EMIRI MOROKA -HEART MATRIX-

師岡絵美里のブログです♪


2016年4月19日火曜日

身近な老師発見の巻


先日の記事で、中国語学習のことを書きました。

本当に独学しかしていない状態だったのですが、

突然「先生」が現れました。



先日、娘の学校の保護者会に参加した時のことです。

新学期でクラス替えしたばかりなので、初めて会う保護者の方もたくさんいて、隣に座っていた女性も初めて会う方でした。

先生が新学年の説明や年間行事の説明などをしている間、その方は英語でメモを取っていたので、外国籍の方かも、と思っていました。

で、そのメモの中に大きな字で

「整頓」

という漢字が書いてあったんです。

そして「整頓」の上に
[sei don]
と書いてあったんです。

で、ここで日本人の普通の音感覚でしたら

「いやいやいや、整頓はseidonじゃなくてseitonだよ。」

と直したくなるでしょうけど、

中国語は濁音であっても日本語の濁音ほど強く発声しないんですよね。

加えて中国語&ローマ字の関係も、
日本語&ローマ字の関係とは違うんですよね。


   多 duō (意味:多い)

も、「duō」って表記になりますが、耳で聞いた感じ(口で言う感じ)は「トゥアー」って感じ。


よって、[seidon]は、口に出すと「せいとん」になります。

で、

整頓に、seidon って読み方を書いてあるメモを見て、


あ、この方中国の人だ♡


とウキウキする私。


隣だったのでお話できるタイミングもあり、すかさず自分アピール!


”今中国語勉強してるんです!!”と(笑) 

貪欲な私。




で、こっからが面白い展開でした。

その方、Mさんとしときます。

先天的に「教えるのが上手な人」みたいで、

私が中国語学習してると言ったら即座に、とてもナチュラルに、


「私の出身地はここです」

と、紙に地名を書いてくれました。

そして、

その読み方、一つ一つの漢字の意味、
簡体字から日本語で使われている漢字への変換、
間違えやすい、似てるけど意味の違う漢字、
漢字一つ一つを抽出し、その漢字がどういう名詞とか動詞などの品詞として使えるか、
などを、紙に書きながらすらすら〜〜〜っと話してくれたんですねーーー。
気持ちよかったーーー(笑)

中国語の先生やってるとかそういうわけではなく、
普通にそういうことができるんだと思います。才能。

彼女に中国語教えてもらって、私はヨガを教える

という感じで、LINEの連絡先を交換しました。

その後何回かLINEで話し、
なんかね〜〜やっぱり大陸感がいいですね!!
大陸感ってなんだ、って感じですが、
大陸感ですよ。空気。


娘の同級生のお母さん、というつながりで出会えたことも楽しい。
子供にも中国語を教えてもらえたらいいなーーと希望を抱いております。

私の娘は外国語学習が好きなたちで、
私が中国語のアプリで勉強してると一緒に発音したりします。
ゲーム感覚でどんどん発音していき、音は上達してきました。
意味と使い方が伴えばすぐに話せそう。




2016年4月14日木曜日

機能するヨーガ哲学でありたいという思い







しばしば、ヨーガ哲学や思想など、文献の言葉とともに講義をしています。




それを聞いた生徒さんたちの感想というかコメントによく出てくる言葉。







「これ(その日教わったヨーガの考え方)を、自分の生活に取り入れていこうと思います。」







うん。そうだね。それが出来たらきっといいよね。




でもなかなか、いざという時に知っているはずのヨーガの考え方が機能しないこともあるんじゃないでしょうか。







たぶんね、私の意見ですが、




「取り入れる」っていう発想じゃ、おそらく、




変化は起こらないように感じます。




積極性に欠けるのです。




思考ってかなり強力なものでしょ。




考え方の癖って影響力が強いじゃないですか。




だから、「取り入れてみた」くらいのスタンスでは、




元々持っている思考パターンを溶解するほどの影響が起こらないのだと思います。




例えば、濃厚なラーメンのスープに水を2、3滴「取り入れて」みても




まだまだスープの濃さが際立ってますよね。




その2、3滴の水を、もしも休むことなく頻繁に注ぎ続ければ



水の本質の方が上回ってくるかもしれないけど、



ごくたまにだったら、やはりそれまでの濃いスープのまま。




人間の思考パターンの強さというのは時間の経過や反復される中で強くなっていったり結び目が硬くなる傾向にあるので、



たまーに「良きもの」を「取り入れた」くらいでは、



もし仮にそれがすごくインパクトのある教えや考え方だったとしても、



「思い出」には残っても、実際には機能させることができない




・・・と思うのです。







手はいくつかあります。



さっき言ったように、それが2、3滴であっても、

できるだけ頻繁に注ぐ。
頻度、そして間をおかずに注げば、変わっていくと思います。



あるいは。

一回、スカッと入れ替える。

どんぶりのスープを入れ替えるくらいのつもりで、新しいアイデア(ここではヨーガの考え方)にどっぷり入り込んでみる。


こうなるともう「生活に取り入れる」程度のアクションじゃなくなってきます。


自分がヨーガに取り込まれる、くらいな、

ヨーガにおのれがダイブする!くらいな感じスよ(笑)



