EMIRI MOROKA -HEART MATRIX-
師岡絵美里のブログです♪
2014年4月27日日曜日
サティアに関する洞察
サティアな小林先生の話。
先日、均整術の小林
邦之先生に施術をして頂きました。
その前日まで連日のダンスリハーサルと本番が続いていて、体の休息とメンテナンスが必要な時期だったのでとてもありがたかったです。
小林先生は仕事の場でお会いするたびに、わずかな時間でもササッとの施術をしてくださいますが、一時間ほどのフルコースで受けるのは久しぶりでした。
施術をしてもらいながらいろんなお話をしたのですが、
小林先生、昨年は10ヶ月お休みはなくお仕事してらっしゃったそうです!!
今年はさすがに休もうと思ったらしいのですが、似た通ったかの感じになってるそうです。
それをほがらかなお坊様のような笑顔で話す先生。
こう聞くと、いろんな感想が浮かぶかと思います。
先生を知ってる人にとっては
“体壊しますよ、先生・・・” とか “超人だ!!”
とか思うかもしれませんし、
先生を知らない人は、単に“働きすぎじゃん”と思うかもしれませんが、
私が話したいポイントはそこではなく。
小林先生、本当に偉人だなと感じるのは、
先生はそんな感じで10ヶ月も休みなく毎日お仕事してっしゃったし、おそらく今もそんな感じにも関わらず、
先生がマイナス発言をしたり、人や物事を悪く言ったり、何かを卑下するような発言とか、
とにかく本当に小さな事であってもネガティブ・後ろ向きな事・荒っぽい事を言っているのを
ただの一度も、一回も! 聞いた事がない、という事です。
いつも笑ってるし、いつも人のために時間の限り施術するし、具合が悪い人があればわざわざ会
いに行ったりするし、
メールの文章はこちらへの尊厳であふれているし、
わたしが重い荷物を持っていれば必ず持ってくれるし(先生もいろいろ持ってるにも関わらず!)。
また、大きなプロジェクトや時間のかかる仕事にメインパーソンとして従事している中でも、
一個人の施術も可能な限り引き受けてくれます。
わたしがそれを言ったら
「パーソナル(トレーニング)が自分の原点だから、そこから気づくことがたくさんあるし」
とおっしゃってました。
とにかく、すべて開いている!という事です。
普通、人がそんなにたくさん稼動すれば、精神が擦り切れてくるものです。
まず体の疲労と消耗で体調管理はできなくなるでしょうし。
そうなると発言がネガティブになったり、態度が粗雑になったり、被害妄想を持ち始めていろいろな事を否定する傾向が生まれてきます。
でも、小林先生は、もうそういった肉体の状態が心を束縛しないのでしょうね。
小林先生に会うと、聖典の言葉を思い出します。
「サティヤ」
正直、という風に訳されますが、言葉と行為を一致させることでもあります。
心が透き通ってて、言葉と行為にギャップがないので、人間の一般的な限界を越えることができるのです。
だから、さきの話を受けて、「じゃあ自分も、もっと休みなく働いてもっと人のために奉仕するさ!」とか思って仕事ばんばん入れて、頼まれたら断らずってやってみても、
心の中でちょっとでも「こんなにやってるのに」みたいな葛藤があったり、
頑張ってる事に自意識過剰になったり、
「忙しくてきつい」みたいな発言を少しでもしたら・・・
また、人に対する態度がほんのちょっとでも粗雑に、粗悪になったら、
体は一気にそこに反応して、崩れます。
だから、心がクリアじゃない人は、そんなにたくさん働けません。
そういう意味でも、休みは必要です。
先生は、そのあたりが完全一致なんでしょうね。
サティアなんですよ。
思ってる事、言ってる事、やってる事がオールオープンでポジティブなのです。
また、小林先生を見ていると、バガヴァッドギーターの「放擲(ほうてき)」という言葉をいつも思い出します。
行為の結果に執着せず、自分の行いのすべてを調和(それが世界でも個人でも)に捧げている事。
とは言え、やっぱりお休みがないのは先生の体が心配なのでどっかでしっかり休んでほしい、と勝手に思ってしまうのですが。
それもまあ、いらん心配ですね。たくさんの人が周りにいて、先生を愛してそばにいるので、
そういったお弟子さんやスタッフさんや関係者が、
「先生休んでください」と懇願してるでしょう(笑)。目に浮かびます。
もし、もっと人生や仕事を『時間的なロスなく』充実させて、
実りあるものにしたいのであれば、まっさきにやることは、
心と態度の整理ですね。
心と態度の不一致は、体のエネルギーを大きく消耗させます。
でも心を管理するには、生活の仕方と食べ物(食べ方)と運動をすべて見直す必要があります。
サティア(真実)を生きるには、ヨーガスートラの他の説明にもあるように、
貪らない、奪わない、暴力を働かない、欲を働かせない、
自分の居る場所を清浄に保つ、真理を学び続ける、
などの教えのように、生き方全体をクリアにしていかないとですね。
もうすぐゴールデンウィークですので、お休みの方もそうでない方も、
心の整理と生活の仕方の見直し時間を費やしてみるのはどうでしょう。
私もその辺りをお手伝いできるプログラムを用意してオープンでいます!
