EMIRI MOROKA -HEART MATRIX-

師岡絵美里のブログです♪


2016年5月29日日曜日

Masaくんダンスとその他大事な話。


Masaくんダンスを観に行って、

とても楽しかった。


Masaくんダンスはまた一段と表現がはっきりとしてきて、

自分の表したいことと身体のリンクが色濃くなっている具合が見ていて心地よかった。


(先日の京都と同じく、)例によって楽しさと居心地良さに浸ってしまい、写真撮ってない。。。(笑)
う〜〜ん、後からちょっと後悔するね(爆)
みんなに見せたいけどない。

今度から、撮ろうと思った。







さて、次元上昇について。

そろそろもう一段上がりまっせ。全体的に。

そう思います。

前回の記事で、あえて情報を引き受けてそこで自分がどうあれるかを感じている日々なのですが、

世界で起こっていることがらはそれぞれに別々に見えても、

全ては何かしらの「原理」が働くことで起こっています。

ヨーガの目とはそういった「原理」を知る目でもあると思っています。

全部「ドラマ(幻想)」には違いないですが、

人の意識内で起こっていることは確かです。

そのドラマが起こる原理を見ることで、

一見別々に見える世界の現象の中に

自分自身の越えるべき「何か」が見えてきたりします。

世界は見方によってはひどいです。

でもそれは見方で、誰かの作ったゲームのルールに心を絡め取られている限りは、翻弄されるままですね。

思い込みのルールを変えていこうといつも思っています。

そして規定外のことであっても、自分のハートがそうだと言うのなら

清く明るくスカッとやってしまえばいいと思います。

それには日常的なところでいつも心の清さを保っているベースが必要なので、だからヨーガはいいと思います。




Masaくんと瞑想in Bali Ubud 2016

2016年5月26日木曜日

尊厳のある世界を求めて



コラムです。

狭い空間に物質の構成密度が濃くなると、複雑さが生まれてくる。




狭いスペースを共有するためにはくっついてまとまっている「愛着」が必要になり、共感と共有が求められる。




ヨーガスートラには、憎悪と愛着(執着)が煩悩(葛藤や心の不調和)を生むと説きますが、




日々生きていると本当にそうだなと感じてしまいます。




愛着と憎悪は同じものだと感じます。




ヨーガの練習は実際には心の鍛錬ですが、




心地よさを感じるものや好きだと思うものに「関わりながら」も「くっつかないでいる」のが最大の練習事項の一つだと思います。




人は愛着が強くなると、愛されない自分に我慢できなくなったり、それを失なうことや、または独占できないことに我慢できなくなってきます。




仕事も人間関係もすべてに言えるけれど




それらに心を込めて関わりながらも、


それらが自由であることを前提にしていられると




自分も「愛着」から自由でいられる。


憎悪を持つことなく。




そういった心の修行を、「難しい」と思わずに取り組んでみる人が増えたらと思います。




最初は難しく感じるだろうけど、




でも経験的にわかるのは、だんだんいい意味でどうでもよくなる。




自分が大丈夫になる。




しがみつかずに、開けば開くほど、受け取れる愛も大きくなるし、また返せる愛も大きくなる。




人には、その人がその人なりに生きて行く自由がある。




尊厳ということをいつも念頭に置いておくことができれば、




本当の意味でやってはいけないこと、人を傷つけるとか権利を奪うことなどはしなくなります。







私はかれこれ15年ほど、テレビを家に置いていません。




5年くらい前までは、テレビが家にないことで、悲惨なニュースや、果てしなくひどいことに関する情報(つまり低次のエネルギー)はあまり入ってこない、もしくは得る情報を自分で選択する状態で入れました。

それはある意味私個人の精神的修行過程で大事なことであり、そういう時期でした。

その間に勉強に集中したり、自分自身を見つめることができたし、小さい子どもの子育てにも時間が必要だったから。




しかし、本当にここ数年の感覚ですが、

テレビという媒体の独占的な影響力は加速して弱くなり、

テレビなどなくてもインターネットなりで自ずと情報がどんどん入ってくるようになりました。

もうそれらのエネルギーを選別するのも難しい。


でもこれも私にとっては段階が上がった鍛錬であり、低次のエネルギーをシャットアウトすることで自分を清めた時期から、次は情報(雑多なエネルギー)が入ってきても耐えられる自分や浄化的に対処できる自分でいる時期に入ったのだと思いました。

そしてさらに段階を上がれたと感じたのは、
自分からそういった情報に向かっていくことや摂取することがある程度可能になったことです。
自分から見に行って、現実を知り、平常を保ち、できることをする。そこに感情的なものが動かないかといったらそうではなく、人間なので動きます。
いろんな気持ちが自分の中から発掘されます。
それもそれとして、あるがままを見て、生き続ける練習。



未だにテレビこそ家にはないですが、入ってくるニュースなどには自分なりの「考え」を持つように、高い波動で受け止めるように心がけています。



聞いているだけで苦しいニュースはたくさんある。


でも、嘆きや悲しみではなく、


じゃあ何ができるか考えてみて、嘆かない。


嘆いたらそこで負けだと思うから。


ゲームオーバーで、負のエネルギーに心を絡め取られる。




私たちは、心を開けばみんな愛の戦士だと思うんです。




「よい世界」ってなんだろう、と思いますが、

それは「尊厳」が保たれている世界なんじゃないかと思うのです。




そんなことを思います。


がんばろう!