ま、どっちでもいいし、上記以外のまた別の感性もありますので、


やれと勧めてるわけじゃないです。言われたからと言って強いてやってもあまり意味はないと思ってます。




何が言いたかったかというと、


「ヨーガの教えを、生活に取り入れてみます」


と言うくらいの姿勢ですと、作用するレベルもその程度です。


日常が少し爽やかになるとは思いますが、

人生とか、その人の本質に立ち返るほどのインパクトはない

と思います。

もちろんそれでいいならOKです。


と言うわけで個人的には

スープ入れ替えくらいのインパクトをお届けできたらいいなあ!

という最大限の希望を胸にやっとりますのです、私。

もちろん私は伝えるだけなので、それを受け取り手が「どう受け取るか」をコントロールすることは不可能だし不必要なので、
過剰に願ったり期待したりはしていません。



しかしやる限りは、

人生に機能するヨーガ哲学であってほしいじゃん!

という熱量を込めて、頑張ってます(笑)。




ぜひ、講義に足を運んでください。



暑苦しさと、宇宙レベルでの俯瞰が同梱する、

楽しいサットサンガ(集い)なんです。

(笑)



みなさんのご参加お待ちしています。




東京での開催


■日程:
 <2016年A期>入門初級コース(計12時間)
5月31日(火)13:00-16:30
6月7日(火)13:00-16:30
6月14日(火)13:00-16:30

<2016年B期>入門初級コース(計12時間)
8月20日(土)9:30-16:30
8月21日(日)9:30-16:30 
  
<2016年>発展コース(計8時間)
6月4日(土)13:00-17:00 
6月5日(日)13:00-17:00
 ※入門初級コースに参加されていなくても、ご自身で学んでいた経験があれば発展コースに参加していただけます。





神戸での開催


「師岡絵美里のヨーガ哲学特別講座」

日程:2016年5月8日(日)10:00-17:30

会場:space わに
 〒650-0004神戸市中央区中山手通3-15-11,2F
ホームページ(交通アクセス)
http://www.spacewani.com/