心クリアに、素敵な5月を向かえましょう。
この洞察を与えてくださった小林邦之先生に感謝をこめて。
最後までお読み下さりありがとうございます。
ナマステ
師岡絵美里
2014年4月23日水曜日
神の喜びまで
近況。
先日、自分が演出を手がけていたパフォーマンスの舞台がひとつ終了し、
今一段落ついてほわっとしてる所です。
ヨーガのムーヴメントをアレンジしたナンバーに加えて、
最後にインド神話の神々をボリウッドスタイルで踊る、という爆発的に楽しいナンバーを創りました。
私、念願の「クリシュナ」役をやり、もう大変自己満足です(笑)!
(自分が演出をしてたので、自分で配役したんだどね、笑。)
私はクリシュナだ、と思っているだけで、心は満たされます。
クリシュナはヴィシュヌ神の化身であり、全宇宙のすべての相を体現できる真理のアヴァター。
人間の姿をして人々を高みへと導くインドのアイドル的神様。
容姿も最高、かっこよくてスーパーモテモテヒーローだからね、
それにあやかって、ステージでも美しい女子たちを周りで踊らせ、
あはははと笑いながら金の横笛を手にチャラチャラ☆メラメラしていられるのが本当に幸せでした(爆)。
あ〜じこまん!
でもちゃんと1000人の大観衆を巻き込んで喜びとワクワクでいっぱいにできたの、大成功でした。
今回のステージはクローズドな場でのショーだったので一般の方々をお誘いできませんでしたが、すごくいいステージだったので、近い形のものを別でご披露できたらな〜〜と思えてなりません。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
みなさんはどうですか?
人生を素直に楽しんでおりますでしょうか?
喜びで満ちていますでしょうか。
「人間の魂と意志が熱望するものの第一は、喜びである。」
と聖ヨハネも言っています。
どうしたらそのような無上の「喜び」を、
自分が体験することができるでしょうか。
それは、「他人(自分以外の人)」という神様に、
その時の自分が可能な限りの「喜び」を与えることです。
その努力と献身を続けていると、自分の与えられる「喜び」の限界が広がっていきます。
絶え間なく努めれば、自分が他人に与えられる喜びの大きさは拡大に拡大します。
自分が思っている以上のものが誰かに伝わっていきます。
そうやって、無上の光と同じだけの大きな喜びを目指して、他者に与え続けていきます。
それは人を選ばず、場所を選ばず。
すると、
一回一回にできる「与える」の大きさはそれぞれですが、
それらの「与えた実績」は、神のもとではひとつの同じ口座に預金されているようなもので、水面下では全体がつながっています。
その自分の与えた喜びが、いつか「神の喜び」の大きさに近づく時、
人間はある事に気づきます。
神が、本当はいつだって自分と遊んでくれている、という事実と幸福に。
自分の人生の背景が「他人に与えた喜び」一色になるように、
そういう事を楽しめば、人生は活気と恩恵に満ちて来ます。
人類は、もっと優しくなれるのです。
体を健康に保ち、心を育て、自分で光って歩きましょうね!!
すべての存在を闇から光へ。
ジョーティールガマヤ〜〜♪ ですね!
今日はそんな感じです。
お知らせは、
リニューアルした「ライトボディ覚醒プログラム」、そして今週土曜のクリスタル瞑想会です。
*:..。o○☆○o。..:*゜*:..。o○☆
お知らせ
<ライトボディ覚醒プログラム>
今日のおすすめポイント
「さぼれない!」
しばらく開催をお休みしていた「ライトボディ覚醒プログラム」を大々的にリニューアルしました。
「さぼれない!」
しばらく開催をお休みしていた「ライトボディ覚醒プログラム」を大々的にリニューアルしました。
ヨーガの伝統的な技法と経絡システムや整体的調整を融合させたミラクルなコースです。
新しい自分に脱皮しましょう。
意識と体改革、同時になります。
意識と体改革、同時になります。
今回は、「骨格調整」に特に力を注いでいます。
物理的なゆがみを改善してそこに光を流します。
呼吸法もかなり宇宙的なシンクロニシティにアレンジしてますのでお楽しみに!