何かできることがあるはずだし、ちょっと疲れたら休めばいいし、そしてまた前を見よう。






Namaste










サイトから発行の無料メルマガでもコラムや講座情報などが読めます。

よろしければご登録ください。












2016年5月24日火曜日

美しさ。






先日、クラスが始める前に一人の生徒さんが話しかけてくれました。




私のヨーガ哲学クラスに良く来てくれる方です。







ここ最近、彼女のお父様の容態が良くないという状態で




でもそんな時にも




前よりもずっと落ち着いていられたり




以前だったらもっともっと心が動揺してしまうような状態にあっても




ちゃんと心を保てている




ヨーガをやっていて、ヨーガを知ることができて、




本当に良かったと思っています







と。










先生ありがとう、と感謝してくださり、もちろんありがたく言葉を受け取りつつ、







でもヨーガをその人に伝えたのがたまたま何かの偶然で私であっただけで、




ブッダも言う通り、




「私がいようといまいと、自然の理(真理)は変わらない」







もし私が彼女に伝えなくても、きっと彼女はどこかで「得た」と思う。




本当にヨーガ必要な人には、どんなのかたちででも




きっと巡り合うのだと思う。




自分は、必然とかではなく「偶然」でいいと思っている。




そのように、起こることに価値や意味は与えず、




あるがままにしておくことが




一番のような気がしている。




ただ流れる自然現象でいい。




そしてその方が、自分の重要性とか存在価値に思いを馳せて自己感覚に浸ることが必要なくなる。




私は自然の一部でしかないし




誰かの人生の風景の一部になることもあるけれど




それもまた「偶然」でいい。




そういうところに、美しさを感じる。

























そう。でもやっぱり、良かったなと思う。




誰かの役に立てて。出会えて。




人生とは、人と関わることでしか完成しない何かがある。




だからやっぱり、彼女のことも心から良かったなと思うし、




教えてくれて嬉しかった。




この、感情という生き物を心の中に飼いながら生きるのも、タイムリミットがあると思えば愛おしく感じる。




だからできるだけ喜ばしいことが多いに越したことない。体のためにも。




悲しいも苦しいも、いろいろあるけど、




あってもなお、光と共にあれる強さを与えてくれるのがヨーガだと思うし、




また別の人にはヨーガでなくても何かきっとあるんだ。




音楽とか、歌とか、好きなこととか、何でも。










人間は、とどのつまり「どのツール」でも「行ける」。




どの「道」でも、「行ける」のだ。










だからこだわらずに、




自分の大好きなことで、この世界に心を開いていよう。




そう思います。










みなさんいつもありがとう。

日常はドラマチックじゃなくてもじゅうぶんにドラマですね。

真実の日常は、本のようなもの。

一人一人の描く物語を聞かせてくれてありがとう。



2016年5月21日土曜日

バガヴァッドギーターを学ぶオモシロさ



今日は、QuanYogaでは初開催の「はじめてのバガヴァッドギーター」を講座を開催しました。




「はじめての」というタイトルでしたので、

”まずは概要をさらっと説明して・・・”、と思ったのですが、




概要っつたってねー。も〜。w




ギーターやそれを含むマハーバーラタは、膨大かつ内容や背景が深すぎて、さらに悪いことに(悪くないけど)、
私がマハーバーラタを好きな感覚というのは、
「ガンダム好きがどのくらいガンダムを愛しているか」
くらいの感じなんです、それも手伝ってしまい、つい熱くなってしまう・・
「概要をさらっと」とは話しにくい(笑)。できないです。





そんでやっぱり思った通り、マハーバーラタのオモシロエピソードを話していたら前半止まらなくなり、

でもどうにか軌道をギーターの節の抜粋を取り上げるところまで無理クリつなげて、なんとか90分という短い時間の中で最初のステップくらいはみんなで踏めたと思います(笑)




マハーバーラタがオモシロすぎるのがあかんです。




ラーマーヤナでも話し出すと止まんないでのすが、

バーラタさんたちの物語も、最高です。




私はマハーバーラタの登場人物の、ユディシュティラが好きです。

そんな話もまた書けたらいいな。




今日来てくださった皆さんありがとうございます☆

一緒に学べる機会と、空間と、環境、出会い、全てに感謝いたします。

本当に幸福なことだと思っています。






2016年5月19日木曜日

バカになるくらいでちょうどいいと思ってる



「悩む」というのは「時間稼ぎ」なんだろうなと思います。

行動さえすればいいだけなんだけど、ずっと考えている人っていますよね。

考えるのはいいと思うけど、行動しないとその考えには価値も意味もないのと一緒で。

ずっと考えているだけなのは何とも煮えきらないものを感じます。



「悩んでいます」

という割に、何もしていない。

悩んでいるから行動を決めかねているというのが言い分なんでしょうけど、

潜在的なものとしても、表現としても、

「悩む」というのは「時間稼ぎ」なんだろうなと思います。やらないでいるための。

変わらないでいるために時間を作ってる。




というわけで、自意識が追いついてこれないくらいに

バカになって走るのがいいと思うのですわ。

振り切って、振り切って、行こう。

って思います。





第3チャクラは沖縄に決定です「チャクラジャーニー 〜聖なるチャクラをめぐる旅〜」


まだ詳細が決まってないけど日程を先に知りたいという声もありますので、先走りな告知です(^-^)

