EMIRI MOROKA -HEART MATRIX-

師岡絵美里のブログです♪


2020年5月6日水曜日

煩悩について(「まにぱどめヨーガ勉強会」4/22)



「まにぱどめヨーガ勉強会」4/22
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「煩悩について」


「煩悩」というものの詳細についてを書籍「現代人のためのヨーガ・スートラ」の解説とともにお話しました。


ヨーガで言う「煩悩」とは、真理を見ることができない心、真理につながらない心であり、「無知」を代表とする心の曇りということになります。

それぞれの概念をサンスクリットで言いますと
煩悩:クレーシャ
無知:アヴィドゥヤ
となります。

煩悩は「種子」のように例えられ、休眠中・弱まった状態・中断された状態・活動中、に分けられます。


・休眠中の煩悩
あるけれども眠っていて発動していない。なんらかの外的刺激が加わると起きる。
(土の中に埋まっていて、栄養が与えられたら芽が出てくるという潜在的な状態ですね。)


「死への恐怖(アヴィニヴェーシャ)」がその代表とも言える。
日々「死への恐怖」を感じていたら心はもたないので普段はそんなことを感じない。煩悩は眠っている。

しかしまさに、今回のコロナウイルスの蔓延ような、自分自身の体と命への危険性が高まったことで“起き上がった” 恐怖心や心の反応は「休眠中だったが起こされた煩悩」と言えますね、とお話しました。

死への恐怖という究極的なものではなかったとしても、「いつもとは違うこと」という刺激で姿を表した様々な「煩悩」を発見した人も多いのではないかなと思います。

その中には、怒り、憤り、無気力、無力感、差別意識、放棄したい気持ち、貪り、怠惰、無知による迎合、今まで体験したことのないレベルでの行動規制による身体的なストレスという刺激で持ち上がったものもいろいろあると思います。




・弱まった(気薄になっている)煩悩
煩悩があったとしても、その煩悩が「真理を学ぶこと」や「よき考え」で弱められている状態。

「煩悩を弱める要素」としての代表は「聖典学習(スヴァディヤーヤ)」。真理を学ぶこと。


例えば、先に挙げた「死への恐怖」という煩悩。
ヨーガスートラにしてもバガヴァッドギーターにしても「聖典」には「人は肉体が本体ではなく不変の意識なのだ」と説きます。
こういった教えがなければ、大抵の人は「体」が自分だと信じています。

しかし「体は本当の自分ではない」ということを知っていることによって「死への恐怖」という煩悩があったとしても、それが刺激された時に何も知らない状態よりも心を取り乱さずに済んだとすれば、それは「聖典学習によって煩悩が弱められた」という状態にあたる、ということになります。


私からのアドバイスとして、ある種「情報の混乱」とも言える状況で、日々ニュースやSNSなどで過剰で雑多な情報を浴びている人も多いかと思われる現在、質的にも量的にも普段ならヨーガの本を開いたりヨーガクラスに行ったりしてよき波動を浴びることで抑えられるものも、昨今の事情ではそのレベルを超える刺激にまみれている方も多いかな・・と。さらにはクラスに行ったりもできませんし。

ですので、こんな時期は「多すぎる情報(刺激)」を凌駕するくらいに「聖典学習」の方もどんどん増やすといいと思う、というお話をしました。

ニュースをどうしても見てしまう、という人も多いかと思いますが、ニュースのあとでもう一度真理の本に戻ったり、SNSを開くよりも自分の学びたいことの関連する読書などをしたりするといいかもしれません。



・中断された煩悩
煩悩が、何か別の「もっと強い煩悩」によって中断されている状態。
怒りや悲しみも真理に導かれないものとして煩悩なのですが、例えば「怒りA」があったとしても、別の「怒りB」の方が現在勝っていて、「怒りB」に夢中なために「怒りA」は思い出されないのですが、BがおさまってしまえばAはまた出てくる、けしてなくなったわけではない、ということです。

どうしても手に入れたいと思っていたAがあったのだけど、今Bへの渇望が強く、Aはどうでもよくなったかなと思ってはいたのだが、いざBを手に入れたらまたAが気になり始めた、みたいな(笑)。
Amazonなどの「あとで購入」に似てますね(笑)。
より思い出しやすい引き出しにしまってあると、すぐに渇望が湧くものです。


私からのコメントとして、今コロナコロナですごく思考が忙しいし、そのせいで別の事柄に関する思考は停止してしまっている部分もあるかのもしれない、と思ってみると、コロナ以前に取り組まないといけない案件があったんじゃなかったけ?ということを一回考えてみるといいかもしれないね、と話しました。
コロナにまみれて、別の重要案件を忘れているかもしれない・・という可能性もあり。




・活動している状態
煩悩が今まさに活性化されていて、自分でも気づいている状態。芽が出てしまった状態です。

重要なのは、この状態のみ自分で気づける煩悩で、逆に言うとこれにしか意識的には手をつけられない、ということ。

ヨーガの修習(アヴィアーサ)とは、意識の上に上がって来て「気づけた煩悩」に対して「サットヴァ(純質)」の行為を生み出す自己努力、というわけですね。


今、私たちはいろいろな現実に直面していると思います。
個人的なものも、国レベルのものも。

何かに対峙した時に、自分の中で心を衝突させてしまうと混乱します。

上がって来た煩悩、やって来た案件を、まず冷静に冷静に、深呼吸と共に見つめてみることをおすすめします。

「呼吸のない心」でガン見しても、自分の心の癖がざわつくだけです。

穏やかな静かな呼吸とともに「見る」と、複雑に見える物事や自分の心に「一点確かななにか」が見えることがあります。


セッションの最後のフリートークの際に、「心を落ち着けるためのなにかアイデアは・・」というテーマをいただき、私から

「勉強をすること」

という提案をしました。

ヨーガの勉強でもいいし、自分の好きなことでもいいし、この時期せっかく時間ができたなら今までやれなかった勉強をするのがいい、と。


・・・・・・



コロナ自粛期間のオンラインヨーガ、4/22のセッションではこういったお話をしました。


書籍「自己を知るヨーガ」の中にグルの素晴らしい言葉があるので最後にそれをくわえておきます。


「あなたは自分のところにやってくるものを避けることはできない。

それがやって来た時に自分自身を助ける正しい態度を身につけることはできる。」


スワミ・サッチダーナンダ師の言葉です。



今回のコロナの状況で「わたしの元にやって来たもの」はなんでしょう。

それは一人一人に来た「なにか」であって、ウイルスじゃないかもしれないですね。

そして、来たからには取るべき「自分自身を助ける正しい態度」とは。


そんなことを考え出すときっと、これまでに蓄積した既存の「情報」が邪魔してうまく考えられないかもしれません。

そんな時もぜひ、ヨーガの聖典を開いてみてください。

絡まった思考をほどいてくれると思います。

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