facebookページ
https://www.facebook.com/events/1562029380793743/

お申し込み
申し込み・お問い合わせはこちらのフォームになります。
http://kokucheese.com/event/index/390101/


2016年4月13日水曜日

Yちゃんとバリの神様/充電してる私。








ある意味、今充電中かもしれないです。






幾つかの今までやっていたことをすでに辞めたり、これから整理することを決めたりしながら、新しいことをやっています。







この前の3月、バリ島でのリトリートの後、参加者のみんなやアシスタントのマサくんも帰国した後、自分だけの時間が3日ほどありました。




その間、リトリート中に娘のシッターをしていてくれたバリ在住のYちゃんと、引き続き一緒に過ごしました。




彼女と過ごした時間が、じわじわと私の中で、

とてもいいものとして発酵してきています。







Yちゃんは言いました。




「今、いい感じでモチベーションがあがってるから、

今回はここで考えるのをやめてみる。」




数ヶ月前にいろいろ大きな変化や出来事があったようで、

Yちゃんもターニングポイントのようなところにいたのかもしれない。







ここで考えるのをやめてみる。




と。




そうだね。










Yちゃんは言いました。




「思考だと思うの。思考さえ変われば、何かスカッと開くって思う。だから、今までの思考で考えるのは今はやめて、考えないでいてみる。」







と。









Yちゃんと、私、私の娘とで




バリの虫や爬虫類(?)の鳴き声のモノマネをしてたくさん笑った。







宝石のような蜘蛛を見つけて、3人で長いこと見つめた。







Yちゃんが、バリ人が伝統的な儀式でトランスするとどんだけすごいか、

バリの男たちが本当に集中して踊るとどんだけすごいか


そして人間がそうなった時、その間、

どんだけ「目に見えないもの」がそこいらじゅうにいるということに気づくかを、


目を大きく開けて、今ここで起こっている事のように話してくれた。







一緒にバリ舞踊を観に行った。




お互いに、何回も観たことのある演目。




でも話していたら行きたくなって、行った。




会場が思ったよりも遠くても、歩こう、せっかくだから頑張ろう、と言って。




そう。 




「頑張る」って、こういう時に使う言葉だよなと、旅で、いつも思う。



小さな輝きと、

いつかの世界で約束した何か輝きのために、

心の潤いのために、

私たちは夜道を劇場まで頑張って歩いた。


そういう時には光が私たちを押し進めるから、

8歳の娘も疲れたりしない。

スニーカー履いてきて良かったね、と嬉しそうに歩く。





ラーマーヤナは何回も見ている。私もYちゃんも。




その馴染みの演目を、




Yちゃんは瞬きもしないで、ほぼ2時間立って見ていた。




完全にひとつになって。









ウブドの山側のローカルなところに住んでいるYちゃん。




ライステラスが一望できる家に住んでいるYちゃん。







朝、窓を開けると、神様がいる、っていう話。




バリの朝、




誰が見ていなくても世界は絶するほど美しくて、




白い霧、その絹のような霧に刺す無数の光、




神様の色、音、時が止まること。




Yちゃんの心はバリの神様といつでも一緒で、




彼女が、彼女の大好きなバリでこれまでに見たものは、




彼女の中では「今」この瞬間に再現可能な有機的なホログラムとして命を持っている。




時間というものが幻想でしかないことを、Yちゃんといながらたくさん感じた。




彼女が全身で話すバリの話を、気づいたらずっと聞いてた。




それは私にとって、




心臓のまわりを絶えず流れている聖水を見つめているような時間だった。




それからずっと私の心臓は蓮の花になり、




インド神話では美しい神や女神たちを




「その瞳は蓮のようで・・」




と形容するその心持ちが、そのまま私の心臓にも降り注いでいる。






Yちゃんちの屋上。







いい時間だったのだ。







思い出すと泣けるくらいに。




その時は泣いたりしなかったし、

むしろただ面白いことを言ってゲラゲラ笑って、

同じ店に何回も行ったりして食べたいものを食べて、

アホなこともたくさん言って、

変な顔で踊ったり、

ひどかった恋愛話とか、

今でもどうしょうもない自分そのままに

ただ笑って、歩いて、食べて、

寝転がって空を見たりしていた。







でもふと、いつでも、どの瞬間でも、神様がいた。







そのことに泣ける。





いつでも起こっていることなのに、


人は、複雑な環境の中にいると



そのことを感じなくなる。




それがどうにも面白く感じないので、




幾つかの自分に付随する案件を整理することになったのかもしれない。




もちろんそれは後付けの解釈でもある。




思考を止めたらそんなこと関係ない話だ。










Yちゃんとの、バリとの、バリの光と神様との時間が




ただ意味もなく良かったもの、なのだ。




顔に見える。しかもバリの伝統芸能のお面に似てる。そっか・・と思った。






というわけで、見た感じ脈絡は通じてないが、





ある意味私は今、充電中なんだろうと思う。







それでも私はいろいろやってるので、




人から見ると発電しながら走ってるかのように見えるだろう(笑)。





でも、人は動きながらでも休んだりできる。


爽快に走ってる馬は、それそのものが休息だろう。


そんな感じだ。










Yちゃんちのベランダから。





人間は、変化可能な生き物。

変わっていくことの中に、いつだって良き面を見つけられる。



読んでくれてありがとう。


師岡絵美里
















2016年4月11日月曜日

ひとつの体、ひとつの魂、




瞑想をすることの良さや重要性、というのは




