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EMIRI MOROKA -HEART MATRIX-
師岡絵美里のブログです♪
2019年2月27日水曜日
シリーズ【5種のチッタ】vol.5 ニローダ・聖典に触れることの意義
2019年2月26日火曜日
変わらないことに巻かれず、創造をしてみること
今日とても久しぶりに、ヨーガの同志である馬路春菜先生にスタジオで入れ違いで会えました。
とにかく久しぶりでハグしてウルウル。
こんなに会いたかったんだなあーと思いました。
仕事上いろいろ関連があるので、連絡メッセージ上ではしょっちゅう交流があるのですが、実際に顔を見ると、もう本当に心が温まります。
古い友人って、いいですね。
存在そのものが自分を支えてくれるなあと。
そんな友人春ちゃんと短い時間で色々話しました。
真剣な話から大笑いまで。
仕事上いろいろ関連があるので、連絡メッセージ上ではしょっちゅう交流があるのですが、実際に顔を見ると、もう本当に心が温まります。
古い友人って、いいですね。
存在そのものが自分を支えてくれるなあと。
そんな友人春ちゃんと短い時間で色々話しました。
真剣な話から大笑いまで。
世の中には「変わらない」ものというのが、いい意味でもあまりよくない意味でもあるね、という話。
実際は、全てのものが変化しているのですが、でもなかなか変わらない社会とか組織の仕組みとか、個別の現象の根本性質みたいなものってあるんだね、と。
安定と固定って似てるけど全然違う。
安定は、動きの中でのその時々のバランスが取れる基礎みたいなもので、固定はかたいけどかたいだけに融通がきかない。
バランスを取ることをめんどくさがったり、変化を嫌うと、安定にも似た「固定」の方を選びがちで、そのかわりに自分の許容範囲や応用力、創造性を広げることも怠ってしまうことが多い。
似てるけど間違えないようにしよう、と思う。
安定は大事。でも固定の中で惰性にならないように。
普段から創造性を働かせないと、大きな変化が来た時に、怖れが湧いてしまうから。
昨日、別の友人にもスタジオで偶然会えて、彼女とも久しぶりで、彼女がこの先何をしたいか、みたいな話を聞かせてもらえた。
私たち、日本人は(ってくくりすぎるのはよくないけど、実際)人生で本当に必要な基礎知識を具体的に教えられずに社会に放り出されてしまうね、と話した。
個人の多様性にあまり関係なく誰もが普遍的に押さえておいたほうが良さそうな人生の処方的なものを、具体的に知っておけば、それでわざわざつまずかなくていいし、もっと別の大事なことで有用な経験としてつまずけばいい(笑)、ということもあります。
そういったリアリティを学校ではほとんど習えない、家庭でも話されない、大きくなって経験するだろみたいに大事なところを放任されて、そんで本当にやってみてダメだった時に教わってないのにさも「どうしてわからないの」的に怒られてしまう子供・・・みたいな大人たち。大人の話ですね(笑)
実際は、全てのものが変化しているのですが、でもなかなか変わらない社会とか組織の仕組みとか、個別の現象の根本性質みたいなものってあるんだね、と。
安定と固定って似てるけど全然違う。
安定は、動きの中でのその時々のバランスが取れる基礎みたいなもので、固定はかたいけどかたいだけに融通がきかない。
バランスを取ることをめんどくさがったり、変化を嫌うと、安定にも似た「固定」の方を選びがちで、そのかわりに自分の許容範囲や応用力、創造性を広げることも怠ってしまうことが多い。
似てるけど間違えないようにしよう、と思う。
