私が、女の人の体というものに本当の意味でシンパシーを感じ、
実体験としても親密さを感じた大きなきっかけが、出産でした。
私は、現代的には通常のスタイルである「病院での出産」は選ばずに、
自宅出産というスタイルをとりました。
なぜ自宅出産を選んだかというと、意外かもしれませんが、
それほど確固たるモットーがあったわけでもなく、そして病院出産への否定的な感覚があったわけでもなく、
ただ自分にとって「想像しやすい」のが自宅での出産だったからです。
病院で産んでいるわたし、というのがあまり想像できず、
病院のベッドで産んでるところが、なんだかあまり自分っぽくない感じがしたんですね。
そして、家で産んでいる、という自分は容易に想像できたのです。
ならばそっちだろう、と。
自宅出産とかいうと「すごいですね!」とか、珍しがられることもありますが、自分の選んだものへの特別感はそんなにはなく、
そもそもお産はぜんぶ「すごい」と思うし、
自分が経験したことのないもの、無痛分娩、帝王切開、
不妊治療の大変な努力の末の出産など、数々の困難を超えての出産もリスペクトです。なんであれ、産まれてくれればもう万歳です。
とはいえ、自宅出産への道のりもけっこう大変なところもあり、
例えば通常の病院の検診はそれはそれできちんと受けて
「問題ない」
を出し続けていないといけなくて、、
体重の増加を抑えることから始まり、母子ともに健康状態を「すべて良好である」を出し続けていないといけない。
ここはもう自分で自己管理するとして、
最後、自分ではどうしょうもないポイントが・・・
いつ産気づくかというところ。
なかなかお産が始まらず、予定週数を越してしまったら、病院で産むことになります。
38週超えてまだ出てこなかったら病院で産む、となったとしても、
昨今の病院事情では妊娠がわかった段階で予約を取るのが普通で、それでもいっぱいだったり。何件もあたったり。
「あと1週間か2週間で産みますので」って言って近くの病院に入れるのか?という心配もあるし、まあそうなったら、実際は受け入れてくれるところがあるのでしょうが、
安心して落ち着いて産みたいことを思うと、どこで産むかわかっていたいので、最後の最後でやっぱ病院へ!の道は避けたいなあ、と。
とはいえそこはもう、胎児次第。神様次第。
幸い、身体管理も(体重とかギリだったけど)なんとか、
しかも予定日ぴったりに出てきてくれたので
無事に自宅で産むことができ(これまた悲喜こもごもいろいろあったけど長くなるのでまたにします(笑))、
おばあちゃんが最後に過ごして亡くなっていったお部屋で新しい命を産むことができたあの日から、10年経ちました。
女の人の体へのリスペクトとシンパシーは、
この経験でそれまでの私の意識をひっくり返してくれました。
ほとんど健康に問題なく生き、ハードな踊りやヨガを予定いっぱいっぱいまでやるような体力のいる仕事も、できちゃっていた私で、
大怪我とか入院レベルの病気などもない人生でしたが、
妊娠時の身体管理の大変さと、その変化の大きさと、自分ではどうしようもないことがあることを痛切に日々感じる経験をへて、
それまでの自分はずいぶんと、自分の体を好きに使っていたんだな
心底と思いました。
私にとって「自宅で産む」という選択は、すごくはからずしも(笑)、
自分の体と女性の体の仕組み、そして精神状態と向かい合うすごいレッスンでした。
でもそれはぜんぜんきれいな話やいい話ばかりじゃなくて、
よく考えずにあんパンとか食べてゲーゲー吐いてしまったり、
途中で体重増えすぎて焦って、食欲大の妊娠中なのにキャベツだけ食べてる日があったり(笑)、
(心の中ではどうにもカツ丼食べたかったり)
それまでイライラしたことのない、なんてことない事柄にイラついた
り、鳩見てもイラっとしたり(笑)
起きてムカつくほど長く寝てたり(笑)
夜中に頻尿気味で起きてしまい、暗い中フラフラでトイレに行って自分で開けたドアに自分の頭ぶつけて一人爆笑したあと反動で悲しくなってメソメソしたり、