心身ともに、さらに上の目覚めへと進みましょう。
昨年実施していた当コースに参加してくださったみなさんにも大々的にオススメです。
更に純化・進化してください。
日々の身体的なワークや瞑想ですが、
一人ではなかなかプラクティスできない人にも大変おすすめです。
一人ではなかなかプラクティスできない人にも大変おすすめです。
グループコーチングを毎日しますので、さぼれない!(笑)
私も遠隔で波動を観てますので、さぼれない!(笑)
監督されるってとてもいいことだと思います。
一人でやるよりも変化や成果は大加速です。
一段高い自分になりましょう。
5月開催は割引価格にてお申し込み可能です。
5月開催は割引価格にてお申し込み可能です。
※内容がリニューアルされておりますので、再受講枠はありません。すべてご新規での参加になります。
残席3です。
*:..。o○☆○o。..:*゜*:..。o○☆
今週のワークショップ
「クリスタルボウル瞑想会」
4月26日(土)18:30~20:00です。
ぜひ御越し下さい。心の浄化を進めましょう。
*:..。o○☆○o。..:*゜*:..。o○☆
週末は土曜に銀座Quan でのレッスンもあります。そちらもどうぞ。
http://www.quanyoga.com
http://www.quanyoga.com
最後までお読み下さりありがとうビームを放ちます!
あなたの日常がハッピーな光で溢れますように。
ナマステ
師岡絵美里
最後までお読みくださりありがとうございます。 インラケチ! ナマステ。
2014年4月9日水曜日
生きる情熱と才能
こんにちは。
ハートマトリクスの師岡絵美里です。
ひさしぶりの発行になってしまいました。
何に勤しんでいたかと言いますと、
踊ってばっかり。
ヨーガの先生してる時間よりダンスの時間が上回ったこの一ヶ月でした。
先日4月4日に開催された、椎名慶子先生主催「LAVA Happy
Project・人生を美しくする瞑想ワークショップ」でのパフォーマンスも無事に終わりました。
たくさんの方に来ていただけて本当に嬉しかったです。
来てくださったみなさんありがとう!!!
今回来れなかった方も、次の機会もまたお知らせしますのでぜひ御越し下さい。
瞑想ワークショップ、とてもよかったです。
私の担当したパフォーマンスに関しては、「つながれた」という充実感でいっぱいです。
ダンサーたちの中の根源的な情熱を引き出せたように思いますし、それは観る側にとっても同じ作用なんだと感じます。
生きる!
それだけでいいのだ!
というテーマの踊りでした。
ワークショップは、赤座綾先生の音楽監修のもと、多くのパートが音楽的にフロウして運んでいったので、
瞑想というものを頭とか言葉で捕らえていた人にとっても、それが実際の「体験」へとたやすく導かれていくのがわかりました。
音楽は神様そのものですね。
印象的だったのが、最後のグランドフィナーレの時に、
椎名先生が
「まず、自分が、幸せになりませんか。いっしょにそうなりませんか。」
と、まるで花が咲いてゆくような美しいスピードで、ゆっくりと心をこめて言っていた横顔です。
同じような言葉なら、自己啓発的な場でしょっちゅう聞きます。「まず自分が幸せに」。
でもそこに「本心」が100%のままに言葉が使われているかどうか、それは個々に違います。
椎名先生の言葉は、100%も越えるの倍音となって会場のひとりひとりのハートでさらに広がる、本物のヴォイスでした。
椎名先生を守っている大きくて堅固な母体があるにも関わらず、みんなの代表としての顔ではなく、
純粋なひとりの人の魂から出る言葉でした。
そしてそこにいる人達一人一人に対して、完全にもれることなく響く言葉でした。
その言葉の質、波動の高さは、意味すら越えて、意図すら越えて、
ただただ純粋に人の心に染み渡っていました。
私はすぐななめ後ろの立ち位置から、最後のご挨拶をする椎名先生を見ていたのですが、
ああ本当にこの人は、神様が地上に降ろしてくれたメッセンジャーであり天使なんだなあと、
改めて感動していました。
ピュアな自分のまま、そのまんま生きる事ができる、という強さを持つ貴重な人です。
そんな椎名慶子先生が、ワークショップ終了後にとても光栄な事を言ってくださいました。
”えみりさんの才能なしにはできなかった会でした。”
自分の好きな事で役にたてたので、そう言ってもらえてとても嬉しかったです。
才能。
確かに、人には得意な事があります。
私にもあります。人のハートに情熱の火を灯す才能があると思います。
生きる強さを引っ張り出す才能が、ダンスでもヨーガでも文章をつうじてでも得意です。
でも、「才能」は「わたしのもの」ではないという事を忘れずにいようと思います。
私の肉体に、カルマを通じてそのような属性が宿っていて、
その属性は有効活用して世界に返していくだけのためにあります。調和のために。
才能を、いつでも使い切って空っぽでいようと思います。
空っぽでいると、そこに神様が座ってくれるから。
その安心が、私の中の「なにももっていない子ども」の心を完全に癒すから。
いつも「何も持っていないわたし」という真実を胸に、神を信愛し感謝します。
そんな風に思っています。
すべての人に、感謝をこめて。
ナマステ
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新しいお知らせ!!