安定は大事。でも固定の中で惰性にならないように。
普段から創造性を働かせないと、大きな変化が来た時に、怖れが湧いてしまうから。
昨日、別の友人にもスタジオで偶然会えて、彼女とも久しぶりで、彼女がこの先何をしたいか、みたいな話を聞かせてもらえた。
私たち、日本人は(ってくくりすぎるのはよくないけど、実際)人生で本当に必要な基礎知識を具体的に教えられずに社会に放り出されてしまうね、と話した。
個人の多様性にあまり関係なく誰もが普遍的に押さえておいたほうが良さそうな人生の処方的なものを、具体的に知っておけば、それでわざわざつまずかなくていいし、もっと別の大事なことで有用な経験としてつまずけばいい(笑)、ということもあります。
そういったリアリティを学校ではほとんど習えない、家庭でも話されない、大きくなって経験するだろみたいに大事なところを放任されて、そんで本当にやってみてダメだった時に教わってないのにさも「どうしてわからないの」的に怒られてしまう子供・・・みたいな大人たち。大人の話ですね(笑)
そんなわけで、自分の本分ではない事柄で悩んだり迷ったりして多くの時間を使ってしまう人が多いね、というような話。
回り道も一つの勉強とも言えなくないけど、回らなくていい道もけっこうありwww
どうせなら本分に時間を使いたい。
昨日あった彼女は、その辺りをこどもたちに伝えられる仕事や活動を自分で作っていきたいと言っていて、心から応援したいなと思った。
「全体」が変わらないといけない要素もかなり多いのだけど、そこを待っているだけじゃ変わらないもんね、と。
そして「全体」は、さっきの春ちゃんとの話でも出たように「変わらない」ことが多い(笑)組織とか社会とかね。変わっているように見せかけて根っこが一緒だったりする。
なので、自分の得意なこととか一生懸命になれることで、その「部分」だけでもいいから、パイオニア精神を持ってみるのは、いいことなんじゃないかと思う。
世の中を悲観的に見て嘆くよりもずっといいと思う。
「あなたの職務は行為そのものにある。決してその結果にはない、アルジュナよ。」
とクリシュナも言っていますね。
回り道も一つの勉強とも言えなくないけど、回らなくていい道もけっこうありwww
どうせなら本分に時間を使いたい。
昨日あった彼女は、その辺りをこどもたちに伝えられる仕事や活動を自分で作っていきたいと言っていて、心から応援したいなと思った。
「全体」が変わらないといけない要素もかなり多いのだけど、そこを待っているだけじゃ変わらないもんね、と。
そして「全体」は、さっきの春ちゃんとの話でも出たように「変わらない」ことが多い(笑)組織とか社会とかね。変わっているように見せかけて根っこが一緒だったりする。
なので、自分の得意なこととか一生懸命になれることで、その「部分」だけでもいいから、パイオニア精神を持ってみるのは、いいことなんじゃないかと思う。
世の中を悲観的に見て嘆くよりもずっといいと思う。
「あなたの職務は行為そのものにある。決してその結果にはない、アルジュナよ。」
とクリシュナも言っていますね。
(バガヴァッドギーター2-47)
最後まで読んでくださりありがとうございます。
Namaste
Namaste
<お知らせ>
オンライン・ヨーガ集中講座
ヨーガ哲学の理論と実践・6ヶ月集中コース
このコースは半年かけてヨーガ理論の学習と実践を行なっていくコースです。
ヨーガの精神性を学ぶこと、実践することは、人生のあらゆる側面に役立ちます。
ヨーガの思想を素直な気持ちで学び、自分のできることから実践することによって、
人生の大きな支えと素晴らしい変化がもたらされ、生きていることの本当の意味が見いだせるはずです。
