EMIRI MOROKA -HEART MATRIX-

師岡絵美里のブログです♪


2019年11月21日木曜日

脳内エクスタシー体験♬インド思想の時代的地図を作るのだ。


今並行して読んでいるヨーガ&インド関連の本が、

・「マヌ法典」(岩波文庫)
・中村元先生の「インド思想」
・佐保田 鶴治先生の「ヨーガ根本教典 (続) 」
・「世界の歴史(6)古代インド」 (河出文庫)
です。他も読んでますが、この4冊メインで。




並行して読むことで何を理解し、なにをしようとしているのか、というおとを書いてみよう!


(1)「マヌ法典」(岩波文庫)
ヴェーダに権威を起き、連綿と続いたバラモン教の社会の構造。そして「バガヴァッドギーター」の唱えるところとの照らし合わせになり、ヴィシュヌ系のヨーガと当時の社会背景がつながる。


(2)中村元先生の「インド思想」
こちらはヨーガではなく仏教の本。
ブッダの出現と仏教の盛り上がりによってバラモン社会にどのような変化が起こったかと、インドにおける仏教の時代ごとのカラーから、当時の人々が何を望んでいたのかを読み取る。
(これに関してはさらに並行してジャイナ教関連も読むべきだとは思っているが、ちょっと欲張りすぎなので今はがまん。)


(3)佐保田 鶴治先生の「ヨーガ根本教典 (続) 」
これは「ゲーランダサンヒター」や「シヴァサンヒター」を知るための数少ないシヴァ系ヨーガ日本語本として。ありがたや。


(1)&(2)の本で理解されるヴェーダ系とブッダ系の流れとその拮抗のさなか、さてバリバリのシヴァ系ハタヨーガのみなさんはなにしていたか。
これおもしろいですね。編纂時代は違うけどそこを理解しながら照らし合わせするとかなりおもしろい。


よっぽど苦行ブームだったんだろうと思います。
(1)のマヌ法典によって「四住期(アーシュラマ)」の施策を講じないといけないくらい社会生活から離れようとした禁欲苦行主義の熱量高い修行者にとっての「解脱」の魅力とは、というあたり。



あとはね、ヴィシュヌ系、シヴァ系、そして仏教の影響系、
『系』を理解するのとても大事で、ここ無視すると自分が実践しているヨーガについての根っこも思想もわからないというとてもカジュアル放浪的なヨーガになってしまい、それだけならまだよいのだけど「体のヨーガ」と「哲学のヨーガ」で対立したり、あっちの先生はこう言っていた、こっちの先生はこう言っていた、どっちなの〜〜〜的に迷ったりしてしまうのです。


ここを意識してヨーガに関わっている(教えている)人のあまりの少なさという日本のヨーガシーンのちょっとした・・でも大きい問題に、そのうちなにかしらの提示を、と思っている、まだしないけど(笑)。

だって日本には『サービス系』があるから(わあ!笑)
それはそれで市民権もフィジカルな恩恵もあるから、慎重にね。
理論や、向かっているところが違うものを同じ土俵で刺激して拮抗させても意味はない。共存する上でお互いを理解しようよ、というところだと思っている。




(4)「世界の歴史(6)古代インド」 (河出文庫)
これは、当時のインドに「外圧」を与えた周辺諸国の動きを知るために。自国だけで牧歌的に過ごした時代と、他国からの影響で存続も危ぶまれる時、かかげる思想を変えないと太刀打ちできないことってのはあるわけです。日本もそうだったように。なので、
バラモン教ほぼ!
仏教などの新しい思想!!
舞い戻ってトランスフォーメーションかましたヒンズー教!!
と変遷していった『理由』の流れだね。
諸外国からの外圧が加わることで起こった思想ムーブメントと当時の政治的宗教イノヴェーションを知るために、外も含めての歴史は超大事なのです。

こんな感じです。

で!



それでこの『同時多発平行読み』で何がしたいかってゆーと、『時』の地図を作ること。




インドの特に思想系の学びって「時系列」とか「年表」みたいな、「いつのこと」という視点が重要視されていないという、外国人が学ぶためには俯瞰しにくい要素がある。

外国人:え、で、これいつ?
インドの人: むかしだ。

外国人:この聖人はいつの人?
インドの人:各時代にあらわれた。

みたいなね。

もちろん時系や年表的な見方ってのはそれぞれの思想や哲学を単体で掘る時はそれほど必要ない場合もあるのだけど、でもね!! 
大事なことは、思想や哲学というのは必ずその「時代がどんな状況だったか」で変わっていく。それはどの地域のどんなものもそう。
だからつまり歴史の変遷や政治がどんなだったかを知り、「この時に」「この思想が起こった」という「いつ」という視点をいれることでもう、い〜〜ろんなことが合点がいくようになるのです。
ヨーガ哲学むずかしーーー!
って言われることもあるけど、それはこの時系列感と当時の社会観がないので想像しにくい、というところも大きいのです。