お待たせしました!!
って、待っていたかわかりませんが、しばらく開催をお休みしていた「ライトボディ覚醒プログラム」を大々的にリニューアルしました。
まず5月に開催します。
わたし的には、これ最高でしょ!と思える内容にグレードアップ。
「最高」もどんどん上がっていくのです。
今回は、骨格調整に力を注いでいます。
物理的なゆがみを改善してそこに光を流します。
呼吸法もかなり宇宙的なシンクロニシティにアレンジしてますのでお楽しみに!
心身ともに、さらに上の目覚めへと進みましょう。
ヨーガの叡智を実行し、体を覚醒させてください。
動機がなんであれ、自分を変えたい、体を変えたい、もっとシンプルになりたい、という人はぜひご参加ください。
例えば動機が単純なダイエット希望だったとしても、心の在り方まで変わってしまうはず。動機すら純化されます。
それがヨーガです。
昨年実施していた当コースに参加してくださったみなさんにも大々的にオススメです。
昨年の内容をふまえて、更に純化・進化してください。
割引価格にてお申し込み受付開始します。
http://www.heartmatrix555.com/home/ライトボディ覚醒プログラム/
*:..。o○☆○o。..:*゜*:..。o○☆
今月のワークショップ
「クリスタルボウル瞑想会」
4月26日(土)18:30~20:00です。
ぜひ御越し下さい。心の浄化を進めましょう。
http://www.heartmatrix555.com/home/クリスタルボウル瞑想会/
*:..。o○☆○o。..:*゜*:..。o○☆
最後までお読み下さりありがとうビームを放ちます!
あなたの日常がハッピーな光で溢れますように。
ナマステ
師岡絵美里
「HeartMatrix」
www.heartmatrix555.com
2014年3月17日月曜日
お仕事についてのサットワな考察
こんにちは。ハートマトリクスの師岡絵美里です。
今日はお知らせから。
文末にコラムあります。お仕事について書きました。
「ヨーガ・スートラ修習」
〜通読と実践のためのアヴィヤーサプログラム〜
4月はヨーガスートラを勉強しましょう!
開催は半年に一回くらいのペースかと思いますのでぜひコレを逃さずに。
今日の聖句(「現代人のためのヨーガスートラ」より)
「心の安定は、悲しみを越えた輝く光を知覚することでも得られる。」(1-36)
心とはどうにも動くものです。動くという性質を備えているので仕方ないのですが、
その動きが「乱れ」とか「停滞」の赴くと、私たちは辛くなっていきます。
そんな時があったら思い出してください。
悲しみを越えた輝く光
それが地球にとっての太陽であり、私たちの心臓の中の光です。
心の中に、文字通り一心に意識を置き、そこにある光に瞑想してください。
ヨーガスートラは心の清らかさの指南書です。
上記のように、美しい一節の中に瞑想のテクニックや存在の本質についてのエッセンスがぎゅっと埋め込まれています。
ぜひこの機会にいっしょに学びましょう。
再受講もぜひお待ちしてます。
あと2名入れます。
http://www.heartmatrix555.com/home/ヨーガ-スートラ修習コーチングプログラム/
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春の瞑想会です。
4月26日(土)18:30~20:00です。
前回大雪で開催できなかったので再開催☆
ぜひ御越し下さい。心の浄化を進めましょう。
http://www.heartmatrix555.com/home/クリスタルボウル瞑想会/
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<椎名慶子先生ワークショップイベント出演のお知らせ>
椎名慶子先生による瞑想ワークショップに出演させていただくことになりました☆
LAVA Happy Project
キレイのメソッド学びましょ♪
「人生を美しくする瞑想ワークショップ」
2014年4月4日(金)
http://www.yoga-lava.com/lhp/ws_1404.html
今回のわたくしのミッションは、ダンスパフォーマンスです。
LAVAのダンスチーム「スミッキーズ」のメンバーと、LAVAを代表するトレーナー(誰かはまだ内緒☆)、
そして音楽監修と生演奏に赤座綾先生も一緒です!!