日常生活の中で何かを学んでいくには、無理をしすぎないで継続することがとても大事なので、
このコースでは、学習と体験的実践のバランスをとることと、日常生活の中で学んでいける量やペースなどを配慮し調整しています。
ヨーガの精神性を学ぶこと、実践することは、人生のあらゆる側面に役立ちます。
ヨーガの思想を素直な気持ちで学び、自分のできることから実践することによって、
人生の大きな支えと素晴らしい変化がもたらされ、生きていることの本当の意味が見いだせるはずです。
日常生活の中で何かを学んでいくには、無理をしすぎないで継続することがとても大事なので、
このコースでは、学習と体験的実践のバランスをとることと、日常生活の中で学んでいける量やペースなどを配慮し調整しています。
開催日程【2019年5月期】
2019年2月5日火曜日
シリーズ【5種のチッタ】vol.4エーカーグラチッタ〜 純粋な知性をもって
ヨーガではプラーナの質(グナ)の違いで「5つのチッタ(心)」が説明されます。vol,12,3では「クシプタチッタ」「ムーダチッタ」「ヴィクシプタチッタ」について説明をしました。今日は4つめです。「エーカーグラチッタ」。
いよいよヨーガができる心に突入。
▪エーカーグラチッタ(一点集中の心)
サットヴァ(純質)が支配的になる心。
ヨーガを通して心がよりサットヴァになり、純粋な知性も獲得。この純粋な知性が物事のありのままを見る。この心は低次のサマーディである「対象のあるサマーディ(サンプラジュニャータサマディー)に適合する。
[Ekagra]
one-pointed 一点
concentrated 濃縮
undisturbed 平静な
intent 意図
closely attentive 細心の注意を払う
エーカーグラチッタは、サットヴァ(純質)な心です。ヨーガで言うところの一点集中は、サットヴァのチッタのことであり、その知性によって対象をそのままに見ること。
<筆者蛇足>
なんでもかんでも「一点集中」できればいい、というものではなく、怒りに一点集中しているのならそれはクシプタチッタであるだろうし、損得とか欲に一点集中していればそれはムーダチッタかもしれない。一点集中にも質があるのだ(笑)。
あたりまえのことだけど、雰囲気と「なんとなく」にのまれやすい日本人は、ニュアンスに流されないように注意しないといけない。
教える側も、何に、どんな心で、そしてそれができる環境を自分が作れているかを反省しながらいつも教えるのがいいし、そういう洞察があることで教える自分が育っていくなと思う。
人は人の個性や傾向を「性格」というけれど、言い換えれば「何チッタ」に集中がおこりやすい傾向があるのか、と言ってもいいのかもしれない。
この「5つのチッタ」(紹介はまだ4つまでですが)でわかることは、人はなんにせよ「集中」してしまう、ということ。ぜんぜん集中できなかった〜と言う時でさえ、移ろいながらもその時々で対象を変えながら「なにか」に集中していたりする。
乱れたり低いエネルギーレベルの心だと「”それ”にとらわれている」という認識が起こらないが、感知とコントロールができないだけで人は自分の「意」を何かに集めてしまう癖がある。
どんな性質の心で、何に集中しているかが肝で、自分の心のグナ(状態)と集中対象の質に認識を持つことが、まず最初の段取りだと感じる。
ヨーガの言う一点集中の心を起こすには知性(認識する心理器官)がサットヴァであることが基本コンディションだということはわかった。心の性質が低い状態のままに「とにかく集中」だけに注いでしまうと、集中に見せかけた「偏り」に陥る。けして集中さえしていれば知性がサットヴァになるとは限らない。
