こんにちは、エミリです。
今日はちょっと、娘との対話を書こうと思います。
私の毎日は、彼女とのヨーガ的対話に支えられています。
11歳の娘と、毎日ヨーガ哲学で、いろんな話をします。ほぼ毎日。
最近はヨーガ哲学の基本中の基本である「グナ*」についてを彼女はわかりたいようで、「自分のことを自慢する男子」についてお題を投げてきた(笑)。
なかなか小学生らしいお題でかわいいのですが、うちの食卓ではそれが哲学の議題になります(笑)。
*グナ:物理的次元での諸現象の「性質」のこと。諸現象を作り出す「プラーナ(生命気)」の各性質のことを「グナ」と言います。
小学生男子で多いのは、「俺お前よりも頭いいもん」、「俺の方が塾行ってるし〜」、「俺のほうが〜〜できるし」「俺の方が持ってる」という会話が多く、言い合いになっている、と(笑)。
「これは、なにグナになる?」と。
うふふふ(笑)
そういう自慢や虚勢張り合いの言い合いばっかりだと、だんだんとケンカになるのに、なんでそういうことを言いたいのか、そればっかりになるのか、と。
それはどんなグナなのか、と聞いてきた。
と、まあ(笑)、
グナうんぬんの前に、子供のうちはそれもコミュニケーションのひとつなんだろうというのがあるけど、でもお題に上がってしまったのでそれでヨーガ哲学を話すことになるのです(笑)。
子供大人関係なく、そういう「人と比べる」意識や態度の底にあるもの、それは何か考えてみよう、と。
「オレはおまえよりすごい!って思いたい、 ”欲望”?」と娘。
そうだね、まあ欲望かもだけど、欲望で一括りにする前にもう少し具体的に見てみるといいかも ね、と私。
競争意識とかプライド意識とか、色々言い方はあるけど、なぜそういう意識を持つのかを考えてみよう、と。
娘は、「勝ちたいっていう気持ちかな。勝つと嬉しい。それはラジャス*なのかな。」
*ラジャス:グナのひとつ。「刺激の質」で、それが増大すると自我が強まり、感情としては怒りなどの荒ぶる心になる
私:「行きすぎるとラジャスだよね。ラジャスが強まるとどうなるか覚えてる?」
娘:「怒ったりする。憎しみになったり、争いになる。」
私:「そういうことが多いね。 男子はそれで怒ったりしてる?」
娘:「そんなこともない。言い合ってるだけな感じ(笑)。そのあとまた遊んでるし(笑)。」
私:「じゃあまだお互いに戯れてるだけなんだよ。そのやりとりをある意味楽しんでいるのかも。子供のうちはそういう関わり方もコミュニケーションなのかもしれない。
でもそれが大人になってもずっとそういう関わり方ばかりだったら、どんな感じになると思う?
・・・よく知っている「人物」で見てみるといいと思うよ。マハーバーラタ*だと、究極的な人がいるよね。」
*マハーバーラタ:古代インドの物語、ヒンドゥー教の聖典「バガヴァッドギーター」を含む大叙事詩。娘の愛読書。
娘:「”欲しい”と”勝ちたい”ばっかりの人は、ドゥルヨーダナ*だよね。」
*ドゥルヨーダナ:マハーバーラタの登場人物。虚栄心、嫉妬、憎しみを体現する。
私:「そうだね、ドゥルヨーダナは最後どうなった? 人生通じて彼は幸せそうだった?」
娘:「怒りとか憎しみばっかりだった。・・・安心した時が一度もない。
最後、一人になって死んだ。」
私:「そうだね。ドゥルヨーダナはさ、憎しみの対象である人を負かして、自分が勝つことで “何を得たかったのか” わかる?」
娘:「“自分は強い”って思いたい。それと、”嫌いな人が幸せにならないこと” が欲しい。」
私:「そうだね。
”自分は強い”って方さ、自分だけで思うことはできないのかな。相手がいなくても、自分は強いのだって思えないかな。そしたら打ち負かす敵を持つ必要なさそうじゃない?
あと、“嫌いな人が不幸にならないと自分は満足できない”ってのも、わかりやすいアヴィドゥヤ*だよね。
自分のことを嫌いな人とか相性が合わない人でも、仮に敵でもさ、その人の幸福を願うことはできるはずじゃんね。
実際にさ、マハーバーラタの賢者たちは、敵であっても”祝福”の言葉を送りあってるよね。彼らにとって言った言葉は真実だから、思ってないなら言わないし。だから、できるんだよ、好き嫌いとは別の話にできるはず。」
*アヴィドゥヤ:真理から離れた心のあり方。無知。
娘:「誰かを負かさないと、自分は強いとか幸せとか思えないんだね。」
私:「そう。そこだね。だからさ、相手と自分を比べたり負かしたりしないと、自分がわからないってこと、だよね。
そういうののことを、マハーバーラタでは「盲目」っていうキーワードに例えているよね。目は見えていても盲目、って。人と比べないと自分が見えないの。」
娘:「・・・・・うーーん。 人と比べなくても、いちいち勝ったりしなくても、自分は見いだせるよね。」
私:「お、そう思えそう? (いちいち勝ったり、って表現がいいねwww)
うん。じゃあ人と比べなくても自分を見いだせるってのはどういう状態で可能になると思う?」
娘:「うーーん。寝る前とか、瞑想してるときに、心が静寂になると、自分のしたこととか言ったことが見えてくるから、それで自分ってこういう人ってわかる。」
私:「それもいいね。
じゃあさ、さっきの男子の話だとさ、言い合っている対象の「お友達」を、自分のことすごいって思うために ”使ってる” じゃんね。そこわかる?」
娘:「うん」
私:「じゃあ。寝る前とか瞑想の時に出てくるそれでいうと、「記憶」とか「思い出」を「自分」を知るために使ってるよね。
「何か」を使っているということには変わらない。自己認識の対象が「友達の反応」から「自分の記憶」に変わっただけと捉えるとどう?
