EMIRI MOROKA -HEART MATRIX-
師岡絵美里のブログです♪
2015年9月14日月曜日
近況。ヨーガ哲学という人間讃歌
最近の私。
ヨーガ哲学ティーチャーズトレーニングを開催中で、三日間のコースで講義をしています。先週の日曜に第一日目が終わり、今週末に第二日目があります。
「ヨーガスートラ」をやれるだけとことんやろう!というテーマなので、ヨーガスートラを本当に頭からやってます。
まずは各節を自分でノートに書き起し、音読(日本語、サンスクリットともに)や、語意の理解、そして解説の後に質疑応答を通じて自分自身の個人的な領域にしみてゆく。
その個人的な心的領域こそ、その人のエッセンスを通過して大いなる源泉につながっていくドアだと私は思っています。
正解か不正解か、どう解釈するのがあってるか、ではなく、
実体験の中でどう機能させるかという体験学習がヨーガです。
そこを通らないと、意識の中に設定してしまった狭い檻は解除できないからです。
まずはスートラの中の言葉という素材に関心と敬意を持って、色や感触や匂いなど、言葉に蓄えられた質感を確かめながら進み、そして実際に声に出したり考えたりしてじわじわと「言葉以上のもの」を理解していきます。
初参加の方が、セミナーみたいに私がひたすら話すのかと思っていたけどぜんぜん違って、自分も発言したり自分でノートを作ったりする体験型で良かった、と言ってくださった方がいましたが、そうなんです。私の講義はだいたい全部そうですね。
座学でも、座学なりにできる「体験」を大事にしています。
それは心の運動でもあります。
「講義」というか、「道場」的な感じですね。
和室でテーブルを囲んで、みんなでヨーガスートラに心を寄せていき、私が講義するばっかりじゃなくて、自分のことを話したりしながら「自分のこととして」理解していく感じです。
ヨーガ哲学の理解とは、「手作りをすることへの愛」に似ています。時間はかかるんだけど、かかることを前もって認めて、急がないで進んでいく感じです。
「時間」って言ったって「説明に1時間かかります」とかそういう単位の時間じゃなくて、「この節は、5年か10年くらいしてだんだんわかってくるかもしれません(でもわからないかもしれません)」とかそんな感じの長さです(笑)。
かと思えば、「明日ふとこの節の意味に気づくかもしれない」という可能性もある。
その時間と場所の約束は、顕在意識ではできないんですね。
でもその「10年分」みたいな実際的な[質量]を、参加者のみなさんと集まれる貴重な時間に「数分」という密度に圧縮して「おにぎり」みたいにして、みなさんに渡しています。
すぐに全部は食べれないんだけど、何年もそれを味わって、いつか自分なりのタイミングで「一番の中身」に辿り着いてくれたら、幸いです。
こういう座学の集まりは、提供する方も受けとる方も体力的に命がけレベルです。
提供する私も尋常でないエネルギーを「出す」方に使います。
ヨーガ講義とは体力勝負の重労働なんですが、受けとる側も、「情報」ではなくて「真理」という密度を受けらなくてはいけなくて、時としてそれは受け取り手の体力や心の許容量を越えていることもしばしばです。
それでも、自分が今受けとれる範囲にだけでも心を開く作業が、「学び」のプロセスなんですよね。
「情報」というのは意識してまとめない限りは「散漫」なものです。
でも真理というのは散漫になり得ない「高圧」な意識であり、圧縮しきった先の真空です。
普通の人がその格好のまま宇宙空間に行けないように、ヨーガ哲学の勉強は、慣れていないとその真空の意識に触れるのは、ほんの少しでもとても負荷がかかります。
簡単に言うと、疲れる、ってことですね。もちろんいい疲れなんですけど。
なので今回は、講座中のお昼休みなどに昼寝とか瞑想ができるようにしてあります。部屋をふすまに仕切って、こっちは寝る人、こっちはご歓談する人、など別れてもらって休憩を入れつつやってます。
ヨーガ哲学、または単に哲学というのは、
人間讃歌だと私は思っています。
生きる事と肯定し、前に進んでいくことが哲学だと思います。
このヨーガ哲学ティーチャーズトレーニングは、来年初旬にま
た開催したいと思います。
今回都合がつかなくて来れなかった方もぜひいらしてください。
日程が決まりましたらお知らせいたします。
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