年月、歳月、年を重ねていくごとに




どれだけ重要なことかということか




その理解が深くなっていきます。







そのたびに、




今まで自分が関わることを許された数々の先生方や先輩方への敬意が増します。




今も私は未熟だけど、もっと未熟だった若いころに出会った先生や先輩には、己の理解と経験の少なさから、




その優しさや、深い教えや、経験から来る洞察の数々を




まるで水道の蛇口をひねればお水が出てくるのが当たり前かのように




無邪気に飲み干していたことを思うと




もう土下座したい気分になる。







でもそれは仕方のないことでもある、というのが今はわかる。




そうやって人は、交代しながら人を育てていく。




人に対して敬意を持つことというのは、この人生の学びのメインテーマのひとつだから。




先人への感謝と、ある意味でのお詫びは




自分が今ないしは今後関わる人たちへの寛容さの中で




返していくものなのですね。







瞑想をしているとこういうことにも気づけるのがありがたいです。




若いというのはそれだけで素晴らしいことだと思うけれど、




でもそれは、人間が歳月を重ねることをネガティブに捉える理由にはならないのです。






若さと老いは、反対の意味の語ではないのです。










年をとるのは、自然だから、素晴らしいのです。




特に最近そう思います。







人は肉体が老いて朽ちることに恐れを抱くものですが、




でも、私は高齢の老人をじっと見ると、希望を感じます。




どんな人生であったかは知らないけれど、

歳月を重ね、

もうすぐその肉体を卒業する期日が刻々と近づいている。

肉体というかりそめの衣服を全て脱ぎ去るという魂の一大イベントが近づいています。

それは赤ん坊として生まれることと等しい、素晴らしい現象です。


老いることと経年することに、こちらの心を完全に開けば、肉体の中の一つの魂がそれを理解していることや、それに無関係であることも伝わってくるから。



もしも肉体が全く変化せずに、ずっと同じ肉体に同じコンデションで、際限なくそこにいなければいけないと考えると、そちらの方が恐ろしく不自由に感じます。

それがたとえ「若い」肉体であっても。不自然なのです。



生きることは

死ぬことも含めて自然だからこそ、美しい。




自然であるということは、本当に美しいことです。

























サイン、そしてアクション。



神様からの一瞬のサインを見逃してはいけない。

と思います。


サインはその時心にパッと光を与えてくれるものなので

必ず何か感じているのですが、

でも日常の中でその一瞬の啓示を

徐々に忘れてしまうものなのです。


光ったら!すぐに行動!

ですね。

そこで行動できるかどうかが、決め手、すべて、ですね。

その「行動」が「休むこと」であればそれもまたアクションの一つだと思います。




いつもいつも思うのですが、

本当に必要なものってぜんぜん「たくさん」はないんですよね。

ごく限られた「これさえあれば!」というもので人は幸福でいられます。

その幸福に至る道はとてもシンプルで

多くを持ちすぎないで、必要なものだけを心から希望していれば

きちんと支給されるわけです。


欲張ると不幸になるのは絶対だと思います。

欲張ってはいけない、とか思うその葛藤も必要ないし。

我慢とかではなく、ただ本当に必要なもののサイクルの中で

与え、与えられて、生きていれば

人の人生は完成するのだと思います。


バカヴァッドギーターの中に書いてあることと同じですね。


サインを見逃さないで、あんまり抱え込んで遠回りしないように、

神様に今日もお願いしよう。

自分のありのままを生きることができますようにと。



2016年4月10日日曜日

勉強が好き。





みなさんこんにちは。

師岡絵美里です。

充実した日々を送っていますか?

私は、とっても。


私、言語ってもの自体が好きで、どんな言語でも興味があるんです。
全部に取り掛かる時間がないだけで、でも基本、興味ありなんです何語でも。

言語の古典となるともっと好きです。
高校生くらいの時は、考古学者になって古代文字とか文書や当時の言葉を理解したいとか思ってました。
その頃から日本の古文が好きすぎて、平安言葉で作文するのが好きでした。オタクですね。


で、英語は元々好きで、この二年ほどゆっくりだけどフランス語をやっていて、

バリに行く機会が多いのでインドネシア語も話せるようになりたいなーと思いつつ、



昨年11月頃から、中国語の学習を始めました。
同年12月に、一から始めたばかりで勉強期間が一ヶ月もなかったにもかかわらず、中国語の検定なるものを初めて受験しました。


大学の校舎で試験があるので、受験生の時の気分を思い出しました。
おそらく学校で授業を取っている大学生たちの姿もたくさん。混ぜてもらってるみたいで楽しかった。
かと思えば、親子で受験していて、お母さんと小学生の息子さんが同じ級を受けていたり。
年配の方もたくさんいました

みんなそれぞれに、中国語を勉強する目的やっ心持ちがあるんだろうなと思いました。
私は、大それた目的はないのですが、ただ学ぶことが好きです。
特に異文化の言語は、触れているだけで思考が拡大する感じが好きなんです。


で、ひとまず低い級から二つをパス!!

試験前の一ヶ月、1日一時間半くらい集中して勉強しました。

基本的に自分大好きな私は、勉強中に最も難しいと感じていた「聞き取り」が、
なんと検定で満点だったりしたことにかなり美味しさハイパーで味をしめてしまい(爆)、

好きかも♡中国語
イケてるかもあたし♪

とか思ってしまい、調子ぶっこいてその後も地味〜〜に勉強を続けています。



どんだけ地味かっていうと、

まず継続する上で、あるルールを課しています。


(1)できるだけお金をかけない

(2)時間もかけすぎない

(3)1年後までに初歩日常会話くらいは行けるようにして、
お世話になった東洋医学の中国人の先生に突然中国語で話しかけてびっくりさせる!!!(これがメインかな、笑)