ワークショップの本編は、ヨーガで伝えられている瞑想の本質を椎名先生がレクチャーしてくださり、
後半は世界平和と個人の心の調和のために、
瞑想の実践的なワークをみんなで学び、楽しみます。
最後は生演奏の中でみんなでキールタンを唱い、瞑想しましょう!
多勢の人で集まって瞑想するって本当に素晴らしい事です。
一人では行き得ない境地が開くことも多々あります。
というわけで、みなさんぜひ来てください。詳しくはお知らせのページをご覧ください。
<関連ページ>
椎名慶子先生のページ http://ameblo.jp/shiinayoga/
LAVAシータヒーリング公式ブログ
http://lava-expand.seesaa.net/article/390393447.html
みなさん、ぜひお誘い合わせのうえ御越し下さい。
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<コラム「お仕事についてのサットワな考察」>
最近、春のせいか年度変わりのせいか、
「転機」についてに相談やお話が多いです。
みなさんのお話を聞いたり話したりした中で感じた事をここでもシェアしようと思います。
ヨーガの学びにおいて「仕事」を考えてみると。
ヨーガスートラにしてもバガヴァッドギーターにしても聖典から教えられるのは、
「表面的な事に心を揺さぶられるな」、って事ですね。
「好きな事を仕事にしよう」っていうテーマは近年とても唱われていますが、
この「好き」って概念はなんでしょうか。なんでしょうね?
みなさんはどうしてますか?
「好き」を基準にしろ、と言われたら、
その「好き」っていったい「何のことを言ってるのか」を整理したことありますか?
たぶんね、”勘違いしどころ”と”落とし穴”は、
「好き」=「快楽」「選り好み』
と思ってしまうと、ただのわがままな大人になってしまうのだと思います。
「好き」という言葉の浅い意味合いでとらえると、
裏っ返して「嫌いな事はしたくない」というただのわがままに走るんだと思います。
「嫌」な状態を脱したいだけのために、「好み」で物事を見て「好きなことしかしない」に走ると、
その「好きな事」の中のあるたくさんの「山や谷」を乗り越えられないんですきっと。
そしてまたジレンマが来ます。
おそらくこの「好き」ってのは誤解を生みやすい言葉で、あまり乱用するとわがままで責任を全うできない大人を増やすのではないかなと思います。
もっと本質的で深い意味での「好き」は、以下のような概念かと思います。
つまり。好きな事を仕事にしようというのは、
”さわやかな気持ち”の事を『好き』という言葉で捕らえているんじゃないかと思います。
(ヨーガ用語ではサットワ性の感覚、です。)
なのでもう少し丁寧に「言葉(発想)」を探ってみると、
「好きな事を仕事に」というのは、
「自分がさわやかな気もちでやれる事に集中する」
という事なんじゃないかなと。
例えば、人をうまくだまくらかして何かを売るようなやり方は「さわやか」な感覚がしないし、
どうやたって裏表がある仕事内容ってのはさわやかなじゃない。
「適性」もあります。
自分の体質や性格の適性とかけ離れた職種だと、いくら他人が見て「いいね」と思うような仕事でも
自分には無理があって「さわやか」にできない事もあると思います。
もうひとつ勘違いしやすいのは、
今現在の職業は嫌いではないんだけど、でも本当は別の事をやりたいのにチャレンジできなくてモヤモヤしてると
「現在の仕事が好きじゃない」みたいな錯覚が起きてきます。
その錯覚が猛威を振るうと、
「この仕事じゃ私は幸福になれない」みたいな自己憐憫・被害者意識になってくのだと思います。
だからすっきりさっぱり挑戦した事には挑んでみたほうが、
”仮に成就しなくても”、心はスッキリすると思います。
「嫌いな事は避けたい」の裏返しで「好きな事を仕事にする」とか言ってると
まったくもって幸福じゃないです。
「好き」にこだわりすぎるのも、どこか子どもじみているようにも思います。
人にはそれぞれ、今回の人生の目的(カルマ)があります。
起こる事とか関わる事のすべては、そのカルマをどうにかダルマ(義務・調和)に赴かせるために起きている現象にすぎません。
今関わっていることを受け入れられないと、次のステージにはあがれないので、「新しい事を選んでいる」つもりでも同じような壁にぶつかります。
起こり続ける現象に「好き嫌い」の意識を付着させすぎると、もう、なんだかとても複雑ですよ。
地球の波動に成り行かせてごらんなさい。
というところです。
「これが好きなんだーーーー!」とか大声で言うほど「好き」な仕事じゃなくても、