卵が先か鶏が先か、みたいな話だと、サットヴァなブッディ(知性)になっている状態が「先」で、その知性によって真の一点集中が起こるのだと考えると、やはり日常的なヨーガは心の濁りの浄化がともかく大事だと感じる。
そう考えると、ダーラナー(集中)に入る前のヨーガ八支則の項目およびヨーガ・スートラ第1章の心の理論知は、順番的にもえらく理にかなった親切な教え方だと思う。
まず心の浄化。乱れた心、落ちた心、快不快の感覚の奴隷になり、”へんなもん”に集中しないためにも。
こういう識別にはやっぱり「サーンキヤ」の分析的な見方は役立つなあとつくづく思う。
ヨーガ哲学は生身の体験理論。繰り返される内省の上に成り立つ。人生のすべてがヨーガなんだ。
と思った次第です。
ナマステ
EMIRI
2019年1月31日木曜日
シリーズ【5種のチッタ】vol.3ヴィクシプタチッタ〜 定まらない心の見極め
ヨーガではプラーナの質(グナ)の違いで「5つのチッタ(心)」が説明されます。
vol,1と2では「クシプタチッタ」「ムーダチッタ」について簡単に説明をしました。
今日は三つめです。「ヴィクシプタチッタ」。
▪ヴィクシプタチッタ(散漫な心)
支配的となるグナはない。心のはずみによってラジャス、タマス、サットヴァのいずれかの支配を受ける。
混乱した心、揺れる心。 真実を垣間見ることがあっても、新たな障害物が現れるとその真実を投げ出し、別の考えに従う。
[Viksipta]
refuted 論駁(ろんばく)された
*論駁:相手の説に反対して論じ攻撃すること
refuted 論駁(ろんばく)された
*論駁:相手の説に反対して論じ攻撃すること
contracted 収縮した、しかめた、短縮した
thrown out 投げ出す、捨てる
frustrated 挫折した
vol,1で紹介したラジャス性支配にある「クシプタチッタ」は、自我意識によって心がどんどん外界に向かって動いている感じがみて取れるかと思います。非難、卑劣、などの感情の荒ぶりが見られますチッタです。
今回の「ヴィクシプタチッタ」は、どのグナに支配されるかが常にゆらいでいる心で、クシプタチッタやムーダチッタと似た意味合いも含みつつ、ラジャス集中(クシプタチッタ)だけでもタマス集中(ムーダチッタ)だけでもない、揺れ動く心、です。
内面の軸みたいなものを捨ててしまって(ないしは見つけられない)なんでも信じちゃうような散漫さや危うさ、本質が見えてないのに表面だけに飛びつく浅さのようなものを感じます。「自分のなさ」みたいなものがわかりますね。
一般的にこの感覚ってとても多いのではないかなって思います。ヨーガを学んでいる最中の人にも多い。現代の世の多様化した“スピリチュアル界隈”にも多く見受けられる傾向かと。自分にとって都合のいいことをすぐ信じてしまう。
一時的にサットヴァ(純・清・浄)なことに意識を向けていられる時もあっても、外界の刺激にさらされれば思考が混乱したり、気持ちが暗いところに落ちてしまうこともある、というような定まらなさ。
上がったり下がったり、明るかったり暗かったり。楽観したり悲観したり。
心を継続的に純なるものや本質に結びつけておくことの難しさを感じますね。ある時はこれを信じ、でも別の瞬間には同じものを疑う、忘れてしまう、というような揺れ動き。
書籍「現代人のためのヨーガ・スートラ」の中では、これは「ニューエイジ」に共感を持つ人々に間に典型的な心だ、とあります。「心地よく過ごすために、単に状況に応じて心のあり方を調整しているだけ」の、実際は「懐疑的な日和見主義」と。