もうね、今思い出すとブサイクの極みみたいな日々ですよ(笑)、すいません言葉がアレで(笑)。
妊婦さんを女神みたいに感じる目線もありますが、
自分を思い出すと「動物」と言ったほうが正確ですね。
でもそんな経験も、宝ものです(笑)。
今の仕事にいかせているし。
病院ではないところでの出産だったので、介添えの助産師さんは医療行為はせず、「見守っている」というスタンスで、隣にいてくれる存在でした。
妊娠期の検診はしてくれます。内診もしてくれます。
マッサージもしてくれました。産後もいろいろケアしてくれます。
しかしお産本番は「いてくれる」がメインのあり方。
陣痛がはじまると、産後の準備を整えてくれたり、
励ましや、状況をみて声がけなどをしてくれますが、
お産そのものへの手出しはなく、
「産むのはあなたです、そしていっしょにいるから大丈夫です」
というスタンスの、大きなオーラでした。
何もしないし、何もしなくても赤ちゃんは出てくる、というような「お産」への信頼。
どーんとした構えに、すげえなあと思ったものです。
自分こんなに痛い痛いいってても、「はい、普通です」とにこやかに返してくれて(笑)
ベテランの昔ながらの「お産婆さん」のような方で、
妊娠期間や陣痛のさなかに、たくさんのことを声がけしてくれて、それは現在の私の生きる指針みたいにもなっています。
そのひとつが、八ヶ月くらいで逆子に変化なしだったとき(逆子だとこれまた自宅出産できない)、
「自分に正直になって、人に言えないような心配ごとや、文句や、辛さとかも、どんな自分も外に吐き出してみてね。そうすると赤ちゃんも動けるから。」
と。
ひえーーーと思いました。私の気持ちの暴露次第なんだ!と(笑)。
陣痛の最中にも同じようなことを言ってくれました。
陣痛がかなりクライマックスのころ(ここが私はけっこう長かったのです・・)
よりによって便意をもよおしたのだけど、もう痛すぎてトイレにいくのもいやで、
(病院じゃないので、あらかじめ排泄を促して出しておく、みたいな準備はありません、したくなった時するしかない)
「したくない、できません、歩けない」
と言い張っていたら、
「じゃあここでしていいよ、
おしっこでもうんちでも、なんでもいいから、
なんでもかんでもここに全部出してみて。
それで赤ちゃん出てくるから。」
と言われました。
号泣です。
出産を美しいものというイメージで思っていると
「うんちと赤ちゃんいっしょにしないで〜!」と思うかもしれないけど、実際は、その渦中でそれを言われると、
もう号泣でした。
自分はなんてわがままで、自分のことばっかりかんがえてるんだろう、と。
こういったことは「そのさなか」でないと伝わらないものがあるかとは思いますが、
その時は、「感情」なんだな、わたし次第なんだな・・・となんども泣きました。
そしてこのお産から学んだ一番大きなことは
本当に大事なことをしようとしている時、
「かっこつけてられないんだな・・・」
ということです。
それまでの自分本位の自制心みたいなものや、
外のことを気にして自分をうまいことまとめたりしているその「制御」をはずすこと。
何か本当に重要なことに対面したとき、
なりふりかまわない、
になれてこそ、できることなんだ、と。
命かけるってそういうことですよね。
でもマインドって本当に邪魔で、そういった瀬戸際でも自分をコントロールしたがったり、きれいなところにおさめようとしたりする。
それが邪魔して、出てこれるものも出てこないことがあるんだと知りました。
感情を解放すること。
思考を手放すこと。
命のメカニズムを信頼して、「どうしょうもうない自分」をさらけ出すこと。
そういったことが、ひとつの命を生み出すプロセスでもあるのだと知りました。
「ヨガしてたので安産でした、陣痛も短くて済みました💓」
とかさ、言いたいじゃないですか(爆)
でも、言いたい自分も捨てないとダメなのです(笑)
ヨガしてたけど激痛で呼吸法なんて思い出せやしないし、
しかも長くて死ぬ!
