EMIRI MOROKA -HEART MATRIX-

師岡絵美里のブログです♪


2020年5月6日水曜日

「手前に戻る」(まにぱどめヨーガ勉強会5/2,3)

<ヨーガコラム>
「まにぱどめヨーガ勉強会」5/2,3 
ヨーガ哲学セッションのシェア


「手前に戻る」


セッションで取り上げた「心の清澄」の回
ヨーガ・スートラ1-30〜39までについてを考察しました。


心ってどうしても動いてしまうものなので、乱れを感じたらまず意識的にできる安定の手段として、いくつか方法があるよ、という項目でした。ヨーガ・スートラがある人はお手元でもう一度確認してほしい内容です。



<ヨーガスートラ第1章より「心の清澄・心の安定のために」>
1-33 心の清澄は、他人の幸福への親しみ、不幸へのあわれみ、徳への 喜び、不徳への無関心を抱くことで生じる。

1-34  あるいは、息を吐き止めることによって。

1-35  また、五感を超える知覚の発達も、心の集中の助けとなる。

1-36  心の安定は、悲しみを超えた、輝く光を知覚することでも得られる。

1-37  欲望のない人間を瞑想することによっても、心は安定する。

1-38  夢の対象や夢を見ない睡眠の状態を瞑想することによっても心は安定する。

1-39 適切ないかなる対象を瞑想することによっても、心は安定する




このセッションに、お一方からとても考察しがいのある感想メールをいただきました。

この様な状況で少し気持ちがぶれていたところが落ち着いたというか、軸に戻して頂いたような感覚です。コロナの状況から “死は怖いことではない、意識は永遠なのだ” という事ばかりを言い聞かせている様な感じでしたが、今日の1-33からをおさらいした時に、もっと手前に戻ろうと思いました。

と。

「手前に戻る」について、すごく大事な気づきだと思いました。いい言葉をチョイスしたなあ!と思いました。


で。

そうですね!

「意識は永遠なのだ」はたしかにそうだけど、目の前にある現実に対応させるとなると高度かもしれないですね。

おっしゃる通り、少し手前に戻るといいんだと思います。
すごく大事なところに戻ったと思います。

そして「手前にもどる」ことが実は、「本質を知る」という意味での「先へ進む」ことになると思います。


「死は怖いことではない」というふうに唱えても、実際に死ぬことや病に陥ることがまだまだ「怖い」方にリアリティを感じるのなら、「怖くない」と言い聞かせることよりも「何を怖がっているのか、ちゃんと話そう」と自分と対話するほうが現状に合っていると思います。


もちろん意識は不滅、肉体は理由はなんであれいつか必ず消滅するという事、それは真理ですし、そこに悟っていられれば「究極的な安心」はあると思います。死の恐怖を超越できれば、ですね。


しかしですね、ヨーガ・スートラ第二章の「5つの煩悩」ってやりましたね(二章三節)。
「死への恐怖(アヴィニヴェーシャ)は賢人ですら持つものだ」とありました(二章九節)。
これはなかなかしぶといのですよ。
どんなに真理の知識を得て、賢さを高めたとしても、肉体が有る限りこの恐怖は根深く残るものなんだと容易に想像できます。

私なんて人が手を切って血が出ただけでもう自分の血の気が引きますもんw 注射針刺さるところ見れないですよ未だにwよわ!! 


もとい(笑)

肉体感覚のシンパシーってすごいんですよね。
他人の痛いは自分の痛いを刺激します。
誰かが交通事故や大怪我にあったと聞いたら自分のことのように苦しく感じるのも、自分でなくてよかったと悪気なくもはや反射的に思ってしまうのも、肉体への執着を持つ自我、心なんですよね。

だから今現在は、他人の病気、他人の死で、自分の身体感覚・記憶がいやおうなく刺激されちゃってるんだと思います、世界中の人たちが。


そんな不安定なグナばりばりのところに「意識は普遍なのだ。肉体はいずれ滅びるのだ。」と言ってみても、あんまり響かないだと思います。心の散漫さと身体の安全欲求のほうが勝ってしまうから。
真理っていうのは、すごいクリアな心で、すごい集中がなされている時に「理解」が開くもの。それもヨーガ・スートラにありましたね。不安定で散漫な心が見るのは「誤解された現実」と。


そして私が思いますに「意識は普遍なのだ、死は恐るものではない」という真理を「外圧によって悟る」には、もっともっと差し迫った危機じゃないとそこまで目覚めないんだと思います。
それこそ「知ってる人の半分以上が死んだ」くらいまで自分にとって差し迫った事柄にならないと「死は必定・魂は不変」みたいな「最高真理」と同調するほどには至らないんだと思います。
戦時中とか、敗戦直後の日本や、実際に戦地で死に向かって飛び込んでいった兵士のようなレベルまで行かないと、という事。(そうであっても人は生きたいのだから、なおさら。)
私の祖母は戦争を機にクリスチャンになりました。その後一生クリスチャンで、いつも真理の話をしていました。戦争が祖母にとって抜き差しならないレベルで「真理」への理解を迫ったんだろうと想像できます。