現在Masumi 先生と一緒にやっている「チャクラジャーニー 〜聖なるチャクラをめぐる旅〜」の第三回目、第3チャクラの会は沖縄リトリートというかたちで開催することになりました☆

日程は2016年10月21日(金)〜23日(日)の3日間
沖縄本島・恩納村にて開催します。

まだスケジュールや料金など詳細が決まっておりませんが、
ぜひ日程だけでも確保しておいてくださればと思います。

詳細はなるべく早くサイトやこのブログに掲載します。

6月には募集開始いたしますのでしばしお待ちください。


京都で開催、第一チャクラのジャーニーの様子です

第2チャクラ,東京にて開催、募集中です





2016年5月17日火曜日

すごい楽しんだよ関西その3(神戸でわにわに、ヨーガ哲学講座)



前回と前回の記事の続きです。


翌日曜は、神戸にオープンしたばかりのヨーガスタジオ「スペースわに」で、ヨーガ哲学講座をしました!



スペースわににて





スタジオのぬん先生と私をつなげてくださったAyaさんのきめ細かなサポートがありがく、参加者のみなさんも皆いい人たちで熱心に楽しんで参加してくださり、本当に楽しい1日でした。


Masumiさんも京都から来てくれた〜


スタジオ主宰のぬん先生とは初対面だったにもかかわらず、すごい親和性を感じました。なんか、いとこみたいな(笑)
会うと嬉しい親戚、みたいな感じでしたね〜〜。


ヨーガ哲学の教え方や語り方というのは、同じ書物や理論を扱っていても人によってどうしても出し方や表現が違うので、同じものを紹介しつつも話す人の個性が出てしまいます。
なので聞き手も、語り手への好みをどうしても感じてしまうものだろうと思います。
そういった中でも、講義やお話に共感を持ってもらえるのは嬉しいです。


ぬん先生に、「(ヨーガ哲学を)そんなにワクワク楽しそうに語れるって、よっぽど好きなんだな〜と思った(笑)」と言ってもらえたのが印象的でしたね。


そうか、そんなに私、楽しそうに話してんだ、と思いました(笑)


そうですね〜
私にとってヨーガ哲学って、楽しいものだと思います。
もちろん実践には覚悟やのいるところも、努力でしかないところもあると思うけど、でも長く付き合って寄り添ってみると
とても合理的かつ人生が楽しく楽になるものだと感じます。


まずもって、いちいち悩まなくなる。
特に人間関係はすごくさっぱりする。友人、家族、パートナー、仕事、その他いろいろな関係の中で、自分と他人は違う感性を持っているのが前提なので、人は人、とすぐ割り切れるようになる。
立場とか上下でもなく、好き嫌いでもなく、
ただ「違う」ところがあるのだから。
さっぱりしているのが一番爽やかだと思うし、ヨーガのおかげでそれが自然に身についたのはありがたい。








今回のご縁。


3月にバリ島に行った際に、
Masumiさんのリトリートが終わったタイミングで私のリトリートがスタートしたんですが、Masumiさんのところに参加されていたメンバーさんたちが私のリトリートにビジター参加してくださったんですね。
今回私をスペースわににつなげてくださったAyaさんも、ビジター参加してくださったお一人でした。


そういったご縁だけでもありがたい限りなんですが、
縁って本当にすごいなーと思ったのは、
初めてお会いしたスペースわにの主催のぬんさん、
なんと私の無二の友人である長谷川陽子と友達だった(笑)
このニヤけが出る感じは、お互いに知ってる人じゃないと伝わらないと思うですが、
なんちゅうかモーーー、
濃いよね、つながりが(笑)




私と陽子が同じスタジオでちょくちょく顔を合わせて仲良くなっていった頃、”他の人には絶対に通じない話”をバックヤードの片隅で話していたのはもうかれこれ5~6年くらい前だと思うのですが、
私と陽子は出会ったばかりで互いに共感しまくって一緒にバンバン活動を立ち上げていたあの頃でした。
当時よく北海道での修行話を聞いていたのですが、ぬんさんは当時の陽子の修行仲間だったらしい。
ぬんさんもその頃、東京での仲間話を陽子から聞いていたそうなので、
お互いに陽子を通じて、名前とか顔は知らなくても存在を知っていたのだなと思いました。


「世間は狭い」という言葉では足りないです。


狭いことがポイントじゃないんだ。


狭くっても会えない人は会えない。


会えるってことがすごいのだ。


計算しなくても会えるし、それが神様の計算なんだなと、


また感謝して祈った。










関西の皆さんありがとう。


また行きたいです。