みたいな、ですよ。ほんとにもう(笑)
それでいいのだと思います。かっこわるーーー、で(笑)。
もちろんヨガが役立ったことはたくさんありますよ。
でもかっこつけを抜きにすると、けして美しいお産なんてもんじゃなく、ただただ必死でしかない。
見舞いにきた実母の陽気な態度にむかついたり(笑)、途中で気絶したり、泣き言いったり励まされたり、途中でポカリスエット飲みたいって言ってたら(糖分はだめ)「家にあるなら捨てておきます(笑顔)」って言われたり、もういろいろ、今思うと笑えることばかり。
これはほんとにいい経験でした。
謙虚になる。ほんとに。謙虚になります。
(今でも私の態度はでかいけど(笑)!)
その時は、感情が「胎児」との関係にダイレクトなんだということを感じましたが、それは妊娠期、胎児とのことだけじゃなくて、
感情、心のあり方が、
細胞ひとつひとつとそうやって日々深くつながっていることも感じます。
ひいては、自分と他者も、
自分と、地球も
自分と宇宙も、
神様とも。
そんなわけで私は、自身の体験から
女の人の体と感情、それが肉体と連携している宇宙の妙
そこに大きな興味とリスペクトが増大し、今にいたります。
今日は出産ばなしに偏ってしまいましたが、妊娠出産だけが女性のメインイベントじゃないです。
現在は、自分もいずれ経験する時期「メノポーズ(更年期)」の女性の心と体という、とても深いフェーズに探究心を抱いております。
知り合いの方や近しい人でその時期にいる方にヒアリングさせていただいたり、
人生経験を教えてもらうことで、
更年期ってやっかいに思われがちだけどそれだけじゃない、
女性が、人生のステージをさらにあがっていく時期なんだなと感じます。
いろいろなことを体験してきた女性が、
女性としての数々の思いと経験を携えて、
捨てるものと残すものを迷いながらも進み
残りの人生をどう生きたいのかを自分に問いかけながら、
最後まで肉体と寄り添っていくための大事な調整時期なんだ、
と感じます。
そしてそして、この一年いろいろ女性のためのヨーガプログラムを実施してきた収穫は、
ヨガには、更年期のステージを乗り切るためのよき作用がたくさんある!
ということが知識的にではなく、自分の目で確認できたこと。
「抗えないもの」を理解することも含めて、体との共同の人生はまだまだ続きますね。
この先も、女の人にとってよきものを提供できるようにがんばります。
自分は女性なので女性に働きかけてばかりですが、
女性の健康と美しさ、それが世界の男性の安心や幸せにもつながりますもんね。
がんばろう!
長くなりましたが、最後にお知らせ✨
女性の体の変化によりそって、
健康をつくっていくための集中プログラムです。
体と心に集中して「6週間」をすごしてもらうと
まずは現在の調子がよくなることにプラスして、
6週間の経験がその後の自分の健康作りの指針が見えてきます。
一定の期間、ぐっと集中するのがいいですよ!
「新・女性のための愛のメディカルヨーガ」
よかったらサイトもご覧ください。
師岡絵美里監修
新・女性のための愛のメディカルヨーガ
【2018年3月スタート】
オンライン受講と実習の期間:2018年3月25日(日)〜
<受講料>
通常価格:45000円のところ、
期間限定特別割引:35000円
期間限定特別割引:35000円
再受講:2017年開催の当コースを一度受講された方の割引: 30000円
割引期間2018年3月11日(日)24:00まで
定員に達し次第終了
詳細・お申し込みサイトにてご覧ください。サンプル動画もあります。サイトの案内ページでごらんください。
前回の記事でも内容を取り上げています。そちらもどうぞ。
長くなりました。
読んでくださりありがとうございます。
エミリ
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