上記の4冊のようにいくつかの「時代」と「視点」の違うところに置かれた「インド」を読むことで、歴史的な背景上のどこに「それ」があるのかがわかってくるのです。
すると「時間軸を含めたインド思想の地図」なるものが自分の頭の中で展開されていくのです!!!
これはもう脳内エクスタシーとしか言いようがない。

(なげえ〜www)

そんで、学んだことは来年の講座でおもしろくシェアしていこうと思ってますので、どうぞこのオタクな私を応援してね♬ふふふ。


上記の本もよかったら読んでみてくださいね。

ナマステ

2019年10月28日月曜日

アヒンサー(非暴力)について考える



ヨーガ哲学の教えの中の超重要項目として「アヒンサー」というものがあります。非暴力・不殺生などと訳されます。他者への暴力的行為や、その発想自体を禁じています。



一般的にですが、目に見えてわかりやすい暴力ならば、そこまでいく前に自制が効いて行為に起こすまでは至らない場合もありますね。
「これはまずいだろ・・」と自分でも思うでしょうから、そういうわかりやすいレベルのものは自戒が起こると思います。(一般的な精神でしたら。)



しかし無意識に人を傷つけてしまうこともあるだろうし、また暴力だと思わないでやってしまっていることもあるわけです。

そこに気づくには、自分の見識を整えたり、心というものを常に見張っている冷静さが必要になりますね。



また、わかっていてもふるってしまうものもあると思います。

イライラして人に当たったり、外では人に優しくても相手が家族など近しい人になると、不満をそのまま露骨にぶつけてしまったり。


覚えておきたいのは、冷静さを失ったり自分しか見えていない状態になると、人は自分の思いや行為を正当化しようとします。


「怒っている時」というのは、どんな要素であっても「自分を正当化するための材料」にできてしまう勢いがあり、怒るのは当然であるという偏った思考に支配されている場合がほとんどです。そして相手にダメージを与えることに疑いのない心理状態になります。


こうなると、相手にダメージを与えたり、なんらかの納得がいく結果を結ぶまではなかなか落ち着かなかったりしますね。


そして目に見えている現象のほとんどが不満に見えてきます。







アヒンサーを実行するうえでの考え方で、よく紹介するのが以下の提案です。


「不満を解消するために他人を使わない」


不満が心の中にあったとしても、その不満を晴らすために他人をコントロールしたり、他人でうさ晴らしをしない。


テレビやインターネットを観て、その中にいる人に文句や誹謗をあたえるのも、(本人に届いてはいなかったとしても)自分のエネルギーを暴力的に使っていることであり、そういうあり方は実際に関わる人にも向けてしまいがちなので、おおいに気をつけたいところです。



解決を見出す努力や、調和的な心を持とうとせずに不満や誹謗だけをぶつけるのは、自分自身が怠惰な心のサイクルにいるのだと気づくことが大事だと感じます。


怒っても、なげやりにぶつけても、けして幸福にはならないということを認める必要がありますよね。



「不満を解消するために他人を使わない」

これ、ちょっとトイレの壁とか冷蔵庫とかに貼っておくといいかも(笑)


アヒンサーでした。


ナマステ




 


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最後までお読みくださりありがとうございます。

ナマステ
EMIRI

秋の音楽



サイトから発行しているメルマガで、好きな音楽アーティストのことを少し載せたら、もっと聞きたいと言ってくださる方がけっこういましたので♡
好きなアーティストについてをちょっと載せます。


洋楽で好きなアーティストもたくさんいますが、秋のこの季節はやっぱりR&Bやソウルミュージックがいいなあ。

ノラ・ジョーンズなんていかがでしょう。
アメリカ人ですが、お父さんはなななななんとインドで最も有名な音楽家と言ってもいい、かのシタール奏者ラヴィ・シャンカル。血がすごすぎて倒れそうになります(笑)。


デビューした時点ですごくシンプルに洗練されていた彼女のように思います。偉大なお父さんのもとで育った期間は短いのかもしれませんが、彼女の中におそしいほどに音楽的才能が凝縮されているのだなあと感じざるおえないです。

