EMIRI MOROKA -HEART MATRIX-

師岡絵美里のブログです♪


2020年1月15日水曜日

インドの物理理論グナその4 集中と瞑想のヨーガ的前提( EMIRIのメールでヨーガ講座・初級編)


<<新年企画>>
*こちらはメルマガで配信した記事になります。




EMIRIのメールでヨーガ講座
「初級編4・集中と瞑想のヨーガ的前提」



新年企画としてメール講座的に書いています。



〜心の浄化・具体的編〜


前回の配信までに、「グナ」という古代インドの物理理論のお話と、心(知性)の浄化が必要なんだよ〜って言うお話をしました。

ヨーガを考える上で最重要概念のひとつです。

プラーナの性質である「グナ」は、

・サットヴァ:純粋性・光や明るさの質

・タマス:停滞性・翳りや暗さの質

・ラジャス:活動性・動きや刺激の質



こんな感じでしたね。

しつこく言っているので覚えてきましたか?(笑)。



で、ヨーガで言うところの「瞑想」の質や、真理というものは「サットヴァ(純質)」なんだ、と。

ですので知性(心)がサットヴァじゃないと、瞑想も変なことになるし、真理だと思ったものが実はそうでない、なんてことになるぜ、と。




瞑想ってなんじゃろ


関係ある範囲で脱線しますが、「瞑想」についてもうちょい細かく言います。
(あとで元々のテーマに戻るので大丈夫!ついてきて。)



一言に瞑想と言いますと、目を閉じて心を静かにさせている状態も、なんかリラクゼーション的にほわ〜〜〜と目を閉じている感じも、世の中的には瞑想と言ってしまいますよね。


なんですが「ヨーガにおいての瞑想」という定義はもっと厳密ですのです。
(日本語おかしくなってきたw まあ良いでしょう、面白い方が印象に残る。)



経典「ヨーガ・スートラ」の示すところの「瞑想」は、同経典の中の「ヨーガの八支則」の中の「順番」も考慮するとわかります。


ヨーガの八支則において「瞑想」と言う段階に入るまでの過程として、

 五感の制御(制感)〜〜集中〜〜瞑想

という段階を経ます。この順序に重きを置き、瞑想に至るまでに「五感の制御」と「集中」という段階の完成があると捉えましょう。

以下に整理してみます。



瞑想の前提1:感覚の制御ができている

八支則でいうと「制感」っていうもので、プラティヤハーラと言いますが、聞きなれない漢字熟語とわけわからないカタカナ用語を見るだけで「あ、ダメだわヨガ哲学わからんわ」となりそうな方は、今は言葉にこだわらず、とりあえず「五感をコントロールしている状態」だと思ってください。


五感ってほら、
良い匂いがしたらもっと嗅ぎたくなるし、
美味しそうなもの見たら食べたくなるし、
素敵な人がいたらお近づきになりたくなったり、
変な音が聞こえたらビビったりするじゃないですか。


そんな感じの「五感」が、統制されている。つまり外界の出来事への「反応」が起こらず、シーンとしてる。
そしてむしろ何かを「知覚する」という五感の機能性を「自己の内面」を見る方に向けられる、そんな感じです。


それだけでも、縁遠い感じがしますよね(笑)
むずいですよね。
引け腰および腰ですよ。

だっていい匂いは心地いいし、美味しいものは美味しいし、誰かの話し声が聞こえてきたら気になるものです。


でもヨーガの修行過程では、五感の外界への反応を、OFFにします。



瞑想の前提2:一つの対象に対して長い時間「集中」ができる

長い時間ってどれくらいやねん、と言いますと、一説によると・・・

一時間半以上

だそうです!(爆)

あはははは、なが!


私が言ってるんじゃないですよ!古代の賢者が言ってます。

(「現代人のためのヨーガ・スートラ」3章の解説より)


まあでも厳密な一時間半ってことじゃなくても、それくらいの次元でってことですよきっと(笑)。


日常の思考の動きなんて、何かに1秒も集中していないことの方が多いですよね。
あれを思い、次の瞬間これを思い。

youtubeの動画でも、動画分数が( )分とか出ると、長いな・・とか思ってしまいませんか?(カッコ内には自分の思い当たる分数を入れてね♫)



心(思考)ってそもそも散漫さがウリなのです。いろいろ感じてあっちこっち行くことができるのがあたしの持ち味よ♡って。
ですので、もしあなたが何か集中できる趣味でも行為でも想いでも、何かあるのなら、それってかなり貴重なこと。
そのテーマの中にあなたの人生のキーがあると思うので、集中していられる何かがあったら大事にするといいですね!