インターネットには様々な誘惑が充実しているので、ちょっと欲が出ると教室に通いたくなったり、通信の講座があるじゃんとか目が輝いたりしてしまいがちなのですが、

いーや、お金かけないでやるって決めたじゃん。

と、思いなおします。

昨年11月から今までに中国語にかけたお金は、

検定のためのテキストと過去問題集は合計で約一万円。

スマホで活用できる検定用の単語帳や聞き取り練習のアプリ、
アプリ内課金ありでとりあえず上の級まで全部をダウンロードして2000円くらい。

DVDで発音、声調を指導してくれる入門的なテキスト、2000円。

このくらいです。

今後も級が進んでいけば検定用のテキストは買い足しますが、基本的にはこのラインナップの延長線上で、それ以上は買わないで上達しようという魂胆です。

でもやっぱり、検定用のテキストとその勉強だけなので、
試験をパスしたところで実際に中国語で「やりとり」できるかというと、全然です。
リアル中国語経験がまだ少ないのです。

なので、たまーに、職場の近くの銀座のマツキヨとかに入って、中国人の店員さんと爆買い中の中国人旅行客の会話を聞いたりしてます(爆!)。

この場合、マツキヨはいいです。
銀座のApple Storeも中国人だらけですが、アップルスタッフはほぼ英語、
仮に中国語だったとしても最新i padとか最新macのスペックの話とかだから内容が偏る(初級者には全然わからないのだ!)。

でもマツキヨだと、

「ああこの色いいわ〜♪」

とか

「(店員)私もこの〜〜が好きです」

「こちらもきれいですよ」

「新しいです」

「歯磨き粉ならこれがいいです」

みたいな、簡単な言葉のやり取りも多く、内容も庶民的な会話だからです。


(2)の「時間をかけすぎない」というのも大事で、
実質そんなに長い時間勉強するほど時間もないのです。
なので、この30分集中する!
とかで娘も巻き込んでアプリでゲーム感覚で単語練習したり、
仕事の合間にカフェで問題集解いたりとか、そのくらいです。
この感じでどこまでいけるかな〜
級が上になったらもっとやらないといけないだろうけど、
今のところこの感じなら続けられそうなので、もう少しこのペースでやってみます。


そんな「勉強が趣味」の私の次の視野は、

次の級の試験を6月に受けようと思ってまっす。
でもこれも記述のテストなので、こればっかりやってても実践的ではないので、
12月にスピーキングの試験があるので、そこまでには簡単なところからでいいので「発話」できるように、進んでみます。


フィジカルワールドでは「目標」をうまく使って自分にタイムリミットを与えてあげた方が先に進めることも多々あり、と思ってる現実好きの私でした。


てか、こんな独りよがりな内容、読んでくれてありがとう。




2016年4月5日火曜日



先週、上野にボッチチェリの展覧会を観に行きました。


桜満開の時期だったの上野公園はお花見の人でぎゅうぎゅうでしたね。


桜はとても綺麗でしたが、自撮り棒の多さに少し疲れました(笑)


棒にぶつかるし、通行進路を遮るし、急に止まるし(笑)


それはそれはもう、なんと言いますか、


さすが自撮ってるだけあって他は見えていないんですね。


ま、ひとつの現象、しょうがないっすね。


上野での自撮り棒使用は圧倒的にアジアの人が多かったです。


翌々日くらいに打ち合わせでマサくん(このブログのバリとかダンス系の記事読んでくださればマサくんが誰かわかりますので説明はしない)に会い、


アジア圏民自撮り棒炸裂の話をしたら、


欧米系の人も負けてないらしい。


「原宿とか行ったらわかりますよ!」


とのことで(笑)


なんでも知ってるなーーーマサくん(笑)




今週は陽子ちゃんの結婚式なので、余興の準備とかでちょっとワラワラっとしつつも、


春のせいかどこかほっこりな日々です。



少し自分の時間も多くなってきたからだと思います。



いろいろ収束させている最中ですね。今後の活動などすべて。

より、私ならでは人生を進むために。


桜が愛おしいのは、終わるからだと思います。


美しく咲いてすぐに散って、新しい緑の季節を迎えますね。


卒業しつつ、育んだ種を咲かせていく、ただそれだけのサイクルです。


人はいろんなことに執着するけど、失うときだけワーワー騒いで三日もすれば慣れます(笑)


まあそれもいいよね。人らしくて。


って思えます、最近。


ちょっとづつ心の純度を上げていけば


だんだんと自然に執着がなくなっていくことがわかると


人を急がせようとは思えなくなる。