心穏やかに「やるべき事」をしっかりやって「幸福」な人はいっぱいいますしね。
それも生き方だと思います。
人間は、
「なにに満足するか」
において賢くならなければいけないんですきっと。
それをヨーガの聖典では、
「アートマンにおいて満たされなさい」と言います。
アートマンとは、本当の自己です。私たちの「体験」や「現象」ではなく、不変不動の自己において満たされなさい、と。
なのでここで冒頭の言葉に戻りますと、
ヨーガスートラにしてもバガヴァッドギーターにしても聖典から教えられるのは、
「表面的な事に心を揺さぶられるな」、って事になるんですね、どうやたって。
これは私の感覚ですが、家族を、まず養える事に幸せを感じます。
子どもに毎日ご飯を食べさせてあげられる幸福。
お風呂に入れてあげられる幸福。
自分のやってることを好きとか嫌いとか言ってる余地がないほどの、幸福です。
今、私自身は充分好きなことを仕事にできています。
でも、もしこの職種じゃなくても、
「同じように幸福であれる自信」が持てるようになったのは、
大人になったと思える点です。
好き嫌いを越えたところで会えるヨーガの神様がいると思います。
今やっている事でまず「さわやかに」なれないと、別の事をやってもまた「嫌な」面を見つけて同じ事を繰り返します。
「欲望」の中に「感謝」というエッセンスが発見できないように、
「執着と憎悪(好き嫌い)」に心を掴まれている心理状態を思い出してみると、
やはりそこに「感謝」というエッセンスがどうにも欠けているのがわかります。
ヨーガスートラの教える「煩悩性の思い」を取り払うこと、
また、バガヴァッドギーターの教える「好き嫌いの思いを手放しなさい」というのは、
人の心の「幸福への感度」を上げてくれる。
そう感じます。
目標にむかって前向きに頑張りながら、
自分の行為をさわやかに、ご機嫌に、
そしてなにより感謝して生きる。
それ以上に複雑な事はいらないと思います。
自分の中のさわかさのパワーで進んでいけると思います。
個人個人の持つ才能というのは、もちろん環境によって伸ばされたりすることは多いにありますし、
その人が生きやすい「場所」というのはあると思いますが、
自分さえ本気を出せば、その才能は「時」と「場所」を選ばないはずなんです。
私は今、自分の才能がとても活かしやすい現場で仕事がでいている事は大変ラッキーなんですが、
いっつも肝に命じているのは、
「この仕事じゃなくても世界に対して同じ成果をあげられる人間でいないと。」
と思っています。
それはカルマでありダルマであり私がここにいる潜在的な目的です。
行為の結果に執着はしていませんが、
行為の質を落とさないように注意をし続けないといけないと思ってます。
そうなれば、なんであっても、決心して「さわやか」にやりきる、
最終的にはそのくらいしか、やる事はないのです(笑)
そしてヨーギンである限り、
ヨーガが職業じゃなかったとしても今と同じことを語れなければ、と思っています。
という感じ。
参考になれば幸いです。
ではみなさん、よいお仕事ライフを♪
春風にふかれて。
ナマステ。
師岡絵美里
「HeartMatrix」
www.heartmatrix555.com
「Emiliの絵の森」
http://ameblo.jp/emililala
2014年2月16日日曜日
食べること。それは奉仕に還る。
私の娘いわく、「食べたもの」は一回ハートを通ってからお腹の方に行くのだそうです。
りんごを食べて実況中継してくれました。
「いまりんごさんはここ(心臓のあたり)をとおって、ピカーってひかってから、
おなかのなかにゆっくりいくの。」
と。
確かにそうだと思います。
荒い物質レベルでは、食物が心臓の組織の中を通るわけではないでしょうが、
微細な気のレベルで、光のレベルで、食べたものはハートを通るのでしょう。
ハートをうまく通過できない食物を食べた時、
例えば添加物ごてごての物とか、必要以上に甘い物とか、もうお腹いっぱいなのに食べるとか、
そうしますと、ハートを通過する際に苦しいんでしょうね。
よく、甘い物などを食べ過ぎたり身体にあまりよくない物を食べる時、「罪悪感がわく」と言ったりします。
ハートを通る時に、体が泣くのかもしれないですね。
そんなに要らないよ、とか、それはもう要らないと思う、、、とか。
通常の、身体によい食事であっても、『食べる』という行為がこの世界の平和に還元されないと、
本来人は清々しく食べれないのです。
ハート(身体)が喜ぶものを、喜ぶ量食べて、
食べたらそれを自分の中にしまい込まずに、
誰かの喜びにつながる行為を持って「排出」としていきます。
