EMIRI MOROKA -HEART MATRIX-
師岡絵美里のブログです♪
2015年9月2日水曜日
意識のスケール(その2にあたる)
昨日、いつものスタジオでレッスンを終えたあと、生徒さんの一人が話しかけてくれました。
レッスンの前後に話してくれる先生の話がすごく好きで、とてもおもしろい
と。
ありがとうです。そう感じていただけて光栄です。
昨日話した内容は、ひとつ前の記事にも書きましたが、
「意識のスケール」のお話です。
この生徒さん、ヨーガを練習するうちに心理とか精神、哲学に興味が湧いたそうで、
本屋さんで書籍を読んでみたり、今とても興味しんしんのようです。
しかしこんな不安もあるそうです。
『でもこういうのって、間違った捉え方をすると、すごく危ないほうに行きますよね。』
そうですね。
たしかにそういうことも、あると思いますし、今も昔もあると思います。
一番「危ない」も通り越して実際に事件になってしまったこともありますし。
「使い方次第です」
と私は答えました。
知った知識をどう使うか。できるようになった技術をどう使うか。
それはなにも心理的なものには限らないですよね。
科学の進歩で可能になった技術で「何をするか」は、常に人間の心のステージがどこまで上がっているのかを試されます。
「物事を変える力」
を知った時、もしくは得た時、私たちはまず興奮するでしょう。
すごい!
と。
でもそこから先が大事なところで、「新しいパワー(それは知であり技である)」を得た時、私たちは謙虚でいなくてはいけないですよね。
そして、心の段階によっては、自分の心の中の「恐れ」がその新しいパワーを使ってしまわないように自分自身を見はっておく必要もあると思います。
これって、「お金」とかもまったく同じですよね。
目に見えるもの、見えないもの、触れるもの、触れないもの、その差はありますが、
基本的にこの物質原理(プラクリティ)において基本ルールは一緒です。
「恐れ」があなたの行為のハンドルを握ってしまうと、その先は最終的には不幸(無知・アヴィドヤ)につながります。
新しいパワーを前にした時、
他の人はどうかは知らないけれど、とにかく自分はそれをどう活かしたいのか
そこに集中している必要があります。
そして先ほど「使い方次第」「どう使うか」と言いましたが、それも段階のひとつで
自分自身がそれらをどう使っていくかの道のりで成長してくとだんだんと、
『私自身をどう使われたいか』
という神様との対話的なステージに入っていきます。
自分こそ神の道具であり、自分はパワーや技が通る道のようになってきます。
一流の音楽家やダンサーやアスリートを見ていると、
神様がその体を通過して表に出て来る様を見せてくれます。
その姿や波動に、私たちは心が洗われ、気づかされ、心が止まったかのような静寂を味わいます。
でもそこに行くまでには、
ヨーガの教えに、「バクティ」というものがあります。
神への献身、愛、という行為になります。
「信愛」、と訳されることが多いですかね。
なんであっても極めていくとバクティの精神になるのではないか、と。
知識も、技術も、「すごい」ものはいっぱいあると思います。
でもそれが「通る道=自分自身」によって、出方が変わります。
「人を通じて出て来るパワーの出方の違い」を恐れはじめたらきりがないです。
その感覚で捉えていると世の中恐ろしいものだらけです。
「自分ならどうするか」に集中するしかありません。
他人のそれを恐れることより。
そんな感じで。
この意識のスケールの話、またしていきたいテーマのひとつです。
宣伝。
秋のリトリート、ぜひ来てください☆
高い意識を持ち続けるには、質のいい休憩が必要です。
山梨でちょっと休憩。二日間、ヨーガで自分を洗う時間を取りましょうね♪
http://heart-matrix.blogspot.jp/2015/08/2days.html
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