thrown out 投げ出す、捨てる
frustrated 挫折した
vol,1で紹介したラジャス性支配にある「クシプタチッタ」は、自我意識によって心がどんどん外界に向かって動いている感じがみて取れるかと思います。非難、卑劣、などの感情の荒ぶりが見られますチッタです。
今回の「ヴィクシプタチッタ」は、どのグナに支配されるかが常にゆらいでいる心で、クシプタチッタやムーダチッタと似た意味合いも含みつつ、ラジャス集中(クシプタチッタ)だけでもタマス集中(ムーダチッタ)だけでもない、揺れ動く心、です。
内面の軸みたいなものを捨ててしまって(ないしは見つけられない)なんでも信じちゃうような散漫さや危うさ、本質が見えてないのに表面だけに飛びつく浅さのようなものを感じます。「自分のなさ」みたいなものがわかりますね。
一般的にこの感覚ってとても多いのではないかなって思います。ヨーガを学んでいる最中の人にも多い。現代の世の多様化した“スピリチュアル界隈”にも多く見受けられる傾向かと。自分にとって都合のいいことをすぐ信じてしまう。
一時的にサットヴァ(純・清・浄)なことに意識を向けていられる時もあっても、外界の刺激にさらされれば思考が混乱したり、気持ちが暗いところに落ちてしまうこともある、というような定まらなさ。
上がったり下がったり、明るかったり暗かったり。楽観したり悲観したり。
心を継続的に純なるものや本質に結びつけておくことの難しさを感じますね。ある時はこれを信じ、でも別の瞬間には同じものを疑う、忘れてしまう、というような揺れ動き。
書籍「現代人のためのヨーガ・スートラ」の中では、これは「ニューエイジ」に共感を持つ人々に間に典型的な心だ、とあります。「心地よく過ごすために、単に状況に応じて心のあり方を調整しているだけ」の、実際は「懐疑的な日和見主義」と。
なかなかキビシイですね!w
対策として。
ここはヨーガ・スートラにあるようにスヴァディヤーヤ(聖典学習)だと思います!聖典を読み学び続けること。そこから離れない努力。
時間はかかっても、自分の知性が真理にずっといられるだけの聖なる耐久力と認識力を持つために、ずっと聖典に触れ続けることかな、と。
ヨーガの道は続く。
対策として。
ここはヨーガ・スートラにあるようにスヴァディヤーヤ(聖典学習)だと思います!聖典を読み学び続けること。そこから離れない努力。
時間はかかっても、自分の知性が真理にずっといられるだけの聖なる耐久力と認識力を持つために、ずっと聖典に触れ続けることかな、と。
ヨーガの道は続く。
グナ別チッタ解説はあとふたつになります。
読んでくださりありがとうございます。
Namaste
EMIRI
2019年1月30日水曜日
シリーズ【5種のチッタ】vol.2ムーダチッタ〜 重い心の見極め
ヨーガではプラーナの質(グナ)の違いで「5つのチッタ(心)」が説明されます。
前回の投稿ではそのうちの「クシプタチッタ」についてを簡単に説明しました。
今日は「ムーダチッタ」。
クシプタチッタがラジャスという刺激の質(グナ)が高まった興奮状態のような心でしたが、ムーダチッタは「タマス」という停滞と翳りの質に心が支配されている状態です。
▪ムーダチッタ[Mudha] (惑わされた心)
タマスが支配的になる心。鈍く朦朧。身体、富、家族、部族、国家など自分が「所属」を感じるもので頭がいっぱい。タマスによって心が重くなるため、自分が一体感を感じるものに固執し、それ以外を受け入れない。曇った目や重い心に支配されているため、現実をありのままに見ることができない。
〜〜〜〜
Mudha:
dull 鈍感な,愚鈍な; わかりの遅い.