幼い頃の両親の離婚と、彼女の幼少期の孤独、少女時代の音楽的好奇心とそれを補うアーティストたちとの出会い、そして音楽に対する生来の安定感なのか、はたまた人生経験の豊富さなのか、ノスタルジックで時に突き抜ける歌声に彼女の多くの魅力が表れています。

そしてなにより彼女の姿が美しいので、ライブ映像のリンクを載せておきます。

Norah Jones
https://youtu.be/tUEJkwA1VI4

みなさんはどんな音楽が好きですか。


2019年10月25日金曜日

金木犀と韓流おんがく。



こんにちは。師岡絵美里です。


ご愛読ありがとうございます。
 
なんとなくいろいろとあっという間にすぎる日々でした。

そうこうしているうちに、冬っぽい気配が濃くなってきました。


この時期私の住む街は金木犀の香りにあふれていて、大好きな季節のひとつです。
なんて心が落ち着く香りなんだろう、と。

少し窓を開けて金木犀の香りの中で書いています。

あまり取り上げてきませんでしたが、ちょっと音楽の話を。


好きなアーティストはたくさんいますが、その時のバイオリズムによって聴くものは変わりますよね。


最近よく聴くのが、韓国のアーティストのTea yeonです。(少し前の大人気アイドルグループのメンバーですが、歌唱力高すぎでアイドルにおさまれないところがたまらなく好き。
彼女のバラードがとっても好きです。

♬Rain
https://youtu.be/eHir_vB1RUI

この時期の香りにぴったり。ほかにもいい曲たくさん。


みなさんはどんな音楽が好きですか。

2019年10月1日火曜日

心の科学としてのヨーガ哲学


心の科学としてのヨーガ哲学


私の領分である「ヨーガ哲学」って「真理探求」なのですが、そのプロセスの中で必ず通らなくてはいけないところが「心理」です。


ヨーガ哲学は最終的には真理を獲得していきたいという道のりなのですが、実際に多くの時間と考察を重ねて解析する領域は「人の心」で、その作業は「人の心に関するエネルギー学」と言ってもいいものだと感じます。


ヨーガの教える「物理理論」のもとに、心というものを解析していきますと、一見ヨーガと関係なさそうなこの世界の様々な事象がヨーガ的思考のための検証対象になってきます。


人間の心のエネルギーがどのように動いているのかが検証対象になるので、社会情勢なんかはもうその筆頭になってきますね。


この検証が一般的な認識作業とやや違うのは、見る際に感情が介入しない(感情がなくなるわけじゃなく感情優先で観ない)、ジャッジなき考察をするところにあると思います。そういう意味でもヨーガ哲学とはとても科学的な姿勢で行われる作業で、好き嫌いとか肯定否定、善悪とか優劣というジャッジなしに見ていくのですね。



こういう思考方法に長年親しんでもはや慣れてくると、日常にもけっこうな恩恵があります。


そのひとつが、人のことをむやみにジャッジしなくなることです。好きとか嫌いだけが先行することがなくなり、感情にハンドルを握られることが少なくなっていくことです。



時々、ヨーガ哲学に興味を持ち始めたばかりという段階の生徒さんに言われることがあります。


「ヨーガで推奨されているような教えができてしまうと、感情がなくなってしまうのですか?」


と。


この質問にはほとんどの場合、
「それはなんかいやだなあ、感情は味わいたいよ」
という思いや、人生の喜びや人間らしさも失うことのように感じている感触が伝わってきます。



現代人の感覚ですと発想にもないことかもしれないのですが、感情を自由に使う、使いたい時には使うし、出てこなくていい(出てこない方がいい)場合は制御する、ということがヨーガの訓練の中で可能になっていくので、今は喜びたいと思ったら感情を使えばいいのです。古代の卓越したリシ(聖仙)たちがとっていた精神的態度です。


とはいえ、そんな心理的なコントロールができるようになってしまうレベルに達する頃には、「喜び」や「悲しみ」などの定義も高次のものに変わっているので、実際は感情的になることを欲さなくなると思います。


感情の後ろに隠されているとても静かな心があり、そこにいることのほうが魅力的になってきます。


そこにアクセスすることができるということを多くの人に知ってもらいたい。そう思います。


ヨーガ哲学は初歩の段階でも心の保ち方に役立つ教えがたくさんあります。むずかしそう、というイメージもあるかもしれないですが、一歩踏み込むとそこには新しい世界が開かれています。