物理的にはいわゆる身体的な「排泄(便や汗)」が「フィニッシュ」なんですが、
精神的には「誰かの喜びにつながる行為をする」のが、「食べた」事に関する「フィニッシュ」なんですよ。
還す、という意味で。
ヨーガはそういう考え方。
奉仕するために食べてるんです。
だから食べっぱなし(奉仕なし)は盗賊と一緒。
とヴァガバッドギーターにもあります。(三章十二節)
補足しておくと、
じゃあ病気や寝たきりなどで働いたり活動できない人は盗人なのか、
と言うと、そういうことじゃなくて、
「心をどこに結びつけて精神活動を続けているか」、
なんです。
心を、無秩序・暴力・分離の思考に結びつけた精神活動は、自分の身体を病気にし、人に混乱を与えます。
心を、神、調和、統合、平和に結びつける努力は、どんな状態でもなされます。
存在自体での奉仕も、ひとつの最高な行為です。
身体的な活動はとても大事ですが、手足の行為だけではなく、精神の行為も同じように大事だし、
同じになるはずなんです。
だからどんなコンディションに居る人も、この世界の生きとし生けるすべての存在の幸福に貢献することがでいます。
とはいえ、人間の欲やからの脱出や、落ちてしまった停滞の意識からの脱却には、
やっぱり「体力」がいります。
なので身体の健康や、健康に向かおうとする努力って、どうしても大事になってきますね。
だから治療家のみなさん。医療関係のみなさん。介護やヘルパーのみなさんの助けは本当に重要です。
身体レベルでの健康を、
西洋的であろうと東洋的であろうと「力になろう」と励んでいる治療家や医療のみなさんの「ダイレクトな助け」が、たくさん必要な時代です。
そして介護・保育など、日常の動作に直接働きかける「ダイレクトな助け」もまた、とても必要な時代です。
どんな職業やポジションであっても、世界の調和と平和のためになされる必要があります。
明日の奉仕のために寝て、
今日の奉仕のために食べ、
世界の喜びのために自分自信の吸う息と吐く息を清めていきましょう。
「自分」とは、世界から孤立した取るに足りない存在ではないのです。
自分こそ世界の幸福の象徴であるとき、神の光が身体の底からあふれてきますね。
2014年1月24日金曜日
こどもとヨーガからの洞察
地域の子どもたちの定期的にヨーガを教えていて、
ヨーガの精神性も伝えられるように心がけています。
「次に、今までよりもチャレンジングなアーサナを教えます。
みなさんやりますか?」
と子どもたちに聞くと、5〜6歳くらいの子たちは
「やるやる〜〜」と無邪気に言います。
しかし少し大きくなった子どもたちは、こんな発言をする人もいます。
「えー見てから決める。」
と。
「それはだめ。やるっていったらやるの。」
と言う私。
結果全員にチャレンジはしてもらいます。
子どものヨガクラス内では「無理」「できない」という文言はなしにさせているけれど、
子どもたちはすでにテレビなどの影響か、
「冷やかし」や「あきらめ」の表現(態度)を身につけてしまっているので、
「そんなんむり〜〜」などと簡単に笑います。
私は「むりって言わない」の一点張りです。
大人にしても子どもにしても、
消極的な思考を身につけてしまった人を覚醒させるのはある意味ほんとに大変です。
厳しく指導しないといけないので。
個人的には厳しい指導なんてぜんぜんしたくないです。こっちのエネルギーを消耗するので。
そんな事はしたくなくて、人間が本来持っている力に委ねたいし、
大きな声とか出したくないし、乗り気でないことをさせるのも大変。
でも、「自由意志」とか言って楽な方に流れるのって、ぜんぜん魅力的だとは思わない。精一杯のところで直球勝負していたい。
だからこそ「ゆとり」っていうのがどんな感じなのかもわかります。
ずっとのんびりしてずっと「楽」だけしてるのが、ゆとりじゃないですよね。
私はそう感じています。
人として生まれたからには、
為すべき事があり、「適性」というエネルギーをちゃんとうまく使って終了しなければいけない。
できるだけストレートに自己を世界に奉じていくんです。
それはとても積極的な生き方です。
消極性というものは、何も生み出さない。
でも宇宙って無駄がないので、そんな消極的な人の有様も「反面的に」何かの役には立っていたりするんです。
例えば別の誰かの洞察の「モデルケース」になっていたり、
啓発を業とする人にとっては、「消極的な人を啓発し、覚醒させる」という事を学ぶための対象になり得ます。セミナーとか流行る。
だから無駄ではないんですけど、
でも。いつまでもそんな理由で世界の役に立ちたいのか。
もっともっと主体性のある役立ち方がしたいものです。
