EMIRI MOROKA -HEART MATRIX-
師岡絵美里のブログです♪
2016年5月26日木曜日
尊厳のある世界を求めて
コラムです。
狭い空間に物質の構成密度が濃くなると、複雑さが生まれてくる。
狭いスペースを共有するためにはくっついてまとまっている「愛着」が必要になり、共感と共有が求められる。
ヨーガスートラには、憎悪と愛着(執着)が煩悩(葛藤や心の不調和)を生むと説きますが、
日々生きていると本当にそうだなと感じてしまいます。
愛着と憎悪は同じものだと感じます。
ヨーガの練習は実際には心の鍛錬ですが、
心地よさを感じるものや好きだと思うものに「関わりながら」も「くっつかないでいる」のが最大の練習事項の一つだと思います。
人は愛着が強くなると、愛されない自分に我慢できなくなったり、それを失なうことや、または独占できないことに我慢できなくなってきます。
仕事も人間関係もすべてに言えるけれど
それらに心を込めて関わりながらも、
それらが自由であることを前提にしていられると
自分も「愛着」から自由でいられる。
憎悪を持つことなく。
そういった心の修行を、「難しい」と思わずに取り組んでみる人が増えたらと思います。
最初は難しく感じるだろうけど、
でも経験的にわかるのは、だんだんいい意味でどうでもよくなる。
自分が大丈夫になる。
しがみつかずに、開けば開くほど、受け取れる愛も大きくなるし、また返せる愛も大きくなる。
人には、その人がその人なりに生きて行く自由がある。
尊厳ということをいつも念頭に置いておくことができれば、
本当の意味でやってはいけないこと、人を傷つけるとか権利を奪うことなどはしなくなります。
私はかれこれ15年ほど、テレビを家に置いていません。
5年くらい前までは、テレビが家にないことで、悲惨なニュースや、果てしなくひどいことに関する情報(つまり低次のエネルギー)はあまり入ってこない、もしくは得る情報を自分で選択する状態で入れました。
それはある意味私個人の精神的修行過程で大事なことであり、そういう時期でした。
その間に勉強に集中したり、自分自身を見つめることができたし、小さい子どもの子育てにも時間が必要だったから。
しかし、本当にここ数年の感覚ですが、
テレビという媒体の独占的な影響力は加速して弱くなり、
テレビなどなくてもインターネットなりで自ずと情報がどんどん入ってくるようになりました。
もうそれらのエネルギーを選別するのも難しい。
でもこれも私にとっては段階が上がった鍛錬であり、低次のエネルギーをシャットアウトすることで自分を清めた時期から、次は情報(雑多なエネルギー)が入ってきても耐えられる自分や浄化的に対処できる自分でいる時期に入ったのだと思いました。
そしてさらに段階を上がれたと感じたのは、
自分からそういった情報に向かっていくことや摂取することがある程度可能になったことです。
自分から見に行って、現実を知り、平常を保ち、できることをする。そこに感情的なものが動かないかといったらそうではなく、人間なので動きます。
いろんな気持ちが自分の中から発掘されます。
それもそれとして、あるがままを見て、生き続ける練習。
未だにテレビこそ家にはないですが、入ってくるニュースなどには自分なりの「考え」を持つように、高い波動で受け止めるように心がけています。
聞いているだけで苦しいニュースはたくさんある。
でも、嘆きや悲しみではなく、
じゃあ何ができるか考えてみて、嘆かない。
嘆いたらそこで負けだと思うから。
ゲームオーバーで、負のエネルギーに心を絡め取られる。
私たちは、心を開けばみんな愛の戦士だと思うんです。
「よい世界」ってなんだろう、と思いますが、
それは「尊厳」が保たれている世界なんじゃないかと思うのです。
そんなことを思います。
がんばろう!
何かできることがあるはずだし、ちょっと疲れたら休めばいいし、そしてまた前を見よう。
Namaste
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