愛について、少し書こうと思います。
引用するヨーガスートラ第二章15節です。このスートラ自体が「 愛」と解説しているのではないのですが、 でも最終的に愛を考えることができるスートラです。 この節はよく質問を受けます。難しく感じられるようです。
古典的な解釈は師たちの解説本にあるので、 私が語れることだけ話します。
引用するヨーガスートラ第二章15節です。このスートラ自体が「
古典的な解釈は師たちの解説本にあるので、
Parinaama taapa sanskaara dukhahi guna vrittivirodhaascha dukhameva sarvam vivekinah.
「 得たものを失うことへの恐怖と懸念、
परिणाम Parinaama パリナーマ 変化して結果を生む |
パリナーマは、変化して結果を生むもの。
その結果「痛み(ドゥッカ)」
自分の心が曇っているとき、
そして「結果としてドゥッカ(痛み)を生むもの」に「快楽」
幸せと勘違いしてしまいます。
この世界のすべての創造物は、
変化の中の「ある一定の状態」にしがみつくと、そこに「痛み」
すべては変化します。変わっていきます。
そう言った意味では、私たちは「約束」
人の気持ちやその人のコンディションなどは、
何にせよ今しかないのです
人との関わりもです。
だから「誰かと一緒にいる」ということは極めて「今」
どんなに本気で将来を約束してみても、それを果すことが「愛」
ぜーんぶぜーんぶ変わって、
それが私たちみんなの愛のテーマです。
愛というのは感情のことではなく、存在と目覚めのことなんです。
ナマステ
今日も最後までお読み下さりありがとうございます。
師岡絵美里
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