♫共に学びたい方はぜひ講座をチェックしてみてください。




<受付中のヨーガ哲学講座>

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2019年9月29日日曜日

質問・相談コーナー「甘いものを食べすぎてしまう」


生徒さんからの質問・相談コーナー


Q:甘いものを食べすぎてしまうのをやめるにはどうしたらいいですか。

はい。



<肉体的アドバイス>

身体的なこととして。

実は甘いものじゃなくて、塩分、ミネラルが不足しているという可能性があるかもしれないですよ。甘いものが食べたくなったらまず水を飲んで、そしてちょっとしょっぱいものを(たくさんじゃなくね)つまんでみるといいかもしれないです。


甘いものを食べるにしても「ちょっとにしておく」ことができるといいですよね。一袋開けちゃう、とかじゃなくw


そんな時に思い出してほしいのは、脳に酸素を送ること。脳の酸欠や血液不足をごまかしたいために甘いものがほしくなっている可能性あり。
知っているものでいいので呼吸法を5分やって新たな酸素を送り込んでください。

甘いものは悪じゃない。摂りすぎは体に良くないことと、その依存性の高さにやられてしまうのが問題なのですな。







<心理的アドバイス>

壮大な視野に持ち込む作戦、あるいは懐柔は蜜よりも甘し。



「甘いものを食べる」という習慣ではなく、「甘いものが食べたいと思うこと(欲しがること)」が習慣になっているケースが多いと思うのです。食べちゃう理由ってこれが一番のような気がします。

気持ちの癖、ですね。


甘いものを買いそうになったり、見てしまった時に、

「あ、要らないものだ」

と最初は無理やりにでも思ってみてください(笑)。

どん〜〜どん、大げさに考えるといいです。


「あ、要らないものだ」


「あ、要らないものがこんなにもたくさん並んでいる」


「あ、要らないものなんだけど、さも要るように広告されている」


「あ!要らないものなのに、こんなにも人は手にとっていく」


「パッケージの写真を見ただけで、味覚が反応し脳内の分泌に変化が起こるという感覚的な体験はもうすでに始まっているのだ・・・だから手にとってしまうのだ・・・」


「むうううう・・・要らないものを要るを思わせている権力が、この世界にはたしかにある・・・」


「踊らされてはいけない。“甘いもの”は表層に現れたシンボルにすぎない。私たちは人生にさほど必要なく、もっと言えば思考停止に陥って本当に必要なものを見失う麻薬を、必要なものだと思い込まされているのだ。」


「わたしたちは感覚を麻痺させて制御するという支配構造の中にはまっている・・・しかしそのわなに自ら入っていっているのは・・・

わたしたち自身じゃないか・・・!」


「おお!神よ・・・・」




はい。
このくらいいきましょう。習慣に勝つには習慣を圧倒するほどのインパクトが大事です。

アホみたいだけどやってみてください。
お菓子ひとつ買うにも、だんだんと「問題」を抽象化していきます。

なにをおおげさな、と言うだけの人は変わらず習慣と感覚の奴隷でしょう。ばかばかしくてもやってみる人だけに、その人に必要な気づきと変化は与えれます。




と言いつつ私だって完全に甘いものなしじゃないし、美味しく感じることもよくあります。

和菓子系のしっとりした甘さが好きだ!

でもね、ちょっとでいいし、たまにでいいので、甘いものの食べたさにに束縛されている感じはないんですよね。なのでそんな大問題じゃないし、想念の煩わしさはないのです。


甘いものを欲してしまう時、甘いものからの束縛感や、服従してしまう感覚が「苦」なのだと思います。



だったらもうこっちが甘いものを征服してやればいいです。

(極端な発想)



甘いものが目の前にあったら言ってやったらいいですよ。


「なるほど、君はそんなに甘いものなのか。じゃあそのままそこでじっとしていなさい。私は君が甘いという理由だけで食べたりはしないから心配することはない。そこで自由に甘くあれ。いずれ他の人間に必要とされるであろう。」



とかね。もう上から目線ですよ(笑)。

てゆうかこれ、甘いものを服従させるのではなく、自分の思考の操作ですね(笑)。

だいたいのことをユーモアで乗り切る、ということで。あはは。







<真理的アドバイス>

ヨーガの精神性でアドバイスします。



バガヴァッドギーター3章より

「神々の祭祀に捧げないで与えられたものだけを享受するものは盗賊に他ならぬ。

祭祀(祈りとしての行為)の残りものを食べる善人はすべての罪悪から解放される。

しかし自分のためだけに調理する悪人は罪を食べる。」





ここに出てくる「祭祀(さいし)」というのは、神に祈りを捧げる行為のことでありその儀式をさします。



まず自分の家に「祭壇」を作ってください。
祀る神様はご自分の信仰や好きな対象でいいです。

祭壇に「甘いもの」をいったん置きましょう。

世界の中心は自分ではなく、自分は世界そのものの運行に参加していて、それは大いなる存在によって生み出され支えられ、そして肉体と魂の人生は宇宙や地球環境に支えられている、それが自分であることを考えてください。


