EMIRI MOROKA -HEART MATRIX-

師岡絵美里のブログです♪


2020年12月23日水曜日

スマホを捨てたい、という衝動について。

雑記コラム

スマホを捨てたい、という衝動について。

最近、スマホをもう持たないでいたいな、と思う時がよくあります。

実際は日々の生活でも仕事でも不可欠なものとして使っているのでいきなりぽいっと捨てたり解約したりということはできないのですが。まずもって連絡ツールとして使っていますのでね。


でも・・・ガラケーとかに戻りたいなあ、とか思います。
いろいろ機能を搭載したスマホが、そこにいるだけで「うるさい」のです(笑)。


20代初めの頃に、一人暮らしをしていた家のテレビが故障して破棄したのをきっかけに、それ以降私は自宅にテレビを所持していません。テレビがないってこんなに静かで、こんなに心が軽いのだなあと思ったものです。実家に帰省した時に当たり前にテレビがついているのに違和感を感じたのですが、それは自分の暮らしではなく親の暮らしの要素なので、文句や意見は言いませんでしたが、やっぱりテレビっていらないな、と思ったわけです。

うっとおしく感じるならテレビがあってもつけなければいいじゃん、見たい時だけつければいいじゃん、と思うかもしれないですが、いいや、そこにテレビという代物があるだけでいろいろ「発している」ものがうるさいのです。電源をつけていなくても、テレビは存在自体が何かを放送しています(笑)。ですので、それ自体がないことが重要なのです。

テレビってヨーガ理論の言葉で言うとすごく「ラジャス(激質)」な物質で、画面をオンしていなくても「ほーら、いつでも待機してまっせ、すぐに電波と情報垂れ流しまっせ」と「言っている」存在に、感じるのです(笑)。この件は、なにも私が神経質なたちだからというわけではないと思っています。というのもヨーガ先生仲間の多くはテレビなしの人が多くて、そしてテレビ自体の箱(筐体)が放っている周波数、テレビのある実家や友達の家などに行った時の感覚など、似たような感覚を持つことが多いのですよね。わかるわかる、と。人の家だからいいけど、自分の空間にはいらないよね、と。それはテレビがなくなって、ない生活に慣れてみないと感じないことかもしれません。


で。最近、スマホにそれを感じます。

見なければいいのですが、そこにあるだけで「放っているもの」や、その「可能性」がうっとおしいのです(笑)

あはははは!

可能性がうっとおしいって!!スマホなんて「可能性」を売っているようなものだよね(爆)!


 もうあなたは山にお帰り・・・

と、ナウシカに言われそう。



そのたくさんの可能性を便利に実現してくれるツールですし、スマートフォンって「その時その場でやれること」が多いのが最大の特徴であり人々に使われている理由でしょう。

でもそれが、私にとっては気を散らすものです。(みんなもそうかな。)

空いた時間や、ちょっとした退屈の時、気晴らしの時などにスマホを開いてオンライン状態になると、そういった「なんでもない思考空間」「余白」と言ってもいいかな・・その中だけで起こってくるアイデアやインスピレーションが、とたんにどっかに行ってしまうんですね。それは私にとってひどく重要なことで、スマホを開いて雑多に時間を紛らわしている時にインド思想について深く考えたりはできない。


他の人との共通性(スマホ持っている同士だとできること)などにこだわったり執着しますと、どんどん自分の「余白的思考空間」が情報ややりとりで埋まってしまうのです。


うーんやっぱり、

あなたは来たところに帰ったほうがいいよ・・

と千尋に言われそう(笑)。


なのでバランス取って、「要件のみに使っていたい」というところに今のところは落ち着いていますが、要件だけでいいならば、スマホではくガラケーでもぜんぜんいけるな、とも思うのですね。とりあえずは、スマホ内からいろいろアプリを削除したここ何日。必要なものだけに整理。



では今日も、スマホの恩恵に預かる1日を過ごします。


ナマステ

EMIRI







 



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