現在のコロナの件ではまだまだ「最高真理と同調する」ほどの悟りへの圧力にはならないと思います。

自分の心配、生活の心配の方で心が揺れるのが精一杯で、それはそれで必要なことで、良く言えば私たちまだまだぜんぜん平気で、平気なんだから、コロナで気持ちをざわつかせたりしないで日常をちゃんと生きればいい、ってことも言えるんだと思います。

人間の心ってそういう風に、良くも悪くも「生」や「生活」に執着があり、今はまだその執着を手放さざるを得ないほどの窮地ではないって事ですね。

だから無理に「死は恐るるにあらず」なんて極論をひっぱり出さずに「手前に戻ろう」でいいと思います。



そしてメディアの影響で「病気」や「死」への恐怖が刺激されているのでしょうが、本当はそういうことじゃなくておそらくみんな(一般市民)はもっと「具体的な現実」が怖いのだと思います。

実際に身内が亡くなったり自分の会社が経営破綻したとかならまた別ですが、そうでなければ「収入はどうなるのだろう」とか「雇用はどうなるのだろう」とか「子供の勉強・学力どうなるのだろう」「予定していたあれはどうなるのだろう」みたいな。そこは問題が個人によって変わってくるので、ちゃんと「個人的な不安」に向かい合ってあげるのが健全だと思います。

そこを自分と対話して「対策」を作れば、そっちの方が穏やかなプロセスで真理と向かい合えると思うんですよね。
なにもコロナの外圧で力任せに悟らなくてもいい(笑)。
人生にはもっと逼迫した個人的危機はきっとあるので(怖いね!w)、力技はそっちに取っておこう。
もちろん最高真理は胸に置きながら。




「個人的な不安」に向かい合う例として、
私の知人は今回の件だけでなく、食料自給率がかなり低い日本に問題を感じていました。災害や突発的な事が起こるとすぐに「なにか」を買い占めに走ったり、危機感に踊らされるあり方。実際に他国との物資のやりとりが途絶えたら手に入らなくなる食料は数多くあります。今普通に食べているものが買えなくなります。これはすごく身近な問題なんですよね。そうなるのは日本は簡単です。
今回のコロナでの自宅待機期間を、この問題に向かい合う時間にし、家庭菜園を拡大し食料の自給率を数パーセントでもあげる。もちろん仕事をやりながらなのでこの先仕事が元のスタイルに戻ったら手をかけられる範囲に限りはあるのですが、それも見越して今時間があるうちに準備しよう、と。季節ごとに日常的に使う野菜が常に数種類は採れる、という基盤を持っておくのは心の安定・精神的なインフラになります。もちろん喜びも。
すべての食料をスーパーに依存している生活から考えると、それだけでもすごいことだと思います。


また別の友人の例。
小学生の子供の学校の休講、塾も休業が長期になってきて、子供の学びや学力が心配に。
子供はやっぱり「場」があることで勉強ができるというのも大きくて、これまでの学校での成績とか子供の性格とかあまり関係なく、一人で家で勉強するというのは小学生やまだ受験や進路などに切羽詰まってない中一くらいの子には難しいです。子供が勉強しないことでイライラして当たってしまうという問題もある。(これが一番大きいかもですね。)
なんとかできないかと考え、同じように思っているお母さん友達らと話し、子供たちをオンラインでつないで、youtubeなどに上がっている学習動画をみんなで同じタイミングで観る、という勉強会を主催。
少しでも「場」を作る事で、みんなで勉強している、友達と繋がれる、という刺激を与えて明るい勉強の場を作ることをしています。


そんな風に「手前に戻る」ということの具体例はたくさんあると思います。


そして・・・

「自分でできること」の「限界」を知る事で真理がわかる

という側面もあるんだと思います。
上記のような、とにかくやってみる事にベクトルを向けた人たちは、おそらくその中で真理に近づいていくのだと思います。


最重要・最高真理ってのは、あると思います。

ヴェーダによるとアートマンはブラフマンなわけです。
ヨーガ・スートラによるとプルシャとプラクリティは別ものなのです。

今は、その真理の抽象度を下げて、現実に呼応させる知恵を身につけるのに最適な時期だと思います。

そういう意味ではとにかくギフト的な時期にいること、それを生かす方向にするのが、人生を理解するという意味での真理への道なんじゃないかと思うのです。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

以上、真理はたしかにあるということを前提に、「手前に戻る」というキーワードからの考察でした。

EMIRI

0 件のコメント:

コメントを投稿