それも使わないとしたら?」
娘:「うーーん、そうすると、頭が真っ白で静かになるから・・・・
ひたすら行動するかな。」
私:「お〜〜〜(笑)
そうきたね!すごくいいね!行為のヨーガ*だ!
娘:「誰かを負かさないと、自分は強いとか幸せとか思えないんだね。」
私:「そう。そこだね。だからさ、相手と自分を比べたり負かしたりしないと、自分がわからないってこと、だよね。
そういうののことを、マハーバーラタでは「盲目」っていうキーワードに例えているよね。目は見えていても盲目、って。人と比べないと自分が見えないの。」
娘:「・・・・・うーーん。 人と比べなくても、いちいち勝ったりしなくても、自分は見いだせるよね。」
私:「お、そう思えそう? (いちいち勝ったり、って表現がいいねwww)
うん。じゃあ人と比べなくても自分を見いだせるってのはどういう状態で可能になると思う?」
娘:「うーーん。寝る前とか、瞑想してるときに、心が静寂になると、自分のしたこととか言ったことが見えてくるから、それで自分ってこういう人ってわかる。」
私:「それもいいね。
じゃあさ、さっきの男子の話だとさ、言い合っている対象の「お友達」を、自分のことすごいって思うために ”使ってる” じゃんね。そこわかる?」
娘:「うん」
私:「じゃあ。寝る前とか瞑想の時に出てくるそれでいうと、「記憶」とか「思い出」を「自分」を知るために使ってるよね。
「何か」を使っているということには変わらない。自己認識の対象が「友達の反応」から「自分の記憶」に変わっただけと捉えるとどう?
それも使わないとしたら?」
娘:「うーーん、そうすると、頭が真っ白で静かになるから・・・・
ひたすら行動するかな。」
私:「お〜〜〜(笑)
そうきたね!すごくいいね!行為のヨーガ*だ!
*「行為のヨーガ」:バガヴァッドギーターで提唱される「無私の行い」としてのヨーガ、またはヨーガスートラで提唱される実践のヨーガ。
じゃあ、「何か」に頼らずに自分を知る、については?」
娘:「・・・そしたら、アートマン*について、考えてみる、かなあ。」
*アートマン:真の自己、神と等しい自己、魂
私:「いいね〜〜〜!(笑)
でもさ、アートマンは考えてもわからないところもあるじゃん。もちろん考えることは大事だけど。その場合は?」
娘:「アートマンをわかっている人を真似してみる。」
私:「素晴らしい!!!!(笑)
じゃあ、「何か」に頼らずに自分を知る、については?」
娘:「・・・そしたら、アートマン*について、考えてみる、かなあ。」
*アートマン:真の自己、神と等しい自己、魂
私:「いいね〜〜〜!(笑)
でもさ、アートマンは考えてもわからないところもあるじゃん。もちろん考えることは大事だけど。その場合は?」
娘:「アートマンをわかっている人を真似してみる。」
私:「素晴らしい!!!!(笑)
ウパース*狙いですね! グルは偉大だね!」
娘:「ウパースってなに?(笑)」
*ウパース:同値する。ヨーガ的な意味だと、すでに悟ったグルの波動を、その側にいることでまとわせてもらい体得すること。
と、この会話は先週のもの。
こんな会話が、我が家では夕飯の時や娘の就寝前によく話されています。
なんて偏った家庭なんでしょう(爆)!
・・大丈夫です、普通の小学校に通うことでバランス取れてますし、子供らしい欲も幼さもたくさんありますので(笑)。
ヨーガ哲学を学び、知ることの大きなギフトの一つは、宇宙の摂理や真理を、日常の普通のことにトレースして見つめ直していけることです。
娘は私が自宅でヨーガ哲学のスカイプ講義をしている間、聞いていることが多く、また古代のインドの物語を好む読書好きが功を奏して、心の基礎が聖典の文言になってきています。グルや聖人の残した例え話を自分の体験に投影することで、自分の現実を理解しようと自然としています。そして彼女は、それを「楽しいこと」と言います。そう、楽しいんですよ、ヨーガ哲学は。
真理を学ぶことや考えることって、人間の行為の中でも素晴らしく幸福なことで、それは喜びなんだと思います。娘はそういう話をするとき、いつも嬉しそうに、ワクワクした顔で話します。
特に自分の日常の学校での出来事を、私がヨーガの教えで解釈する話が好きで、キリのいいところでやめないと延々聞きたがります。いっぺんに知ったことはすぐに忘れるから今日はここまでにしよう、といつも終わらせると、「楽しかった♪」と言います。
私たちはみんな「本当の自分」を知ることに魂的なニーズを感じています。それを教えてくれるのがヨーガで、面白くないわけがない。娘を見ていると本当にそう感じます。
だからみな、生徒さんも、聖典を読んだりするのは難しいと思いながらも、それでも「知りたい」という気持ちでヨーガ哲学に向かいます。そういう個々の魂のニーズを、私は心から礼拝します。
「悟り」とか「解脱」とか、そういうの目指してなくたっていいんですよ(笑)
「本当の自分について」をよく知ることができるという、それだけで、生きることの心の自由度があがります。
ナマステ
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