ignorant 無知の 知らない 気づかない
stupid 愚かな、 無感覚な、
idiotic 大バカな、白痴の
〜〜〜〜
書籍「現代人のためのヨーガ・スートラ」の中では、この心の状態はクシプタチッタ同様にヨーガには不適切、ヨーガをやったとしても、強い欲望を通してしか集中できない、とあります。
実際・・・こういった停滞の質に心が絡め取られている時、この心の状態を自分で自覚するのはとても難しいものです。「気づけない」ということもタマスの特徴だからです。
自己観察のポイントとしては、損得勘定や自己防衛、自意識を満たす仲間意識などで「優越感」を持っていないか、他者を認めない狭い気持ちになっていないか、と考えてみるのがいいかもしれませんね。
もしも自分自身にこのような心の傾向を感じたら、自分の固定的な考え方を思い切って壊す必要があります。
ムーダチッタである時、人は往往にして「自尊心」や「優越感」がほしくて自分をよく見せようと外界に働きかけているはずです。それをやめて、「無知な自分」というものを一回認めた上で、あえて笑ってみるのがいいと思います。それは自己卑下ではなく、自己肯定として。
そして人の言うことや行いをジャッジせず、自分の考えというフィルターを通さないで物事を見る練習が必要ですね。これも実際は根気がいりますね(笑)。
そして人の言うことや行いをジャッジせず、自分の考えというフィルターを通さないで物事を見る練習が必要ですね。これも実際は根気がいりますね(笑)。
ムーダチッタはかなり大変です。なんせ自分で気づきにくいので。
ムーダの中にいる間は、何事も人のせいや、外界のなんらかの事柄のせいなので、自分自身を省みることもまれなのです。
気づけたら本当にラッキーと思い、変えていくしかないですね。
あるグルに言わせると、この状態というのは「暇」なのだそうです(笑)。
自分が心から熱中できて純粋にそれに打ち込めるものなどがあると、悲しみに停滞したり暗いところで考えている時間などない、と。たしかにそうだと思います。
誰しも、その時々でタマスな心(停滞、無気力、無力感、猜疑心などの暗い心)になることはあると思います。
そこを持ち上げて、明るい方に行動を起こすのって、エネルギーがいるものですね。でも何もしないでいるとその感情や感覚はそこで増幅されていくので、ムーダチッタにはまってしまった時は、運動したり楽しいことをしたり、明るい場所に足を運ぶのがいいかなと思います。
瞑想、もいいかもしれないと思うかもしれませんが、ムーダチッタや前回紹介したクシプタチッタがすごく強い時は、まず体を動かしてしまうのがいいかと思います(経験的に)。
散漫さや停滞の心が意識を支配している力が強い場合、瞑想は一時的な落ち着きをくれるかもしれないですが心はなかなか手強く、目をあけてもとの世界に戻って外界の刺激にさらされると、また同じ感覚に戻ってしまうことも多いものです。
瞑想はすごくいいものですが、瞑想していない普通の時にラジャス・タマスをある程度クリアしておくのがいいと思います。クリアする手段は、体を程度に運動させたり(これがベストかも)、明るい楽しい行動をすること、笑うこと、など。
この辺りのお話は、この次の次にシェアする「エーカーグラチッタ」のところでまたお話しようかと思います。
ナマステ
EMIRI
2019年1月23日水曜日
シリーズ【5種のチッタ】vol.1クシプタチッタ〜荒ぶる心の見極め
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2019年1月17日木曜日
手放せばもれなく自分が残る〜アパリグラハの教えより〜
ヨーガ・スートラに「アパリグラハ」という教えがあります。
非所有、という教えで「持ちすぎない」ということであったり、「持たない」ということ。
いろいろなものや条件に囲まれている私たちですので、物質的なすべてを持たないわけにはいかないのですが、持っていてもそれを所有する意識を持たないことであったり、持っていても執着しない、というスタンスも入ります。
人は物や条件に価値や愛着を感じて、その保持に忙しくなります。
ものに価値を感じる意識はたしかにあるのですが、その「価値」を手放すと、
これはヨーガから教わったもっともシンプルで偉大な教えのひとつだなあと思います。
だって人は、とどのつまり「自分がわからない」ので、それを物や人に転嫁して、それゆえに不幸になったり満たされなかったりします。自分を理解して、愛の存在だと感じることができれば、人生開きますもんね。
「(不必要に)持たない自分」でいると、自分の強さが現れてきます。
手元にあるものは、あるものとして有用に使うとして、「物(条件なども含む)」を自分にまとわりつかせるのをやめれば、「自分」の生身の姿が見えてきます。