ちょっとずれましたが、仮に何かに集中したとしても、別の思考が急におっぱじまったりしますよね。


ひとつの対象に(長時間)集中し心を結んでいられる。


これがヨーガにおいての集中で、瞑想の前段階だというわけです。






瞑想の前提3:集中の対象はサットヴァなものでなくてはいけない


ほら!来ましたよグナ!!

話が冒頭に戻れましたでしょ??言ったでしょ、元のテーマに戻れるって!!!(笑)




ここで来るわけですよ、グナが。




瞑想の前段階での「集中」において、その集中対象は・・・



サットヴァなものじゃないといけない♡



サットヴァな対象とは、純質なもの。

純質ってなんだ。それは真理であり光であり、清いもの。

あるいは真理へと導いてくれるもの。



真理ってなんだ!

真理ってのは、「本当のこと」です。(そのまますぎてわかりにくい!)


前提として私たちの思考は、物事を脚色して、好きなように歪めて見ています。自分のことも他人のことも、出来事も経験も、その時の心のあり方によって質が変わってしまいますでしょ? 


そういう風に、心のあり方に影響を受けて質を変えてしまうものは全て「相対的なもの」であり、とどのつまり「幻想」なんですよ、と。

*幻想を「マーヤー」っていいますが、今は暗記への拒否反応を起こさないよう、覚えなくてもいいです。



幻想じゃなくて、心に影響されない不変の「何か」。それが真理。



「自己」もそうで、心のあり方によって変化し、相対によって変わってしまう「自己像」は、文字通りただの「像」で、低次元での自分の捉え方なんですね。それじゃない、と言っています。


“まったき自己”ともいうべき、真の自己・真我なるものが、幻想である心の世界のさらに内奥に、あるんだよ〜〜〜、と、先人達はそう教えておるのです。

で、そう言った質のものを集中対象に選びなさい、ということです。



じゃあ、サットヴァじゃない対象はなに?とか考えるとわかりやすいかと。



ラジャス性(激質)のものを集中対象にしてしまうと、心の動きがどんどん高まり、欲求とか好き嫌いとか快不快とか、煩悩的になっていきます。


好きだからと言って、目を閉じてラーメンに集中したとしても、「やべーー食べたい!もう目の前にあるくらいにリアルに想像できるわ!味まで思い出せる!」となっていましたら、五感が刺激されて反応を起こしていることになりますので、「前提1」も覆してしまいますよね(笑)。
たとえはラーメンじゃなくてもいいですw
五感がムクムク立ち上がるもの、気持ちが興奮したり荒ぶるものは瞑想に赴くための集中対象としてはNG。
欲しい欲しい!が高まるものもNG。
オレオレ!私私!が高まるのも、ラジャス性ですね。



タマス性(翳質・暗質)な対象に集中したらば。
そうですね、例えば、
暗〜〜〜〜〜い記憶、に集中。
恨みや嫉妬心に集中。。。
憎しみに集中。
いや〜〜〜な気持ちに集中。。。。。
残酷な妄想に集中。。。。
心配事に集中。。。。

笑。怖いですね!!
もはやこれは瞑想じゃないことくらい、ヨーガをしていない人でもわかりますねwww


心を低い方、無知な方に赴くグナがタマスです。暗い気持ちや、執着・貪欲を引き起こす類のものは、集中対象にならないわけです。


瞑想時にわざとこういう思いに集中する人はいない(はず)ですが、でも人の普段の思考ってこういう暗い案件にも集中してしまいますよね。
タマスは「無自覚」のグナとも言えます。
むしろ日常で起こる思考の波として気をつけないといけないです。




前回までのお話に戻れそうですね!


ヨーガをやるっていうことは、とどのつまり「サットヴァ」を選択すること、というお話でした。


日常から「グナ」を見極める目と心があれば、集中するという時にサットヴァを選択できるようになります。


そして前回のお話では、グナを見極めるにはということで「心(知性)」を「メガネ」に例え、きれいな布でメガネを拭いて、これまでの汚れを落とすことが必要だよ〜、というお話をしましたね。


で!

汚れたレンズ(心)を拭くための、きれいでキメの細かい布とは。
それがヨーガ・スートラの中では、

「聖典学習」

「身体浄化の修行」

「至高の存在への祈念」


だよ、と紹介されているんですね。

というところまでをお話ししました。






だいぶ、ヨーガの前提が見えてきましたでしょうか?

次回に続きます。


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本日も最後までお読みくださりありがとうございます。

ナマステ

EMIRI

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