EMIRI MOROKA -HEART MATRIX-

師岡絵美里のブログです♪


2020年10月16日金曜日

嫌われ松子からの考察ー孤独について考える・その1


vol,1 松子の「孤独」を考える


先日「嫌われ松子の一生」という映画を観ました。2006年上映なのでだいぶ前の映画ですね。当時話題になっていたのですが、その時はあまり興味は持たずに観ていなかったのですが、その後主演の中谷美紀さんがインド紀行の本を出版し、それを読んでこの映画のことが印象に残っています。中谷美紀さんがヨーガを愛好しているというのは出版以前からちらっと知っていたので、インドやヨーガを彼女がどう体験したのか興味があって読んでみました。


本を読んでわかったのですが、その時の渡印の理由のひとつとして、純粋に本場でヨーガをしたいという目的もあったそうのですが、「嫌われ松子」の撮影が過酷すぎて精神的にボロボロになり、逃げるようにインドへ行った・・・的ないきさつが書かれてあったのを覚えています。本を読んだのもかなり前なので細かい内容はあまり覚えていないのですが、インドでの様々な体験記よりも、ちらちらと出てくる「嫌われ松子」の現場がどれほどキツかったか・・という吐露のほうが印象として残っています。おそらくそれについて多くのことは書かれていなかったように思うのですが、“心底きつかった”のだろうということがじわじわ伝わってきて、インド体験のエピソードよりも「どんだけ松子大変だったんだ・・!!」と思った記憶の方が強いのです(笑)。(撮影では監督から激しく怒鳴られ、あまりにつらくて撮影を放棄して現場から帰ってしまったこともあったと・・、後からネットの記事などでも知りました。)


そんなわけで、中谷美紀ちゃんをボロボロにしてインドにまで行かせしめた映画、という印象だけが強く残っていた「嫌われ松子の一生」。



すごい面白かったです!!!(笑)。


大集中して観れました。


こういう時「もっと早く観ておけばよかった」というような感想も言いがちなものなのですが、いやいや、今の私が観て非常に面白かったのだろう、と思います。


かなりネタバレしちゃうけど、感じたこと、思ったことを話しますと・・・まっさらな状態で映画を観たい方は、鑑賞後に読んでください。




話の流れとしては、松子の転落、です。
主人公「松子」はいろんなタイプの「ダメな男」に堕ちていきます。スタートの「笑顔が嘘くさい好青年」に淡い恋心を抱くくらいはまだぜんぜんよくて(でもその時にもう松子の男への見る目なさがちゃんと表現されてんだなと思った)、そのあとは売れない小説家DV男、そのDV男のライバルで松子の体とライバルへの優越感が目当ての妻帯者、松子の金を使い果たすヒモ男、平和すぎる男(笑)、そしてだめ押しに、親分の金を博打に使い逃亡する若い舎弟・・・。

終盤のひとつのハイライトとも言える段階で、親友の女友達に「こんな男といっしょにいちゃだめだ!!」と強く言われても松子は、


アンタになにがわかるのよ的に

『ひとりぼっちよりマシ・・・・』

と、唸るように、吐き出すように言うのですよね。


もうね〜〜〜(笑)、、、松子・・・・
ため息が出ちゃいました。


それは「共感」でも「批判」でもなく、なんとも言えない気持ちにさせられます。


あえてヨーガ的に言いますと、関係性への依存というのは「永遠ではないものを自分だと思ってしまう」という「無知」の部類に入ってしまうのですが、生身の人間の心のサガを思うと、一言に「愚かだ」などと言えないものがあります。

そうだよね、松子・・ひとりぼっちはいやだよね・・・

と同情しそうになるのですが、いやいや、親友の言葉の方が本当だぞ、とも(笑)。




それで、「ひとりぼっち」を考察しました。

 その心許なさ、拠り所のなさ・・・

若い時分はまだ経験も浅いので交際相手への依存的な気持ちもしかたないところがあったとしても、年を経てもなお、それが荒んだものや発展性のないものでも誰かとの関係性に依存してしまう心理。


ひとりよりマシ・・・・


松子の場合は完全に幼少時代からの「愛情ロス」で(そのように描かれていた部分がわりと大きい)、根本的体験は「父に笑ってほしい」「父に注目されたい」・・・そこからの「誰かに愛されたい」という気持ちが潜在的に大きいのですが、それが転じて男性に過剰にエネルギーを注いでしまう人格になったようです。

でもまあそんな「いきさつ」や幼少期の親の愛情不足という話は、多くの人が似たような経験を持っているものでもあります。でもみんなそこまで堕ちたりはしない。


松子が極端に堕落的な人生に堕ちていくのは、「マシ」という言葉に表れているように思いました。極めてダメな男だけどいないよりまし。相手がいれば、愛を注げるから。それによって生きている実感が保てるから。



ひとり、ってなんでしょうね。
松子が怖れた「ひとりぼっち」とは。

ひとりでいても「孤独」じゃない人はいますが、とりあえず今回の物語の中での「ひとりぼっち感」を「孤独」としますと、自分自身が生きている実感や世界から必要とされている実感があると、人間の心という機能は活性化していられるように思います。「ひとり」であったとしても、生活や人生の中で何か「注げるもの」や「役立っていられる場」みたいなものを持っていることで、例えば恋人や配偶者、一緒に暮らす家族がいなかったとしても完全な孤独にはならないように思います。

ただ!それは「社会的な孤独」ということについてで、人間には「生き物的な孤独」があります。生き物としてのひとりぼっち感ですね。



続きはまた、次回・・・・

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