それゆえにヨーガストラはアパリグラハの節で、
「アパリグラハを確立した人は、過去と未来と出生に関する知識を得る。」
と言っているのでしょうね。
意識は物質にも固定されます。
物質的に密度の高いものに心を向け続けていると、心はそこに同化して
物理次元の諸々しか見えなくなっていきます。
”所有意識がかけらもない”という状態って、普通の人の状態だと想像できないものだと思います。
”物欲とかなくって〜〜”、などなど言ってみても、物に頓着がなくても、何か別の条件下では所有意識があったりするもので、実際には人は物や条件を必要とし、心でそれを所有します。
本当にアパリグラハが完成しちゃった人、というのは、心がいかなる対象にも絡みつかないからこそ、「時間」という思い込みからも自由なのでしょう。
非所有、という教えで「持ちすぎない」ということであったり、「持たない」ということ。
いろいろなものや条件に囲まれている私たちですので、物質的なすべてを持たないわけにはいかないのですが、持っていてもそれを所有する意識を持たないことであったり、持っていても執着しない、というスタンスも入ります。
人は物や条件に価値や愛着を感じて、その保持に忙しくなります。
ものに価値を感じる意識はたしかにあるのですが、その「価値」を手放すと、
もれなく「自分」が残る
というすばらしいギフトがありますね。
これはヨーガから教わったもっともシンプルで偉大な教えのひとつだなあと思います。
だって人は、とどのつまり「自分がわからない」ので、それを物や人に転嫁して、それゆえに不幸になったり満たされなかったりします。自分を理解して、愛の存在だと感じることができれば、人生開きますもんね。
「(不必要に)持たない自分」でいると、自分の強さが現れてきます。
手元にあるものは、あるものとして有用に使うとして、「物(条件なども含む)」を自分にまとわりつかせるのをやめれば、「自分」の生身の姿が見えてきます。
それゆえにヨーガストラはアパリグラハの節で、
「アパリグラハを確立した人は、過去と未来と出生に関する知識を得る。」
と言っているのでしょうね。
意識は物質にも固定されます。
物質的に密度の高いものに心を向け続けていると、心はそこに同化して
物理次元の諸々しか見えなくなっていきます。
”所有意識がかけらもない”という状態って、普通の人の状態だと想像できないものだと思います。
”物欲とかなくって〜〜”、などなど言ってみても、物に頓着がなくても、何か別の条件下では所有意識があったりするもので、実際には人は物や条件を必要とし、心でそれを所有します。
本当にアパリグラハが完成しちゃった人、というのは、心がいかなる対象にも絡みつかないからこそ、「時間」という思い込みからも自由なのでしょう。
自分のアイデンティティにまつわるすべての”虚構”すら非所有なので、自分の本来が見えているのでしょうね。
100%の純度でこんな状態になれなかったとしても、アパリグラハの実行で心の自由度が高まることは容易に想像できます。
「多くのものを持っていても、自分のことはわからない」
この現象は私たちの普通の生活と、この経済社会に広く浸透していますが、
こういった時代や環境にもアパリグラハのようなシンプルな教えというのは、本当に機能性の高い教えだと感じます。
自分の所有物であっても、「自分の物」と思うことやめてみたり、たまたまここに在ってくれた物、そんな感じで心をかためないこともひとつかと。
物を少なく生きよう的な時代の流れにのってみてもいいかもしれないです。
実際に、ないと工夫するので創造性が高まることもあります。
今日は、ごく浅いところの紹介ではありましたが、アパリグラハ(非所有)についてでした。
こんな風に、人生に必ず役立つヨーガ哲学。
学んでみたい方はぜひヨーガ哲学講座へどうぞ。
しびれますよ。
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「多くのものを持っていても、自分のことはわからない」
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こういった時代や環境にもアパリグラハのようなシンプルな教えというのは、本当に機能性の高い教えだと感じます。
自分の所有物であっても、「自分の物」と思うことやめてみたり、たまたまここに在ってくれた物、そんな感じで心をかためないこともひとつかと。
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実際に、ないと工夫するので創造性が高まることもあります。
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