけです。



で、またハショリますが(笑)



じゃあ「物事の性質の違い」であるグナを見分けるってどうやるの?

となりますよね。



これは実は「どうやるか」ではなく、

自分の心をサットヴァにする

に限ります。



やり方の話ではなく、状態の話になるんですね。



それはヨーガで言うところの「心の浄化」作業で、心というのは哲学用語で言いますと「知性」で、知性を清浄化することで、グナの見極めができる知性になっていく、ということです。



例えるなら、メガネを持っていたとして、


「ものをよく見るには、このメガネをどうやってかけたらいいの?


という質問だと、質問自体が少しおかしいのはわかりますよね。


「メガネはただかければいいだけで、重要なのはそのメガネのレンズがきれいかどうか、ということだよ。」


と答えることができます。





心(知性)も同じくで、

「どうやってグナを見極めるの?」

という質問にはそのまま答えることができず、

「グナを観ている自分の目(心)をきれいにすればいい」


という返答になります。





次回は、どうやって心(知性)を浄化するか

(メガネレンズの汚れの落とし方ですね)

に進みましょう。



だいぶハショッたのですがおおかた言い得たと思います。
もっと詳しい内容は、オンラインの哲学コースなどで詳しくお伝えしています。ヨーガが教える物理現象の秘密や心についての知識が思考にダウンロードされると、物事の見え方はクリアになってきます。


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本日も最後までお読みくださりありがとうございます。

ナマステ

EMIRI

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