その他なんでも、自分のことはちょっとおいといて、この世界に祈ってみてください。


そのあとで、祭壇に捧げた「甘いもの」を


「祭祀の残りものをいただく」



という発想で食べてください。

やってみてください。自分の五感を満たそうと貪る気持ちがなくなっていると思います。


ギーターのこの節は、「食べる」ということをその他すべての「行為」の象徴として語っているので、食べることのみを言っているのではありません。


食べるも含めて「行為」が無知(真理から遠ざかる質)に置かれていると、それは罪悪(真理から遠ざかる結果)になります。


祭壇までいかなくても、食べる前に手を合わせて祈ってみてください。外出先でも可能ですね。

五感を満たそうとする欲求から心を引き離した瞬間を少し持つだけでも、貪る気持ちが薄まって、そのあとの行為の質を変えてくれるはずです。



まあね〜〜〜、甘いもの食べるために祈ったり儀式したりwww
だい〜〜ぶおおげさに感じるかもしれないですが、でもそのくらいおおげさにやってみるといいと思いますよ。

ちょっとやそっと気をつけようと思っても、これまでの習慣や味覚の快楽に巻き込まれてしまうようであれば、このくらい非日常的でインパクトのあるおおげささで発想の転換くらいしないと、やっぱり五感って強いので簡単に変えられないと思います。





<まとめ>

「甘いものが好き」と「甘いものを食べるのがやめられない」は別のことですよね。でもなんかいっしょくたになっちゃって「だって好きなんだももももん」とか言ってしまうともう、誰もなんも言えなくなります。後者の方は、ようは「不自由」に困っているのです。感覚に支配されちゃっているので不自由なのです。

そこをよく考えて、いったい何を満たしたいがために感覚を満たすのかを考えてみてください。

なんであれ「癖」に流れるというのは、けっこう不自由なものです。




というわけで、甘いものはおいしい。そこは否定せずでいいと思います。マロンな秋ですね❤️

namaste
 EMIRI

考える事の必要性ー知識は浄化の火ー


オンラインで行っているヨーガ哲学のコースでは、参加者の方に学習と考察のレポートを送っていただいているのですが、そこで多くあがってくるのは「視点」や「物の見方の変化」です。


最初のうちは「自分の心」というものをどう見るか、というところが多いです。悩んでいたことや考えていたことに対して、ヨーガ哲学の観点からの考える材料が入ってくるので、まずはやっぱり自分のことを考えますね。


それはとてもいいことだと思うし大きな恩恵だと思います。ヨーガ哲学が力を発揮できるところのひとつが「個人の心の救済」だとつくづく感じます。


なのですが、もちろん自分のことを考えることも続きながらも、だんだんと「今生きているこの社会って本質的にどうなってるの?」というところにもヨーガ哲学の視点が与えられてきます。これは、よいだけではなく必要なことだと感じます。


ヨーガ哲学の観点が入ると、社会についての見方もそれまでと変わってきて「今まで見えていなかったもの」が見えてきます。


「今まで見えていなかったもの」が見えてくると、またそこで疑問も湧くし、ものによっては葛藤も湧くのですが、それらが湧くというのはいいことで、そこから考えていこうというきっかけになります。


逆の言い方をすると、「当たり前」と思わされ、考えることもなく思考停止し、長いものに巻かれていた人生に気づくんですよね。


これは本当に人生に重要なことで、「これが普通」と片付けたり「当たり前」に迎合し、それにすら気づいていない事は、最終的には危険なんですよね。どんどん歳だけをとって、自分で考えることができなくなります。ないしは既存の考え方のパターンでしか考えられず、今までその考え方でうまくいっていないからこそ悩みや苦悩が消えていないのに、まだその考えを捨てていないという事実にも気づきにくくなります。そうなると文句や嘆きしか言えなくなったり、被害者のような気持ちになっていきます。
長い年月をかけて。


人間はやはり学び続けることが必要で、それは「救済」になると感じます。

ヨーガ哲学でなくてもいいのですが、今まで学んだことがなかったものを学ぶのは、自分のことにせよ世界のことにせよ、見る目線を更新し考える能力を与えてくれます。


ヨーガの経典「バガヴァッドギーター」では「知識は浄化の火」と語ります。本当の知識は思考の汚染を払ってくれる火であり光なんですね。

そんなことを常々、つくづく感じています。


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