だから、積極的に、物事のポジティヴな側面を自分で引き出す生き方をしないと。
いつか誰かが世界をよくしてくれる。
そういう思いはもうぜんぜん通用しないので、
毎秒、毎瞬、自力で良くなろう。
そういう姿を大人が見せないと、
子どもたちが消極的に、
できない事を避けて、
みんなと同じで安心、
一番仲のいい友達とだけ遊んでいられればいい、
自己表現を避ける
わがままを通そうとする
という性質を当たり前に持ってしまいます。
そして極端な強制力の指導がないと動かない人になってしまう。
親はいつだって子どもの味方になる、めいっぱい褒めてあげるけど、
でも精神性や身体感覚の底上げをする努力は、親が教えないと、と思います。
そこを教えてないと、褒められる事を目的にしてしまうただの自意識過剰になります。
「ヨーガで、ピッカピカの強くて優しい心を作ってるんだよ。」
と、子どもたちに毎回くどく言っているのですが、
今はそれが先生のいつも言うおまじない的な感覚だったとしても、
いつかそれが人生の過程で生きてくれればいいなと思っています。
子どもたちに祝福を。
さあ、まずは大人の私たちですよ。
いつもで子どもに真似されるんだと気を引き締めて、
柔軟かつ清らか、それでいて強い生き方をしよう。
ダメなところを見せてはいけないって意味じゃないです。多いに見せていいと思います。
でも、その「ダメ」を必死こいてでも修復する涙ぐましい努力も見せるべきです。
オープンに。
2014年1月20日月曜日
行為しながら放棄する
昨日の続きですが、
すべての人の内に神を観ることができるか。
もし個々の人の内に至高の存在を見出せるならば、
私たちの「人との関わり方」はもっと大きく変わると思います。
今近くにいる人々に敬意を持てるだけではなく、
・・・実は大事なはここなんですが、・・・自分のやるべき事が見えてきます。
自分自身に迷いがなくなってきます。
自分以外のすべての人が至高の神の体現だと悟ると、自分の行為に神の力が発動します。
逆じゃない??って思いますか?
「自分は神なんだ!」って自尊心を持ったほうが、自己の内在する神聖なパワーが発動しそうでしょうか?
それもあると思いますが、そうであるなら他の人はなんなんだ、というところです。
これは私の体験的なところからも(おおいに)言ってますが、
すべての人が神の体現だ!とわかると、
「わたしの為すべき事」がはっきりわかります。
事を荒立てる事は何もしない、というのが「平和」なのかというと、そうではないです。
もちろん無理に荒立てなくていいのですが、
「私の存在は何事も刺激しないの」
というような “消極的な安全” ではなくて、
「真理に適うことをしよう」
というはっきりとした意思による行為が生まれます。
だからやっぱ、やることはやるのです。
そこでもまた人間としての葛藤は出てくるのですが、
ですが一歩前に進んで、やってみるんですよね。
肉体の重さや物事の表面の事象に支配されているうちは、
「今までの古い思考」に反する事をするのは億劫なんです。
でももしこの人生を輝くものとしたいなら、やってみるしかないんですよね。
私たちが「何を選択するか」というのは、この瞬間の「行い」の中にしかない。
人は「結果」の中に「その選択がよかったのかどうか」を探し求め、
さらには結果をコントロールしようとしますが、
そのような我心や「好み」を捨てなさいな、とギーターは教えます。
結果への期待を捨ててみると、
人生の今、一瞬一瞬が生き生きとしてきます。
今日も私は朝からバガヴァッド・ギーターを読みながら、
自分自身の小我と向かい合ってみました。
神との対話は、えてして自分の中の混沌や影と向かい合うことだとも言えます。
今日読んだ詩節はこれです。
第18章9節
「アルジュナよ。
なすべきであると考えて、定められた行為を、
執着と結果とを捨てて行う場合、
それはサットヴァ(純質)的な捨離であると考えられる。」
「行為」する事がもし「真理」に適っている場合、
それは「行いながらにしての捨離」になる。
この社会を強く生きながらにして、俗と業から離れる!すごい!
これはバガヴァッド・ギーターのメインメッセージのひとつだと感じます。
何もしないわけじゃないのです。
「惰性」を、「平穏」だと勘違いしちゃいけないんですね。
そのためには、
まず私たちは「為すべき事」を自分の内面から引き出さなくてはいけません。
だからやっぱり瞑想しましょう。
朝、顔洗ったらまずブランケットを腰に巻いて防寒しつつ、瞑想。
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